国際学部国際社会学科 040104Y 岩島央登
余暇政策論レポート 〜タバコの時間〜
1.
はじめに
「余暇の時間」とはどんな時間か。それは読んで字の如く余った暇な時間、仕事の合間など何かの合間に自由に使える時間を指している。私たちはそういった時間をどのように過ごしているのか。趣味や食事、団欒、スポーツなど個々によって様々である。私はこの中から「喫煙の時間」について取り扱うことにした。大学の構内でも授業の合間などに学生や教員が喫煙している姿が見受けられる。彼らは10分程度の休み時間の大半をそれに費やしている。また、道行く人やレストランなど日常のいたるところで喫煙している人を見かける。彼らは何故喫煙するのか。タバコとは、タバコのもたらすものとは一体どのようなものなのか。禁煙や喫煙マナーが叫ばれる現在、改めてタバコについて余暇という視点から探っていく。
2.
タバコの歴史
タバコ(ニコチアナ)属植物は、植物塩基(アルカロイド)のニコチン,ノルニコチン,アナバシンのどれかを持つナス科の植物である。
現在、世界で栽培され利用されているタバコ植物は、ニコチアナ・タバカムとニコチアナ・ルスチカの2種だけだが、これまでに全部で66種が確認されており,そのうち45種が南北アメリカ大陸とその周辺部に生育していた。その他,オセアニアで20種見つかり,アフリカのナミビアでも1種発見されているが、これらはアメリカ,アフリカ,オセアニアが陸続きだった大昔に渡ったもので、タバコ属植物誕生の地はやはりアメリカと考えられている。従ってタバコの文化もアメリカで誕生した。
古代の人々の生活は自然の営みと一体のもので、彼らは自然を敬い畏れ、自然の中に神や精霊たちが宿ると信じていた。そして、神や精霊たちとコミュニケーションを図るためにシャーマン(注1)たちは穏やかな薬理作用を持つタバコを精霊たちの大好物と考え、最良の贈り物としていた。アメリカ先住民のたばこの使用例についての報告やたばこに関する神話の中で圧倒的に多いのは葉たばこやその煙を精霊たちに供えて彼らをなだめ、彼らから力を授かり、彼らの好意を当てにするといったもので、こうした信仰は南北アメリカを通じて広く行き渡っていった。
“たばこは精霊たちの大好物"という確信はもちろん人間自身の経験に基づくもので、たばこは精霊だけでなく人間自身をなだめ、癒すものであった。そして、特別なご馳走品として神様やお客などに差し上げ、自分でも嗜むようになっていった。また、たばこはよその人を歓迎する貴重な贈り物でもあった。1492年にアメリカに到達したコロンブスも、最初に親睦の意味を込めてたばこを贈られたとされている。こうしてヨーロッパ人がやって来るずっと以前から、アメリカではたばこが創出した他者との出会いを演出し自らも嗜む「癒しとなかだちの文化」が広く普及していたのである。
アメリカ大陸先住民のたばこの摂取方法は喫煙(スモーキング)が一般的で、喫煙の他には,南米から北米太平洋沿岸地方にかけて、たばこを噛んだりしゃぶったりする習慣(チューイング)が広まっていた。また中南米には、乾燥した葉たばこを粉末状にして鼻から吸い込む摂取の仕方(スナッフ・テイキング)もあり、このようにたばこの摂取方法が地域によって異なっていたので、カリブ海から中南米に進出したスペインにはシガーとスナッフが伝わり、北米に進出したイギリス、オランダなどにはパイプ喫煙が伝わることになった。
アジアにたばこがもたらされたのはヨーロッパに渡って少し経った16世紀の第4四半期以降で、「薬」として伝えられた。日本にはスペインが植民地としたメキシコから太平洋を横断してフィリピンに到達し、フィリピンから1601年(慶長6年)に薬として伝えられている。
こうして大航海時代をきっかけとしてタバコの文化はパイプやキセル、シガー、スナッフなど様々な形態を有しながら世界中に広まっていったのである。
(注1:神霊・精霊・死霊などと直接的に交わる能力をもって治療・予言・悪魔払い・口寄せなどをする人。日本では「みこ」「いちこ」「いたこ」「ゆた」などがその例)
3. 喫煙の心理
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人と人とを近づける「出会いの一服」
タバコは歴史の説明でも述べたように人と人との出会いの場でも用いられる。出会いの場のたばこは,儀礼的に用いられるだけではない。相手に対して親愛の情を示すためや,会話を交わす者同士が親密感を深めるためにも用いられる。ここでその例をビゼーの歌劇として有名な「カルメン」を挙げてみよう。
「カルメン」の冒頭部でも,学者は印象的な出会いをしている。スペインの山中で,短銃を持った山賊姿のドン・ホセと出会うシーンである。学者は驚くものの,それを態度には表さず,平静をよそおって葉巻に火をつけ,用心しながらもホセにも勧めてみる。その様子は,次のようだ(「私」が学者,「彼」がホセ)。
「これならちょっといけるでしょう」本場もののハバナをすすめながら私は言った。彼はかるく頭を下げた。私の葉巻から火を移した。もう一度お礼のしるしに頭を下げた。そのうえでたいそううまそうに吸い出した。
「ああ!こいつはずいぶん久しぶりだ!」最初の一吸いの煙を鼻からゆっくりと吐き出しながら,彼は言った。
スペインでは,葉巻一本のやりとりが,近東地方でパンと食塩を分けあうのと同じく,客と主人の関係を作り出してくれる。男は私の予期した以上に口数が多くなってきた。―堀口大学訳 「カルメン」新潮文庫から
こうして一本の葉巻が山賊に身を落としたドン・ホセの出会い頭の警戒心を解き、次第に二人の間に親密感を醸成していった。たばこに火がつくとはじめは堅かったその場の雰囲気が次第に溶け始め、和らぎ、ぽつりぽつりと四方山話がはじまる。いかにも大人同士の人間らしい仕草ではなかったろうか。このように喫煙は初対面の相手とのスムーズなコミュニケーションを助ける役割も担っているのである。
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会話を弾ませる「間合いの一服」
人と人とが出会うと、会話が始まる。互いに話し手となり聞き手となりながら…。話し上手、聞き上手がいれば会話はいっそう盛り上がる。上手な話し手は会話のところどころで間合いをとる。間合いを巧みに利用するといった方がいいかもしれない。話が肝心なところにさしかかってきたなと思うところで、一気にたたみかけるのではなく、一呼吸「間」をおくのである。そんな時たばこに火を点けると、その間が不自然にならない。聞き手の方は次にどんな言葉が飛び出すかと固唾を飲んで期待感を高める。その頃合を見て話し手は勘所をゆっくりと話す。すると、その言葉は聞き手の胸にジンと沁み込むという寸法である。
また、会話は自分もしゃべり相手もしゃべるところに成り立つものである。自分ばかりが話していてはよくないと思った時はしばらく沈黙する。それで相手が話し始めてくれればよい。しかし、時によっては相手がなかなか話したがらない事もある。お互いにただ沈黙しているだけでは、重苦しい雰囲気になるばかりだ。そんなときは、たばこを取り出して一服つけると沈黙の間が不自然に感じられない。こちらの気持ちにゆとりのあることが相手にも伝わり、堅い気分もほぐれ寡黙な口を開かせることにもなる。
このようにコミュニケーションの手段としての喫煙は会話にとって重要な「間」を保ち、作り出すことができるのである。
4. タバコの問題
昨今、日本でも禁煙が頻繁に呼びかけられている。たしかにタバコは「百害あって一理無し」と言われるほど健康に良くない。タバコの煙には200種類もの有害物質が確認されていて、なかでもニコチン、タール、一酸化炭素は三大有害物質とされている。
ニコチンは脳の快楽をもたらす部位に作用するため、依存に直接結びつくものと考えられている。さらにニコチンは青酸に匹敵するほどの強い毒性を持ち、成人で1~4mgが中毒量、30~60mgが致死量となっている。乳幼児だとタバコ一本に含まれる10~20mgが致死量にあたるため、タバコの誤食による急性ニコチン中毒も発生している。また、一酸化炭素は身体のすみずみまで酸素を運ぶ役割を持つヘモグロビンと強く結びつき酸素欠乏を引き起こしている。そしてタールはベンツビレンなどといった数多くの発ガン物質を含み、呼吸器系の疾患とも関係が深いとされている。
また一方で喫煙者のマナーの問題も指摘されている。吸殻のポイ捨てや喫煙場所などの問題である。吸殻のポイ捨てによるゴミ問題は街中だけではない。タバコの葉は土に還るが、フィルターだけはそうはいかない。雪解けのスキー場ではこのフィルターが大量に残ってしまい全てゴミと化す。
人ごみの中での喫煙は大変危険だ。700度もの熱さの火が人のすぐ傍を、場合によっては子供の顔すれすれを横切ったりする。タバコを吸っていなくとも喫煙者が放つ煙のせいで、本人の意思に関係無く煙を吸い込んでしまうなど喫煙者の喫煙の仕方によって周りが受ける影響も大きく変わってくる。こういった状況を踏まえて喫煙可能な場所や時間を分け隔てたり、マナー改善を促すTVコマーシャルの放映、広告の掲示など対策が進んではいるが絶大な効果とまではいっていないようである。
5.
まとめ
これまで大きく3つの事柄に分けてタバコについて分析を行ってきた。タバコの誕生から世界中への拡がり、タバコによって生まれる人と人とのコミュニケーション、タバコが持つ問題点の3つだ。歴史を見てみると最初は神への上納品や人体に悪影響など微塵もない薬であるとされていたのに、今となっては数々の病の原因とされ、まるで邪魔者扱いになっており、実に皮肉なものである。確かにマナーや健康面で多くの問題が存在するのが現実である。だがもしタバコを愛するならタバコに敬意を払いマナーを守るべきだ。マナーを守れば他に被害は出ないし喫煙文化も守られるのだから。健康面では個々人の意思に委ねるほかない。喫煙のもたらす時間に価値を見出すなら吸う意義はあると私は考える。このようにタバコの問題は確かにあるが回避しようがないものではない。
だから私は一概にタバコの排除が良いとは考えたくない。なぜならタバコはこれだけの歴史を持ち、長く人々に愛され続けてきたからである。タバコがもたらす時間が有意義でなければこれほどタバコに関するエピソードは残されていなかっただろう。そう考えれば授業の合間の喫煙風景にも納得がいかないだろうか。喫煙者たちはタバコに火をつけ一息で大きくリラックスし、タバコを片手に話を交わし、笑い合って価値ある10分間を過ごしているのだ。互いに火をつけ合ったり、所持しているタバコを交換し合ったり、他の物にはない新しい時間もタバコは提供しているのである。忙しい合間のひとときのやすらぎの時間、まさに余暇ではないか。タバコは立派な余暇の道具のひとつだといえる。
禁煙が健康に良いことは皆重々承知している。だがタバコがもたらす心の余裕、心の健康があることを忘れてはならない。だから私は時代の流れに逆行するようではあるがタバコの良さを見直してほしいと考えている。
<参考資料>
(たばこの歴史 http://www.t-webcity.com/%7Ethistory/thistory/t_history.html )
(たばこ総合研究センター http://www.tasc.or.jp/ )
(YOKI's homepage〜喫煙・禁煙と健康について〜 http://www.lares.dti.ne.jp/~yoki/index.html )