2000年度 国際学部

卒業論文

 

軍縮問題におけるNGOの活動

―「オタワ・プロセス」を核軍縮に応用できないか?―

 

 

宇都宮大学 国際学部 国際社会学科

 970133Y  永井 麻也子

 

 

2次世界大戦の末期に出現した核兵器は、冷戦時代において、つまり東西間の政治的・軍事的及びイデオロギー対立が基本構造であった国際社会の中で大きな役割を演じてきた。冷戦終結後は、さまざまな形で核軍縮が試みられてきたが、残念ながら大きな成果は上げられなかった。その一方では、世界の圧倒的多数の人々が核兵器廃絶を望んでいる。

本稿では、1997年に成立した通称対人地雷全面禁止条約の交渉過程である「オタワ・プロセス」方式を、核軍縮に応用できないか?という視点から、これまでの核兵器廃絶運動を分析し、今後の可能性と課題を探ることを目的としている。第1章では、この対人地雷全面禁止条約の成立過程と、「オタワ・プロセス」の成功の要因を分析している。第2章では、核兵器使用の違法性を審理した国際司法裁判所の勧告的意見について。そして、1990年代のNGO主催による地球規模の核兵器廃絶運動を二つ取り上げている。第3章では、核軍縮を推し進めようと結成された中堅国家の連合体、新アジェンダ連合の政策と、2000年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に、新アジェンダ連合がどのような影響を与えたのかを中心に述べられている。最後に、それまでの章を総括し、今後核軍縮問題を推察している。

 

目 次

 

序論                     

第1章          対人地雷全面禁止条約の実現           

第1節                  対人地雷全面禁止条約成立の過程

第2節                  「オタワ・プロセス」の成功要因とは?

第3節                  対人地雷全面禁止条約成立後のICBLの活動

第2章          核兵器廃絶運動に「オタワ・プロセス」の教訓を生かす            

第1節                  核兵器の非人道性に訴える活動

第2節                  世界法廷プロジェクト

第3節                  アボリション2000

第4節                  ハーグ世界平和市民会議

第3章          中堅国家とNGOの連帯        

第1節                  新アジェンダ連合

第2節                  中堅国家構想

第3節                  2000NPT再検討会議における新アジェンダ連合とNGO

結論       −核軍縮への「オタワ・プロセス」応用における課題−           

注釈

資料

     <年表1>核軍縮関連年表

     <年表2>対人地雷廃絶へ向けて

     <表1>核軍縮関連条約一覧 [その1] [その2] [その3]

     <表:序−1>核保有五大国の核弾頭数 19452000

     <図:序−1>世界の非核兵器地帯

     <図:序−2>核兵器廃絶を望む世界の世論 19971998

     <資料22>アボリション2000設立声明・ムルロア宣言

     <資料2321世紀の平和と正義を求めるハーグ・アジェンダ−会議版からの抜粋

     <資料31>新アジェンダ連合 国連総会決議(A/RES/53/77Y

参考文献

 

 

序論

 

冷戦時代、米ソ両国は核抑止こそイデオロギー対立にもとづく戦争を回避する手段だと考え、核軍拡競争を展開し、人類を何回も滅亡させるほどの大量の核兵器を蓄積した[1]。米国は太平洋戦争中の194586日広島に、そして89日長崎に2度原子爆弾を投下し大きな被害を出した。

冷戦前期では、米国がソ連を圧倒的に上回る数の核兵器を所有し、軍事的にも政治的にも自国または東西対決のために広範囲で利用された。この時期の核軍縮交渉は、まったくの成果は出されなかった。1970年代に入ると、ソ連の核兵器数が米国に追いつく勢いに増加してきたために、無制限で無秩序な核軍拡競争を一定の枠組みにはめ込もうと、戦略兵器制限交渉(SALT)の場において一定の軍備管理措置が合意された。冷戦末期になると、米国とソ連/ロシアの核兵器の数は急激に減少された。これは、中距離核戦力条約(INF)と戦略兵器削減条約(START)の枠組みでの諸条約により、あるいは相互の一方的な削減によるものである。ソ連が崩壊し冷戦の終結とともに、こうした核軍拡競争の必然性はなくなり、核軍縮が一気に進むのではないかとの期待が膨らんだ。ところが、核兵器の位置付けは低くなり、核兵器の削減は進んではいるものの、依然としてその軍事的・政治的有用性は維持されており核軍縮の歩みは遅い。米国はロシア政治及び生物兵器・化学兵器といった大量破壊兵器の懸念や、新たな脅威の出現から核兵器の必要性を今なお説いている。これに対しロシアでは、経済的困難から通常戦力の弱体化が進んでおり核兵器を手放せないでいる。こうした核超大国の状況に加えて、イラクや北朝鮮の核開発疑惑、1998年のインド、パキスタンの核実験で核拡散問題が深刻化しており、核保有国はいっそう核兵器廃絶への道を拒んでいる。

核軍縮をめぐる動きは、米ソ(ロシア)の二国間交渉や多国間交渉、世界各地のNGOや平和運動家、一般市民による運動などさまざまな立場から試みられている。地域的取り組みとしては、一定の地理的範囲において核兵器が完全に排除された状態を創設する非核兵器地帯(Nuclear Weapon Free Zone)の設置が行われている。すでに、ラテンアメリカや南太平洋、アフリカ、東南アジアに非核地帯条約が成立している[2]。これらは、核に依存しない安全保障体制をめざす「ポスト核時代」の安全保障意識から生れたものと言える。また非核兵器地帯条約で、地帯内の国家に対する核兵器国の核兵器による威嚇及び使用を禁止することで、核兵器の役割を縮小し、消極的安全保障体制の普遍化をはかるという意味からもその価値はたいへん大きい。

  国連に関しては、核軍縮に対する取り組みは国連設立当初にさかのぼり、平和・安全保障問題は、国連の取り扱うの主要な課題のひとつであるが、軍縮を専門に扱う機関として、1984年に前身の軍縮委員会を改め設立されたジュネーブの軍縮会議(Conference on Disarmament 以下CD)がある。これは唯一の多数国間軍縮交渉機関であり、核実験禁止や核不拡散問題の交渉が行われてきた。現在までに、核不拡散条約(NPT)、海底核兵器禁止条約、生物兵器禁止条約、化学兵器禁止条約、そして包括的核実験禁止条約などが採択されている。しかし、一国でも反対すると合意に至らないコンセンサス方式(全会一致)によるCDの採択は妥協の産物である。また、核軍縮は少しずつ進んでいるとはいえ、決して満足のいく結果ではない。代表的な例として、インドとパキスタンの核実験がある。NPTの不平等性と核保有国の不誠実な態度を理由に挙げ実験を強行した。そして、これまでさまざまな場で核軍縮もしくは核兵器廃絶に向けての政府間交渉が行われきたが、世界の圧倒的多数の人々が望んでいる核兵器廃絶の実現[3]とは、残念ながら程遠い結果に終っている。

1997年、対人地雷を全面的に規制する通称対人地雷全面禁止条約が締結された。この条約の交渉過程は「オタワ・プロセス」と呼ばれているが、これは、対人地雷廃絶を望むNGOの連合である地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)と、それに賛同する中堅国家とが協力し中心となって条約交渉を進め、条約締結に至ったプロセスのことである。交渉から条約締結までが約12ヶ月とそのスピードもさる事ながら、NGOが交渉の開始段階において、そして条約締結までの過程において果した役割は大きく、従来の政府のみによる国際政治、軍縮交渉の概念を打ち破る画期的な試みであった。そこで、この「オタワ・プロセス」方式を核軍縮に応用できないかという視点から、軍縮問題におけるNGOの取り組みについて考察し、これからの核廃絶への可能性と課題を考える。

 

 

1  対人地雷全面禁止条約の実現

 

1  対人地雷全面禁止条約成立の過程

  199712月対人地雷を全面的に禁止した、対人地雷の使用、貯蔵、製造、移譲の禁止及びその廃棄に関する条約[4](通称:対人地雷全面禁止条約・オタワ条約)がカナダの首都オタワで成立した。この条約交渉過程「オタワ・プロセス」とは、世界75カ国の1300を超える、人権、地雷除去、医療、女性、子ども、開発、軍縮、宗教、環境といった分野のNGOが、「対人地雷の全面禁止」という一つの共通項をもとに、前代未聞の規模の連合体である地雷禁止国際キャンペーン(ICBL [5]を結成し、カナダ、ノルウェー、南アフリカなどの賛同国政府とのパートナーシップを組み、国連の枠外で対人地雷を全面的に禁止する条約の締結を実現したプロセスのことである。数年前まで不可能と言われていた全面禁止条約を交渉開始からわずか12ヶ月で達成し、従来の政府のみによる国際政治の概念を打ち破る、画期的なプロセスとなった。そして、同年12月には、ICBL及びコーディネーターのジョディー・ウィリアムズ(Jody Williams)にノーベル平和賞が授与された。ノーベル委員会はICBLの活動について、「軍縮、平和の達成に向けた国際的な努力の先例となりうる」と評価した[6]

地雷禁止国際キャンペーン(以下ICBL)は、199210月6つのNGO[7]が集まり旗揚げされた。地球上には77カ国に11300万個を越す対人地雷が埋設され、20分に1人死傷者がでていると言われている。しかし、国連や国際条約による対人地雷規制が十分に進まず、その一方で、各地での一般市民への被害が広がり、無差別性、残虐性、機能の永続性といった対人地雷のもつ非人道性の深刻さを実感し「なんとか事態を改善しなければならない」という地雷除去、犠牲者支援の現場からの発想を起点に終結した団体である。当時、エルサルバドルのための医療支援(Medical Aid for El Salvador)で仕事をしていた米国人のジョディ・ウィリアムズをキャンペーンのコーディネーターに起用し、「対人地雷の全面禁止」を共通目標としてスタートした。

  それまでの対人地雷の規制を対象とした国際法文書にはどのようなものがあったのだろうか。一つは、武力紛争時の一般市民の保護や無差別攻撃の禁止をうたった1949年のジュネーブ四条約から成る国際人道法である。972月現在の当事国は、ジュネーブ四条約188、第一追加議定書147と当事国の数からみての普遍性は大変高い。しかし、1978年に発効した第一追加議定書では、第351~2項、514~5項において不必要な苦痛を与える兵器の使用、そして戦闘員と民間人を区別しない無差別攻撃を禁止しているが、これは対人地雷のみに的をしぼったものではない。

そのため、対人地雷を含む特定通常兵器の禁止・制限を切り離した条約として、特定通常兵器使用禁止・制限条約[8]CCW)が198010月国連にて締結された。しかし、このCCWには様々な重大な欠陥が内包されていた。第一に、締結から10年が経過した199010月時点の加盟国数はわずか30、カンボジアやアンゴラなどの地雷被害国も含まれていなかった。第二に指摘されるのは、CCWは国際紛争のみに適用され、内戦には適用されないという点である。対人地雷問題を引き起こした紛争の大半が国内紛争、内戦であったことを考えれば、まさに致命的な欠陥といえる。また、第二議定書「地雷、ブービートラップ及び他の類似の装置の使用の禁止又は制限に関する議定書」通称地雷議定書では、例えばプラスチック製など探知不可能な地雷を禁止していない、民間人に対する対人地雷の意図的使用は制限しても、軍事目的に使用された地雷が紛争終結後にもつ民間人に対する無差別性についての記載がない等の問題点が指摘されていた。

1990年代に入り、世界各地で対人地雷の被害が顕在化してゆくにつれ、CCWの欠陥を指摘しその強化を求める動きが活発となっていった。ICBLが初めに的を絞ったのも地雷議定書の強化であった。強制力のない国際人道法を除けば、CCWこそが当時対人地雷を規制する唯一の国際条約だったからである。

  19959月からCCWの再検討会議がウィーンにおいて始まり、965月に再び開催された再検討会議において、地雷議定書が改正された。内戦への適用拡大、探知できない地雷の禁止など評価すべき点があるが、どの国でも入手できるような安価な対人地雷の使用が違法とされる一方で、自己破壊装置のついた地雷、いわゆるスマート地雷といった高価なハイテク地雷は合法化されるという矛盾のある結果となり、途上国に対する事実上の差別性などの問題が残されていた。また、地雷の生産そのものは禁止されておらず、対人地雷全面禁止への道筋を明確にしようと意気込んでいたICBLを含む対人地雷全面禁止派にとってはまったく不満足なものであった。しかし、この再検討会議は対人地雷全面禁止に向けて国際世論を盛り上げる絶好の機会でもあった。この時点でICBLには、世界20カ国以上から350を超える団体が参加[9]しており、ウィーンにも世界各地から大勢のNGOが集結し、対人地雷の全面禁止を訴えるICBLの活動への気運が高まっていた。マスコミへの情報提供や各種イベントの開催、ロビー活動などを行っていたICBLは、ここから方向転換をすることとなる。まず、地雷問題を、従来の軍事問題としてではなく「人道的問題」として位置づけ、ジュネーブ軍縮会議(CD)やCCWでの交渉とは別の、対人地雷全面禁止に賛同する国だけを集めて、NGOとともに全面禁止条約締結を目指す新しい話し合いの場を持とうというものであった。

  そこで、対人地雷の全面禁止に賛同する国だけで条約を作ろうという動きが関心国とICBLの協働という形で開始された。つまり、CCW再検討会議における交渉が、コンセンサスによる採択という手続のために難航し、結果として問題点を含む不満足な改正に終った事から、対人地雷の全面禁止に賛同する国だけが自主的に参加する自己選択形式(Self-Selectを採用し、新たな条約交渉プロセスが開始されたのである。その出発点は、199610月オタワで開かれたカナダ政府主催の「対人地雷全面禁止に向けた国際戦略会議[10]」(オタワ会議)である。オタワ会議自体は、あくまで対人地雷全面禁止に向けた戦略会議であり、いかにして目的を達成するかについての戦略を練るための会議であった。EU15カ国、日本、アメリカなど50カ国が正式参加し、インド、ロシアなど24カ国がオブザーバーとして参加し、ICBLや国際赤十字委員会(International Committee of Red Cross 以下ICRC)もオブザーバーとして会議に加わった。そもそも、ここからオタワ条約締結までの交渉過程が「オタワ・プロセス」と呼ばれるのは、この戦略会議においてロイド・アクスワージー(Lloyd Axworthy)カナダ外相が「9712月オタワで外相レベルの会議を開催し、そこで対人地雷全面禁止条約の調印式を行いたい」と呼びかけたことが、条約交渉を本格化させるきっかけとなったからだ。カナダを中心とした国々とICBLICRCといったNGOとのパートナーシップによる、オタワ条約を可能な限り早期に成立させようという取り組みが始まった。

97918日ノルウェーで開かれたオスロ会議[11]89カ国が正式参加、32カ国がオブザーバー参加)ではオタワ条約の条約文がまとまり閉会。このオタワ条約の署名式は、同年123日オタワで開かれ、122カ国が署名し、日本からは当時の外務大臣故小渕恵三氏が政府を代表し出席した。

オタワ条約では、まず一般義務として、「いかなる場合にも(under any circumstances)」対人地雷の使用だけではなく、開発、生産、取得、貯蔵、移譲を禁止し、更に貯蔵分の対人地雷は4年以内に(第4条)、埋蔵分は遅くとも10年以内に(第5条)破壊(destruction)することが義務付けられた。一般的義務の例外として、地雷除去などの研究開発及び訓練のために必要最小限度の数の保有及び移譲は認められている(第3条)。対人地雷の定義には、スマート地雷であれ沈黙地雷であれ、人によって活性化する地雷すべてを対象とした(第2条)。条約の有効期限は無期限である。(第20条)199931日に発効され[12]2000121日現在、139カ国が署名し、そのうち109カ国が批准している[13]。主な未署名国はアメリカ、ロシア、中国、インド、パキスタンであり、いずれの国も地雷の主要生産国である[14]99年には、第11条の規程により第一回締約国会議がモザンビークで開かれた。そして、条約の効力発生5年後にあたる2004年には第一回検討会議が国連事務総長の招集により開かれることになっている。(第12条)

 

2  「オタワ・プロセス」成功の要因とは?

交渉開始からわずか12ヶ月という異例の速さでオタワ条約の調印にこぎつけたことで、「オタワ・プロセス」は国際交渉に新たな道筋を示したとして大きな注目を集めるようになった。対人地雷という非人道的な兵器を、生物兵器や化学兵器と同じように[15]地球上から完全になくそうというICBLの発想と、それに賛同したいジン地雷を国際交渉の場に持ち上げたカナダなどの中堅国家の存在がなければ、このオタワ条約の成立は為し得なかったであろう。そこで、対人地雷全面禁止条約成立までの交渉過程「オタワ・プロセス」が成功した要因とは何だったのかを分析する。

     地雷禁止運動の脱イデオロギー化・冷戦の終結

 第一に、政治的思想にこだわらず、非人道的兵器を追放するという目的のために多くのNGOや政府が共同歩調をとったことが成功につながった。ICBLや賛同国は対人地雷問題を、議論が複雑化しやすい「軍縮問題」や「平和問題」と考えるのではなく、「人道問題」と位置付けた。これは、ICBLに世界各地の幅広いそれぞれ異なる分野で活動するNGOが一つの目的達成のために終結する結果も生み出した。

また、冷戦時代においては問題を東西対立の軸で判断する傾向が強く、軍備関係の問題となると議論が進まない現実があったが、冷戦の終結によって、イデオロギー対立を前提にせず「人道」という政治的イデオロギーを超えた普遍的価値に基づいて対人地雷の全面禁止を訴えることが可能になった。

そして、冷戦時代には明かされなかった内戦の実状が、現地で活動するNGOによって報告されたことも、脱イデオロギー運動を展開する上で重要だった。

     分野を超えた専門知識の結集とノウハウの伝授

ICBLは、各国政府と対等、時には指導的立場にたち条約交渉を主導し、そしてロビー活動をおこなった。ICBLにこうした動きを可能とさせたのは、その専門知識である。ICBLは、対人地雷の除去、被害者の治療、リハビリ、武器取引、人権といった様々な分野で特化したNGOの連合体である。それぞれの現場体験や専門知識を生かし、対人地雷の非人道性を指摘してきた。例えば、医療を専門とするNGOは地雷がもたらす恒久的身体障害の悲惨さを説き、軍事問題を専門とするNGOは、過去の戦争資料から対人地雷という兵器の非有効性を指摘した。子どもの問題に取り組むNGOは、多くの被害者が幼い子どもであることを訴えた。人権団体は対人地雷の無差別性は人権侵害であるとキャンペーンを展開した。

冷戦終結にともなうNGOの自己改革も大きなカギとなった。冷戦時代は、街頭デモなど「数」での対抗が主だったが、冷戦後はそれでは通用しないことを自覚していた。政府さえ手に入らない独自の情報を入手し、またNGOだからこそできる活動を積極的にしていかなければ政府とは対等には渡り合えないと、専門性の高いNGOへと自己改革してきた。

そして個々のNGOの経験・知識・情報はキャンペーン全体で共有され、加えて、それぞれのNGOが自らの国や地域でいかに全面禁止キャンペーンを行うか、すでに成功を収めている国やキャンペーンから様々なノウハウが伝授された。ロビー活動に慣れていないNGOには、一緒に参加し協力するといった、横のつながりが重視されてきた。

専門家集団としてのICBLは、オブザーバーとして会議に参加し発言を認められ、オタワ条約実現をめざす多くの政府を下支えするパワーとなった。中心となったICBLは、ICRC・赤新月とともにオタワ条約前文において特に言及されている。[16]

国際的ネットワークの駆使

ICBLは、その専門知識・経験・情報を共有財産として各国のNGOに提供し、各国政府もしくはメディアなどに働きかける際の材料とするよう積極的に呼びかけた。こうしたネットワークを物理的に支えたのが、インターネットと電子メールである。ICBLに集められた情報は、ICBLのホームページ上に掲載され、世界のどこからでも同じだけの情報を時間差なく得ることができた。ICBLは、新たに発足したキャンペーンに無料でパソコンを提供し、電子メールやインターネットを通じて常にICBLのネットワークとつなげるシステムを作った。こうしてキャンペーンを世界各地で同時多発化し、国際世論を一気に盛り上げる仕組みを作り上げたのである。

地域的取り組みの「連結」−EUOAU 及び被害国からの積極的参加−

冷戦終結により、世界規模の東西イデオロギー対立がなくなり、それぞれの地域が利害を追求する時代となった。

◇欧州連合 

欧州連合(以下EU)はオタワ条約が採択される以前の、19955月に@対人地雷の輸出を一部凍結するACCWの普遍化を促進し、地雷議定書を強化するB国際的な地雷除去にEUも貢献する、という三点を盛り込んだ「共同行動」を採択している。また、対人地雷全面禁止への支持は、9610月に表明している。[17]

EUの外交政策は、92年の欧州連合条約[18]において示されており、共同体の加盟国が外交政策や安全保障政策を策定し、それに基づき(緊急事態を除いて)加盟国を共通の立場に拘束し、政治協力を進める方針が打ち出されている。Article J.312で、CFSP(Common Foreign and Security Policy) 「共同行動」と明記されている。イギリスが「オタワ・プロセス」に参加表明したあと、EU内での孤立化を恐れたフランスが正式参加を決定したのも、この「共同行動」の流れがあったからである。つまり、EU諸国がオタワ条約成立に向けて団結したのは、この「共同行動」を原点にしたEUとしての基本方針があったからと考えられる。

◇アフリカ統一機構と被害国からの積極的参加

アフリカ統一機構(以下OAU)は、1997年春の首脳国会議で地雷廃絶決議を採択。オスロ会議の参加89カ国のうち、アフリカは27カ国と最大のグループで、重要な役割を果たした。直接の被害者であるからこその団結であった。

またアフリカに限らず、地雷の最大の被害者である途上国のNGOや市民も条約づくりに貢献し、欧米のNGOが途上国問題の解決に関わるという縦の図式だけではなく、地雷被害にあっている人々がICBLというネットワークを通じて積極的に参加した。ICBLの調整委員会には、第三世界のNGOが名を連ね[19]ICBLの意思決定に積極的に関わった。

市民社会と価値観を共有する政府との連帯

そもそも「オタワ・プロセス」を始動させるきっかけを作ったのはNGOだった。対人地雷を規制したCCWの再検討会議が開かれていた場で、大国の思惑によって交渉が暗礁に乗り上げたのを見かねたNGOが、地雷廃絶に理解を示していた国々との合同会議開催を呼びかけたのだ。対人地雷の全面禁止条約を成立させようとNGOが結束し、ICBLという形になった。そして、それに賛同した政府は、カナダ・南アフリカ・ノルウェー・オーストリアといった中堅国家であり、これらの国々は条約案を作り上げるまでの一連の会議においても、ICBLと密接に連絡を取り協力した。冷戦が終結し、超大国が世界を牛耳れる構図はもはや無い。変わりに、中堅国が力を結集することによって、国際的交渉の舞台で大きな影響力を発揮できるようになった。この中堅国家のイニチアチブに、ICBLという専門家集団が協力・連帯し大きな成果をあげた。

代替手段の検討の容認

オタワ条約は、対人地雷を違法化し、禁止する画期的条約であった反面、代替兵器の開発を規制する規定はなく、これは、政府が加盟に踏み切る結果ともなった。対人地雷の軍事的有効性が疑問視され、代替手段で置き換えることが可能だという現実は、自国の生存と安全をまず確保することが最大の関心事である多くの主権国家にとって、代替兵器の開発を容認している条約は受け入れやすいものであった。

 

3  対人地雷全面禁止条約成立後のICBLの活動

 1997年に対人地雷全面禁止条約が成立し、今や約3分の2の国家がこの条約に加盟しているが、対人地雷全面禁止条約締結が、ICBLを始めとする世界中のNGOの究極目標であった訳ではない。彼らの目標は、地雷のない世界、被害者の出ない世界を実現すること、地雷の汚染された地域の人々に真に寄与する支援を行うこと、また行われることであり、オタワ条約はこの大きな目的を達成するための、いわば道具・手段にすぎない。

ICBLは条約成立後も継続して運営されており、現在はオタワ条約を普遍的かつ実効的な条約にすることを目標に活動している。第一に、条約未署名国に加盟を促し、未批准国に批准を促すこと。中東・北アフリカ、独立国家共同体、そして米国が活動のターゲット(重点国・地域)である。第二に、条約締約国に条約遵守を働きかけること。また、数々の政府が行った財政的貢献の約束を国家の宣伝に終わらせないこと。第三に、地雷のない世界のために、現場のニーズにそった真に地雷汚染地域のためになる支援活動に使われるよう監視し、働きかけることである。第四に、ゲリラやテロリスト、反政府勢力への対策がある。地雷は構造が簡素であり、安価で生産することができるため「弱者の兵器」といわれているように、ゲリラなど国家以外の組織によって使用されることが多い。アンゴラが良い例である。しかし、国際法はもともと国家を主要なアクター(行為主体)としてその対象としているため、この条約では国内のアクターを規制することができず、その点が指摘されている。今後は、ゲリラやテロリスト、反政府勢力による対人地雷使用をいかに規制し、または地雷を使わぬよう説得できるかが問題である。これらの活動のために、現在ICBLにはいくつかのワーキンググループが設置されている。きめの細かい活動を行い、それぞれのNGOまたはワーキンググループはレポートを作成する。そしてICBLに提出されたレポートは、ICBLのホームページに掲載され、世界中の誰もが手にすることができる。

 

 

2  核兵器廃絶運動に「オタワ・プロセス」の教訓を生かす

 

1  核兵器の非人道性に訴える活動

対人地雷全面禁止条約の原動力はNGOの連合体である地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)と、カナダなどの中堅国家であったことは第1章で述べた。核兵器の問題においても、政府だけでなくNGOや専門家など広く利害の関係する人々が問題解決のために動き出し、参加することが必要である。「オタワ・プロセス」では、自国市民や国際世論におされて条約加盟に踏み切った例も多々有り、市民が政府の尻を叩くことで、市民社会が真に望む方向へ前進させることができる。そのためには市民社会の努力も不可欠である。

  核廃絶においては、冷戦終結後その運動が活発になってきている。ここでは、市民社会やNGOによる核兵器廃絶運動のいくつかに焦点を当てる。まず初めに、国際司法裁判所に核兵器による威嚇と使用が人道法などの国際法に違反していないかを問いた、世界法廷プロジェクトを取り上げる。次のアボリション2000とは、1995NPT再検討・延長会議がニューヨークで開かれた際結成された連合体である。世界の1000を超えるNGOが参加するこの連合体は、核兵器禁止条約締結を目標にしている。最後は、1998年に開催されたハーグ世界平和市民会議である。その名の通り、戦争の廃絶と平和文化の創造について討議する市民主体の会議であった。

 

2  世界法廷プロジェクト

199678日、国連の主要機関である国際司法裁判所(以下ICJ)は、核兵器の使用または威嚇の合法性に関して「一般的(generally)には国際法に違反である」という勧告的意見を出した。しかし、ICJが発表した判断について世界のメディアの取り上げ方は、日本を除いておおむね小さい扱いであった。今回の法廷において日本からは、被爆地広島の平岡市長と、長崎の伊東市長がそれぞれ核兵器の持つ残虐性、非人道性について証言し、悲劇を再び地球上に起こさないために、核兵器を廃絶しなければならないことを訴える陳述を行い、日本では一面で大きく取り上げられた。

核兵器の使用または威嚇の違法性についてICJに尋ねようという動きは、核軍縮を求めるNGOから生れたものである。国際反核法律家協会(IALANA)の呼びかけに、国際平和ビューロー(IPB)と核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が加わり、この3団体が中心となって国際法の学者や医師、NGO、市民たちが1992年に、それらの連合体である「世界法廷プロジェクト(以下WCP[20]」を発足させた。核使用や核による威嚇が「人道法などの国際法に違法している」という強い主張と、国連憲章第96条における、「総会又は安全保障理事会は、いかなる法律問題についても勧告的意見を与えるようにICJに勧告的意見を要請することができ、国連のその他の機関及び専門機関で総会の許可を得るものは、その活動の範囲以内において生ずる法律問題について同様に意見を求める事ができる」という規定を利用しロビー活動を行った。各国政府、とりわけ核兵器の実験により被害を受けた非同盟の国々への熱心な働きかけが功を奏して、世界保健機関(以下WHO)の総会WHAは、1993514日「健康および環境への影響にかんがみて、戦争または他の武力紛争における国家による核兵器の使用は、WHOの憲章を含む国際法上の義務の違反をなすか[21]」という問題についてICJに勧告的意見を求める決議WHA46/40を採択し、同年93ICJに提出した。それに引き続き、199412月に国連総会において、「核兵器による威嚇またはその使用は、国際法上いかなる状況において許容されるか。国際司法裁判所の勧告的意見を緊急に求める[22]」という決議が可決され、ICJに提訴された。

広島・長崎への原爆投下からちょうど50年にあたる19951030日、史上初の核兵器審理が始まり[23]、世界各国から文書による意見陳述書の提出を受け取りとともに、さらに日本を含む国々が口頭陳述を行った。そこでは、核兵器を維持しようとする側と核兵器のない世界を目指そうという側が激しく対峙し、改めて考え方のギャップが大きいことが浮き彫りとなった。[24]

199678ICJは、WHOに関しては、提起した問題が同機関の任務・権限には入らないとして意見を与えることを拒否した。国連総会からの要請に対しては、以下のような勧告的意見を出した。@核兵器による威嚇・使用は武力紛争に関する国際法、特に国際人道法に違反であるAただ、国家の存亡がかかる自衛のため極限状態では、核兵器による威嚇・使用が合法か違法かについて判断を下せない。Bさらにこの問題の根本的解決のためには、核軍縮を実施すべきであって、核不拡散条約(NPT)第6[25]に従い核兵器国は核軍縮条約を完成させる義務がある、と述べた。

核兵器の違法性をめぐる審理は、さまざまな意義を持った。まず、世界中の国家が核兵器を真剣に検討したこと。市民にとっても真剣に考える機会となった。そして、国家間での核兵器をめぐる多様な考え方の違いが浮き彫りにされ、国際法の現状が明らかにされた。またこのICJの審理は、世界法廷プロジェクト(WCP)という名のもと数多くのNGOがこれを支え、核兵器使用に法の支配を広げようとしたことは画期的であった。この勧告的意見は、法的拘束力はないものの、きわめて高い権威を持つものであり「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に違反している」との見方が示され、NPT6条の規定を、核保有国にとっての「義務obligation」だと判断した事は、これからの核軍縮運動を推し進める上で有用であると考える。

 

3  アボリション2000

19954月核不拡散条約(以下NPT)延長・再検討会議がニューヨークで開催された。この会議には、世界各地から核兵器廃絶を目指すNGOがこの会議の監視し、各国代表団へのロビー活動を行っていた。その核兵器廃絶運動市民グループの中から、アメリカのNGOであるNuclear Age Peace Foundation(核時代平和財団)が中心となり、世界各地の1000を超えるNGOの連合体「アボリション2000」を立ち上げた。この連合体の活動は、西暦2001年までに核兵器禁止条約を締結し、核保有国に対して、決められた時間枠のなかで核兵器を廃絶する契約をすることを求めている。会議開催期間である95425日に共同声明[26]Abolition 2000 Statement)を発表している。971月にはタヒチにて会議が催され、「ムルロア宣言[27]Moorea Declaration)が採択されている。この宣言では、核兵器の製造と実験によって被害を受けた先住民や植民地支配下にある人々こそ、その廃絶のための計画立案と監視に際して、最大に配慮されなければならないことが確認されている。この宣言からも、「アボリション2000」結成の根底にも人道主義があることが読み取れる。そしてこの運動は、20006月現在、93カ国からの2030以上の団体や地方自治体の支持を得るまでに成長し、核兵器廃絶を求める地球的なネットワークとして確立している。

また、「アボリション2000」は、新設される国連・国際刑事裁判所(International Criminal Court  以下ICC)規定の戦争犯罪に、核兵器使用を明記するよう求める運動を展開した。しかし、19987月にローマ会議で採択されたICC設立条約には「本来的に無差別な兵器」の使用を戦争犯罪の定義に含めたものの、この中で具体的に、核兵器を含む大量破壊兵器使用を戦争犯罪とみなすかどうかは、条約発効の7年後に再検討することとなった。96年のICJ勧告的意見「核兵器の威嚇・使用は一般的に国際法に違反であるとしながらも、国家の存亡自体がかかった自衛の極端な事情のもとで、合法であるか違法であるかをはっきり結論しえない」とする、このICJの「曖昧な判断を引きずる形で、ローマ会議でも、核兵器使用を人道法上違法とみる諸国は、これを戦争犯罪に入れるように主張し、かく抑止政策を支持して核兵器使用そのものが必ずしも違法でないとみる国は、その戦争犯罪への挿入に反対するという対立構図がみてとれる。[28]

ICC規定の中に核兵器使用を戦争犯罪に明確に盛り込めなかった点からすると、「アボリション2000」の望みはかなわなかったわけだが、設立条約には@民間人、民間施設の意図的攻撃の禁止、A予期される軍事的効果と釣り合わない被害(環境破壊も含む)や死者、負傷者をもたらす攻撃の禁止、B非人道的行為の禁止―といった条項が含まれており、広義の解釈では核兵器のような大量破壊兵器の使用禁止も含まれるとの見方もある。「アボリション2000」では、核兵器保有国の反対にもかかわらず、「本来的に無差別な兵器」は戦争犯罪とみなす条項が盛り込まれたことの意義を強調し、今後の核軍縮で核兵器は本来的な無差別な兵器であり、使用は違法であると主張していく足場ができたと考えている。

現在の「アボリション2000」は、ネットワークの拡大と、核問題の主要な会議が開かれるたびに集会を計画し、98年には2000NPT再検討会議のための準備委員会で各国政府の監視とロビー活動のため、ジュネーブに100名以上の代表が集まった。

 

4  ハーグ世界平和市民会議

20世紀、冷戦時代は米ソによる全面戦争こそ回避できたものの、数々の地域紛争が絶えなかった。カンボジア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、アンゴラ、ルワンダ、コソボ自治州など数多くの地域で多くの一般市民が犠牲となった。加えて、飢餓や残虐行為、貧富の差の拡大に満ちた世紀であった。これらを反省材料にし「戦争のない21世紀へ」を合言葉に、1999511~15NGO主催で地球規模の国際市民平和会議(The Hague Appeal for Peace Civil Conference 以下HAP)がオランダ・ハーグにて開かれた。北大西洋条約機構(NATO)軍によるユーゴスラビア空爆の真っ只中の開催であった。この会議には、約100カ国から10000人の市民および政府代表が集まり、400を越すパネルやワークショップで戦争の廃絶と平和文化の創造について討議がなされた。柱となったテーマは以下の4つである。

@       戦争の根源を明らかにし、平和の文化を発展させること。

A       国際人道法・人権法及びその制度の強化

B       武力紛争の防止、平和的解決、平和転換を進めること

C       軍縮と人間の安全保障

 

  最終日には、10の基本原則(下記参照)を含む「21世紀の平和と正義のための課題」”Hague Agenda for Peace and Justice for the 21st Century” (以下ハーグ・アジェンダ)と題する提言と行動計画を採択している。

 

公正な世界秩序のための10の基本原則[29]

1.各国議会は、日本の憲法第9条のように、戦争放棄決議を採択すること

2.全ての国は、国際司法裁判所の管轄権を受け入れること

3.国際刑事裁判所設立条約を批准し、地雷条約を実施すること

4.政府、国際機関、そして市民社会のパートナーシップによる「新たな外交」を取り入れること。

5.武力行使に至る以前に、国連の下で、あらゆる外交努力を積み重ねること

6.核兵器廃絶条約の交渉を直ちに開始すること

7.小火器の貿易を厳しく規制すること

8.市民的権利と同等に経済的権利を重視すること

9.平和教育が世界のあらゆる学校で義務化されること

10.HAPで採択された戦争回避のためのグローバルな行動計画を世界平和の基礎とすること

 

このハーグ・アジェンダで核となっているのは、今日までの諸政府の政策や対応には明らかなる限界があるとの批判から、21世紀は市民社会が説得されるのではなく、自らが声を挙げ「戦争の惨害から将来の世代を救済する」という目標に向けて挑戦する決意が書かれている事である。そのために市民運動家と、進歩的諸政府及び国際諸機関が共通の目標を実現するために協力するという「新外交方式」(New Diplomacy)に基づく、新しいアプローチが必要だと宣言している。主要大国、軍部及び巨大経済企業体による「硬い力」(hard power)に対して、市民社会及び進歩的諸政府は「柔らかな力」(soft power)と表現している。これは、まさしく「オタワ・プロセス」にあったNGOと中堅国家の関係に当てはまる。確かに、「オタワ・プロセス」をはじめとする草の根運動は重大な衝撃を及ぼしつつある。そして、このアジェンダからは、市民社会の団結は情勢を変えていける力があるのだという強い意志が感じられる。

核軍縮問題に関しては、上記の10の基本原則にもあるように、核兵器廃絶に向けた条約交渉を早急に始めることを提言している。核兵器が引き続き存在することは人間と生命体の存続を脅かしており、全ての国家は、5年以内に核兵器禁止条約を交渉し締結すべきだと記されている。また、第3章で取り上げる新アジェンダ連合の共同宣言を支持しており、宣言にある実際的な措置を核保有国と核能力国が講ずることは、核戦争の危険性を回避し、また全面的な核軍縮に向けての交渉が開始されるために必要であるとしている。[30]

日本にとって、注目されるのは10の基本原則の冒頭に、憲法第9条「戦争放棄」の理念が盛り込まれたことである。これは、日本から400人余りの代表が参加し、ジャパンデーを開催した日本の熱意の表れでもある。ジャパンデーは、日本反核法律家協会やピースボートなどで組織する日本連絡会が準備し、日本国憲法の理念や日本の平和運動の現状を世界に伝え、連帯を求めようというものであった。沖縄県の大田昌秀前知事、広島市の秋葉忠利市長、長崎市の伊藤一長市長らも参加した。

  閉会式では、コフィ・アナン国連事務総長が壇上に上がった。スピーチの中で、「紛争を平和的に解決することは可能だ。そのためには政治指導者の知恵とステーツマンシップが必要であり、忍耐強く、巧みな外交が必要だ。しかし、なによりも重要なのは、市民社会における深い変化、つまり政治家や外交官が自分たちは社会から何を期待されているかを知る文化を必要としていることだ。究極な罪は、ある種の国家利益を失うことではなく、平和へのチャンスを逃し、国民を言語に絶する戦争の悲惨さに陥れること。深い本質的な変化をもたらすのは、皆さんのような市民だ。」と述べた。この後、ハーグ・アジェンダは採択、そしてアナン事務総長に手渡され、現在では国連の公式文書A/54/98となっている。

 HAPから始まるハーグ平和アピール運動は、現在も進行中のキャンペーンである。ハーグ・アジェンダの広報活動と実践活動を行い、戦争なき世界の実現は不可能ではない(World Without War)というコンセプトのもと平和教育(Peace Education)にも力を入れている[31]

 

 

3  中堅国家とNGOの連帯

 

1  新アジェンダ連合

199869日に、アイルランド、スウェーデン、南アフリカ、ブラジル、エジプト、メキシコ、ニュージーランド、スロベニアの8カ国は、共同宣言「核兵器のない世界へ:新アジェンダの必要性」”Towards a Nuclear-Weapon-Free-World: The Need for a New Agenda.” を発表し、新アジェンダ連合(以下NAC)を発足した。この8カ国(現在はスロベニアが抜けて7カ国。NATOの圧力で脱退した)は、冷戦時のブロックにとらわれず各大陸から選ばれた中堅国家で、核軍縮で実績があり、なおかつ影響力のある国々である。南アフリカは冷戦後、密かに開発していた核兵器を手放した経験を持つ。スウェーデン、ブラジルはかつて核兵器開発を真剣に検討していた国だ。冷戦後の世界で、NPT条約第6条に明記されているような核軍縮が十分に進展していない現状と、核軍縮過程を核兵器保有国に任せるわけにいかないことが明白であって、また同年5月に決行されたインド・パキスタンの核実験を受け結成された。5核兵器保有国および3核兵器能力国に対し、具体的な核軍縮措置を迫り、95年核不拡散条約(NPT)再検討・延長会議において採択された決議「核不拡散と核軍縮のための原則と目標」の完全履行を求めている。

NACの宣言は、核兵器国と核兵器能力をもつインド、パキスタン、イスラエルの3カ国を批判し、核兵器ゼロへの近道を達成するための、実際的・現実的な計画を提案している。まず核兵器国の指導者が核軍縮を完成させるという明確な誓約を行うことから出発している。次に、核兵器国と核兵器能力国が直ちに取るべき実際的な中間的措置を列挙している。具体的には、核兵器の警戒態勢解除(De-Alerting)、非戦略核兵器(Non-Strategic Nuclear Weapons)の配備中止、先制使用の禁止(No-First-Use)などである。そして、NACは核兵器廃絶を達成させるために努力を惜しまないという強い決意で結ばれている。

  さらに、この計画が実際的で政治的に実現性のあるアプローチであることを示すために、そしてNACの共同宣言に描かれた新しい課題への支持を多数の国から取り付けるため、19981027日、国連総会第一委員会(軍縮・安全保障)にこの宣言を提出した。アイルランドなど34カ国を超える国によって共同提案された決議草案L.48/Rev.1は、共同宣言を要約したものであった。つまり、「核兵器国に対して、それぞれ自国の核兵器を迅速かつ完全に廃棄するという明確な誓約を示し、また、遅滞なく、核兵器の廃棄に通じる交渉を誠実に追及し締結に至らしめ、それによって、NPT6条の下での義務を遂行すること」である。1113日の投票では、賛成97、反対19、棄権32、37カ国が投票しなかった。インドとパキスタンはNPTへの全員加盟を要求しているとして反対した。ロシアは核抑止の保持により反対、一方で中国は、核保有国に抑止論の放棄を求め棄権した。

この決議を通しての最大の焦点は北大西洋条約機構(以下NATO)内の動きであった。内部に論争が巻き起こったのである。イギリスは「信頼性のある最小限の抑止の維持と両立しない」と反対した。これには、NACの一員のメキシコが「この決議は、核抑止論と両立することを意図したものではない。抑止論は時代遅れであり、NPTの核軍縮義務と矛盾し、捨て去るべきものである」と反論した。同じく米国、フランスも「核抑止はわれわれの安全保障の基礎である」と従来の方針を貫いた。しかし、これに反発する国が現れた。カナダとドイツである。カナダは96年のICJの勧告的意見を受けて、冷戦後の自国の核政策の見直しを行っていた。この取り組みを政府に呼びかけたのは、カナダの元国連軍縮大使で現上院議員のダグラス・ロウチ(Douglas Roche, O.C.)を中心とした市民グループである。当時ロウチは、第2章で触れたアボリション2000のカナダ組織・核廃絶カナダ・ネットワーク(CNANW: Canadian Network to Abolish Nuclear Weapons)の提言として、「核廃絶におけるカナダの役割」(”Canada’s Role in the Abolition of Nuclear Weapons”)をまとめ、968月に、「オタワ・プロセス」を主導したロイド・アクスワージー外相に提出していた。これを受けて、アクスワージー外相は、外務省のホームページで国民にカナダの核政策について意見を求め、さらに下院の外交・貿易常設委員会(Committee on Foreign Affairs and International Trade)に対し、核政策の再検討を行うよう委託した。そして9812月に「カナダと核の挑戦−21世紀のために核兵器の政治的価値を下げる−」(”Canada and the Nuclear Challenge: Reducing the Political Value of Nuclear Weapons for the 21st Century”)と題する報告書を提出した。報告書は、NATO諸国及びNACと協力して@核兵器国が、核兵器廃絶にいたる交渉を開始し、締結するという明確な約束をするよう求めるA核兵器に関するNATOの戦略概念を再検討し、更新することをNATO内で展開するべき、などを含む画期的な内容であった。ここでも市民が政府を動かし、核抑止政策の見直しを始めさせたのである。

ドイツは、野党時代に核政策の変更を要求していた社民党(Social Democrats)と緑の党(Greens)の連立政権が誕生したばかりであった。イギリス、米国、フランスはNATO内での仲間割れが起こることを恐れ、決議に反対するよう外交文書を各国に送付したが、最終的には、イギリス、米国、フランス、トルコを除くすべてのNATO加盟国は棄権を投じ、カナダとドイツの決定はNATO同盟国内を大きく揺さぶる結果となった。

  1998124日の国連総会全体会議の最終投票では、「新アジェンダ決議[32]」は賛成114、反対18[33]、棄権38で採択され、多くの支持を得た。この決議以後のNATOの核軍縮に対する方針であるが、1999424日ワシントンで行われた首脳会議にて発表された公式声明「21世紀への同盟」(”An Alliance for the 21st Century” )で、核政策見直しを始めることを表明している[34]。同じく発表された「(NATO)同盟の戦略概念」(”The Alliance Strategic Concept” )では、核兵器を政治的な理由で維持するという意思を再確認しているが[35]、軍縮に対する政策転換が随所で見られる。核兵器の使用を「極度にありえない ”…extremely remote.”」とし、「NATOの核戦力はもはやどの国も標的にしていない ”…NATO’s nuclear forces no longer target any country.”」と明記している[36]ICJの勧告的意見とダグラス・ロウチによる報告書、NACの共同宣言を受けて核政策見直しに比較的早くから取り組み、NATOにおいて核兵器の見直しを要求したカナダ政府のNATOへの影響は、対人地雷問題に引き続き、ここでも想像以上に大きかったように思う。

98年の決議に続いて「新アジェンダ決議」は、99年国連総会において採択された[37]95年の決定と決議の完全履行を求めるという98年版より、より突っ込んだ内容と強い表現が用いられている。

 

2  中堅国家構想 

政府の連合である新アジェンダ連合(以下NAC)の結成に対して、核軍縮・廃絶を目指す民間の連合も生れている。中堅国家構想(The Middle Powers Initiative 以下MPI)は、アボリション2000の枠組みの中から生まれ、慎重に焦点を定めて調整した国際的市民組織のネットワークである。19983月ダグラス・ロウチの主導により結成された。ロウチが議長を勤め、そのもとで国際運営委員会が運動をリードする体制がつくられている。MPIはもともと、核軍縮に影響力のある中堅国家の連合体をつくる目的で、16の候補国をリストアップしたが、同じような考えのNACの登場で、MPIは国際的NGOとしてNACの活動を支援する役割を担うことにした。対人地雷問題で成功した「オタワ・プロセス」を核廃絶運動にも応用しようとしているといえよう。最終目標は「核兵器のない世界」であり、NAC以外の非核の中堅国家や他の多くのNGOと協力しながら核軍縮に取り組んでいる。MPIの運動センターは、米国マサチュセッツ州ケンブリッジにあるIPPNW本部に置かれている。共催団体(Co-Sponsoring groups)は以下の8団体で、核軍縮において実績のあるNGOで、これまでの一連の核廃絶活動にも参加している。

 

国際反核法律家協会  IALANA: International Association of Lawyers Against Nuclear Arms

地球的責任のための科学技術者国際ネットワーク INES: International Network of Engineers and Scientists for Global Responsibility

国際平和ビューロー IPB: International Peace Bureau

核戦争防止国際医師の会  IPPNW : International Physicians for the Prevention of Nuclear War

各時代平和財団  NAPF : Nuclear Age Peace Foundation

地球的行動のための議員連盟  PGA: Parliamentarians for Global Action

世界の現状フォーラム  SWF: State of the World Forum

平和と自由のための国際女性連盟  WILPF: Women’s International League for Peace and Freedom

 

20006月に発表された報告書”Fast Track to Zero Nuclear Weapons” (改訂版)の中で、MPI設立の目的は、@核軍縮の行き詰まりを打開するNACの活動及び共同宣言「核兵器のない世界へ:新アジェンダの必要性」を支持し、主要国にNACを支持、支援するよう働きかけること。Aつまり、核兵器保有国の政治指導者たちが冷戦思想を脱し、B今や圧倒的多数が望んでいる核兵器のない世界へ速やかに移行するよう核保有国を励まし、C各兵器を廃絶するために必要な話し合い、つまり核兵器禁止条約の調印につながるような多国間交渉の発足を目指している。Dセミナーや出版を通して、各国の政策決定者たちの間に支持を広げることも必要と考え、E市民社会の声を結集し、Fマスメディアの関心を高め、世論を核廃絶に動員するための活動を行うことだとしている。

この過程は核保有国が、NACの共同宣言で記した中間的措置(警戒態勢解除・先制使用の禁止等)を取り入れることを可能にし、また同時に、核兵器廃絶に向けた軍縮交渉への道すじとなると考えている。核兵器禁止条約と実際的な一つ一つのステップは、相互に補強し合っている戦略である。

MPIが、報告書の中で論じた問題の核心のひとつに、核兵器に対する人々の無関心がある。核の脅威が対人地雷よりはるかに危険であるにもかかわらず、その脅威が目に見えないがためになかなか関心が高まらない。地雷で失った腕や足は明瞭だが、核兵器の実験や核兵器製造工場からの放射線漏れに起因するガンや遺伝的奇形はそれよりも見えにくく、核兵器に直接的原因を負わせるのはより困難である。また、広島・長崎への原爆投下から50年が経ち、その記憶は薄れていく。しかし、NACの挑戦は地雷禁止キャンペーンに向けられたような政府や一般市民、メディアの支持に値するし、またそれを必要としている。それゆえMPIは、核の脅威をより見えやすくするという緊急の必要性に、メディアの注目を得ることにより一般市民からの支持を結集し、それを地球規模の市民運動へと盛り上げ、核軍縮のためのネットワークを発展させることを目指している。

 

3  2000NPT再検討会議における新アジェンダ連合とNGO

2000年の核不拡散条約[38]NPT)再検討会議は、95年にNPTの無期限延長を決定してから初めての検討会議であり、その動向が大きく注目されていた。今回の会議は、前回採択した「核不拡散と核軍縮のための原則と目標」NTP.CONF/95/L5の達成度を評価し、次の目標を定めるのが目的であった。しかし最近23年の状況は、核軍縮・核不拡散に逆行するものが目立った。

第一に、包括的核実験禁止条約(CTBT)締結という目標は一応達成されたが、インド、パキスタンによる核実験、米国上院における包括的核実験禁止条約(CTBT)批准の否決、米ソによる未臨界実験の続行など発効の見通しがまったく立っていない。第二に、カットオフ条約(兵器用核分裂性物質生産禁止条約)の即時交渉開始と早期締結を求める決定は守られなかった。第三に、核兵器の「体系的で前進的な核軍縮努力」は見られなかった。<表:序−1>を見てわかるように、特にここ5年間での核保有五大国の核兵器削減の大きな変化はなく、努力の跡はみられない。第四の非核地帯の拡大に関しては、一定の前進があったといえる。しかし、95年の決定において要請された核兵器国の議定書署名も進んでおらず条約の法的拘束力が課題である。また、95年に最優先課題と指摘された中東非核兵器地帯の設置に関しては何の進展もなかった。加えて、米国の本土ミサイル防衛構想(NMD[39]や、イラク、北朝鮮の核開発疑惑、ジュネーブ軍縮会議の停滞など厳しい状況の中での開催は、会議の成果によって今後の世界の平和と安定を左右するとの見方がされていた。

今回の会議は、NACが登場して初めての再検討会議であり、会議初日から核保有国とNACの対立が浮き彫りとなった。NACの主張は、前で取り上げた「新アジェンダ決議」を全面に押し出したものであり、それに核保有国が拒むというものであった。象徴的だったのは、核廃絶に向けた約束に「疑いのないunequivocal」という言葉を付けるかどうかの議論であった。結局NACが核保有国に対して要求した「核廃絶への疑いのない約束」が最終文書に組み込まれる結果となり、核保有国が初めて核軍縮に明確な約束について合意した。最終日にコンセンサスで合意された最終文書にはその他に、戦略核兵器のさらなる削減、カットオフ条約の5年以内の交渉終結、CTBTの早期批准、核保有国による自発的核削減の努力、軍縮会議に核軍縮を扱う補助機関設置の必要性、情報公開の強化など、NACや非核国が主張した内容がほとんど含まれた。このように、今回の再検討会議においてNACの成果は大きいもので、NACの影響力および戦略の有効性が実証される結果となった。

一方で、NGOの活動も目立つものだった。この会議では、NGOの代表が本会議で発言できる初めての機会であった。日本からは、長崎の伊藤一長市長が演説し「世界の市民の力を結集し、人類の良心を動員することによって核兵器の廃絶は可能だ」と各国政府代表に核兵器の全面禁止を訴えた。この他各地のNGOから計15人の代表が演説[40]。会議に参加したNGOは、新アジェンダ決議を踏まえた核廃絶プランを立て、ロビー活動、デモ、集会などで力を発揮した。95年の再検討会議以降、この5年間に開かれてきた準備委員会でも、NGOは各代表の意見を集約して提出するなど、政府レベルで進められる会議に市民の意見をぶつけようと努力してきた。

 

 

結論

 

対人地雷を全面的に禁止する国際条約締結に大きな役割を果した「オタワ・プロセス」方式が、核兵器の削減や核廃絶への国際的取り組みに生かせるかという視点で本論を進めてきた。この「オタワ・プロセス」成功の背景には複数の要因が存在し、それらが相互に影響し合いながらプラス・サムゲームを生み出し、1997年対人地雷全面禁止条約が実現した訳であるが、そこからいくつかの教訓は導き出せる。

第一に、人道主義という普遍的な価値を普遍化させることができるかどうか。つまり、核兵器の非人道性を重視し、核兵器を人類と共存できない兵器と位置付ける視点を普遍化できるかどうかがポイントである。「オタワ・プロセス」では、世界からの広い支持を得ることができた。それは、ICBLという連合が打ち出した戦略、それを行動に移した世界各地のNGOの努力と、対人地雷問題が単純明解でメディアにとても扱いやすい問題であったこと。また、対人地雷による人々への被害の深刻さは今や周知の事実であり、軍事的にも有用でないという調査もあったことなどが考えらえた。核兵器廃絶の実現に向けても、メディアの注目を集め、核兵器は非人道的兵器であるという国際世論を形成しなければならない。第2章で取り上げた運動は、市民社会を啓蒙し国際世論を動員するという観点からも注目すべき運動である。その中で、アボリション2000は廃絶運動に賛同する誰もが参加することができる、現在進行形の活動である。問題の焦点を絞り、世界中の人々にとって理解しやすく一貫した形で議論を進めることは、さらなる世論を動員すると共に、圧倒的多数の人々が核兵器の廃絶を望んでいるのだという、各国政府への力強いアピールと成り得る。国際世論が各国政府の政策を動かすということは、「オタワ・プロセス」において実証されている。また、1996年の包括的核実験禁止条約(CTBT)にイスラエルが署名に踏み切ったのは、国際世論の影響が関係していると言われている。

第二に、運動に関わる各NGOが専門分野を持ち、その分野に特化して活動することは、核軍縮においてもきわめて重要な課題である。なぜなら、NGOが政府と対等な立場で議論できるほどの十分な専門性を身に付けるということは、政府との対話を可能にし、それには説得力が伴う。これまでのNGOによる一連の核廃絶運動に参加し、主要メンバーのひとつである国際反核法律家協会(IALANA)には、国際法の専門家が多く参加しており、「モデル核兵器禁止条約[41]」を作成している。1985年にノーベル平和賞を受賞した核戦争防止国際医師の会(IPPNW)は、核戦争による被害の悲惨さなどに関する専門知識を有している。長い歴史を持ち長年核軍縮に携わってきたこのようなNGOはこれまでにも多くの専門知識を蓄積している。日本には、1956年に結成された日本原水爆被害者協議会(以下 日本被団協)という被爆者団体がある。日本被団協は被爆50周年を迎えた1995年に全国の被爆者約4000人を対象とする原爆被害者調査を行った。この調査で得られた結果は今後の被爆者運動に有用な情報を多く提供しており、核兵器の非人道性を訴える上でも貴重な統計となるに違いない。また、核兵器は秘密が多い分野ではあるが、元核兵器設計者らがNGO活動に転じるなど、専門的議論で政府と議論を展開できるだけの力量を備えている。特に冷戦後は、エネルギー省などがさまざまな情報公開に踏み切っていることから、NGOが必要な情報を得て、政府の核兵器政策を監視する力を強めている。

核軍縮における課題は、むしろ、こうした専門知識をどう活用するかにある。ICBLのような国際的ネットワークを、核軍縮においてどう実現していくかという問題である。核廃絶に向けた活動を展開するNGOは、大半がインターネット上でホームページを持ち、さまざまな情報を提供している。電子メールを通じて団体の活動紹介、核軍縮交渉の進行状況や、核実験をめぐる議論などをまとめたニューレターも送っている。アボリション2000では、IPPNWなどが中核となり現在では2000以上もの団体が参加するネットワークができている。しかし、ICBLが確立したような、キャンペーンを世界各地で同時多発化し、国際世論を一気に盛り上げる仕組みを確立するには至っていない。

 「オタワ・プロセス」からは、政府と市民が対峙する問題に関して、さまざまな教訓を学ぶことができるが、対人地雷を規制したこのプロセスを、そのまま核軍縮に応用できるわけではない。対人地雷という通常兵器と、核兵器にはそれぞれ個別の問題を有しているからである。例えば「オタワ・プロセス」では、妥協的なものではなく例外無しの実効性の高い条約を成立させ、それにやる気のある国々が条約に参加し、大国抜きであっても、そこから世界中に拡大していこうという方法がとられた。しかし核軍縮の場合、核兵器保有国と核兵器能力国が始めからその条約に参加していなければ、核不拡散条約(NPT)や包括的核実験禁止条約(CTBT)が良い例だが、骨抜きの状態では意味がない。核保有国と能力国をいかに巻き込むかが、難しい点である。新アジェンダ連合(NAC)と中堅国家構想(MPI)が生まれた背景は、なかなか進展しない核軍縮の状況であるが、98年のインド、パキスタンの核実験で、一層危機感を募らせたからである。インドは、核実験実施の理由として、NPTの不平等性と、核保有国の核軍縮に対する不誠実な態度だと表明した。この、インドとパキスタンという核能力国をいかにして核軍縮交渉に取り込むかという問題があるが、まず重要なのは、現状維持。これ以上核実験を実施しないこと、核武装しないこと。また、核兵器を国境近くに持っていき、配備しないこと。それには、インド、パキスタン相互のカシミール問題解決を含む信頼回復が不可欠であろう。長期的には、両国を元の非核国に戻し、NPTに入れることである。そして、第二、第三のインド、パキスタンが出てこないよう、核保有国は真剣に核軍縮に取り組まなければならない。

2000NPT検討会議で、核保有国は初めて「究極的な核廃絶の約束」から一歩踏み込んだ「核廃絶への疑いのない約束」について合意した。NACによる「具体的な措置を」との提案は削除されたが、21世紀の核軍縮の最大の課題は、この核保有国の約束をいかに具体化させるかであろう。それには、NACが提唱しMPIが賛同している、核保有国及び能力国が実際的な中間的措置を取ることが、核廃絶に向けての着実な前進だと考える。また、核兵器廃絶を目指す中堅国家の連合体NACの政策や動向に加えて、カナダ政府の動きも注目できる。「オタワ・プロセス」でカナダ政府が積極的に行動を起こしたことは、前に何度も述べたが、NAC結成からのカナダの一連の取り組みは高く評価できる。今やNATOは、核兵器問題で統一した見解を持っている訳ではない。今後もカナダ政府の動向に期待し、注目していきたい。

 最後に、日本政府の役割について考えたい。日本政府は、1994年以来7年連続で核軍縮決議案「核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮に関する決議」を国連総会第一委員会に単独で提出し、同委員会で採択された後、総会においても圧倒的多数の賛成を得て採択されている。さらに核軍縮問題において、日本はリーダーシップを発揮できる分野である。それは、日本は第二次世界大戦の反省に基づいて、また唯一の被爆国として、非核三原則、武器輸出禁止三原則という制度を持っており、この問題に関しては、国民的なコンセンサスを得ている。また、日本自身高度な核に関する技術を持ち合わせならも、日本と世界の平和のために核兵器は開発しない方が好ましいとの政策を取ってきている。この姿勢で世界に自信を持って、さらにイニシアチブをとっていくべきである。また、5年後の2005年にはNPT再検討会議が開催される。そこで、日本の果たす役割は大きい。21世紀の核軍縮は、政府、研究者、NGO、市民の協力がますます不可欠になる。その際、市民側も、核廃絶という目標の具体化を含め、現実を見据えた視点が必要となるだろう。そして、日本政府もNGOとの間で対話と連帯を模索する必要があり、日本国内のNGOは、政府に必要とされる専門家集団へと成長する必要があるだろう。

 

 

注釈



[1] 核兵器五大国の核兵器蓄積数については、<表:序−1>「核保有五大国の核弾頭数1945-2000年」Global Nuclear Stockpiles)を参照。

[2] 1967年署名のラテンアメリカ核兵器禁止条約(トラテロルコ条約)、1985年南太平洋非核兵器地帯条約(ラロトンガ条約)、1995年東南アジア非核地帯条約(バンコク条約)、そして1996年アフリカ非核地帯条約(ペリンダバ条約)がある。南極条約の適用範囲を含めると、南半球では事実上の非核兵器地帯化が達成されつつある。<図:序−1>参照。その一方で、非核兵器地帯の設置が望まれている地域も少なくなく、非核兵器地帯の設置を求める国連総会決議や、さらに1995年のNPT再検討・延長会議で採択された「核不拡散および核軍縮の原則および目標」NPT.CONF.1995/L5においても、「特に中東地域などの緊張度の高い地域において、非核兵器地帯の発展が最優先事項として促進されるべきであり、2000年までにさらなる非核兵器地帯を設置すること」が求められている。

[3] <表:序−2>「核兵器廃絶を望む世界の世論」(Opinion Poll on Nuclear Weapons 1997-1998参照。この統計から、核兵器の全面廃絶を求める意見が先進国の間で大勢を占めていることが分かる。米国の調査では、「米国が核兵器廃絶に向けて交渉をすべきだと思うか」という問いに68%が「強く賛成」と回答。「多少賛成」も合わせると87%に及び、「反対」の10%を圧倒した。英国でも、「核兵器廃絶に向けた交渉を進めるべきか」の問に87%が賛成している。ベルギーでは、「核兵器廃絶交渉のイニシアチブを取るべきか」に対して72%が賛成。同種の問いに、ノルウェーとオーストラリアでは賛成か92%で、カナダでは93%に達した。ドイツでは、87%の市民が「保有国はすぐに核兵器を廃棄すべき」と答えた。日本では、「核保有国は核兵器を廃絶すべきか」の問に対して、78%の人々が国家を守るために核兵器は必要ない、廃絶すべきだと答えた。

[4] 英語の正式名称は、Convention on the Prohibition of the Use, Stockpiling, Production and Transfer of an Antipersonnel Mines and on their Destruction.である。この”destruction”の和訳に関して、日本政府は「破壊」ではなく「廃棄」と解釈している。対人地雷を完全に使用不可能にする「破壊」に対して、「廃棄」というのは、分解した部品を引き続き保有することになる可能性を含んでいるのではと指摘することもでき、その破壊方法に誤解や曖昧さを残している。

[5] International Campaign to Ban Landmines 米国ワシントンに事務局本部をもつ。

[6] NOBEL e-MUSEUMThe Official Web Site of The Nobel Foundation, “The Nobel Peace Prize 1997” <http://www.nobel.se/peace/laureates/1997/press.html> より

[7] 米国ベトナム退役軍人財団Vietnam Veterans of America FoundationVVAF)、人権を守る医師の会Physicians for Human RightsPHR)、メディコ・インターナショナルmedico international、ヒューマン・ライツ・ウォッチHuman Rights WatchHRW)、マインズ・アドバイザリー・グループMines Advisory GroupMAG)、ハンディーキャップ・インターナショナルHandicap InternationalHI)の6団体

[8] 正式名称は「過度に傷害を与え又は無差別に効果を及ぼすことがあると認められる通常兵器の使用の禁止又は制限に関する条約」Convention of Prohibities or Restrictions on the Use of Certain Conventional Weapons Which May Be Deemed to be Excessively Injurious or to Have Indiscriminate Effects.

[9] 目加田説子『地雷なき地球へ 夢を現実にした人びと』(岩波書店 1998年)79頁より

[10] 正式にはInternational Strategy Conference Towards a Global Ban on Anti-Personnel Mines

[11] オスロ会議に関しては、Canada, Department of Foreign Affairs and International Trade, ”Safe-Lane: Landmines: Conference Documents:1996-1998”を参照。<http://www.mines.gc.ca/english/documents/index.html>

[12] 17条【効力発生】の規定による。40番目の国の批准書寄託から6ヶ月後に発効することになっている。

[13] ICBL, “The Treaty-Ratification Updates”を参照。<http://www.icbl.org/>

[14] アメリカは、971月クリントン大統領が対人地雷輸出停止の無期限延長、並びに対人地雷の保有上限を現有数に設定する事を発表している。

[15] 生物兵器を規制する条約として、1972年の生物毒素兵器禁止条約(正式名称:細菌兵器〔生物兵器〕及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約 Convention on the Prohibition of the Development, Production and the Stockpiling of Bacteriological Biologicaland Roxin Weapons and on their Destruction 75年に発効され、9971日現在締約国は142カ国である。 化学兵器を規制には、93年の化学兵器禁止条約CWC(正式名称:化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約Convention on the Prohibition of the Development, Production, Stockpiling and Use of Chemical Weapons and on their Destruction.)がある。97年に発効され、締約国数は125カ国である。

[16] 「…対人地雷の全面的禁止を促進する呼びかけに示された人道的原則を促進する一般市民の良心の役割に注目し、また、国際赤十字・赤新月運動、地雷禁止国際キャンペーン、その他世界中の多数の非政府組織により行われてきた同じ目的の努力を認識し、…」

[17] EUの対人地雷に関する政策は、報告書”The Response of the European Union to the Anti-Personnel Landmines (APL)   Challenge”を参照。2000 European Commission より発行されており、EU HPから入手できる。<http://eu-mine-actions.jrc.cec.eu.int/demining.asp>

[18] Treaty on European Union 

  1997102日にはConsolidated Version of Treaty on European Unionが採択されている

[19] 14団体が調整委員会として活動。うち途上国からのNGOは、Afghan Campaign to Ban Landmines (ACBL), Cambodia Campaign to Ban Landmines, Kenya Coalition Against Landmines (KCAL), South Africa Campaign to Ban Landmines, Preventive Programme in Landmines Zone, Colombian Campaign to Ban Landmines 6団体。

[20] 世界法廷プロジェクトWorld Court Project に関してはIALANA”Projects-World Court Project”を参考<http://www.ialana.org/site/index.html>

[21] 要請主題であるこの部分の英文テキストは次の通りである。”In view of the health and environmental effects, would the use of nuclear weapons by a State in war or other armed conflict be a breach of its obligations under international law including the WHO Constitution?”

   本意見の要請の経過と論点については、国際司法裁判所判例研究会「判例研究・国際司法裁判所―武力紛争における国家による核兵器使用の合法性(WHOの要請)」『国際法外交雑誌』第99巻第220003343頁参照。

[22] “Is the threat or use of nuclear weapons in any circumstance permtted under international law?”

[23] 特に国連総会からの要請に関しての、ICJの審議の論点と、条約上・慣習法上の解釈については、伊津野重満「核兵器使用の合法性に関するICJの勧告的意見」『早稲田法学』第74巻第319992764参照。

  また、WCP発足からICJの勧告的意見後までの一連の流れに関しては、NHK広島核平和プロジェクト『核兵器裁判』1997年に詳しくまとめられている。

[24] 22カ国による口頭陳述:  ICJは判断を下すべきであり、核兵器の威嚇・使用は違法

15カ国:メキシコ・オーストラリア・ニュージーランド・イラン・

マレーシア・フィリピンなど)

                                            ICJが判断すべき問題ではなく、場合によっては合法

4カ国:米国・英国・フランス・ロシア)

                                            ICJが判断すべき問題ではない。(2カ国:ドイツ・イタリア)

                                            *あいまいな態度(1カ国:日本)

[25] 6条【核軍縮交渉】各締約国は、核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉を行うことを約束する。

[26] <資料22参照

[27] <資料22参照

[28] 藤田久一「国際刑事裁判所規定採択の意義と限界」『世界』第6521998212

[29] 目加田説子「力の支配から法の支配へ ハーグ世界市民会議から」『世界』第664199963

[30] <資料23参照

[31] ハーグ平和アピール運動の一環である平和教育のHPは、イギリスのNGO国際平和ビュロー(IPB)内に現在設けられている。<http://www.ipb.org/pe/index.htm

[32] <資料3153回国連総会決議(現在ではA/RES/53/77/Y”Towards a Nuclear-Weapon-Free-World: The Need for a New Agenda” 和訳「核兵器のない世界へ:新アジェンダの必要性」参照

[33] 反対票を投じたのは、ブルガリア、チェコ共和国、エストニア、フランス、ハンガリー、インド、イスラエル、ラトビア、リトアニア、モナコ、パキスタン、ポーランド、ルーマニア、ロシア、スロバキア、トルコ、イギリス、米国の18カ国。

[34] §32”…the Alliance will consider options for confidence and security building measures, verification, non-proliferation and arms control and disarmament…” 「(NATO)同盟は、信頼・安全保障建設措置、検証、不拡散、軍備管理、軍縮に関する選択肢について検討する。」

[35] §40  Arms Control, Disarmament, And Non-Proliferation” より

[36] §64  Characteristics of Nuclear Forces” より

[37] 54回国連総会決議1999121日(A/RES/54/54G”Towards a Nuclear-Weapon-Free-World: The Need for a New Agenda”賛成111反対13棄権39

[38] 核不拡散条約については<資料1>「核軍縮関連条約一覧」[その1]参照

[39] 本土ミサイル防衛(NMD: National Missile Defence)とは、米国の本土に向けて発射された長距離弾道ミサイルを迎撃ミサイルで撃ち落とす計画のことである。21世紀の初頭には米国本土にミサイルを撃ち込める能力をもつ国が現れるからというのが構想推進の理由であるが、莫大な費用がかかる上、相次ぐ実験失敗で技術的にも疑問が出されるなど見直しを迫られている。米国がNMDによって自国を守れるようになれば、先制攻撃への誘惑はさらに強まることになる。また、NMDが配備されると今度は、他の弾道ミサイル保有国がそれを打ち破るミサイル開発に駆り立てられ、新たな軍事的緊張と軍拡競争を生み出すことにもなる。米国とロシアの間には、旧ソ連の時に対弾道ミサイル(ABM)のシステム建設地域の制限を取り決めたABM制限条約があるが、現在米国はNMD構想のために、条約の改正を要求している。NMD構想には、ロシア、中国のみならず、ドイツやフランスなど同盟国からも批判の声が上がっている。

[40] NGOの各代表によるスピーチは、NGO Committee on Disarmament, ”NPT Review Conference: NGO Presentations”に掲載されている。<http://www.igc.org/disarm/nptngo2k.html  

 

[41] 正式には、”Model Convention on the Prohibiton of the Development, Testing, Production, Stockpiling, Transfer, Use and Threat of Use of Nuclear Weapons and on their Elimination” MNWC:Model Nuclear Wapons Convention)という。IALANA “Projects” <http://www.ialana.org/site/affairs/index.html>で紹介されている。

 

 

 

参考文献

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長有紀枝『地雷問題ハンドブック』自由国民社 1997

黒沢満『核軍縮と国際平和』有斐閣 1999

黒沢満編『軍縮問題入門 2版』東信堂 1999

国際司法裁判所判例委員会「判例研究・国際司法裁判所−武力紛争における国家による核兵器使用の合法性(WHOの要請)」『国際法外交雑誌』第99巻第22000

ジョセフ・ロールブラット(沢田昭二他監訳)『核兵器のない世界へ』かもがわ出版 1995

赤十字国際委員会(吹浦忠正 監訳)『対人地雷 味方か?敵か?』自由国民社 1997

難民を助ける会『第3NGO東京地雷会議 会議要項』1998

難民を助ける会『第3NGO東京地雷会議 報告書』1998

藤田久一「国際刑事裁判所規定採択の意義と限界」『世界』第6521998

目加田説子「力の支配から法の支配へ  ハーグ世界市民会議から」『世界』第6641999

目加田説子『地雷なき地球へ  夢を現実にした人びと』岩波書店 1998

 

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