Thatcher Revolution イギリスを復活させたサッチャー

 

 

  80年代には、一部の国でそれまでのケインズ的な経済政策や、第二次世界大戦後、国家によって提供されてきた福祉などの行政サービスを見直すという動きが見られた。代表的なものがアメリカのレーガン政権が行ったレーガノミクスである。だが、アメリカ以外でもこうした動きはアングロサクソンの国を中心に見られた。アメリカ以外にこれを行った国に、イギリスとニュージーランドがあった。今回は、イギリスの経済改革を調査し、考察したい。

 

 

 イギリスにおいて、行政サービスの見直し、経済再建、規制緩和が始まったのは1980年代で、その立役者は、Margaret・Thatcher(マーガレット・サッチャー)氏であった。

 

Thatcher Revolutionから、イギリスの復活の過程を考察したい。 

参考 Thatcher Revolution    http://www.thatcherweb.com より

 

 

ThatcherRevolutionより 斜体のところはこの日本語訳。レポート作成者が日本語訳を行った。

 

サッチャー革命 経済政策と結果

マネタリズム
  マネタリズムはサッチャー政権の経済政策の中心となっていた。マネタリズムはマネーサプライをインフレ抑制の維持のためにコントロールするという理論であった。サッチャーは利子率を上昇させることによって通貨供給を引き締めを達成した。

 

 

80年代初頭の高失業率
  社会主義はイギリスの産業を無能のものとしていた。サッチャーが公職につくまで、労働党および保守党の政権のもとで国営化されていたイギリスの主要な企業は、本当に非効率的であった。トップ5社は一週間につき200万ポンド以上の損失を出していた。


 80年代初頭の高失業率における主な原因は、マネタリズムの採用によるものであった。前政権による高いインフレ率を抑制するために、利子率を上昇させなければならなかったのだ。これによって、企業は経営を拡大するために融資を受けることから景気は後退した。このため、一時的に経済成長は妨げられた。このため、政府は投資家にとって魅力的な企業にするためにこれらの企業に巨額の資金を投入した。


  高失業率のもう一つの原因は60年代のベビーブームにあった。60年代に生まれた子供が成長して、80年代初めに各種学校や大学を卒業した。そのため、明らかに十分な雇用を確保できなかったのだ。


民営化
民営化は疑いようもなく画期的なものであった。そして、サッチャー政権の政策において最も成功した改革となった。戦後(第二次世界大戦)、労働党は力を持ち始め、イギリスの多くの主要な産業は国営化された。時がたつにつれ、この慣習はトーリー党(英国保守党)、労働党一様に、運営するすべての政権にとって慣習になっていた。


 しかしながら、70年代にはこの政策が機能していないことは自明のことになっていた。企業(経営陣)を直接管理することによって、政府は集権的で官僚的、そして非常に非効率的な企業を経営していた。このような企業にはマーケットにおける競争の原理がなく、非常に悪しき労働倫理を構築していた。結果として、トップ5社は一週間につき200万ポンド以上の損失を出していた。


 サッチャーは自由な市場における経済を強く信じる人であった。彼女は国家は市場に介入すべきでないということを強く感じていた。そのため、彼女はこの信念を目標とし、これらの大きな企業を売却し民間部門に移した。このような政策は70年代の終わりには考えられないことであった。しかし、1983年までにブリティッシュエアロスペース社とNational Freight Consortiumが民間部門で利益をあげた。1983年の総選挙の宣言ではケーブルアンドワイヤレスやAssociated British Portsや英国国有鉄道ホテルなどのより多くの企業を民営化すること確約した。

 

 

結論 

サッチャーの政策は見事に結果として現れた、そしてこれは世界中でモデルとして採用されている。労働党や野党は現在、経済政策について非難する機会がなくなってしまった。しかしながら、彼等は政府に実利主義者のレッテルをはろうとしている。80年代半ばには、イギリスの中間層は以前より多く所得を得るようになった。イギリスはもう一度、繁栄の感動を享受した。と同時に、ヴィクトリア朝時代以来、最も長く、そして最も持続した経済成長を経験している。

 

 

考察  新自由主義

 

 サッチャーもレーガン同様、マネタリズムに基づく経済政策を行おうとしていた。当時のイギリスは企業が国営化されるなど、比較的ケインズ的な経済政策が採られていた。このことから、当時のサッチャー革命がいかに革新的なものであったかを知ることができた。

 

 さらに、マネタリズムを行うと短期的には失業率が上昇したり、金利が上昇し、一時的に経済成長が阻害されることもあり得ることも分かった。これを単純に日本に当てはめることはできないと思うが、マネタリズム(サプライサイド政策)を採用することで、日本も短期的な失業率の上昇や経済成長率が低下するという現象も起こるかもしれない。だが、サプライサイド政策や規制緩和を実行した国は長期的には高成長率と低失業率を確保している。日本を復活させるためにはこの道は避けて通れないのではないだろうか。

 

 企業活動の面から経済を考察すれば、一時的に経営が苦しくなるなどの現象がおきたが、その後は市場の原理によって企業の淘汰がおこり、さらには活発な競争のもとで、新しい企業ができ、新しい雇用を生み出したいることが分かった。

 

 

 

 80年代のころと比べて経済のグローバル化はさらに進んでいると思う。市場は世界中に広がり、企業同士の競争も激化している。日本もグローバリゼーションへの適応のために、自由化、効率化をはかる必要があるのではないだろうか。

 

疑問点

 

 

福祉国家と新自由主義の葛藤の中で

 

  もし、日本がサッチャーやレーガンが行ったような大幅な規制の撤廃や福祉政策の見直しを行ったらどうなるだろうか? 

 

  先進諸国はこれまでの『福祉国家』からグロバーリゼーションへの対応のために、自由化をはかり『つよい国家』を創ろうとしていることになる。

 

  これは、異なる国家の政策や経済が均質なものになり国家が均質なものになっていく過程とも捉えることができるかもしれない。例えば、福祉国家の理念では、国民の生存権を超えるような経済活動や企業活動が制約されることになる。さらに、公正な富の分配を行うために財産権というものが制約され、累進課税や相続税などで資本化の財産に規制を加えることによって平等な富の分配を行おうとしている。これらが撤廃されることによって資本が自由に流れてていくということである。

 

  しかし、資本の流れは自由化され、様々なものが自由化されつつあるが、実際には国家間の政策なり体制は均質のものとはなっていない。

 

  これらの行為は国家間の自由化を促進するものではなく、むしろ国家を強化する要素になるように思える。つまり、規制緩和によって国家間の政策が一つになることはなく、以前より国家間の競争が激化していくようになる。

 

  このような現象を『それは当たり前』『仕方がない』『それはいいこと』と簡単に決めることはできないと思う。このような現象はグローバリゼーションを様々な側面から考察することを示唆しているのではないだろうか。

  グローバリゼーションに対して、様々な角度から考察したい。