2005年度余暇政策論

 

担当教員(中村祐司)によるコメント

 

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  氏名

テ ー マ

玉手 里佳

「ドイツと日本の休暇比較」

後者の国に関して「休暇なのに休む間もなく動き回る」という指摘は耳が痛い。休暇の過ごし方にこそ国民性が如実にあらわれるのかもしれない。労働環境の違いも大きい。世代間、個々の家族や個人によっても過ごし方は多様化する一方で、実は極めて画一的な傾向にあるのが日本の特徴かもしれない。

加藤 由恵

「インド映画について」

ひとくちにインド映画といっても実に多様でその奥は深いことが分かる。言語圏の違いが映画の質や内容の違いに反映され、観客に対してどの言語で伝えるかについても、試行錯誤しつつ工夫がなされていると説明される。内容紹介が丁寧になされているだけに、今後のインド映画の方向性や将来性についての自分なりの考えを示してほしかった。

磯谷 萌

「現代社会とストレス―なぜヨガブームなのか―

前半の記述で示されたような多くのストレスとどう向き合っていけばいいのかは、多かれ少なかれ誰もが直面する課題である。ストレスは学業や仕事の効率に直結するし、時にはストレスとうまく付き合う知恵も必要であろう。「3000年」の歴史を持つヨガの魅力を存分に味わうことのできる人には、その副次的な効果としてストレス解消がもたらされるのであろう。

赤津 美香

「余暇の過ごし方―ボランティア活動」

若者世代や高齢者世代の「ボランティア活動への意識」が探られている。複数の情報源から見出される特徴を、間延びさせることなく要領良くまとめている。身近な事例が紹介され、読み手がすんなりと入っていける好レポートである。加えて自らがボランティアの実践者であることで、説得力が増している。学生ボランティアにしても、画一的に押し付けてはいけないことが分かる。

高木 真悟

「録画媒体の変化の歴史と余暇」

ビデオの誕生から次世代DVDの規格争いに至るまでの経過を、コンパクトに読みやすい形でまとめている。映像媒体技術をめぐる進歩・スピードの凄まじさの一端が伝わってくる。果たして消費者の欲求はどこまで行き、それにメーカーはどう応えていくのであろうか。あるいはメーカーが消費者の嗜好を誘導していくといった方が正確なのであろうか。規格統一を求める以外に、将来像も含めこの領域での媒体のあり方にまで踏み込んだ意見を述べてほしかった。

三田 地綾子

「旅の多様化と旅行会社」

人々の個別・多様化する旅行欲求を満たすべく、旅行会社は「部門別化」していかざるを得ない。核家族化や少子高齢化に合わせ、旅行サービス内容も変容するのであろう。市場以外の観点から旅を捉えたり、旅と移動との関係性を考察したりすれば、サービスの消費者とは異なる魅力的な旅人像が浮かびあがってくるかもしれない。

大橋 友梨

「地域ショッピングセンターの集客力と需要」

「時間消費型購買」の増大がショッピングセンターの建設増を後押し、あらゆる世代が楽しめるレジャー施設の要素をも兼ね備えつつあると指摘する。この種の施設が有する利便性・娯楽性の質と魅力に注目した好レポートである。文章表現も簡潔で間延びがない。一方でショッピングセンターはここに集まる人々の好みや娯楽思考に画一性を付与するという側面も否定できないのではないか。

川端 さやか

「グリーンツーリズムによる農村の地域資源活用大分県安心院町の『歓交』―

「農村民泊」や定着率の高い新規就農者、農業特区の導入、さらには都市との交流といった知恵と実践が次々に繰り出される。入客数の大幅上昇に伴う観光産業の活性化に加えて、町そのものに元気が出てきたという指摘が大変興味深い好レポート。行政の「商工歓交課」というネーミングも斬新かつユニークである。

米次 夕香

「テーマパークの成功と復興」

テーマパーク事業の成否は東京一極集中の問題とも絡むのであろう。利用客から見れば、これだけのお金を払ったのだから、その分の楽しみや喜びは得て当然だというある種の開き直りがあるのかもしれない。余暇市場というのは、人間の欲望をどれだけ満足させるか、あるいはたとえ錯覚であったとしても満足した気にさせるかどうかに、一定の評価基準があるように思われる。

10

相馬

「那須塩原市の2大公園で行われる余暇活動」

さすがにずっと慣れ親しんできた公園を対象としているだけに、通り一遍の機能説明で終わらず、随所に体験から得た考えが盛り込まれていて読んでいて面白い。「公営」を一枚岩では捉えられないというのも新しい発見で、「公営様々」という興味深い新語も登場する好レポートである。管理運営をめぐる問題を数字でもって示してほしかった。

11

中川原 翔子

「『到津の森公園』として復活した北九州市の『到津遊園(動物園)』」

「撤退した民間の事業を公共が引き継ぐ」なかで、市民ボランティアの力が存分に発揮できる運営の工夫が紹介される。「出来る人が、出来ることを、出来るだけ」というのはボランティア活動の要諦であろう。採算性オンリーではなく、この種の施設には社会的価値が運営存続の中心に据えられてもいいのではないか。レジメ調の提示の仕方に終始したのが残念。

12

松波 太郎

「昼寝という夢想的ドクトリン」

後半自ら行った寝付き実験は、果たしてこのテーマを真摯に追求しようとした一手段なのか、受け狙いの話題作りなのかの判断が微妙なところだ(単なるエッセイななのか、極めて柔らかいレポートなのかの判断についても同様)。「さいごに」の問題意識をもっと掘り下げてほしかった。余暇を「ムダ」時間と捉えるのか、「バラ」を味わう時間と捉えるのか。何もしない時間なのか、何かをやる時間なのか。いずれにしも生理的な欲求も含め何かをしなければ、何もしない時間は確保できないのであろう。

13

上野

「小さな余暇と携帯電話」

「小さな余暇」は「忙中閑あり」といったところか。そこに技術進歩の激しい携帯電話が入り込んでくるという構図である。「おサイフケータイ」は既にユビキタス社会のはしりとなっている。使用料の違いも絡むのであろうが、メールと通話との利用率格差には驚く。若者世代にとって携帯は体の機能の一部となっているかのようだ。大学生はいずれレポートを携帯で書くようになるのだろうか。

14

粂川 綾

「現代の日本の子どもと余暇」

「社会全体の時間的なゆとりは子どもの生活に反映する」「子どもにとって遊びとは彼らの文化」「大学生や短大生よりも小学生のほうが勉強している」といった興味深い指摘が続く。子ども時代にのびのびと運動遊びができる環境が与えられるのと、そうでないとでは大人になってからの生き方そのものに直結していくのであろう。

15

栗原 こずえ

「子どもを通した大人の余暇―In宇都宮―

子育て中の親が余暇の時間を見出しにくいとすれば、いっそのこと子どもと一緒に余暇を楽しんではどうか、という視点から書かれている。その受け皿となる公共の2施設が紹介される。もう一歩踏み込んで、施設そのもののデザインや利用の仕方に、子どもたちのアイデアをどんどん取り組んでいくようなしくみがあれば、それがそのまま余暇をめぐる地域力の向上に跳ね返ってくるのであろう。

16

岩島 央登

「タバコの時間」

タバコは日本には「薬」として伝えられたという。喫煙者の肩身が狭くなる傾向がますます強まる世の中の流れに抗して、「間」に代表される円滑なコミュニケーション空間の創出など、タバコの効用を追及する(おそらく喫煙者であろう)レポート作成者の必死の思いが伝わってくる。その勢いに押され、とくに学生をはじめ若者がこうしたタバコの吸い方をしてくれるのなら、教員としては喫煙に目くじらを立てる必要もないのでは、とも思わせてしまう。しかし、後半はトーンダウン。「タバコは立派な余暇の道具」という見方を後押しするような文化面での例証をもっと連ねた方がよかったのではないか。

17

櫛田 裕人

「スポーツ振興とサッカーくじ」

「くじ自体の魅力を引き上げていく」ためにはどのような妙案が考えられるのであろうか。サッカー人気とくじ人気との乖離を埋める手立てはあるのだろうか。果たして学校教育の現場への浸透など、教育省である文部科学省が管轄することのメリットは最大限に生かされているのであろうか。それとも現状におけるくじの売り上げ額が少ないと批判視することに無理があるのだろうか。消費者主権を実践する格好の好機と捉えるならば、くじの運営や運用をめぐる斬新なアイデアを若い世代がぜひ打ち出してほしい。

18

猿舘 絵理

「盛岡手づくり村にみる地域文化と人々をつなぐ余暇」

「生産施設の現場と観光が一体」となる点に貴重なヒントがあるのかもしれない。大都市が「勝ち組」、他が「負け組」といったような状況が醸し出される中で、地方のこうした取り組みに接すると、実は豊かなのは地方ではないかとも思えてくる。また、仕事の場をどう確保していくのかという課題は残るものの、観光客を呼び込む以上に大切なのは、地元の人々が足元の資源を再発見しその魅力を誇らしく思い、楽しむことなのではないかとも思えてくる。

19

中澤 浩子

「大学と地域のかかわり方―小学校教育における学習チューターについて―

教職絡みばかりでなく、教育現場への大学生のかかわりは時代の趨勢なのかもしれない。そのやり方も国の政策が降りてくるのとは逆方向で進んでいかなければならないのであろう。無報酬かそれなりの謝金を支給するかは、後者に軸足を置くべきではないだろうか。資金を自ら捻出するためのアイデアも必要だ。地域における学校を特別視するのではなく、住民の自発的グループなど他の多様な資源とも相互にかかわり合うことが大切なのであろう。

20

鈴木 千晴

「余暇活動としての伝統文化による地域復興」

伝統文化の継承活動は、実はこれを受け継ぐ大人や子どもたちに無形の価値を与えていると指摘する。加えて、メディアが取り上げることで「ただの田舎町」から「あの田舎町」への変化していく。フィランソロフィーや国による後押しもあり、決して八方塞がりの状況でないことが分かる。幼少期の地元での経験も、伝統文化へのまなざしの優しさと可能性を追求する姿勢につながっている。地方が置かれた状況を嘆くのではなく、できることをやってみようという元気を読み手に与えてくれる好レポートである。

21

田中 千草

「新幹線と並行在来線―その二極化と余暇への介入―

テーマ設定そのものが魅力的であると同時に、実に丹念に関係資料に当たっていることが分かる。在来線の置かれた運営面での重い課題が、「明暗」の分かれる形でより一層浮き彫りになっている。車窓からの風景という在来線の「観光資源」を新幹線が奪ってしまう構図も示される。また、移動の手段であった在来線そのものが余暇施設化しているという指摘は大変興味深い。それだけに止まらず、一地域における二極化が「日本社会の象徴」であるとまで見なす洞察力あふれる好レポートである。

22

桜井 美保子

「那須野が原ハーモニーホールの運営方針と地域住民の余暇」

文化施設の運営方針に住民の意向がどのように反映されているのかについては、あまりはっきりとしないケースが多い。行政からの補助金も含め施設のマネジメント状況をめぐり、住民レベルから厳しい指摘があるかといえば、この点もあいまいな場合が多い。指定管理者制度の導入によって、今後はそのあたりが大きく転換する可能性がある。そのことは納税者意識の高まりがもたらす歳入の自治の実践につながっていくかもしれない。

23              

吉澤 絵里子

「定年退職後余暇―海外ロングスティという選択―

「短期間の移住体験」がもたらすプラスの効果やその誘因について記述している。私事で恐縮だが、昨年、都市政策の調査研究でフィリピン・マニラに初めて滞在した際に、円とペソの為替関係であまりに実感としての物価が安いので、恥ずかしくも舞い上がってしまった経験がある。為替レートの魅力も海外ロングスティを促す主要因なのであろう。ただし、どこの国であろうと、パラダイスのみの人間社会はあり得ず、最後は国内で住もうと国外で住もうと本人が生きていく上での価値観が問われるのであろう。

24

中村祐司(担当教員)

「大都市スポーツ行政が直面する近年の課題」

 

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