対インドネシア経済協力を考察する
〜首都・ジャカルタ周辺を参考に〜
T テーマ設定の過程
今回、このテーマを設定した動機は、私がこの5年間に3回、インドネシアへ訪問していることに起因する。そのインドネシアの首都、ジャカルタに長期滞在するといつも思うのであるが、首都の割には交通網などが非常に遅れていることに気付かされる。道路一つとっても、大きな穴が開いていることは珍しくなく、その穴を避けるために渋滞が起こることもしばしばである。
わが国は戦後賠償でサリナデパートやホテルインドネシアなどを建設し、そして今現在は政府開発援助(ODA)により、人的派遣や教育援助などを行っている。その一環として、居住・生活環境改善のためのODAもあり、果たしてその役割がどの程度機能しているのか調べたくなったのである。
インドネシアに対するODAの拠出は、贈与、政府貸付を合わせて約8億2800万ドルにも及ぶ(1998年実績)。同じく累計では約147.87億ドルにも及ぶ。こうした日本の多大な援助は、インドネシアが受け取る各国からのODAの中でも群を抜いており、1997年実績では、2位のドイツ(1億1500万ドル)を遥かに超す、4億9800万ドルにも達しているが(97年度支出純額シェアが62.8%)、これでも近年では大幅な減額である。これは1997年の東南アジア通貨危機及びそれに起因する社会混乱により、ODAの拠出も一時見合わせた結果であり、翌1998年には再び8億ドル台に増額している。
それでは何故ここまでインドネシアにODAを拠出するのか、という疑問が湧くのは当然の帰結だろう。こうした疑問、そして実体験を通してみたインドネシアの現状(主に道路などのインフラ設備)を考える上で必ずや役に立つであろう要素の一つにODAがある。こうしたこともあり、私は今回、対インドネシア経済協力を考えてみようと思ったのである。
我が国のODA実績(支出純額、単位:百万ドル)
暦年 |
贈与 |
政府貸付 |
合計 |
|||
無償資金協力 |
技術協力 |
計 |
支出総額 |
支出純額 |
||
94 |
72.28 |
177.69 |
249.97 |
1084.37 |
636.2 |
886.17 |
95 |
66.46 |
203.67 |
270.14 |
1155.14 |
622.28 |
892.42 |
96 |
64.41 |
163.31 |
227.72 |
1234.15 |
737.81 |
965.53 |
97 |
66.57 |
148.39 |
214.96 |
739.61 |
281.9 |
496.86 |
98 |
114.59 |
123.99 |
238.59 |
1034.51 |
589.88 |
828.47 |
累計 |
1134.14 |
2034.47 |
3168.65 |
17084.17 |
11618.83 |
14787.47 |
(出典;外務省ODAホームページ)
我が国の援助実績(累積)
99年ODA実績:16億600万ドル |
|
(1)有償資金協力(66-99年累積、支出純額) |
129億9300万ドル |
(2)無償資金協力(68-99年累積、支出純額) |
12億3500万ドル |
(3)技術協力実績(66-99年累積、支出純額) |
21億6700万ドル |
(出典;外務省各国インデックスページ)
主要援助国
国 名 |
(1)日 本 |
(2)オーストラリア |
(3)オーストリア |
(4)フランス |
(5)イギリス |
シェア率 |
68.3% |
7.4% |
5.7% |
4.4% |
3.9% |
(出典;同)
U 我が国のインドネシアへのODA拠出の理由
(1)我が国と貿易・投資面等において密接な関係にあり、政治・経済面でも重要であること。 (2)我が国の海上輸送にとって重要な位置を占め、天然資源供給国であること。 (3)ASEANの中核であり、東南アジア地域発展に対する重要な役割を担っていること。 (4)97年の通貨危機の影響で社会経済情勢が非常に不安定であり、経済の回復、国民生活の安定が欠かせないこと。 |
(1)日本企業が人件費や工場などの施設経費を抑制するため、インドネシアなどのアジア各国でモノを生産し、逆輸入、あるいは最終工程のみを日本国内で行なう、といった方式を取り、貿易面での関係が密接である。
(2)世界最大の原油生産地である中東地域からの海上輸送航路が、必ずと言っていいほど、インドネシアとマレー半島の間に位置するマラッカ海峡を通過する。また、鉱物資源の豊富なオーストラリアからも、航路がイリアンジャヤ周辺を通過するなど、我が国にとって海上輸送の最重要地域と言っても過言ではない。故に、安定した海上輸送を今後も継続して続けていくためには、輸送航路の周辺地域、すなわちインドネシアなどの社会情勢の安定が欠かせない。
不安定な社会情勢の影響を受けた事件として記憶に新しいのは、アロンドラ・レインボー号事件がある。これは1999年10月、アルミニウム塊7000トンを積み、インドネシア・スマトラ島のクアラタンジュン港を出発した貨物船が、マラッカ海峡沖で海賊にシージャックされ、乗組員は幸い海賊によって救命ボートに乗せられ、海上を漂流していたところ、タイ警察によって保護された。しかし貨物は海賊によって強奪され、船のみが翌11月に発見されるという事件である。こうした海賊事件は多発しているが、社会不安や経済の悪化による失業などの要因が、インドネシア、特にマラッカ海峡周辺の住民を海賊へと「転職」させているという分析もある。また経済的要因とは異なるが、アメリカの石油メジャー、エクソンモービルの現地合弁会社であるエクソン・モービル・インドネシアも、アチェ特別州の治安悪化を受けて、操業停止に追い込まれた。
(3)インドネシアは1967年のASEAN(東南アジア諸国連合、the Association of South-East
Asian Nations)発足当初からのメンバーで、「ASEANの盟主」。地域最大の国土及び人口を持ち、スハルト政権時代はその求心力と発言力が強大だった。現在ではインドネシアの経済規模から見ても、ASEANへの影響は多大で、97年通貨危機後のインドネシア経済の低迷が、地域の回復に暗い影を落としている。
(4)上記の(1)〜(3)を総合的に踏まえると、確かに各地方の独立運動もインドネシア社会不安の大きな要因の一つであるが、それは内政問題であるので、我が国が協力可能なインドネシア「復活」への道は、経済協力による社会不安の払拭であろう。
V 我が国のODAの主な内容
参考ホームページ
名称 |
URL |
存在最終確認日 |
外務省 各国インデックス(インドネシア共和国) |
2001/05/09 |
|
外務省 ODAホームページ |
2001/05/09 |
|
毎日新聞ホームページ |
2001/05/09 |