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990139u田面木千香

“福祉”を考える

私は今まで、社会問題や時事問題などにあまり関心がなかったのだが、この講義を受講するにあたり新聞やテレビ、ネット上を通し、それらに対して関心を持つようになった。しかし、今までが今までなだけに何に関しても全くと言っていいほど無知で、知らないこと理解できないことが山ほどあり、そんななかで自分が本当に興味をもって追求してみたい分野というがどういったものなのか、ということに非常に悩んだ。そこで、これまで“まちづくり”→“道路行政”→・・・?というようにやってきたのだが、ここにきて“福祉”について真剣に考えてみたいと思った。

なぜかというと、はじめに興味を持った“まちづくり”という分野は、「まち」を「つくる」わけであるから、これさえカバーできればというものでなく、トータルで考えなければならないわけで、少し広すぎるのでは?と感じてしまったというのが本音であった。

では、そこで何をピックアップするか!となったときに中心市街地、中心商店街へのアクセスという点から、「まちと道路の関係」に焦点をしぼって考えてみようと思った。この時点で、私は“道路行政”というものは極めて重要な分野であって、これまで莫大なお金が投入されてきたように、今後も、その一層の整備に力を入れていくべき分野であるのでは?と感じ、興味をもったのだ。しかし、道路やダムなどの建設に代表される公共事業。道路に関して言うならば、道路建設にのみ使われる膨大な額の道路特定財源の存在と今後もそこにそれだけのお金を投入するべき部分であるのか、という疑問が生じるし、ダム建設に関していうならば、ダムができたせいで川や海を殺してしまったようなケースが一件だけでなく報道されたし、事業の必要性に疑問を感じざるを得ない。国の思惑(政治家の利権も含め)と国に対し国民が望んでいることとのズレは非常に大きな問題であると思うし、解決していかなければならないと思う。

では、今、国に対し国民が望んでいることとはどんなものであろうか?私は、社会的弱者をしっかりとサポートできる体制の整った社会の構築ではないか、と考える。なぜなら、現代の日本社会というのが深刻化する少子高齢化の中で、今、一生懸命働いていても自分の老後である将来に、希望的観測をもって生活できないような社会であるように思うからだ。がんばって働いても、老後を安心して過ごせるという保証は、ない、とまではいかなくても極めて怪しい状況だ。労働力として日本社会を支えてきた人々が定年を迎え、働かなく、もしくは働けなくなったらその人たちのことは知らない、というような社会では、国民は現在と少し先までしかカバーできないような労働に、意欲を持って取り組めなくなってしまうのではないだろうか。民間だけではサポートできないような部分をサポートしていくのが国の役割であると思うし、そういった点でも、高齢者福祉によりいっそうの力を注いでいくべきではなかろうか、と私は思う。

次に障害者について。この世に生を受けたが五体満足に、とはいかず、何らかのハンディキャップを背負って生まれてきた人々。または、事故や病気でハンディキャップを背負わざるを得なくなった人々。こういった人々は、一人間として個々の人生を生きる権利が他の人間同様に与えられているにも関わらず、日常生活や社会生活を送るにあたって様々な不都合を強いられている。ひとと違う、ことを特別視したり差別化したり、大を重要視し小には目をつむってしまうような日本社会に暮らす彼らの不満は、早急に解決されるべき問題であると思う。これはハードの面ではもちろんのこと、ソフトの面での対応が重要である、と私は考える。そしてもうひとつ。障害は障害でも身体的なものではなく、精神に障害をもつ精神障害者に対するケアの問題も特筆されなければならないと思う。昨今の残忍な事件の報道からも事の重大さ、問題の大きさを実感せざるを得ない。これほどまでに精神的な傷やストレスを理由に殺人事件が多発する事態というのは、それだけ社会が病んでいるという証拠であると思うし、また、子どもに対する教育の問題、被告と共に被害者に対するケアの体制が整っていないという問題も露呈しているように思う。どうしたらこのような悲劇を繰り返さずに済むのか、と考えるとき、その根源にある問題の解決に取り組まなければ、どんな対策をこうじたとしても問題の本質的な解決には至らないだろう。

これらの取り組むべき課題について共通して言えることは、上述したような人々に対するこれまでの対応の仕方の共通性とその見直し、また、メンタル面におけるサポート、もしくはケアの必要性ということである。前者に関しては、これまでの高齢者や身体的障害者、精神障害者への対応の仕方というのは、そのどれもが施設収容をメインに行なってきたもので、彼らを世間の目に触れさせないようにしたり隔離したりすることで、その実態、もしくは現状というものを、その外側から知られないようにする、隠す、というようなやり方であった。また、彼らの身内自体も彼らを家から出さないなど、閉鎖的であった。世間の人々の、彼らに対する理解不足からくる偏見などは、こうした対応の仕方のまずさが原因であり、このことが今日、これらの問題の根を深くしている要因だと思う。また、後者に関しては、ひとはひとであってロボットではないわけだから、やはり“心の支え”を必要とする。高齢者や身体的障害者は体の不自由さ、精神障害者は精神の不安定さというリスクを背負っているわけだからそれを支えられるのは、ハード面の重要性に加え、「人の心」であると思う。ここがしっかりすることが、上述した問題の解決に大きく関わると私は思う。

 

1.「福祉」の意味

一般的・・・生活の安定、充足
歴史的・学問的・・・社会福祉=1946年 日本国憲法25条
 
「すべて国民は、健康的で文化的な最低限度に生活を営む権利を有する
  国は、すべての生活場面について、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上および    
                   

  増進に努めなければならない。」

1950年 「社会保障制度に関する勧告」
  社会福祉の対象を社会的に不利な対象者に限定(経済的困窮者、障害者、児童など)
  社会的貧困問題に限定し、制度やサービスの提供を考える狭義の社会福祉 
現在・・・欧米の「福祉国家」「社会サービス」などの考え方、実践が紹介される 
                     ↓
       
所得、住宅、雇用保障など広い意味での「社会福祉」「福祉」になりつつある 

2.「福祉」の考え方

1980年代 介護問題の浮上―少子高齢社会による
福祉の考え方とは本人の意思を尊重し、地域社会で自立した生活と自己実現を目指すこと

ウェルフェアからウェルビーイングへ(事後処理的な対応から人権の尊重・自己実現へ)