2002年サッカーワールドカップ日本開催地6自治体

(大分県、神戸市、大阪市、静岡県、札幌市、宮城県)の調査活動日誌

 


 

200123日(土)―JAWOCに立ち寄るが―

 東京国立市での学会関係の仕事を終え、そのまま横浜に向かいかけたが途中でもしやと思い、有楽町のJAWOCに立ち

寄る。あいにく休みで中に入れない。別の扉から灯りが漏れていて、中に人の気配がしたためノックするとスタッフが1

名出てきてくれた。研究の意図を手短に話し、資料を得られたらと思ったものの、残念ながら関連組織の働きや職務につ

いてまとめたものは、その方の知る限りないとのこと。広報に後日アプローチするしかないと気を取り直し、せめてはと

厚いガラスの扉越しに写真を撮る。この日は横浜に宿泊。

 

<写真とコメントはこちら>@新有楽町ビルJAWOC本部の掲示板  

 


 

2002年2月4日(日) ―空路、羽田から大分へ―

 空路、羽田から大分へ。羽田空港の便利さには驚いた。クレジットカードがあれば、自動発券機で予約を確認した上で

そのままチケットを購入できる。大分まで飛行時間は1時間半弱ほど。ところが大分空港から大分市街までが結構あり、

バスで1時間ほどかかった。荷物が重い。これに加えて雨が降っており、持参した傘をバッグのどこに入れたか分からな

くなったりしてまごついてしまう。予約したビジネスホテルにたどり着き、ほっとして部屋に荷物を置き、少し休んでか

ら、日曜でも何か手掛かりはあるのではないかと外出。

 

 やはり動いてみるものだ。ホテルすぐ隣の「OASISひろば」に「ワールドカップ交流プラザ」というコーナーがあり、

大分市松岡・横尾に建設中のメインスタジアムの縮小模型などが展示されていた。スタッフも2〜3名常駐しており、事

情を話すと、丁寧に応対してくれて、市民サポーターとして中心に活動している2名の連絡先を教えてもらう。機関誌や

大分開催のパンフ、スタジアム概要パンフなどをもらう。テレホンカードを買いに行き(こういう時携帯を持たない不

便さを痛感)、この頃では珍しい順番待ちをして(ただし、公衆電話は大分でも確実に減りつつあるようだ)、先の2名

に連絡してみるが、残念ながらどちらともコンタクトが取れず。明日もう一度連絡してみるしかない。

 

 大分駅近くのパルコ5階にある「2002FIFAワールドカップオフィシャルショップ大分店」を覗いてみる。「オフィ

シャル」の意味やオフィシャルパートナーの支店所在地、グッズ納入業者一覧などが分かればと思って聞いてみると、店

長明後日まで不在のため分からないとのこと。そういうことならば、大分を立つ間際にもう一度寄るしかない。

 

 そろそろ薄暗くなってきていたものの、スタジアムを今日見ておかないと明日は時間が取れないかもしれないと思い、

駅構内にある観光案内所の受付に行き、バスを使ったスタジアムへの行き方を聞いてみる。「ワールドカップ交流プラ

ザ」のスタッフの話では車で30分ほど、スタジアムがある公園「大分スポパーク」に隣接する高校行のバスがあるので

はないかということだったが、どうやら事情が違うらしい。交通の便は悪いし、たとえ行けたとしても上から見ないと

森に隠れてスタジアムを見ることはできないとのこと。雨も降っており、残念ながら今日のところはあきらめる。緑の

窓口で明後日に神戸に向かう経路を確認し、時刻表ももらう。そのままホテルに帰って資料整理。

 

<写真とコメントはこちら>@「ビッグアイ」の模型Aオフィシャルパートナー 

 


2001年2月5日(月) ―あたたかい雰囲気の中でインタビュを実施―

 

丸1日、今までにないほどフル回転で聞き取りを行った。大分県ワールドカップ推進局、JAWOC大分支部、大分合同

新聞社編集局運動部、大分市企画部総合企画課、大分県警察本部警備部 警備第二課W杯等警備対策室、大分県サッカ

ー協会、大分市尾崎地区自治会の関係者から話をきく。対応はどこも非常に協力的で大変ありがたかった。直前の連絡

にもかかわらず、暖かく接してくれて、感動すら覚えるほどだった。

 

交通アクセスが現段階では不便なため、あきらめていたスタジアムをぜひこの目で見ておきたいという思いが募り、夕

方、タクシーを使って入ることのできるぎりぎりまでスタジアムに近づいた。白い巨大なドームはあたかも宇宙船の円

盤が森に舞い降りたかのようだった。果たして「スポパーク」と「エコパーク」の調和は達成されるのだろうか。スポ

ーツと環境は相携えて成長していくことは可能なのだろうか。

 

インタビュに快く応じてくれた関係者の方々、県庁や市の受付の方々、松岡地区での聞き取り調査の間、1時間近くも

料金メーターを止めて待っていてくれたタクシーの運転手の方、昼食(「琉球定食」というのを初めて食べとてもおい

しさかった。はまちの刺身をおそらく醤油、わさび、ねぎなどを基調とした味付けで染み込ませ、この汁をごはんいか

けながら食べる)をとった県庁近くの居酒屋のおかみさん、みなさんに感謝します。

 

全体としてゆったりとした風格と雰囲気が漂う大分という街の中で、自分だけが時間を気にして雨の中をあくせく動き

回り、一体何をやっているのかという迷い、焦燥感、孤独感、違和感の混在したものが頭をよぎることはあったものの、

今までの調査活動の中で最も充実を覚えたことも確かであった。確か中防公平氏が言っていたように思うが、「すべて

は現場から始まる」ということと、調査活動における「収穫」の側面で「現場は裏切らない」という思いを実感した1

日であった。

 

<写真とコメントはこちら>@電光掲示板のスタジアムABスタジアム全景B環境カウンセラー須股氏と

 


 

2001年2月6日(火)―陸路、大分から小倉経由で神戸へ―

 確かに大分では事前にアポをとらなかったことで、結果として、かえって調査活動が広がっていった側面があったものの、

やはりこれではいけないと思い、神戸、大阪、静岡、札幌、宮城・仙台の推進員会に質問事項を送付することにした。大分

の推進委員会にしても、前日の夜中になって、慌てて電子メールで質問事項を整理したものを送付しておいたことが役立

ったからだ。

 

ところが、インターネットで何度か確認しても、静岡と宮城の推進委員会のメールアドレスしか分からない。神戸の場合

は電話番号のみ、大阪と札幌は電話とファックス番号の把握にとどまった。仕方なく、ホテルのチェックアウト時に神戸

に電話せざるを得なかった。ところが色よい返事が得られない。7日は行事日程が詰まっているし、質問内容に答えるに

は、関係の担当者にも話をつけておかなければならない、要するに準備の時間が必要だという。とりあえず9日の朝に再

びこちらから連絡することで電話を切る。感触としては大分との対応の違いを感じた。

 

おまけに取材のコストを節約せざるを得ない中で、テレホンカードの度数が一気に半分以下に減ってしまった。電話とネ

ットとの効率の違いを肌で感じた。電話の際、ネックとなるのは最初に受話器に出た職員に対してこちらの取材意図を丁

寧に説明しても、またそれを担当者に繰り返さなければならない点だ。これが意外と時間を食ってしまう。

 

がっかりしていてもしょうがないので、大阪、静岡、札幌にファックスを送付しておく。大阪には神戸から、静岡には大

阪から、札幌と仙台にはいったん宇都宮にもどった際に電話を入れる予定だ。

 

 それにしても大分で宿泊した「ビジネスホテル・ボストン」は快適であった。宿泊料金は安いにもかかわらず、数百円

でインターネットが使えた。LANカードとケーブルを無料で貸してくれ、ノートパソコン持参で設定すればいいのだ。こ

れがとても役に立った。チェックインやチェックアウト時、朝食、部屋の仕様など、一切の無駄を削ぎ落としたような運

営であることがこちらにも伝わってきた。また、一時は迷ったものの、プリンタ(Canon BJ M40)を持参してきて本当によ

かった。この点については、機会があれば後に書こうと思っている。

 

服装については、栃木の冬の感覚を引きずり二枚重ねのジャンバーを着てきたものの、大分は意外なほど暖かかった。ジ

ャンバーの内着であるふかふかの部分をはずすことができるようにはなっているのだが、バッグに入り切れないためチェ

ックアウト後は着て歩かざるを得ず、この点は相当しんどかった。道を歩いていてもこんなに厚着をしているのは自分だ

けで、栃木の人々との冬の時期における服装の違いを目の当たりにした。

 

スタジアム関係の部局で少しでも話が聞ければと思い、県の公園下水道課スポーツ公園整備班に電話し、直接うかがうと

技術畑の担当者が資料等を用いて丁寧な説明をしてくれた。ちょうど食堂が隣にあったのでここで昼食をすませる。「だ

んご汁」定食というのを初めて食べる。その名のとおりだんごが入っているのかと思ったら、うどんと似たような平らな

麺がちぎれたような形で入っていて野菜を中心とした具も豊富でとても美味しかった。13階にある食堂からは海を一望す

ることができ、写真を撮ろうとすると、近くで食事をしていた人が上の階にパノラマ式の展望室があると教えてくれた。

そこに行って、写真を撮っておく。

 

大分駅からソニック号という特急に乗ると1時間15分ぐらいで小倉に到着。ここから新幹線ひかり号で新神戸まで2時間

20分程度であったか、イメージしていたよりも時間がかからなかった。疲れもあったが、車中では正直なところ気が重か

った。神戸での調査活動が順調に進むか不安であったからだ。しかしやってみなければ何事も分からない。推進委員会を

起点にしたインタビュができないとすれば、7日はサポーター関係者、地元新聞社、警察関係、スポンサー企業、スタジ

アム担当者などに焦点を絞って回ってみよう。

 

<写真とコメントはこちら>@A大分県庁最上階の展望室から

 


2001年2月7日(水)―神戸における予想外の調査活動の広がり―

この一日で、JAWOC神戸支部、神戸市建設局公園砂防部、神戸市教育委員会ワールドカップ推進室、浜山地区まちづく

り協議会、神戸市兵庫区市民部まちづくり推進課、神戸新聞編集局運動部の方々へのインタビュを行うことができた。事

前の問い合わせでは、調査活動がうまくいく見通しが決して明るいものではなかっただけに、何事もあきらめないことの

大切さを実感した。まちづくりの中心となっている方のエネルギッシュな熱い語り口など、忘れられない1日となった。

やたらと動きまわるのではなく、たとえ準備が不足していても現状の中で最良な活動ルートを見出すように努め、それを

実行する。先述したように「現場は裏切らない」とつくづくと思った。 

 

インタビュでは、当然人を相手にする難しさはあるものの、だからこそ、その何倍もの醍醐味というか面白みがある。話

のちょっとした糸口に敏感になることで、次のインタビュ先が予想もしない展開で広がっていくダイナミックさが面白い。

もしこちらが動かなければ、おそらく一生会うこともなかったような方々と出会い、一定の時間を共有できたことが何よ

りもうれしかった。

 

インタビュの具体的な内容については、報告書にどんどん盛り込んでいきたい。観光地にはどこも行けなかったことなど、

大したことではないと思えるような一日であった。明日の大阪でもうまくいく保障はないが、とにかく今の状況の中で知

恵を絞って、ベストを尽くしたい。たかが一日、されど一日である。相当なことができるはずだ。

さすがに収集した資料が重くなってきた。明朝に宅急便で大学に送っておこう。単独の調査活動は、確かに孤独感と不安

を感じる側面も多いものの、このやり方は自分の性に合っているのではないか。アプローチをする姿勢と意欲をなくさな

ければ必ず一歩一歩進んでいけることを発見・確信できた貴重な一日であった。

 

<写真とコメントはこちら>@AB「神戸ウィングスタジアム」

 


2001年2月8日(木) ―地下鉄に1日中乗り続けた大阪での調査活動―

 神戸から大阪まではJRの快速線で40分弱であろうか。思いのほか近くて驚いた。荷物を持ったままでは動きがとれないの

で、いったんホテルに預けてから出掛けることにする。

 

大阪市教育委員会事務局ワールドカップ推進室、JAWOC大阪支部、大阪市建設局競技整備部、大阪サポーターズクラブで

話を聞くことができた。今日はやたらに地下鉄に乗る結果となってしまった。今日訪ねた大阪市役所の関係機関が分散して

いるからだが、路線を全く把握していないために、乗り継ぎには戸惑った。宇都宮では地下鉄を全く意識しなくても生活で

きるため(というよりは地下鉄そのものがない)、「地上感覚」が染み付いていたせいか、目が回るような感じの一日であ

った。

 

地下鉄で利用した区間は、天満橋―淀屋橋、淀屋橋―梅田、梅田―長居、長居―心斎橋、心斎橋―天満橋といった具合だ。

慣れていない者にとっては私鉄が入り組んでおり、そのたびに切符を買わなければいけないのが面倒であった。途中で1日

乗り放題の乗車券があったと知ったが後の祭り。

 

大阪サポーターズクラブの方と会う前に時間が空いたので、心斎橋で初めてインターネットカフェというものを利用した。

便利なものだ。Hot mailに静岡の推進委員会の方からのメールが入っており、明日以降の調査が良いスタートを切れそうで

ほっとした。また、これから担当者と会うNPOが開設しているホームページにも事前に目を通すことができた。やはり今後

はiモードなどの携帯を持たざるを得なくなるのであろうか。

 

印象に残るインタビュが終わり、ホテルに戻ったのが8時半頃。夕方以降、かなり冷え込んで寒かった。これからは内側の

ジャンバーを付けておいた方がいいだろう。明日早朝に発たなければならないのは少々つらい。

2泊の場合にはある程度荷物を広げる気になるが、1泊だとまた入れ直す手間を考えるとそうはいかない。宿泊先を転々と

した疲れがさすがに溜まってきたようだ。静岡では3泊するので比較的腰を落ち着けて活動できるだろう。段階的に東方面

に宇都宮に近づいていく安心感もある。

<写真とコメントはこちら>@カウントダウンのボールAJAWOC大阪支部の看板BCD「長居スタジアム」 


2001年2月9日(金) ―早朝、大阪から静岡へ―

 大阪から静岡へは新幹線(ひかり)で2時間弱。今回の調査で空路大分まで行き、陸路は鉄道で刻みながら戻って来るとい

うやり方は正解だったと思う。これが逆だったらどうしても心細くなってしまうだろう。静岡市街は宇都宮と似たような雰囲

気だが、海が近いせいか、やや開放的な雰囲気が漂う。県庁近くのホテルをとったのでまず荷物を預け、約束の時間の10時に

静岡県ゆめ未来局ワールドカップ推進室に向かう。ここの担当者が関係部局に話をつけてくれて、おかげで以後のインタビュ

JAWOC静岡支部、県都市住宅部小笠山運動公園整備室、袋井市役所総務部国体準備室・2002年ワールドカップエコパ推進

協議会)は大変スムーズにいった。

 

 ただし、静岡駅から東海道線で1時間弱の袋井市に向かった際、ホームで食べたラーメンがインスタントよりもひどいもの

で胃が気持ち悪くなった(そばにしておけばよかった)のと、袋井駅の停車に気づかず、浜松に行ってしまったのは誤算だっ

た。このため時間的なロスもあり、地元の静岡新聞にアプローチできなくなってしまい残念だった。

 

タクシーの出費は痛かったものの、帰り際に袋井市にある小笠山総合運動公園静岡スタジアムエコパを見に行く。袋井市の

方のアドバイスを受けたおかげで、かなり近くの位置からみることができた。そのままタクシーで掛川駅まで行き、電車で

静岡まで戻り、この日の活動は終了。

 

 そういえばバレンタインデーが近いせいか、百貨店の地下の食品売り場の半分ほどがチョコレート販売で占められていた。

明日、明後日は推進室の方が「いい時に来た」といって紹介してくれた高校生、小学生のサッカー試合を各々、清水と草薙に

見に行かせてもらう。静岡における、サッカーの草の根的活動が蓄積された雰囲気を体験できそうでとても楽しみだ。

 

 <写真とコメントはこちら>@袋井市駅前の掲示立てA市役所ロビーのカウント掲示B事務局机上の飾りCDG「静岡エコ

パスタジアム」E富士山Fスタジアム側からの風景


2001年2月10日(土) ―清水市での1日―

 静岡のサッカー事情については、港町清水に行けば一番感じることができるのではないか、という推進室の方の勧めもあっ

て、今日は静岡県高等学校新人サッカー大会の2次トーナメントを市立清水商業高校に見に行く。静岡から20分程度JRに

乗り、駅から30分近く歩く。清水市商―磐田東、静岡西―浜松西の2試合を観戦。特に前者では「きよしょう」の名で親し

まれている地元高校の試合とあって、格好の観戦席となっている自転車置き場から試合を熱心に見つめる人が多かった。高校

の父兄の方であろうか、コーヒーを出してくれたのには感激した。

 

 2試合目に入る前に偶然声をかけた大会関係者が清商の監督の方で、サッカーというスポーツの素晴らしさ、静岡のサッカ

ー、ワールドカップの課題などを熱く語ってくれた。現場の指導者が語る一語一語にはその人でなければ出てこない説得力と

力強さ・重さがあり、こうした場が持てただけでも、今日清水に来たかいがあったと思った。

 

 徒歩で「エスパルスドリームプラザ」というアミューズメント施設に行く。連休初日のせいもあり大勢の人々が来ていた。

「エスパルス通り」にも行ってみる。ここからすぐの次郎町通りも覗くが、先のプラザと対称的に人通りが全くない。商店

街空洞化の波はここにも押し寄せてきているのだ。プラザとの人ごみのあまりの違いに複雑な気持ちになった。かなりの距離

を今日は歩き回った。静岡では朝晩はさすがに冷え込むものの、宇都宮の比ではない。今回の調査旅行では、どこにいっても

宇都宮の寒暖差の大きさとそれに体が慣れていたことを痛感する。

 

<写真とコメントはこちら>@清水から見た富士山A高校新人戦B港と富士山CD「清水エスパルス通り」E「サッカー塾」

のポスターF清水駅プラットホームの詩 


2001年2月11日(日)―草薙球技場での貴重な経験―

 今日も、一昨日推進室の方から勧められたとおり、草薙(くさなぎ)球技場に向かった。ホテル近くの新静岡駅から都電

荒川線のような雰囲気の静岡鉄道で15分ほど。草薙といえば、現横浜ベイスターズの大洋ホエールズが長らくキャンプを張っ

ていたところである。こども心になじみのあった地名だ。駅近くに「県営草薙総合グラウンド」があり、その一つとして芝生

のサッカー球技場がある。ここで今日は「第33回NTT西日本静岡CUP静岡県サッカースポーツ少年団大会の準決勝、決勝」

(鴨江―新居、蒲原FC―有度ニ)が行われた。

 

 紹介してくれた推進室の方が、インタビュの際、「いい時に静岡に来ましたね」と何回か繰り返したが、全くその通りだっ

た。大会関係者である県サッカー協会少年委員会委員長にあいさつして、スタンドで観戦。試合はしろうとの自分から見ても、

小学6年生とは思われないほどスピーディーかつ組織的で目が離せなかった。

 

準決勝1試合目終了後、驚いたことに「宇都宮大学国際学部助教授、中村祐司様は大会本部席にいらしてください」という

名刺をそのまま読み上げたような大きなアナウンスが場内を流れた。まさか、静岡のこのような場所で自分の名前が呼ばれ

るとは! 応援に駆けつけていたたくさんの父兄も宇都宮から、しかも大学から人が来ているのかという感じで、一瞬不思

議そうな様子であった。アナウンスに面食らいながら、本部に行くと、なんとわざわざ気を使って昼食の弁当とお茶を出し

てくださった。その後はガラス張りの本部席に陣取らせてもらって観戦。そして、非常に紳士的な委員長から静岡のサッカ

ー、スポーツ振興について貴重な話をうかがい、実質的な価値あるインタビュ調査を行うことができた。大変うれしい誤算

であった。

 

ただし、昨日と同様失敗したと思ったのは、聞き取りの際、ノートパソコンを取り出すタイミングを失ったことである。起

動に時間がかかることも躊躇してしまった要因だ。ホテルに帰って手書きのメモをもう一度眺めながら打ち込む作業は、予

想外に時間がかかってしまった。

 

スポンサー、TVが小学生のスポーツ領域にも入り込んでいることなど課題は多いものの、芝生の上で太陽の光を浴びなが

ら、無心にボールを追いかけるこども達の姿に、自分も力づけられたし、今後の研究・教育にあたる勇気をもらったような

気がした。優勝した蒲原の青年監督がインタビュにおいて、練習に時間を取られ、彼の奥さんに迷惑をかけたので、しばら

くは監督の仕事から身を引きたい、と述べていたのが印象に残った。静岡で3泊したのは大成功だった。

 

明日は移動日なのでいよいよ調査活動も今日で一区切りついた。とはいっても14日からは再び羽田発の飛行機に乗ることに

なる。札幌、仙台と4泊5日。自分の責任と判断で計画を立てたのだから文句はいえないし、こんなにありがたい機会が得

られることについては、我が国際学部と文部科学省に感謝しなければいけない。他の開催自治体も本格的に回ってみたいと

いう研究意欲も強いものになった。そして家族の協力も大きく、そうしたもろもろの手助けがなければ、これだけの日程で

宇都宮を離れることはできなかった。

 

しかし、移動移動で精神的・体力的にさすがにまいってきたことも事実である。明日はできるだけ早く宇都宮に戻り、たと

え僅かな間でも次の調査旅行の心配はしたくないというのが正直な心境だ。

 

 一昨日だったか民放のテレビで「嵐の芸能界―天国と地獄」という番組をやっていて、ホテルの部屋で疲れた頭でぼうっと

して見る機会があった。確か1980代の数年間、一世を風靡した漫才コンビの突っ込み役の人が、売れなくなって家でぶらぶら

していると、小さな子供から「お父さんのお仕事は何なの?」と聞かれ、子供にそのように見られている自分に大変なショッ

クを受け、このままではいけないと、一念発起して再スタートを切った(その後もいくつかの壁にぶつかるが)という話であ

った。そして、売れていた時に一番辛かったのはテレビ出演や公演のための移動で、ある時は東京―大阪間を2往復したとい

うことなどを、実際に本人が登場して語っていた。

   

この場面を見た時、ここ数日来、家族から離れ、大学の雑務から逃れて自分が行ってきたことの中身には、果たして胸を張

れるだけの価値があるのだろうか、という迷いが迫ってきた。実際に報告書、そして論文と形にしなければいけないことは

百も承知しているつもりだ。しかし一方で、調査活動に気を配ることから、1日か2日は解放されたいし、それだけのことは、準

備期間も含めてここ数日来やってきたのではないかという思いもある。

<写真とコメントはこちら>@県少年大会トーナメント表AB会場でのポスターC-I試合の様子 

 


2001214() ―札幌はとてつもなく寒かった―

羽田から空路札幌へ。羽田空港で予約しておいた航空券を買おうとすると、既に予約は自動的に取り消されたといわれ、び

っくりする。「e割」といってメールで申し込むと割引がなされるという日本航空のしくみを利用したのだが、話をきくと、

申し込んでから6日以内に航空券をJTB等で買わないと自動的にキャンセルされるという。申し込み画面に書いてあった注

意事項を見落としていたことと、大分に行った時には申し込んでから6日以内にすんなりと羽田で航空券が買えたこともあ

ってうっかりしていたのだ! 利用者にとっては常識的なことなのだろうが、コストの面から痛かった。

 搭乗する予定だった9時40分の便は既に満席なため、キャンセル待ちをするか、次の便にするか、あるいは全日空にするか

のいずれかだという。仕方なく正規料金を払ってキャンセル待ちを選んだ。幸い当初の便には乗ることができ、あっという間

に札幌へ。

 

羽田の掲示板で、札幌の気温がマイナス16度となっており、信じられない思いであったが、やはり寒かった。新千歳空港か

ら40分ほどで札幌駅へ。ここから地下鉄に乗り換えて、まずは荷物を置きにホテルに向かった。

 

ところが、歩道が完全なアイスバーンとなっており、まともに歩けない。しかも、ついていない時にはいろいろあるもので、

ワールドカップ推進室があるはずであった札幌市教育委員会への行き方をホテルの方から間違って教えられ、突き刺すよう

な冷気の中、氷の上をうろうろするはめになってしまった。早くも寒さで足先がしびれて来るし、今までに体験したことの

ない寒さに耳や頬が痛くなってきた。

 

ようやく教育委員会にたどり着いたと思ったら、何と今度は、推進室が別の場所に移動したとのこと。ホームページに掲載

してあった住所を頼って来たのに! そこからまた25分ほどアイスバーンの歩道を何度か転びそうになりながら恐る恐る歩

いていき(これも今考えると市電を利用すればよかった)、ようやく推進室の建物にたどり着いた。受け付けで用件を話そ

うとしたが、頬が寒さのためにこわばってうまく話せないという生まれて初めての経験をした。故郷が南伊豆の人間にとっ

て、札幌の冬の気候はあまりにも強烈過ぎた。

 

ありがたいことに、札幌市教育委員会生涯学習部ワールドカップサッカー推進室とJAWOC札幌支部の担当の方は、事前に

資料を用意しておいてくれ、2人が同時に別室で対応してくださった。どちらも大変エネルギッシュに説明してくださった。

熱心なワールドカップサポーターの方の連絡先を教えてもらったので、電話したところ、これから話しをしてくれるという。

大阪での地下鉄利用の失敗から、今日は地下鉄1日乗車券を購入した。これがとても役に立った。タクシーの中で運転手に

寒さについて聞くと、今年の札幌は雪は少ないものの、寒さはひときわ厳しいとのこと。今日は特に寒い方で、靴底は滑ら

ないようにゴム製のゴツゴツしたものでなければとても歩けないとのこと。そうか、アイスバーンの上を巧みに速足で歩く

人達が多くてびっくりしたが、靴が違ったのか。これは注意しなければいけない。JAWOC支部の方も北海道以外からこの

時期ここに来て、転んで骨折などの怪我をする人がいると言っていた。行動は制約されるかもしれないが、安全第一で行こ

う。急な連絡にもかかわらず、サポーターの方は熱心に話しをしてくれた。

 

札幌の街をそのような目で見たせいかもしれないものの、地上よりも地下街の賑わいがすごい。「大通り」―「すすき野」

の間の地下街から、複数の百貨店にそのまま入っていけるようになっている。ここで弁当を買って、やや遠回りする形で地

下鉄を乗り継ぎ、ホテルに無事戻ることができ、ほっとした。

 

<写真とコメントはこちら>@W杯札幌開催の看板 


2001215日(木) ―札幌ドーム内を見学し感激―

靴下を2枚はいたり、ワイシャツの上に薄い半袖のセーターを着たりして寒さに備える。今日は昨日よりも6〜7度くらい

気温が高い感じがした。地下鉄・バス・市電の1日乗車券を買い(結局、市電とバスは乗らなかった)、まず、地下鉄東豊

線で福住にある札幌ドームへ向かう。駅から歩いて10分とあったが、それよりも近い感じがした。雪空の中にドームがヌ

ッと立っていた。

 

写真を撮ろうとして驚いた。冬空の灰色と白色のドームが重なり、レンズを通してはそこにドームがあるのが分からないほど

ドームと空の境目が分からなかった。

 

 ドーム関係の事務所の訪ねると、いきなりの訪問だったにもかかわらず、市の担当者(札幌市都市局建築部建築企画課)が

ドームの建設過程について丁寧に説明してくれ、さらにドーム内を案内してくれた。このような経験は初めてで感激した。ド

ーム内のエレベータで4階まで上がり、まさに人口的な巨大なスタジアムを上から眺めることができた。シューというドーム

の屋根から雪が滑り落ちる音や展望台などが印象的だった。

 

 その後、北海道環境生活文化室生活振興課余暇・スポーツ係や、北海道警察本部、さらにはオフィシャルショップなどで話

を聞くことができた。移動に際して地下街を歩き回った1日であった。幸いアイスバーンの地上でも転ばずに何とか歩くこと

ができた。

 

 夜、ホテルで何気なしにテレビをつけると、ちょうど「人間ドキュメント」という番組をやっていて引き付けられた。経営

不振から「奈良そごう」の閉店をめぐり、2名の社員を追いかける内容で、1名は住み慣れた奈良から転勤してまでも、あく

までそごうに勤める道を選び、1名は新たな再就職活動はせずに、閉店の日までしゃにむに仕事に従事するというものだった。

一握りの経営幹部により閉店に追い込まれ、職場を追われるという理不尽さ、それにもかかわらず死に物狂いで沈んでいく奈良

そごうのために仕事に従事しなければならない辛さ、ローンを持ち小さな子供を抱えて家族を守るためになさなければならない

決断などが活写されたドキュメンタリー番組だった。「当たり前のように給料をもらい、ボーナスをもらい、組織に属し、とい

う生活が根底から覆される状況に直面した」という社員の話には、思わず自分の職場との対比で考えさせられた。

 

<写真とコメントはこちら>@A大通り公園B-I札幌ドームJコンサドーレ札幌

 


2001年2月16日(金) ―札幌から空路仙台へ―

 きつい日程であったが、朝、札幌を立ち、空路仙台へ向かった。1時間ほどで到着した仙台空港から仙台市内まではバスで30

分強であろうか。風は強かったものの、札幌と比べれば格段に暖かい。駅まで行かずに途中で下車して、ホテルを探して歩いた。

荷物を置き、昼食をすませて急いで宮城県企画部ワールドカップ推進局へ。担当の方とJAWOC宮城支部の方から大変密度の

濃い話をうかがう。充実した資料も予め用意していてくれて本当にありがたかった。

 

同じ建物にあるJ2のチーム、ベガルタ仙台にも立ち寄り、ここでも予想外の丁寧な説明を受け、資料をもらった後、あわて

て本庁の土木部公園緑地室に行く。時間に遅れ申し訳なかったにもかかわらず、ここでもわざわざ時間を割いてくれ、宮城

スタジアムをめぐる建設経過と機能の概要についての話を聞くことができた。サポーターのボランティアクラブの方と接触で

きなかったのは残念だったものの、それ以外は推進局の方の全面的な協力のおかげで、限られた時間の中で効率のいい調査活

動ができた。

 

明後日は移動日なので、残すところあと1日。知力と体力が問われる毎日であったが、何とかここまでたどり着いたという感

じ。明日は特に午前中、集中してぜひいい形で締めくくれたらと思う。

 


2001217日(土) ―宮城スタジアムは遠かったが、見応え十分であった―

 スタジアムのある利府町の対策協議会において中心となって活躍されている、ニュータウンの住民で、大学で教員をされてい

る方と9時に大学の一室で会う。まさに住民自治の実践を絵に描いたように貫徹されており、1時間弱のお話の濃密さに引き込

まれた。また、インターネットの活用をめぐる姿勢についても強く共感し、力付けられた。それにしてもインタビュの最後をこ

のような充実した形で締めくくることができてとてもうれしい。

 

 そのまま、地下鉄で仙台駅に戻り、東北本線下りの岩切乗り換えで利府町に向かうものの、乗り換えに50分近く待たされた。

確かに交通の便が悪い。おまけに利府町からバスに乗ろうとしたものの、いつ来るか分からない。徒歩でスタジアムを目指した

が、道に迷いそうになったりして50分ほどかかってしまった。坂をのぼったこともあり相当足に来ていたものの、ここまで来た

からにはと、運動公園の展望台に上り、スタジアム全景を撮影した。スタジアムの形状が非対称であるがゆえにかえって魅力を

感じ、何枚もシャッターを切った。ぐるっと周囲を回り、ようやくスタジアムの受け付けにたどりつき、だめもとで中を少しで

も見せてくれないかと頼むと、何とトラック内を案内してくれた。何か息遣いをしているかのような無人の観客席とフィールド

に囲まれ、不思議な気持ちになった。

 

 帰りは予めバスや電車の時間をメモしておいたことも幸いして、すんなり仙台に戻ることができた。市営地下鉄の一日乗車券

を朝買ったのだが、それに反して何だか、市街を歩きたくなり、繁華街をぶらぶらした。ホテルへの帰途、仙台市役所前広場で

「星空ライヴ実行委員会」の方が声を掛けてくれて、天体望遠鏡を覗いてはどうかという。木星の縞模様とその一列にならんだ

衛星が目に入ってきた。最後にちょっとしたプレゼントをもらったようでうれしかった。

 

 大分からの一連の調査活動を通じて何人の人々と会ったのだろう。インタビュの設定、質問の内容、話の引き出し方など未熟

だらけで赤面することも多かったし、生半可な知識で今回の調査に臨んだだけに、やはり現実は甘くはなかったと痛感した。

 

しかし、予想していた何倍以上も得るものは大きかった。何よりも多くの「出会い」があったことがうれしい。そして総じて

出会った人々は皆やさしかったし、誠意をもって対応してくれ、各々の職場・ポジションで真摯に仕事に従事されていた。各

々の都市の個性もそこに住む人々の雑踏に入り込むことで、ほんの少しではあるが肌で感じることができた。

 

やはり自分は宇都宮大学国際学部を拠点に、研究・教育生活を送っていくのだという当たり前のことも再認識した。俗な言い

方だが、世の中捨てたものではない、ということか。どの地域に住もうとも、学ばんとする意思を持ち続ければ、何事かを達

成することは可能なのだ。どこに住むから得で、どこに住むから損だということはないのである。何かの縁で住むことになっ

たその地域での生活を築き上げていくのは他ならぬ自分自身なのであり、その中身に責任を持つのも自分自身なのだ。そして

今回の単独での調査活動において、家族の大切さを再認識した。家族あっての自分なのだということがよく分かった。後で読

むと何だと白けた気分になるかもしれないが、普段の生活の中ではつい見失ってしまうがゆえに、このことはここで一言記し

ておこう。

 

これからも行政学の視点から、スポーツ政策に関心を持って追求していこうと思う。ここで終わっては何にもならないので、

宇都宮に帰って、できるだけ早くやり残した気の重い他の仕事を終わらせた後、報告書作り、そしてそれをもとにした論文の

作成に取り掛かりたい。

 

<写真とコメントはこちら>@A新しい道路建設B宮城県総合運動公園C宮城スタジアムDニュータウンEスタジアムF横

断幕G-KスタジアムL<今回の調査活動の道具>

 


                                                                       

*この調査活動は文部科学省の研究助成(奨励研究A)を得て行いました。