Matsuda.020703 「余暇政策論」レポート

「ワールドカップにおける経済とアジア開催」k000148

                       松田 恵子

 

1.はじめに

今世紀初めてのFIFAワールドカップが2002年5月31日、日韓共催という新しいスタイルのもと幕を上げた。今大会は長いワールドカップの歴史の中で、初めてアジアが開催地になったという点で記念すべき大会である。今までワールドカップの開催地といえば、メキシコやスペイン、アルゼンチンといったサッカー強豪国が殆どであった。サッカー界においてアジアは弱小であり、殆ど眼中に入れられていなかったのが現実である。そんなアジアに今回、開催地として白羽の矢が立てられた。うれしい気持ちが半分、その半面で正直、何故だろうという疑問がわいてくる。そこには何かしら意図めいたものを感じる。決勝トーナメントにすら現れた事のないアジアでワールドカップを開催する背景、それはただ単に日本と韓国が資金をつぎ込んだ成果だけではあるまい。アジアで初のワールドカップ開催が意図していたものと、そこからもたらされたものは何だったのだろうか。本稿では、その命題の答えを探るため、ビジネスとしてのスポーツについて検証し、主に経済面からのアプローチを通じてワールドカップとアジアとの関わりを考えていく。

 

2.経済効果

 (1)アジアに生まれた活気

先ずはじめに、ワールドカップのもたらした経済効果について考える。ワールドカップが閉幕した7月2日現在、まだ確実かつ包括的な統計は出されていないが、日本がロシアに勝利した2002年6月13日の時点で、住友生命総合研究所は、今大会の経済効果を4550億円と算出した。内訳は、外国人らの宿泊費、交通費による収益730億円、日本国内からの観戦のための支出による収益(ビデオ・テレビ購入費255億を含む)1550億円である。開催費用を考慮に入れて算出すると、直接的な支出増加額は2880億円に達するという。【FIFAワールドカップオフィシャルサイト 2002.6.13】これは、日本のGNPを0.1%押し上げる規模の数字である。さらに6月14日、日本が決勝トーナメント進出を果たしたことをうけて、電通総研は、一次リーグ突破の経済効果は3000〜4000億円のプラス効果があるのではと強気な予想を立てた。【同上 2002.6.15】実際、サポーターは熱狂し、国中がサッカー一色になる中で、出版社は部数を伸ばし、家電製品は音響機器を中心に売上が伸びた。韓国においてもそれは同様で、「経済効果は100兆ウォン(10兆円)」と民間シンクタンク現在経済研究院が発表、韓国代表が勝ち上がる度に記念セールが行われ、国民の消費を押し上げたという。【同上】韓国は、アジア初の準決勝進出という快挙を背景に今後、高まった国家イメージを最大限に活用していくことが予想される。もともと人気のある食やIT部門を全面に押し出し、国際市場に参入してくるのではないだろうか。日韓以外では、中国におけるTVの購入が飛躍的にのびたというニュースも耳にする。本大会の経済効果は、開催国のみにとどまらない様である。今回のワールドカップは、アジアにサッカーフィーバーという名の活力をもたらした。

(2)今後の課題

しかし、その一方で、ワールドカップが終わって残された負担もまた、大きい。先ず、閉幕後のスタジアムなどのインフラをどう利用していくかの経営体制が暗礁にのりあげている点が懸念要因の一つとして挙げられる。宮城スタジアムを例にとってみると、270億円をつぎ込んで建設したスタジアムは、一年間の維持費が三億円もかかるという。これに対し、今後地域での活動に用いられた場合でも、その収入は6500万円程度しか見込めない。さらに、ただでさえ負担であった地方債の額が、大会の運営費用のため年度末までの見込みで1兆3189億円まで跳ね上がったという。本大会後は赤字運営は必死であり、これはどのスタジアムにも共通してある問題だという。この背景には、国が景気対策の促進のために地方に財政出動を求めて公共投資を拡大させたことと、その追い風に乗りワールドカップありきで、後のアセスメントを十分に行わないまま突っ走った自治体の存在がある。【読売新聞 2002.6.29の記事より】この赤字を拡大させる前に、これからはもっと有効な投資をすべきだ。具体的にはソフトへの投資が有効だと思う。慶應義塾大学教授の鈴木寛氏は、スポーツについてのパネルディスカッションで「スポーツに情熱をもっているのに加えて、マーケティングや経営やプロモーションを行ってくれる人をもっと抱えるべきだ」と述べている。

 閉幕後の問題のもう一つとして、経済への好影響への疑問がある。確かに今大会を通じて日本は大きな利益を得た。しかし、この大会が本当に経済の追い風となるか否かというのが決まるのはこれからである。家電業界、出版業界が大きな収益を得た一方で、百貨店やタクシー、飲食店の売上は落ち込んでいる。今大会の経済効果が、日本の国内消費低迷の中で、一時的に消費を盛り上げただけで終わるのではないかという懸念を持たずにはいられない。

全体会のデータでは、ワールドカップ開催国のその年の経済成長率は一様に上昇の傾向にある。(94年の米は27から40%、89年の仏では19から35%に上がった。【読売新聞2002.7.1の記事より】これはワールドカップで得たソフト面での効果(国際市場でのシェアの獲得や企業のPR効果、その他消費性向を高める経済全体の活力)を持続して利用できた結果であると思う。今大会が景気回復の道を探る日本経済の突破口となるかどうかは、この活気を一過性のものに終わらせてしまうかどうか、いわば“これから”にかかっていると言って良いだろう。 

 

3.ビジネス化したスポーツ

 次に、スポーツマーケティングについて検証していく

(1)      ビジネス化への動きと結末

 1970年代のTVの普及をうけて、1980年以降、日本においてスポーツがビジネスとして注目されるようになる。サッカーに関して言えば、それは94年のアメリカ大会においてであり、ワールドカップに商業的な付加価値が認められたのは、ごく最近のことなのだ。一都市開催で多種目を競うオリンピックと比べ、ワールドカップは種目が一つで、インフラ整備がしやすい。多数の都市で試合可能なこともあり、経済的負担の分散により少ないリスクでより大きな収益を得ることが可能となる。【ワールドカップの経済効果 2002.7.1】当時の人々の目に、サッカーは大きな可能性を持ったビジネスの原石に映ったことだろう。そしてこの可能性を開花させたのは、FIFAのスポーツビジネスの代理人であるスポーツ・マーケティング会社(ISL、キルヒ)である。彼らの上げる成果は、イベントの収益が全ての資金収入源である主催団体にとって、大規模なイベント開催を続けていく上で不可欠なものであった。アマチュアリズムを尊ぶ日本ではスポーツをビジネスにするというのは受け入れがたく感じられがちであるが、スポーツイベントがその華やかさと宣伝効果により世界的に魅力のあるエンターテイメントとなりえた背景にISLやキルヒのようなスポーツ・マーケティング会社の存在があった事は無視できない。しかし、今大会では、この二社とも、破綻という結末をむかえた。放映権の高騰(今回の2002年ワールドカップの放映権は、前三大会の合計が約440億円なのに対し、その倍以上の1140億円とされている。これは、それまでサッカーを世界中に根付かせようと放映料を安く抑えていたFIFAが、五輪のテレビ放映権の高騰をうけてその有益性に着目し、入札制度を導入したことによる。)

に伴い、ビジネスを広げた各分野において十分な収益が得られず、債務超過に陥ったのだ。その背景にあるのが、一部のスポンサーの、放映権・マーケティング権高騰に伴うワールドカップからの撤退である。スポーツ・マーケティング会社と同様、FIFAにとって権利収益の顧客となるスポンサーの存在は、生命線のようなものであろう。このスポンサーの後退を受けISL・キルヒが破綻したことで、ワールドカップのビジネスとしての可能性を限界まで突き詰めようとしたFIFAはその尻拭いをしなければならなくなり、結果として、利益のためにしたことが自分のくびを占めるという「痛い目」にあうこととなった。

(2)      スポンサーについて

 先に述べたように、スポーツビジネスが成り立つ上で、スポンサー企業の存在は大きい。そこで、スポンサーについて少し触れたいと思う。まずスポンサーのメリットとして考えられるのは、@PR効果AイメージアップBマーケティングC新しい販売市場の開拓の四点である。【ワールドカップの経済効果2章 2002.7.1】これらはいずれも、企業にとって魅力的な要素である。例をあげれば、ワールドカップのオフィシャルパートナーであるadidasは、今回のw杯トーナメントにおけるサッカーフィーバーにより、今後3〜4年でアジアにおける年間の販売額が15〜20%アップする見込みであることを発表した【インターネット参照 2002.7.1】が、これはCの成果である。また、@について言えば、TVでよく見る今大会の公式サッカーボールの巨大レプリカ、そこには大きくadidasの文字がある。公式ボールは、その大会の象徴とも言うべきものであるから、これほど強力な宣伝媒体は無い。この様に、スポンサーは、それがオフィシャルスポンサーで無い場合でも、こぞってイベントに参入しようとする。そこでは大々的な「代理戦争」【同上】がくりひろげられる。ここで問題となるのが、アンブッシュマーケティング(不正便乗商法)である。アンブッシュマーケティングとは、イベント主と契約したスポンサー企業以外の企業が、イベントに乗じて宣伝活動をし、正規のスポンサー企業のマーケティング権利を侵害することである。今回、adidas社のライバルのナイキや、コカコーラのライバル社のペプシがアンブッシュマーケティングであるとの批判を受けている。adidasとナイキについては、決勝戦で対戦したドイツとブラジルのユニフォームがそれぞれ両社製のものであったのが記憶に新しい。ナイキもペプシも、ワールドカップを売りにして、例えば「w杯公認」という表示して宣伝しているのではないのだからアンブッシュマーケティングにはあたらないと主張している。客観的に見れば、両社のワールドカップへの介入は明白な事実ではある。その是非を考えると話が複雑になるので本稿では、それほどワールドカップで宣伝活動を行うことの旨みが大きいのだということの確認に止まっておく。

(3)      ビジネスとサッカーの溝

 しかしこうしたスポンサーの特権も、その価値の高騰に伴って、魅力が半減、一部のスポンサーがスポーツと距離を置く動き【パネルディスカッション 2002.7.1】のなかで、adidas社においては、先に述べた報告と矛盾する形で、ワールドカップ後はブランドを売却するという噂まで立っている始末である。今大会の事例からも分かる様に、ビジネスはサッカーから少し距離を置きはじめている様である。ISLやキルヒの破綻はそのことを顕示しているのではないだろうか。

4.まとめ

 命題に戻って、何故2002年のワールドカップはアジアで開催されたのだろうか。私はワールドカップのオフィシャルボールのデザイン及び開催国の移行の様子を見た時、この疑問に突き当たった。1966年のイングランド大会以来、開催国は一貫してヨーロッパとアメリカ大陸から交互に選出されていたからだ。この問題について、考えられる要素は複数あると思う。先ず、日本・韓国が誘致に熱心であり、多額の資金を投入したという事実が重要である。日本が開催国の一つに抜擢されたのは、1993年にJリーグが発足たことでサッカーを行う基盤が出来上がっており、開催するだけの経済力があったためであろう。今回のアジア開催の一つの背景として、アジアの中でのサッカー普及への努力があり、その社会認識の高まりと共にサッカーへの出資が可能となったことが大きい。

また、視点をアジアの外に向けると、他の要素も浮き上がってくる。FIFA側にも当然狙いがあった。今回の誘致が成立したのは前回大会の98年である。この時期、アジアはその急成長に一段落をつけ、安定した国際市場としての基盤を作ろううとしていた。一方FIFAは、欧、米大陸での開催の繰り返しの中で市場が固定化、悪く言えばマンネリ化し、そのビジネスを一歩先に勧めることがしにくくなっていた。ワールドカップ程の一大イベントともなると、あまりにリスクの大きい土地で行うことも憚られた。しかし、次は米大陸のどこかといった時、開催するだけの基盤(主に経済力)を持つ国が見当たらない。そんな時FIFAが目をつけたのが成長が安定し、リスクも幾分少なくなったアジアだったと考えられる。FIFAの狙いは、この機に乗じて従来の開催地域から出て、アジアで市場の獲得を果たすことだったのではないか。サッカーにおいても、またそれ以上に経済市場としても、基盤があってしかしシステムはまだ凝り固まっていないアジアは、商業化に傾きつつあったFIFAにはさぞ魅力的に映ったことだろう。それはFIFAの生命線であるスポンサーにとっても、アジアにおけるシェア拡大の足がかりとして願ってもないことだったのではないか。サッカー市場に新しい風を起こし、さらなる利益をというのがFIFAの狙いであり、そのためには「新転地」が必要だった。FIFAはこの時点で商業化主義の片鱗を現していたのかも知れない。

以上のことから、今回のアジア開催は、アジアでのサッカー普及への動きと、FIFAの機を図った上でのスポーツビジネスのアジア進出という、アジアの内と外からの二つの動きの合致点と見ることが可能である。そしてその結果は次のようなものである。日韓、及びアジアは、問題をはらみながらも、その恩恵を受けるに至った。アジアが受け取ったものは、実際の貨幣収入よりも、サッカーフィーバーというソフト面での恩恵の占めるところが大きい。さらにそれを利用して新たな収益をあげようとしている。このソフト面での効果が持続することで、実物経済への良い影響も増すことだろう。(韓国がいい例であり、これからの日韓の動向を比較していくことも有益だろう。)方やFIFAは、ISL、キルヒの相次ぐ破綻、国際社会からの批判等、大きな打撃を受けた。今回のワールドカップについての評価が、日韓側とFIFA側で正反対だったのはこの様な背景によるものであると考えられる。FIFAの失敗の原因はやはり、急激過ぎるマーケティング料、放映料の引き上げによるものなのではないだろうか。開催地を新しい地に設けることで、それまでの流れを一段し、その異質性のもと、高い料金や過度の商業化の突発性を見つけにくくしようとした。しかし、それがかえって顧客であるスポンサー会社、特に主力であったろう欧のスポンサーの離脱を招いてしまった。ビジネスに偏りすぎた結果、逆にビジネスから遠のかれてしまったのだ。

そして注目すべきは、次回のワールドカップが再び欧の開催常連地域に戻るということである。「共催は当分しない」とFIFA側は言っていたが、経済力の低い国におけるサッカーへの情熱を無視するわけにはいかない。共催という運営スタイルは、開催国の選択肢を広げてくれる。世界中にサッカーの楽しさを伝える。その実現とサッカーの発展のためにFIFAが果たす役割は、依然として大きいのである。そのためにも、今大会を振り返ることは重要で、2002年のワールドカップを、FIFAの「苦い思い出」で終わらせるべきではないだろう。必要不可欠なビジネスと、サッカー普及という理念の間で、両者にどう折り合いをつけていくか、アジア初の開催国として、これからどうワールドカップに関わっていくか、FIFAにも、我々にも、残された課題は多いと思う。(6725字)

 

 

参考にしたサイト

http://www.ccnet.ne.jp/~kazusi/World_Cup/sonota/other.html 

http://web.sfc.keio.ac.jp/~s00387kk/laf/report/page5.htm パネルディスカッション