Yangjiyoung020703『余暇政策論レポ−ト』

 

「ワ−ルドカップにおける異文化理解と交流」 000562C梁智英(やんじよん)

 

 
はじめに

 

20026月の祭りのワ−ルドカップが終わった。この1ヶ月間共催国だった日韓を始め参加国の人々はワ−ルドカップ祭りに酔いしれた。マス−メディアは連日「史上初」「歴史の新しいペ−ジ」「奇跡」「感動」、また「日本」「韓国」いった言葉を盛り込んでワ−ルドカップを盛り上げた。今回で17回を向かったワ−ルドカップは、これまでとは違ってアジア初、その上、二国共催という特例であったゆえにその準備段階から期待と不安が交差し世界の人々の注目の的になりかねなかった。さらに、試合が進むにつれて、予想はずれの国が勝ち点を取り、サッカ−強国だと言われた国が敗北するなどの異例が異例を生むことが続出して、ワールドカップの盛り上がりは頂点を達したのである。 私にとっても今回のワールドカップは草の根交流における日韓を観察する良いフィールドワークにもなる貴重な体験だった。

 これまで、日韓は「近くて遠おい国」といった決り文句で象徴された関係を保ってきた。ところが、この二つの国がワールドカップというスポーツ大会の下で文化や歴史の認識を改める交流の場を広げつつ両国の距離を縮めようとした。長い間、日本と韓国は正式的な文化交流の場が設けられなかったが、19965月の「日韓共同開催ワールドカップ」の決定が切口となり、1998年には金大中大統領が「日本の大衆文化開放」を発表することによって、政府の下で交流の場が増加し、より開放的にお互いの文化に触れ合える機会が広がってきたのである。また、この「21世紀初、アジア初、大会史上初の共同開催」であった2002年ワールドカップは、結果として単なる日韓のみならずアジアと世界の関係や交流を見直せる良いきっかけにもなったと言われている。

 私は、今回のワールドカップを通じて、まず、準備段階における多様な日韓交流の動きをみ、次に、6月の本試合に入ってからの両国民のワールドカップに寄せる期待や参加様子を見てきた。今回のレポートは、主にネット上と新聞にのせられた情報を収集して、集めたのを分析し考察したものである。5月末から6月の終わりまでの短い期間だったかもしれないが、これまでのなかった日韓が互いの異文化を語る豊富な記事が充分得られたと考える。ここでは、ワールドカップ祭における日本と韓国の大衆交流そして、その祭りが終わった後の日韓関係の行方について考えようとする。

 

1.スポーツ大会における文化交流

 

 最近、私たちは「ワールドカップ」というキーワドだけで、日本また韓国の最新情報が簡単に得られる。その上、多彩なマスーメディアを通しても両国の現在の様子が容易にうかがえるがゆえに、もうすでに日韓は「近くて遠い国」から「近くてもっと近い国」になったかのように見られる。このように、かつての「遠い国」だった日本と韓国が地図上の距離と正比例するような関係を築き始めたきっかけになったのは、言うまでもなく「日韓共同開催ワールドカップ」だろう。2002年で17回を迎えるワールドカップが日韓共催と決定されたことは、世界スポーツ大会の枠を超えて総括的な日韓関係改善への道を広げて行くだろうと予想された。それだけではなく、異なる国がワールドカップの舞台をかりて結ばれたことによって、「和解と統一」というコンセプトが成り立ち、平和を願う地球人へにスポーツを通じての良い未来志向への交流と関係改善へのメッセジが発散可能であると思われた。

 今回の「日韓共催のワールドカップ」は、今日まで両国の関係を代弁してきた異なる二つの政治のイデオロギーとは切り離して、相違なる国籍をもつ人々が文化交流、また人の交流を通して互いを理解しより親密な関係が築ける多様な材料を提供してきたように思われる。まず、5月25日の高円宮ご夫妻の訪韓は歴史の新しい一ペ−ジが書かれる瞬間だ言われ、次に、小泉首相と金大中大統領のユニホ−ム交換のパフォ−マンスは既存の相政府の外交とは違う人の交流の一面であるかのようにもアピ−ルされた。両首班の「アジア初の今大会は日韓両国の友好、親善に寄与するうえで大変意義深い」(小泉首相、20025月28日、読売)、「W杯共催二千年もの往来を重ねてきた韓日の歴史においても画期的。過去を清算し、未来志向の関係に進む大きな契機となる」(金大中大統領、2002512日、読売)などのコメントからは、ワ−ルドカップにおける政府の意気込みものぞかれた。他方、日韓のミュジションが531日開幕式でワ−ルドカップの主題歌を合唱する姿や日韓子ども合唱団「KJキッツ」が歌う『Together』からは国境がもたらすイデオロギ−などは存在しないかのようにも見られた。さらに、今回いろいろなサイトを覗いている内に、特にネット上で私の注意を引いたのは、落書きのように書かれた様々な掲示板であった。韓国の最新曲の訳や韓国旅行記など相手の文化に直接に触れて感じたままのことを書いた数々のペ−ジは、より一層親密な関係への一歩であるかのようにも見えたのである。

 今まで日韓はマクロ的(国家・歴史・政府)に先方の異質性のみを強調してきた。しかし、上述したように我々はサッカ−というスポ−ツからミクロ的な(人の共通の興味をもつ文化)共通性を見出していると同時に一歩ずつ近づいている。これこそが草の根交流の始まりだとも言えよう。従って、少なくともワ−ルドカップ期間中にはアジア人として互いの応援に喚声を上げたことは否定できないだろう。

 

2.ス−ポツを超えたワ−ルドカップの意味とは

 

531日に開幕式を皮切りに、本格的な試合が始まった2002年6月は世界の視線がアジアへ向けられた。そして、その的になった日韓は地球人の交流の場になっていると言っても過言ではなかっただろう。連日、試合の相手になる国の歴史や文化、そして地図上の位置がワ−ルドカップを通じて流れ、世界がより狭くなったような感じさえもした。そして、サッカ−に無知だった人々もが、自国の試合がある時はテレビに釘つけられて優勝を祈った。特に、韓国サポ−タの赤い悪魔を始め世界に散らばっている韓国人の応援の熱気は、世界を驚かせるものであった。言うまでもなく、私もその応援に参加した一人だった。外国にいる私にとって、応援歌を覚え皆と一緒に盛り上がることは、優勝への期待はさることながら韓国人であることが改めて感じられる生々しい体験だったのである。

私の体験を含め、このような自国への応援は「想像の共同体」と言われる「国家」の実体をありありと見せしめ、「国民」との言葉をもの新しく感じさせていたのに違いない。そして、今まで国家を象徴してきた「日の丸」「太極旗」(韓国の国旗)などの国旗は、短期間飛び売れるブランドものになり、我々の愛国心がその消費に一役かったことも否定できない。このような現象は、されに広くとらわれることによって国を象徴する色々な商品が作られ、その商品の下ではより容易に共同意識が持つことを可能にしたのではないだろうか。一般的に戦争は他国から自国を守る戦いを通して、一つにまとまる「国家」「国民」の実体があらわれ愛国心が強まっていくのだが、戦争後に国が安定の道へ入ると「我が国」の意識が薄れていく。ところが、戦背の場でもないワ−ルドカップにおいて「政府」とは別個とされる「国家」が「国民」に愛され、その「国旗」や国を象徴する商品の下で一つになりつつあり、久しく「我が国」の意識を強めているのだ。これこそが、ワ−ルドカップがもたらすソフトば国家意識の昂揚であり、スポ−ツを超えるワ−ルドカップがもつ意味の一つだと言えよう。2002年のワ−ルドカップ共同開催において、日韓は友好関係の改善と共に、新たに世界で位置付ける自国のアイデンティティを発見しようとする動きが見えた。それは、試合の自発的な応援から自ずから生じることであると思われる。

とは言うものの、今回のワ−ルドカップの開催においての両国のアプロ−チが一概とは言えない。例えば、韓国は今回のワ−ルドカップを機に南北の交流成就することを願い、また、成熟した国民意識を世界にアピ−ルする試みが見えた反面、日本は主に経済の効果への期待や日本伝統の美しさを強調しているように見えた。このように、ワ−ルドカップへかける主な期待とそのアプロ−チは基本的に異なっているとも思われた。従って、両国にとってワ−ルドカップがもつ意味も相違するのだと考えられるが、「国家」の再認識また自国のアイデンティティの発見においては、日韓が類似していると言ってもいいのではないだろうか。

 

おわりに

 

以上、私はワ−ルドカップにおける日韓の交流や本試合に何らかの形で参加する両国の人々など、ネット上にのせられた情報を読み込んでスポ−ツの枠を越えたワ−ルドカップの意義について考えた。今回の2002年「日韓共同開催のワ−ルドカップ」は、日韓ともに両国の新たな一面が見られた良い機会だったと思う。一方、大多数の日韓を語る専門家たちは、ワ−ルドカップのおかげで盛り上がった友好的な日韓関係は長く続かないだろうと言う。確かに、未だにも日韓関係には互いの歴史のずれがあり、その互いへの不十分な認識のずれが日韓交流へ進む足を引っ張っている。しかし、この一ヶ月のために日韓の人々が協力してきた、去る5年間は草の根の交流の可能性を与えたのではないだろうか。その上、これまで教科書やマスーメディアを通しての限られた情報しか得られなかった大衆は、より多様な文化に触れ合えたことによって、互いの異文化への理解も深めることが可能だったとも言えるだろう。そんなに簡単には払拭できない歴史をもつ日韓だが、互いがもつ共通の関心や共通点を生かして相合を認識していけば、今回のワ−ルドカップが一ヶ月の祭りで忘れ去ることはないだろう。私は、2002年ワ−ルドカップにおいて様々な問題があったにせよ、世界が与えてくれたチャンスだと思って今後の日韓関係の行くへを未来志向的に考えて行きたい。

 

参考資料

 

http://www.yomiuri.co.jp/hochi/wc2002/index.htm WORLD CUP ワ−ルド2002

http://www.i-soccer.co.kr/?_top_head&7 i−soccer.co.kr

http://www.jpf.go.jp/jkxx/j_index.html 日韓交流通信

読売新聞 520から72日までのワ−ルドカップに関連する様々な記事