演習日誌

7月2日

(個人プレーとチームワークとリーダーシップについて)
 今日のゼミでは、今後のゼミの予定と全員のレポートを一つの冊子にする段取りについて話し合った。


 これまでのレポート作成は、個人の努力と能力を最大限に発揮しなければならない性格のものだった。いわば、それぞれの個性や能力を個人プレーによって示すものだった。


 しかし、これからの作業は、各人が書いたレポートの表記ゆれチェックや冊子の表題やデザインを決めるなど、ゼミの形態が、個人よりはむしろ全員で目的を達成するというチームプレーが重視されるものに変わるだろう。もちろん、チームプレーでも各人が持つ能力が無能になったり、不必要になったりする事態は起こらない。もしかしたら、サッカーの試合のある一面のように、チームプレーを必要とするスポーツでも、個人プレーが困難を打開したり勝敗を決定したりする場面もあるかもしれない。そういった点からも、今度のチームプレーでも私個人とチーム全体の連携を強めると同時に、『私個人のもつ能力を全体の能力を上げる目的で行使していけたら』と感じている。


 先日私は、行政学研究室の隣の中戸研究室(旧、西村研究室)の大掃除を行った。そしたら戸棚の中から、大学院生の書いたレポートが出てきた。99年のもので、IMFと資本移動について書かれたものだった。紙のレポートだったために、紙の色も白から薄い茶色へとすっかり色あせていた。しかし中身は色あせることなく、私に国境を超えた資本の移動について考えさせる機会を与える大変素晴らしい論文であった。


 中村祐司研究室で作る論文集はデジタルである。この論文集は空気に触れて酸化することもなく、色あせることもない。場所も取らない。しかも誰でもいつでも自由に閲覧することが出来る。冊子自体のあり方は申し分ない。問題は中身である。私のレポートが中身にプラスの要素を与えているかどうかは分からないが、これからの表記チェックなどで中身を色あせさせることなく読む人が様々な問題に関心を持っていただけるような冊子にしたいと考えている。


 話は変わるが今週のゼミでは、その冊子に掲載するレポートの順番について話しあった。私は、その話し合いを通して一つ学んだことがあった。
 この話し合いでは、中心になって議論を進行させるリーダー、進行のメモを取る書記、PCでそれをサポートする人、積極的に発言を行い議論の中心になる人、本当は発言などを行い、議論に参加したいのだが、発言のタイミングを逃すなどの理由や混乱を防ぐために、あえて話し合いに参加しなかった人、そして、まるで、『無関心』と言わんばかりに参加を拒むような態度を見せる自分勝手な人...などがいた。 たった12人で構成されるゼミにもいろんな性格をもった人間がいる。


 実社会もこのような状態かもしれない。いや、もっと過酷かつ冷酷で汚く、各人にとってつらい現実が待っている社会であるはずだ。
 こんな社会でリーダーとなったり、長(おさ)としていろんな性格を持った人間を率いたりするのはたいへんだ。現実には、先に示した生ぬるい人間だけでなく進行を妨害する勢力も存在する。実社会のリーダーは組織をまとめて個人の能力を効率よく発揮させる能力と結束力を高める能力、そして、妨害に屈しない組織力や敵を作らない能力が要求される。


もしかしたら、たった12人のゼミでもそんな力が要求されるかもしれない。各人の能力を引き出したり、結束力を高めたりする方策を考えると同時に、このゼミ運営に参加しない人間にはそれなりの制裁の必要性を模索しなければならないかもしれない。


 だが、ともかく今後もリーダーを応援して、そしてリーダーにはがんばって欲しいと思った。


 ところで、この自分のことしか考えていない人間というのは個人プレーだけで社会という戦場で生き残れると考えている人かもしれない。だが、個人プレーだけで生き残れるほど日本社会は甘くないだろう。個人プレーが重視される大学教授や職人でも社会の輪から見放されては、いくら知識や技術があっても生き残れないだろう。しかも、得てしてそのような人に限って行動が実力に伴っていないものである。


 チーム全体の利益、つまり社会という共同体の中でどう行動しなければならないか、そして個人の利益、つまり個人プレーを最大限に生かして、共同体の中で自分はどのような貢献ができるのかをこれからも考えていきたいと感じた。(長田 元)

レポートの第一回目提出が終了した。いよいよこのゼミも佳境に入ってきた。最後まで気合をいれてがんばりたいと決意は固いと思います。ゼミって楽しいよね(中澤)

6月25日

【三本の矢について】

 戦国武将毛利元就が死ぬ直前、息子達三人を呼んで有名な「三本の矢」の話をした。「一本では矢は簡単に折れてしまうが三本揃えば矢は折れない。お前達一人一人生きるのではなく、三人協力して生きろ。」という話である。

 まさしく今行っている行政学ゼミもこれに当てはまる。なあなあでゼミをしろという事ではなく、まさにゼミ生同士が勉強はもちろんであるが様々な面で切磋琢磨し努力していくべきだと思う。人間一人では決して生きていく事は出来ない。ある時は互いを励ましあい、またある時は厳しい指摘も大切である。それにより人として成長していくと思う。

 前期のこのゼミでは十二本の矢が存在する。その矢の長さも太さも硬さもそれぞれまちまちだろう。一本一本の矢が組み合わされば、自分の能力以上の力が出るのではないか。その十二本の矢の中で揉みくちゃにされる事により自分自身が少しでも成長していく事が出来ればと思う。前期のこのゼミも残り三回。この半年はあっという間であったというのが本音だ。残りのゼミを全力投球していきたい。(小島)

 

6月18日

【毀誉褒貶について】

「明るさや笑いの中にも厳しさがあるゼミ」。これがこの研究室の特徴であり、いいところであるように思われる。チームワークも日を追う毎にまとまってきており、非常に雰囲気がいい。

個人の力量に任せておられる先生の指導方針も、「明るい研究室」の一因だろう。そして学生同士による議論も、今後行われるとの事、建設的批判・意見が出ることを期待する。とともに、私自身も、批判を受けた反論や、疑問に対する解説・回答を、より皆に分かり易く、噛み砕いて出来る様、更なる勉強が必要になってくるだろう。

私が感じていることは、先生は学生の方針に基本的には口を挟まず、むしろ誉めていると感じることも多々ある。もちろん議論においては相手を批判することは忘れていない。そう、この「誉めて、そして批判や参考意見も言う」という姿勢、大切だろう。「アメとムチ」という言葉があるが、まさしくその通り。

こうした「放任主義」が、その後のジョイント合宿関連の話し合いでも、各人の活発な意見交換が行われている、というメリットを生んでいるのだろう。先生にいつまでも依存していては、学生も伸びない。この授業は、学生が自己管理を進める上でも有為な授業の一つだろう。(佐々木)

 

6月18日

各自のレポートの発表を聞いていて、かなり自分の意見を盛り込んで書いてる人もいたので見習いたいと思った。他人のレポートを批判できるほど今の私には知識がない(誠に申し訳ないが)。きちんと授業に参加するためにはやはり、ほかの人が調べている内容についても知識を得る必要があると思った。(磯)

 

6月18日

演習の授業を何回かして思ったのだが、自分の調べてきたことをみんなにいかにわかりやすく説明するかもとても大切なことだと思った。非常にわかりやすく説明してくれる人がいるのでもっと見習っていきたいと思う。 (田仲 純子) 

6月11日

 この授業に対する提案

 個人の発表の時間、これは無くすべきだと私は考える。それぞれレポートを書いてきてインターネットに掲示する、これで十分目的は果たせる。生徒はそれぞれ前もってインターネットで他の人のレポートを読んでくればいい。そうすれば、授業時間を全て議論に使える。
 これにはこうした反論が予想できる。「個人発表の時間が無ければ、うまく自分の考えを伝えるのはむずかしい・・。」
 
 読んだだけでは意味が伝わらないレポート、こんなレポートはそもそもレポートとは呼べない。発表しないと意味が伝わらないというなら、じゃあ不特定のインターネットを見にきている人に対してどう弁解するのか?

 大学には情報処理センターもある。パソコンがない人は印刷して読む手もある。資料室でも読める。ともかく、レポートは授業の前に予め読んでおくことを徹底し、議論する時間を増やすべきだ。

(市澤 大介)

 

6月4日

みんな着々と進んできている。いいことだ。それに比べて私は・・。調べてる内容もだけど、私の場合プレゼンが問題。自分が調べたくて調べてることなんだから、もっとちゃんと発表しなきゃなあ。毎回思うことだけど。次は、もうちょっとましな発表ができるように準備もしっかりしてきたいと思います。(佐藤美佐子)

6月4日

皆、次第にテーマを絞ってきていて、少し「焦り」を感じてきた・・。あと冬のジョイント合宿の話も進んできて、ゼミ生のチームワークもよくなってきている気がしました。文化学科生としてこれからも「行政」について勉強していこうと思います。今、一番関心のある「まちづくり」についてもっと深く追求していきます。(清水)

 

5月28日

みんな着々と自分の調べたいテーマについてすすめているなあと思った。わたしは、調べていても脱線が多くて・・・。なんだか、結局レポートのテーマは何にしようかいまだにはっきりしないなあ・・・。“街の花壇造り”のようなぐぐっとミクロなテーマでいこうかと考えていたわたしからみて、みんなのテーマは少なからずマクロ的な感じで、新鮮な印象でした。(関谷)

5月28日

 今回初めて日誌を書くが、さあて何を書こうかな?本当はこの日の討論について書きたかったのだが、あいにく討論をする時間がなかったので残念だ。みんな一生懸命に調べてだんだんと内容の濃いものとなってきている。私はこの演習で自分がさまざまな方向から考えられるようになれれば、いいなあと思っている。あと、この日はジョイント合宿について話し合った。少し方向性ができたような気がする。今回は宇大が幹事なのでしっかりと私たちが中心になってよい合宿にしていきたい。(佐藤理恵)

5月21日

 みんなどんどん中身の濃い発表になってて凄かった。今回は発表のあと議論する時間があったのだが何も聞けなかった。残念。ジョイント合宿の話もあった。6月の23日に代表者懇談会があるそうだ。栃木の東大の面子にかけてこの懇談会がんばる。さあ来週は自分の番だ!…。何を書こうかな?(中澤)

 

(長田 元)

 今回の演習日誌ではかなりの毒を吐こうと思っている。それは、万物においてそれらのレベルを向上させるためには批判というものが本質的に必要不可欠であるからだ。今回はあえて自ら悪役を引き受けようと思っている。そのことでこの演習が今以上に価値あるものになれば幸いである。

 授業の後半の討論ではさまざまなことが論点となった。中国は大きな市場であるか?チベットへの軍事介入を容認していいのか?国益とODAについてなど、議論は尽きなかった。議論については来週以降、さらに積極的に議論に参加していきたいと思っている。

 だが、私はこの演習日誌というのがどうも納得できない。これを考えた人は『演習の理解を助長する』と述べていた。果たして本当にそうだろうか。

 
演習日誌の必要性には大きな疑問を感じる。次回、書く機会があるのならこれに参加するかどうか検討したい

(長田)

514

 今日の演習では、前半の5人がそれぞれのレポートの内容を発表した。内容は千差万別で商店街活性化のようなミクロの視点から日本の国家戦略のようなマクロな視点まで様々であった。一人一人のレポートを聞いているだけでも様々な分野の知識を吸収する事ができ面白い中間発表だった。来週は自分の番だ。今日のレポートに負けないように頑張らなければ。(小島)

 

今回、演習日誌の初回を飾ることになり、うれしいようなうれしくないような・・・。

さて、514日の行政学演習Aについてですが、いよいよ本格的にそれぞれが各自のテーマに基づいて作成しているレポートの途中経過の発表が行われました。皆から、自分の掲げたテーマに対する意気込みがひしひしと伝わってきて、私なんかは引き込まれるように発表を聞いていました。人にきちんとした説明が行えるくらいに物事なり事柄を理解するのはつくづく難しいことだな、と感じますが、発表の回を重ねるたびに少しずつ、より興味深いレポート、また人をひきつけるような発表ができるようになるのではないかと思います。

最後に・・・、

次回の発表はがんばりますので、皆さん、今後ともよろしくお願いします!(田面木)

 


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