余暇政策論(2002年度前期)レポート共有のページ
中村祐司(担当教員)のコメント
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名 前 |
テ ー マ |
1 |
前田 佑介 |
<担当教員によるコメント> まるで日本のバブル期における土地転がしを思わせるような移籍金の高騰を批判的に論じている。ボスマン判決の概要とその抜け穴の帰結としての「違約金」という形での存続や、テレビ放映権料に依存するクラブの体質が指摘される。
そして欧州を中心にした世界規模でのサッカー市場がなぜ成立するのかという問題意識にもとづいて、考察の対象は野球における市場規模やリーグ構造という側面での比較論へと進んでいく。このあたりの考察の展開は大変興味深い。南米の「クラブへの信頼」と欧州の「リーグへの信頼」を媒介しているのが高額な移籍金だと見抜く視点は鋭い。敢えて言えば、「移籍ゲーム」や「疲労した欧州サッカー市場」
が今後、どうなるのかについても具体的に論じてほしかった。 |
2 |
松田 惠子 |
<担当教員によるコメント> 「ビジネスとしてのスポーツ」という側面から、日本と韓国における経済効果の試算データが紹介される。しかし、今後のスタジアム運営や、経済効果の恩恵を受けなかった百貨店等へのマイナスの影響についても言及する。そして、ISLやキルヒの経営破たんやスポンサーとなることのメリットに触れた上で、アジアでの開催の背景にはFIFAによる市場戦略における「マンネリ化」の打開=アジアでの市場獲得の意図、があったと指摘する。
FIFAや開催国が自らの利益を追及する構図に意欲的に迫っている。しかし、例えば、今大会がFIFAの「苦い思い出」で終ったと言い切れるのであろうか。また、ビジネスにおける「ソフト」の具体的な意味づけについてもう少し論じてほしかった。 |
3 |
森口 治奈 |
<担当教員によるコメント> ナイジェリア、カメルーン、セネガルというアフリカの参加チームを取り上げ、各々の国が抱える経済事情や、選手と協会、協会と政府との意思疎通の問題から起因した出場給や移動費の未払い・遅延といった問題を具体的に指摘している。
チームの育成には一国の政治的経済的な安定が不可欠であることが分かる。セネガルでは監督自ら組織改革に乗り出したという。一貫した問題意識で文章を書いていることが伝わってくる。しかし、サッカー協会の「レベルの低い幹部」の責に帰すだけでよいのだろうか。欧州諸国とアフリカ諸国との関係、国内政治構造の問題など問題の根はもっと深いのではないだろうか。 |
4 |
秋元 麻里 |
<担当教員によるコメント> フランス大会におけるサンドニ市や今大会の中津江村、平塚市の例を挙げ、経済効果などの活性化につながった自治体と、松本市のようにそうでなかった自治体の例を挙げている。人間の交流や子どもへの影響といった「社会波及効果」の意義は決して小さくないとしている。「スポーツを通してこれほどまでに人を動かせるものか」という認識を得たことは貴重ではあるものの、メディアの論調を超える切り込みがほしかった。(センテンスの重複にも今後のレポート作成では注意を!) |
5 |
坂本 香織 |
「W杯のキャンプ地をめぐるできごと―カメルーンのキャンプ地の例を通して―」 <担当教員によるコメント> 富士吉田市・河口湖町のキャンプ誘致過程を自治体間の競合を含め説明した後、誘致に失敗した活動をいくつかの類型に分け、その原因を挙げている。ここがこのレポートのひとつの魅力となっている。財政負担や仮契約相手チームの予選での敗退、さらには試合地との距離など不確定な要因がいろいろと絡み合っている点を浮き彫りにしているからである。
要するにキャンプ地の決定という決して大会の本流には位置づけられない事業においても、これだけの関係アクターの相互作用とダイナミズムが見られるということである。
「キャンプ地になったことによる効果やメリット」について、独自の視点から貴重な結論を導き出している。 注文としては、JAWOCのキャンプ候補地促進策の特徴についても、触れてほしかったという点である。 |
6 |
屋比久 美樹 |
<担当教員によるコメント> 野営場の設置をめぐる利府町と宮城県との考え方の違いを描写している。これがホスピタリティーの領域に含まれるのか含まれないのかについて、前者の立場から県の対策と実績(誘導サポーターの少なさなど)を批判する。メールを通じた関係者への質問によって極めて具体的な回答を引き出すことができたのも、テーマ設定をうまく絞り込んでいるからであろう。「緊急避難的」措置は県の当初からの戦略だったのではという思いすらする。本当のホスピタリティーとは何かということについても考えさせられる。ただし、対策協議会の設置経緯なども含めた性格付けや県警など他の関係アクターへの言及がほしかった。 |
7 |
鈴木 順子 |
<担当教員によるコメント> フーリガン対策における「スポッター」や「リエゾン」の存在や、 過熱報道等を要因とする外国人サポーターへの過剰警戒の指摘などが興味深い。果たして一部日本人サポーターがとった行為は「暴動」なのか、それとも過度な「マナーの悪さ」なのか。
「パブリックビューイング」 の会場に実際に足を運んだ経験から見えてきたのは、一部日本人観戦客の「目に余る」行動とともに、運営・警備をめぐる主催者(行政)の準備不足や未熟さであったと指摘する。責任と自覚をめぐる行政-住民関係の課題がこの事例に凝縮されている思いがする。フーリガン対策の説明がやや冗長となったのが残念。この部分、もう少しコンパクトにまとめることもできたのでは。 |
8 |
田仲 智子 |
「日韓共催ワールドカップにおける日本のフーリガン対策と問題点」 <担当教員によるコメント> フーリガンの位置づけを行った上で、国内における警視庁、県警、機動隊によるフーリガン対策の事例を紹介。試合の組み合わせに応じて危険度を評価した警察当局の対応姿勢についても言及しており興味を引く。マスコミ報道のあり方と同時に、対日本戦終了後のロシアでの暴動に目を向け、「自国民の保護」という視点から批判を加える。また、チケットの購入・配布過程でのフーリガン対策がドイツからの観戦客減少につながったこと、国内での詐欺行為にも言及している。限られた情報源から問題事例を意欲的に抽出している。表作成を試みたり、段落設定に気をつかった文章構成となっていなかった点が残念。 |
9 |
梁 智英 |
<担当教員によるコメント> ワールドカップを通じた日韓あるいは韓日の「文化交流」という広い枠組みから 、プラス志向を前提にした交流事業の紹介を網羅的に行っている。
両国は「マクロ的異質性」よりも「ミクロ的共通性」を重視する方向へ互いに変わってきているという。「試合の相手になる国の歴史や文化、そして地図上の位置がワ−ルドカップを通じて流れ、世界がより狭くなった」という指摘はまさにその通りだ。国家と自己のアイデンティティーが大会を通じて高揚すると同時に、その浸透度においては両国に違いが認められたとする。母国語以外の言語でレポートを果敢に作成する姿勢を見習いたい。ただし、表層的な現象や事例にのみ注目して結論を導いているように思え、この点が今後の考察に向けた課題であろう。 |
10 |
中村 祐司 |