『経済のグローバルとナショナリズムの中の日本』


宇都宮大学国際学部 長田 元

このレポートは、私が今の日本に必要なものと感じるものを、ひとつのレポートにまとめたパッケージである。

 

第1章 グローバル経済と日本  

どうすれば日本の経済は復活するのか レーガン大統領の減税 強い企業と税制改正  経済的勝者、累進課税、規制緩和 第1章の総括

第2章 自由貿易確立へ向けて

 

第2章 ナショナリズムと日本 

19世紀後半から第二次世界大戦までのナショナリズム  戦後のナショナリズム 現在のナショナリズム  第2章、及びレポートの総括

 

 

第1章 グローバル経済と日本

 

   アジア太平洋の地域の経済成長は著しい。その中で日本が果たすべき役割は大きいのであるが、国内を見た場合、このような状態でその役割がつとまるのであろうか。どうすれば日本が再生するかを考察したい。 


   どうすれば日本の経済は復活するのか? 


  私は日本経済を活力あるものにするためにレーガンが行った改革を参考にしたい。日本経済再生のモデルとなるものはレーガノミクスしかないと思っている。なぜなら、今の日本に必要なのは、世界規模で勝ち抜くことができる企業を作ることと企業の独占を助長しているような規制をなくすことだと考えているからである。


   現在の日本経済は、必ずしも当時のアメリカ経済と一致するわけではないが、大いに参考にすべき改革だと思う。ただし、先ほど述べたように、80年代のアメリカと今の日本では多少状況も異なる。レーガノミクスのころと違い今の日本には資本は豊富にある。


   だが、企業減税など、サプライサイドを意識した税制改革は重要であると考えている。サプライサイド・エコノミクスとは簡単に説明すれば、先ほど述べたマネタリズムに基づいた理論で、生産能力を高め(供給拡大)、モノの価格を下落させ、そして、消費意欲を拡大させる。それ(需要拡大)がさらに生産意欲を高め(供給拡大)ていくようにと次々と繰り返すことである。サプライサイド政策によって、資本・労働・技術の質を高め、投入要素を強化することで生産が高まるからだ。生産が高まれば、我々の所得は増える。(生産が増えるということは売れるということだから。企業は無駄な生産はしない。)それによって消費や投資も増える。供給の拡大は需要の増大に繋がる。


   また、日本の改革をEUや北欧諸国に見習えという意見もあるがその方々にはこのように反論したい。『EUや北欧諸国に見られるような福祉国家は現在、具体的にスウェーデンなどの福祉国家は、税制などで、福祉政策の見直しを行っているということ、福祉国家に見られる現象として累進課税と大幅な消費税増税により、納税者の負担は増し、政府の機能が肥大することで多くの無駄が生まれているからだ。福祉国家の建設は、国中借金だらけで財政難に悩んでいる今の日本にはさらに負担になるだけである。よって、福祉国家を目標とする国家建設は行うべきではない』と。私は、福祉国家よりレーガンを見習うべきだと思う。
 ここではレーガンが行った数々の政策の中でも日本の経済構造改革にとって有益なヒントを与えてくれる税制改革について考察したい。 

    レーガン大統領の減税 


   税率引き下げのインセンティブが与えられると、国民の収入増がもたらされ、それがひいては税収増につながるとの考え方に基づいた政策。 
1所得税減税 それまでの14%〜70%の税率は、減税措置後には10%〜50%になった。 
2投資減税  投資資産の減価償却の短縮をはかった投資減税の規模は、81年度は約25億ドル、82年度は約97億ドル、83年度は約186億ドルであった。 


  規制緩和、キャピタル・ゲイン税率の引き下げ、法人および個人所得の税率引き下げは、起業家精神を奮い立たせることが目的であった。企業間の競争を促すための規制緩和は、資本や労働の再配分をもたらした。キャピタル・ゲイン税率の引き下げは、企業の設立というリスクに対する報酬は高いということを認知させた。 


  レーガンの税制改革はインセンティブに働きかけるという意味で、サプライサイドを重要視した税制改革であった。さらに、競争のために起こった技術の向上は、多くの中小ベンチャー企業の創出させた。これらの一連の改革はアメリカ経済の復活とグローバリゼーションという結果をもたらした。 


  さらには、ベンチャー企業育成の際に、株式市場での公開基準の引き下げと同時にディスクロージャーの徹底、また年金等機関投資家の運用規制緩和等の制度整備も併せ行われてきた。 


  だが、こうした規制緩和は、市場への新規参入を促すため既存企業の従業員の解雇を促進させた。短期的には雇用の減少であった。しかし、その後、規制緩和によって生産性が上昇し、その結果、デフレが需要を大きくすることから、長期的には雇用の創出に大きな貢献をした。 


  次に、レーガンがこのような政策を貫いた背景を述べておく。レーガノミクスにはマネタリストの理論を重視するという背景があった。これは当時のアメリカにおいて経済理論の中心になっていたケインジアンがもはやアメリカを救ってくれる見込みがなかったからだと考えられる。 

 

  ここで、マネタリズム monetarismとは、簡単に述べるなら、政府は公共事業をやめて、経済の回復を市場や企業に任せればよいという考え方である。通貨政策が経済政策で重要だと考える人々のこと。失業は短期的減少であり、実質賃金率の低下により解消し、長期的には自然失業率に対応する国民所得にいたる立場を取る。インフレ抑制を重視し、財政支出拡大による景気刺激策を否定する。


  そして、ケインジアン Keynesianとは簡単に述べれば、政府は公共事業などで支出を増やし、公共事業によって雇用を作ればよいという考え方である。価格調整よりも数量調整を重視し、総需要が総供給量と国民所得を決定するという立場を取っている人々のことで、失業においては、総需要を増大させる裁量的政策が有効であると考えている。政策では、完全雇用と経済発展とのために私的経済部門への国家の積極的介入を主張している。


  30〜40年間、アメリカ経済政策の中心として位置してきたケインズ経済(ケインジアン)は、もはや破綻していた。ケインジアンの理論の中核であった、公共投資(公共事業)を増やしても雇用や賃金が上昇しなかったからだ。


   そこで登場したのがサプライサイド・エコノミクスである。レーガンはこれによって消費を盛り上げ、景気を回復させようとしていた。


   つまり、生産能力を高め、供給を増強し、物価を下落させ、それによって需要の拡大を図るというものである。供給の拡大によって雇用を増やし、所得を増やそうとする考え方だ。レーガンは減税を行い企業投資を促進させることによって、供給力、生産力の拡大を目指した。 


  レーガノミクスの結果はご存知のとおりである。アメリカは当初、減税と軍事費拡大の二つの赤字、いわゆる『双子の赤字』に苦しんだが、減税は労働者の労働意欲を奮い立たせ、民間部門で競争を通じた効率化や技術の向上に加え、非製造業を中心に多くのベンチャー企業の創出に繋がっており、90年代の景気回復・拡大、そしてグローバルスタンダードの原動力の1つになった。レーガノミクスは今のアメリカの繁栄に直結した政策であった。 


  現在のアメリカの繁栄はレーガノミクスの賜物である。自由な市場の下、マイクロソフトやamazon.com などのIT関連のベンチャー企業を生み出し、これらのベンチャー企業が、成長し巨大化し、今のアメリカ経済を引っ張っている存在になっている。


  では、これを踏まえて、日本はどのようなことをすればよいのか。ここからは私が考える経済構造改革に必要なものを述べたい。ここで抑えておきたいことは経済力を決定する要因は『資本』『労働力』『技術』の3つである。 


@日本の景気回復に必要なものは自由な経済と強い企業。 
A日本企業の地方税負担を見直し。 
B日本の財政再建(経済政策)に必要なものは競争に勝った勝者に優しい税制。 
C業者を保護している規制緩和(消費者保護の目的から外れたもの)



@ とAの強い企業と税制改正について


   ここで@の日本企業の地方税負担見直しについて簡単に解説させていただきたい。私は日本経済の復活には強い企業を作らなければならないと述べてきた。強い企業とはどのような企業だろうか。それは、大きな資本と、質の高い労働者、競合する企業より高度な技術を持っている企業のことではないだろうか。そのうち資本獲得と労働者獲得は企業側の問題であるから、今回のレポートでは触れないことにする。 


   しかし、技術開発には国の税制が深く関係している。技術開発に必要なものは資金と人材である。このうち人材は企業側の問題であるが、資金の一部は法人税として国と地方に持っていかれる。しかもその額が他国のより多い。これは技術開発を阻害し競争力の低下を引き起こす。他国は企業に対して日本より優しい税制で対応している。それは企業の技術開発と国際競争力を強めることに直結している。 


   国際競争力は重要である。なぜなら、現在は企業の規模が大きくなればなるほど、経営がグローバルであり、外国企業との競争も激しく、大企業の下請けの中小企業に与える影響も大きいからだ。 


   日本企業の国際競争力がなくなると相対的に外国企業の力が強くなり、日本企業が弱くなる。こうなったら、企業は業績が悪化し、下請けにそのしわ寄せがいく。業績が悪化すると、企業の生産力が低下し、安定して製品を供給できなくなる。さらに、業績が悪化するということは、企業の利潤が減少するということである。設備投資もできなくなる。雇用の面でも影響がでてくる。これでは、強い企業を作ることはできない。経済再建を実行することはできない。


   さらには政府の法人税の税収も減ってしまう。国際競争力をつけるための技術開発を助長させることは経済再建をするために重要である。法人税税負担を少し軽減し、企業により多くのお金を残すことが技術開発につながる。それは企業の競争力をつけることと、業績アップをもたらし、国は最終的に法人税の税収アップという形でお金を得ることができる。次に示す資料は法人税に関するデータである。



参考資料       

地方法人税の税率の国際比較       財務省より  http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/083.htm 日本の税収の状況(平成10年度決算額)                          総務省 http://www.mha.go.jp/c-zeisei/001.html  より
税収 割合 地方 税収 割合
*1事業税と住民税の事をさす。
所得税 169961 34% 法人道府県民税 8576 2,4%
法人税の地方税率*1 法人税 114232 23% 法人市町村民税 22915 6.4%
日本 14% 消費税 100744 20% 法人事業税 42114 11.7%
アメリカ 9% 国税計 494319 100% 地方消費税 25504 7.1%
イギリス 0% (税収の単位は億円 割合は%) 地方税計 359222 100%

 


   これでは、日本企業同士の技術開発競争なら同じ土俵に立てるが、他国の企業との技術開発競争には不利である。経済のグローバル化によって企業規模が大きくなればなるほど国際競争力というものが重視される。日本企業の資本獲得能力、労働者の質は特に問題ないが、技術開発で差をつけられると相対的に国際競争力が低下し、国内の経済は活力を失うことになる。データを見る限りでは国税の税率は世界最低水準なので負担軽減は難しそうであるが地方税の負担軽減はできそうである。したがって、この地方税負担の額を大幅に削減する必要があるのではないだろうか。 


   私はこれを半分にすべきだと思う。なぜかというと、本来ならイギリスのように0%にすべきなのだろが、急激にこれを行うと、地方の予算の埋め合わせが大変になるからである。現時点では50%カットで対応したい。表を見ても分かるように法人関係における地方の税収は約7兆円である。これを3兆円にしたい。企業側は4兆円を技術開発なり設備投資に消費することができる。


   だが、地方にとっては4兆円の減収である。 もちろん、その埋め合わせもしなければならない。それには今から示すA、B、Cの三つの選択肢がある。A消費税の2%税率アップ、B政府の歳出削減、C国債発行である。この3つで対応するのが最も早く行えるからだ。Aでやろうとすると、表にもあるように現在の消費税による税収は10兆円である。5%で10兆円なので、1%では2兆円である。つまり、消費税率2%の増税でこの埋め合わせができる。現在の消費税率は5%であるがそのうち1%は地方消費税として地方にいっている。これを3%にすることで埋め合わせを行いたい。 


   だが、これだと単なる増税になってしまい、私が今まで述べてきた減税を中心とする経済政策には逆行してしまう。それで短期的に大規模な所得税を減税したい。これは、消費税率が上がると消費意欲が低下するための対策で、目的は消費のインセンティブをさらに向上させることにある。現在の所得税の税収は約17兆円である。これを4兆円減税することで対応したい。所得税の17兆円から13兆円になり約20%の減税である。こうやって一気に消費性向を盛り上げたい。 


   ポイントは、この減税は短期的な減税であるので、中・低所得者層に優遇した減税であることである。購買力が小さい所得層に消費インセンティブを与えることで消費性向を引き上げたい。


   だが、これでは±0で意味がない。そこで、政府の徹底的な緊縮財政が要求される。結局のところはBの政府の緊縮財政にかかっている。政府には必要性がない公共事業や肥大した福祉政策を見直すことで何とか4兆円、できればそれ以上を確保してもらいたい。必要のない公共事業や福祉政策の例を挙げると限がないのでここでは具体的に示さないが、歳出削減は徹底的に行っていただきたい。これができるかどうかが税制改革の大きな分岐点になるのだから。 


   もし、全力を尽くしても4兆円を節約することができなかった最終手段のC国債発行もしかたないと思う。その際、十分に注意しなければならないことは、この国債は、減税の埋め合わせをするために発行するためであり、今までばら撒いてきた建設国債のようなものではない、あくまで減税の埋め合わせのための国債であるべきだ、ということである。私は、税収の増大=経済成長という目的のために発行される国債や、短期的な財政赤字は仕方のないことであると考えている。


   本来なら政府が財政出動をおさえ4兆円以上の出費をなくせば増税も減税もすることなくこの目的を達成することができるのだが、なぜ私が消費税の増税と所得税の減税という分かりにくい税制改革を示したのか。それはこれを期に政府の税収を所得税中心から消費税中心にしたかったからである。


   消費税を増税することは、今までよりさらに一人一人公平に税金を負担してもらうことになる。道路の使用や、救急車の出動など国民一人一人が税金によって受けるサービスはみな等しいのだから、当然、払う税金も平等であるべきだ、ということである。そして、所得税を減税することによって、消費と投資意欲を向上させる。これで、企業の技術開発と平等な税金、そして、消費意欲を向上させるという3つのことを一度にやりたかったからである。さらに、なぜ消費税を増税し、所得税を減税することが公平な税なのかは次のB、Cの経済的勝者と累進課税のところにも関連しているが、先に述べたように、国民一人一人が税金によって受けるサービスはみな等しいのだから、当然、払う税金も平等であるべきだからだ。 


   また、『いくら所得税を増税しても、消費税が上げれば消費意欲は向上しない』という考えをもっている人に対してはこのように反論したい。『確かに消費税があげれば消費意欲は少なくなるが私が提唱するサプライサイドによる政策によってモノの値段は低下し(安くなり)、これまでより安くモノが買えるようになる。これなら、税率はあがってもモノの値段自体が安くなるのだからみんな今よりモノを消費するようになるよ』と。本来今まで述べてきた、サプライサイド政策の目的にはモノの値段をさげ、消費する意欲を増やすことにある。


   極端な言い方だが、消費税5%の時は10000円のモノを買うと10500円であった。7%になると10700円になる。しかし、物価が5%下落して10000円のモノが9500円になると税率7%でも10165円になる。これは消費税が5%の時よりも335円モノを安く買えることになる。物価が5%以上下落する保障はないが、たとえ物価が5%も下落しなかったとしても大型の所得税減税である。お給料も今までより多く残ることになる。したがって、消費税をあげても物価の下落で消費は拡大する。 


  資本・労働・技術の質を高め、投入要素を強化することで生産を高める。生産が高まれば、我々の所得は増える。(生産が増えるということは売れるということだから。企業は無駄な生産はしない。)それによって消費や投資も増える。供給の拡大が需要の増大に繋がる。 


 B、C 経済的勝者と累進課税、そして勝者を生み出す規制緩和について

  

  経済的勝者の多くは競争に勝った人のことである。この勝者のほとんどは社会に新たな価値を作り私たちを豊かにしてくれた人のことである。私たちを幸せにしてくれた勝者を冷遇する累進課税は勝者にやる気を無くさせるのではないだろうか。そのことは社会全体にとって不利益になるのではないだろうか。勝者の多くは次の価値を生み出すためのやる気と能力があるからだ。 


  経済的勝者=競争に勝った人・安く質の高い商品を供給できた人・便利なものを作った人・価値を創造した人・喜びをもたらした人・幸せをもたらした人。 


   だが、経済的勝者の中には政府による業界保護という規制によって守られ勝利してきた人々もいる。代表的なのがNTTである。NTTは政府の過大な保護を受け、つい最近までNTTは通信事業を独占し、その利益をも独占してきた。規制は消費者保護を名目にしている。NTTの場合はその趣旨に加えて、日本における通信分野の技術の育成という目的もあったかもしれない。だが、規制のほとんどは既存の業者の保護にすぎない。規制は当初、何らかの適切な理由があって作られる(消費者保護や技術育成)。しかしながら、技術の進歩や生産性の向上、サービスの需要・供給が安定するにつれて、次第に本来の目的がなくなり、業者保護に過ぎなくなる。 


   通信分野における規制はNTTの独走を許し、他の企業の参入を困難なものにし、通信業界全体が硬直してしまった。その結果は通信分野のインフラ整備や電話料金といったサービスの面で顕著に表れている。私は勝者は公平に評価されなければならないと先ほども述べたが、競争を拒み(結果として拒み)、独占の元で勝利してきたものは評価すべきではないと思う。彼らは我々消費者が本来受けるべきであったサービスの提供を阻害してきた存在であるからだ。彼らを競争の中に引き入れ、新規に参入してきた他企業と競争させることによって、我々は以前より安く、より質の高いサービスを享受できる。そのような観点から消費者を保護する目的から外れてしまった古い規制はそろそろ撤廃すべきなのではないだろうか。 

 

第1章の総括



  私は鉱物資源の少ないにもかかわらず世界第2位の経済力を短期間で築いた日本を世界の経済発展のモデルであると考えている。日本は歴史上ずっと『人材大国』として生きてきた。資源の少ない小さな国が短期間で高い生活水準を築くことができたのは『優秀な人材を育成する教育』にあったのではないだろうか。今回のレポートでは 『資本』 『労働』 『技術』を生み出し、これらを合理的に使用することのできる人間の育成、つまり教育がもっとも重要であると感じた。 


  私は、インフレ抑制の重視し、強いアメリカを作り上げたレーガノミクスを日本も大いに参考にすべきだと考えている。レーガノミクスの「規制緩和」と、「小さな政府」には日本にもアメリカと同じようなメリットをもたらすのではないだろうか。なぜなら、今の日本が抱えている行政改革、財政政策はレーガンが実行した諸制度の改革にかなり類似しているからである。 


  私は、インフレ抑制を重視し、強いアメリカを作り上げたレーガノミクスを日本も大いに参考にすべきだと考えている。レーガノミクスの「規制緩和」と、「小さな政府」には日本にもアメリカと同じようなメリットをもたらすはずである。


  私は、この世紀は政府は市場経済における短期的な弊害の解消するための組織であるべきだと思う。経済の分野においては、市場が1番、政府は2番である。政府は市場で起きる短期的な障害をできるだけ少ないコストで解消する機能のみを有する組織になるべきだ。それは、一時的な円高・円安や一時的なインフレ・デフレの調整などである。


  さらに短期的な障害を解消する機能とともに経済活動と同時に発生する負の要素を解消する機能も持ってもらいたい。それは、環境問題、大気汚染に環境税などの税制の面で規制を加えるという機能である。こうした問題は政府が取り組まないと市場だけでは解決できない。 


  自由な市場では市場に任せておけば新規参入が起こり、長期的に見れば消費者の利益になるように導いてくれる。市場では淘汰が起こる。そしてそのような市場は一国から全世界に広がろうとしている。90年代のアメリカ経済の中心は、ITだったと思う。そして自由で競争が活発な市場があったことだと思う。 アメリカの軍事技術の民間への移転はIT革命を引き起こした。レーガノミクスは自由な市場を作り、それがグローバリゼーションになり世界に単一の市場を作り上げた。



  だが、数年前のWTOの会議や2001年に開かれたダボスの経済会議を妨害する行動を見せた団体が存在していることからも分かるように、グローバリゼーションに対する反動や反対もある。グローバリゼーションの進行に対しては賛否両論があると思う。


  しかし、私はこう言いたい。『グローバリゼーションには長所短所があるだろうが、経済のグローバル化には圧倒的なメリットがある』ということを。それは何か。それは自由貿易が促進するということである。日本を含め、世界は自由貿易によって巨大な利益を得ることができた。今後も自由貿易の維持し、さらに発展させていくような形になっていってもらいたい。

 

  経済の分野においては現実に、そして確実にグローバリゼーションは進行していると思う。そして、この動きは止まらないだろう。経済のグローバル化は世界中の市場を一つにした。このことの意味と重要性は大きい。自由貿易によって世界各国は膨大な利益を享受することができた。世界各国が経済発展という共通の目的を達成しようとしているため、自由貿易を通じて協調しようとする。そのことで、世界を一時的であるが安定した状態に保つことができる。復活した日本経済はこれに大きな貢献をするであろうし、そのことで日本も膨大な利益を得ることができる。

  

  現在、日本経済はなかなか不調から抜け出せない状況にある。私は、このレポートで述べた、レーガン政権が行った改革と、私が述べてきたサプライサイドを重視した一連の改革を行えば、日本経済は必ず復活すると信じている。

 

  次の章では、自由貿易やグローバリゼーションに密接に関係しているナショナリズムについて述べたい。第2章では、グローバリゼーションが浮き彫りにしたナショナリズムに対して、日本がどのように対応していかなければならないのかを述べたい。なぜ、ナショナリズムと経済のグローバル化が関係しているのかの説明については、恐縮であるが、経済のグローバル化が現在のナショナリズムを浮き彫りにし、冷戦後の紛争や新たな安全保障体制の模索の一因ではないだろうかということのみ述べさせていただきたい。

 

 

第2章 ナショナリズムと日本

 

  ナショナリズムは国民国家の概念のもとに誕生した。当初は納税、兵役の主体である国民、及び国民国家の利益を最優先に考えるという考え方であった。しかし、19世紀の世界分割に見られるようにそれを最後まで突き詰めていった行為が他国の侵略であった。



  この章ではナショナリズムがどのように変容していったかを考察すると同時に私たち日本人のアイデンティティを育むにはどうしたらよいか、そしてこのレポートの総括を行いたい。 


19世紀後半から第二次世界大戦までのナショナリズム



  19世紀の半ばから20世紀の初頭までこの行為は熾烈を極めた。西ヨーロッパを中心とする欧米列強が帝国主義(領土拡大)に基づき、世界の分割、他国の植民地化を始める。私は今後、これら植民地獲得の行動をテリトリーゲームと呼ぶことにする。このテリトリーゲームにヨーロッパ列強に少し遅れて参加したのが日本とアメリカであった。 


   アメリカは第一次世界大戦中の特需と戦後のヨーロッパの経済力が衰えたことなどにより、工業、農業、金融などあらゆる産業で急激、かつ圧倒的な影響力をもつ国になった。アメリカの工業生産は1929年で世界全体の42%になっていた。また、1923年末には世界の金の半分を保有していた。このため、金融の中心はロンドンからニューヨークへ移っていた。バランスシート上でも、債務国から債権国になり、政治的発言力も次第に強くなっていった。ヨーロッパへの投資も急激に増えていった。そして、有り余る製品の供給先として中国を狙っていた。


   19世紀の後半から、20世紀にかけてアメリカは、急激に力をつけると同時に、中国市場の獲得を狙っていたのであるが、ここでアメリカは思わぬ伏兵に遭遇することになる。その伏兵とは、言うまでもなく日本である。日本もアメリカ同様、第一次世界大戦で急激に経済力をつけた国であった。日本もアメリカ同様、製品の輸出先を確保しようと、距離的に近い中国市場に目を向けることになる。ここで両者は中国市場をめぐり対立する。


   とは言っても、経済規模、技術力、軍事力では、当時の日本はアメリカに対抗することは難しかった。ここから、アメリカの一方的な日本叩きが始まる。始めに行われた日本弱体化計画は1921年の『四カ国条約』の締結である。この条約により、日本は日英同盟を破棄され、日本はイギリスというヨーロッパ最強の国の後ろ盾を失うことになった。 


   さらに、アメリカの日本たたきは熾烈を極める。一年後の1922年には『中国に関する九カ国条約』が締結される。この条約の背景には第一次世界大戦後のナショナリズムの台頭や中華民国の戦後処理がスムーズに行かなかったという背景がある。だが、それ以上にこの条約締結に重要だった要素は、アメリカの主張である門戸開放を推進し日本を弱体化させようとした背景があったことだ。第一次大戦中に日米で結ばれた石井=ランシング協定(日本の中国における利益を認める変わりに、アメリカの主張の中国門戸開放を承認)の廃棄を迫った。 


   こうして戦後、アメリカの日本弱体化計画は着々と進行し、日本とアメリカは激しく対立することになる。また、忘れていけないことは当時のアメリカが世界最高の関税率を設定していた国であったということだ。これが、第一次世界大戦後から世界恐慌までの大まかな日米関係である。 


  これから約20年後、アメリカは日本と戦争を始めることになる。太平洋戦争である。ここで重要なことは、アメリカも日本も互いに戦争を始める理由として戦争を始め侵略し征服しようとする気はなかったということだ。日本は、日中戦争の天然資源の不足から南方に進出したのであって、アメリカ本土の領土を侵略しようとしていたわけではない。アメリカにしても、事実関係は曖昧であるがRemember Pearl Harborという言葉を合言葉に、真珠湾攻撃の借りを返すために日本との戦争を開始した。 


   ところでなぜ両国が本格的な戦争を始めることになったのだろうか。それはこの戦争が日本とアメリカという大国の中国市場をめぐるテリトリーゲームであったからだと思う。先に私が述べた、ナショナリズムを背景とした植民地獲得競争であったということである。日米両国は西ヨーロッパ列強よりすこし遅れてテリトリーゲームを開始した。その両国が極東を舞台にヨーロッパよりすこし遅れてテリトリーゲームを開始したのではないだろうか。 


   私は日米間の中国、太平洋諸国を舞台にした戦争をこのように分析している。したがって先に示した理由から私は現在の多くの日本の歴史教科書やGHQの示しているような、日米間の戦争はファシズム対民主主義国家の構図ではなかったと考えている。 


   戦争の結果はご存知のとおり日本の敗北に終わり、日本だけでなく、世界中で多くの人々が亡くなられた。そして、日本はアメリカを中心とする連合国の管理下に入る。


  この戦争の結果は日本だけでなく、アジア各国に様々な形で影響した。当時アジア諸国が欧米列強の支配下にあったことは歴史的事実であるが、戦争中、日本がアジア各国に進出したことが原因で結果的にアジア諸国は欧米列強から解放された。そして、『大きな戦争の後には必ずナショナリズムが台頭するという法則』のもと、アジア諸国にもナショナリズムが芽生え、各国は独立していくことになる。 


   それ以降、日本を含め、欧米列強はテリトリーゲームを目的とした他国侵略は一切行っていない。二次世界大戦により列強による植民地争奪戦というものは終了することになる。戦後のナショナリズムはテリトリーを獲得することから経済的な影響力を獲得すること、つまり市場を獲得し、経済力によって覇権を握るという形でナショナリズムが台頭することになる。ナショナリズムを遂行する手段はここで完全に変化してしまったのではないだろうか。 

 

戦後のナショナリズム




  私は、第二次世界大戦とは、ナショナリズムを遂行する目的が、植民地争奪から経済覇権に変わった時期であると考えている。そして、このナショナリズムに見事に適応したのが日本とNIESであったと思う。特に日本は鉱物資源が少なく、国土も小さいが内需拡大と公共投資、そして、戦前の技術力を背景に産業を育成し貿易を盛んにするというやり方で圧倒的なスピードで経済発展を遂げることになる。NIESもこの動きに続きて経済発展を遂げることになる。アメリカは言うまでもなく圧倒的な力を持っていた。 


   一方で、ヨーロッパとアフリカはアジアと全く逆であった。戦後、ヨーロッパの経済は復興するが、世界における影響力はスエズ戦争を見れば分かるように下がる一方であった。と同時にアジア・太平洋で起こっている経済発展を背景にした経済のグローバル化に対抗するために統合という地域主義で対抗することになった。アフリカはヨーロッパの富の搾取という目的のみで行われた植民市政策によって未だ、混迷から抜け出せない。 


   一方、日本は少し違っていた。特に台湾に対しては。それが、搾取や日本国内のためという目的があったということは事実ではあるが教育水準の向上や治安の維持、そしてインフラの整備に積極的な投資を行った。


  確かに、日本は台湾を侵略し占領し、搾取したと思う。悪いことをしたと思う、申し訳なかったと思う。だが、搾取するだけではなかった。 教育水準は占領前の台湾よりも上がっていたし、伝染病の発生率も下がった。上水道も整備され占領前より住みやすくなったはずだ。そこにアフリカと台湾の差があるのだと思う。


   念のため述べておくが、もちろん台湾統治中に日本が行ったことを100%肯定する意味で言っているのではなく、それを誇らしく思っている意思も全くないということを。

 

  話を戻そう。私は、現在のグローバリゼーションの源流は、アメリカの経済力、アジアの経済発展であったと考えている。そして、80年代のアメリカにおける経済立て直しのために行われた一連の大改革は、この流れを決定的なものとした。レーガン政権の規制緩和とサプライサイド政策は、見事にマッチし、競争を背景としたフェアな市場を作り上げた。この市場は、貿易という行為を通じて世界中に波及することになる。


   経済覇権というナショナリズムが引き押した経済・市場のグローバル化は、ナショナリズムから離れて自ら拡大していった。そのグローバルな市場では人、財、マネーがとてつもないスピードで移動し、多国籍企業と呼ばれる巨大な資本を持った企業が、世界規模で経営を展開するようになった。この動きは70年代からヨーロッパにも波及し、EUという連合体はアメリカ型のグローバル経済に組み込まれてししまった。 


   同時に軍事技術の民間移転は通信技術の発達に多大な貢献を行い今日では情報がマネー以上のスピードで移動するようになった。そして、その情報は一部のごく限られ人々が知ることができるのではなく多くの人々がインターネットを通じてその情報を手に入れることができるようになったのだ。 


  そしてこのグローバリゼーションは新たなナショナリズムの遂行手段を生み出すことになる。それが今日、私たちが良く耳にする『冷戦後のナショナリズム』である。私はこの冷戦後のナショナリズムを自分たちの文化、そして自分たちの種類を規定する民族、宗教を背景にしたナショナリズムであると考えている。 

現在のナショナリズム



   経済のグローバル化は自由貿易によりさらに促進され、世界に膨大な利益をもたらした。だが、経済力を背景とするナショナリズムには、先に述べた長所ゆえに引き起こされる短所をも含んだナショナリズムでもあったと思う。私は、世界各国(世界各国の一部の人々)が、ナショナリズムによって自国の文化やアイデンティティが自由貿易市場に侵食されると恐れるようになったのではないかと考えている。


  次にそういった点から今の日本を考えてみたいと思う。私は、先ほどから何度も教育の重要性を説いてきた。それは経済覇権であろうと、アイデンティティであろうと同じである。冷戦後のナショナリズムは文化を背景としたナショナリズムである。当然、文化というものが勝敗を分ける要素になってくる。 


   そして、経済のグローバル化である。経済のグローバル化は経済覇権というナショナリズムから発生したものであるが、もはやこれは完全に独立してしまい、市場が持つ自己拡張という特殊な機能から自らその規模を拡大している。つまり現代は経済のグローバル化と文化を背景にしたナショナリズムが両立している時代ではないだろうか。当然、ひとつでも欠けてしまえば生き残ることができない。


   経済のグローバル化に対する対策は先ほど第1章の日本の経済構造改革案で述べた。今度は、文化を背景としたナショナリズムに対処する方策を考えなければならない。これはたった一つしか方法がない。それは歴史を正しく理解するということである。特に日本の戦争に対する認識をもう一度再認識しなければならない。(その理由は次の段落の防衛についてのところで述べたい。)それが、自分たちの文化に自信を持つことに繋がる。日本には世界に誇れる遺産が数多くある。法隆寺、源氏物語、ミクロ単位の小さなものを作ることを得意としてきたという点である。歴史を正しく認識する、そして、自分たちに誇りを持つ、私はこれしかないと思う。 

 

ナショナリズムと歴史と日本の防衛



   そして、歴史認識よりさらに厄介なものが防衛である。これは現在の日本の憲法との関係もあり複雑であるが、私が考えられる範囲でこの難問に挑戦してみたい。日本の中ではナショナリズム=軍国主義、戦争肯定と捕らえる人々もいる。しかし、私はナショナリズムをそのようには捉えていない。それは、この章でナショナリズムについて述べてきているのでお分かりであろうが、繰り返すと、ナショナリズムとは、国家という概念を基に国民とは何かと考えることであり、かつて、それは最も合理的に国家にダイレクトに富をもたらす植民地主義であり、現在は経済覇権、国家のアイデンティティであるのだ。 


  だが、先に歴史教育の重要性のところで述べたように日本の戦争に対する認識が現在の歴史教育によって捻じ曲げられてしまったため、思考停止状態、つまりナショナリズム=戦争というナショナリズムの価値でナショナリズムにたいする認識が停止してしまい、正しく歴史や国家というものを判断することができなくなっているのではないだろうか。そのため、私はナショナリズム=戦争肯定とは考えない。ナショナリズムの概念は歴史とともに変わっているのだから。 


  そして、ナショナリズム=戦争という考え方をもっている人々の中には『日本は戦争中他国を侵略した。日本は悪い国だ。』ということのみを考えている人もいる。確かに日本は他国を侵略した。残虐な行為もあったかもしれない。では、一生、侵略者として侵略した国に頭を下げ続けるのか。それで解決するのか。それで、そのような悲惨な戦争がなくなるのか。答えはNoである。これでは戦争は決してなくならないだろう。


   戦争は悲惨である。大勢の人が亡くなる。誰もが二度と戦争なんかしたくないと考えているはずだ。だったら戦争を起こさないようにしなければならない。過去ばかりを見るのではなく前向きに取り組んでいかなければならない。日本が過去に他国を侵略したのならなおさらではないだろうか。


  では、どうすればいいのか。私は戦争の起きる要因を少なくしていくしかないと考えている。戦争に加担している存在には毅然とした態度で接する、具体的には日本のODAは戦争を支援している国には絶対に渡さない、ということを行動で示すことである。今なおテリトリーゲームを行っている中国に対してもODAを通して毅然とした態度で立ち向かわなければならない。そして、現在アメリカと協議しているTMD・NMD計画において日本を中心にしたミサイル配置を検討することである。アジアで戦争を行ったり戦争を助長したりしている国に対して『こちらは本気だ。やるならやってみろ。』と相手に示すことである。その意思を相手が感じ取れば、その意思を相手が脅威と感じれば相手はうかつには手を出せないはずである。 


   冷戦後、防衛の形態は第二次世界大戦のものとは大きく変わってしまった。通常兵力も強化されているが、現在攻撃の中心になっているのはミサイルと情報収集能力である。ミサイルをミサイルで撃退するという形態になっている。そして、情報収集の重要性がさらに増している。現代のミサイルには発射と同時に瞬時に軌道を変えることができるミサイルが多い。ミサイルの軌道、位置、距離、スピードを瞬時にリアルタイムでかつ正確に捉えることができる情報収集能力が必要になってくる。TMD計画は確実になものにしていかなければならない。日本が平和を維持したいのなら。現在はそうやって戦争を起こす可能性を少しずつ無くしていくしかないのである。 


   平和とは何もしないでやってくるものではない。平和とは勝ち取るものである。自らの努力によって築き上げることだと思う。その努力を怠っていてはいつまでたっても平和は訪れないのではないだろうか。 

 

第2章、及びレポートの総括



   今回のレポートでは私が現在日本が抱えている課題についてその背景を調査し、その解決方法を自分なりに考えるというレポートだった。このレポートには欠陥もあるだろう。実際に防衛に関しては先に述べたように憲法との絡みもあり、たとえ私と同じ考えを持った政治家がそれを実行しようとしても、かなりの障害が待ち受けているだろう。だが、平和に関しても、経済に関しても、何もしなければ何も始まらない。 


   私たちは、グローバル経済に生き残る術と自国の文化の強い影響を受けたナショナリズムの中で生き残る術、そして、日本が目指す平和主義を追及する方法を考えなければならないという3つの大きな課題に同時に取り組まなければならない厳しい現実の中にいるのではないだろうか。