行政学演習レポート

「合併した市町村の分析」

〜さいたま市の合併までの道のりと現状、問題点〜

990123A

小島 周一郎

 

1はじめに

前回のレポートでは栃木県内の市町村合併の動きを探った。しかし現時点で合併が進んでいるのは佐野市・田沼町・葛生町のみ。しかし、そこもスムーズに市町村合併が進んでいるとはいい難い。ということは、栃木県で市町村合併が盛り上がっている地域は皆無であると言わざるを得ない。そこで、つい先日の200151日に大宮市、浦和市、与野市の3市が合併した「さいたま市」はどのように合併が進んでいったのか。また、合併後の現状と将来について調べ考察していきたいと思う。

 

2さいたま市誕生までの過程

 この地域の合併に関する話は実は70年前の1927年に存在していた。合併構想が出てきては消え、また出てきては消えということを繰り返しながら、具体的に合併構想が生まれたのは1980年当時の埼玉県知事が「埼玉中枢都市圏構想(YOU And Iプラン)を策定し、大宮浦和与野。そして上尾伊奈町を加えた41で合併し政令都市制定を目指す機運が高まってきた。それに加え、1989年東京一極集中是正のため旧国鉄大宮操車場跡地に中央省庁の出先機関を移転させることが決まった(これが今日のさいたま新都心)。それを受けて、1993埼玉県知事、浦和、大宮、与野、上尾市長。そして伊那町長の連名で「彩の国 YOU And Iプラン1」」を策定。この41町での合併が本格的になっていく。

 その後の合併過程は次のようになっている。

19945月 「政令指定都市問題等3(浦和、大宮、与野)議員連絡協議会」設置

19953月  浦和、大宮市議会で「合併促進決議」可決

19956月  与野市議会で「合併促進決議」可決

19977月  3市議会で「3(浦和、大宮、与野)による任意2)の合併協議会設置決議」可決

199712月 「浦和市・大宮市・与野市合併推進協議会」開催

この任意協議会で本格的な論議が始まることになった。しかし、この協議会で浦和と大宮の確執が表面化して紛糾した。例えば新市の市域の問題では、

浦和市は「浦和、大宮、与野の3市で合併すべき」

大宮市は「3市に上尾市、伊奈町を加えて合併すべき」

 と、合併の根本の問題が出てきて決裂した。なぜこのような問題が出てきたかというと、浦和側からすれば41町合併では新市の中心は大宮になってしまうという危機感から出てきたものである。一方、大宮側からすれば、41町の合併で新市の中心地を大宮側に持って来たかったのだ。結局、まず3市が先行合併し政令指定都市3)移行時に上尾、伊奈の意向を踏まえて再度協議するという両市の折衷案を出した与野市の案に落ち着いた。与野側からすれば「さいたま新都心」(建設地は旧与野市域)の建設で膨大な財政負担を抱えることになるため何としても合併しなければならなかったのだ。そのため浦和と大宮の仲介になったのだ。また、浦和と大宮の両市は新市の名称問題(浦和はさいたま市、大宮は大宮市)、新市の市庁舎位置(浦和は浦和市役所、大宮はさいたま新都心内)の問題でことごとく対立した。結局は新市の名称は「さいたま市」に。また、新市市庁舎は新市誕生時には浦和市庁舎をその後はさいたま新都心内に建設することを決めた。その後は、

20004月 3市市議会で「合併協議会設置決議」可決

20004月 「第1回浦和市・大宮市・与野市合併協議会(法定協議会)」開催

20009月 「第6回第1回浦和市・大宮市・与野市合併協議会」開催〜合併調印式開催

20009月 3市市議会で合併決議可決

200010月 3市長が知事に合併申請

200012月 埼玉県議会でさいたま市の設置決議可決

20011月 県知事が総務大臣に届け出官報で公示

200151日 「さいたま市」誕生。初代さいたま市長が選出されるまでの市長職務執行者は与野市長が行う

(年表出典:Saitama City Netよりhttp://homepage2.nifty.com/saitama-city/)

 

3合併後の現状と将来

527日にさいたま市長選挙が行われた。この選挙では8人が立候補した。立候補者の中には旧大宮市長や旧浦和市長もいた。ちなみに旧与野市長(新市長誕生までのさいたま市長職務執行者)は「当事者は出馬すべきではない(2001430日読売新聞)」として出馬しなかったが、選挙はさながら大宮対浦和の旧市同士の対立になった。結局旧浦和市長が初代さいたま市長になったわけだがしばらく市長選の火種はくすぶり続けるであろう。

その一方、さいたま市への新たな合併の動きは着々と進んでいる。さいたま市誕生過程で合併後に上尾市と伊奈町は再度協議することになっていたが、その内の上尾市議会では2001510日「さいたま市との合併の是非を問う住民投票条例案」を可決した。住民投票は7月にも行われるようだ。この結果次第ではさらにさいたま市が合併する状況も考えられる。

そして、2003年度までにさいたま市は政令指定都市になることを目指している。

 

4おわりに

 さいたま市の合併課程、そして合併後の現状を調べていくと幾つかの疑問点が出てきた。まず、栃木県内の市町村合併が進んでいる地域では法定協議会が設置されてから合併の議論が進んでいるわけだが、このさいたま市の合併の場合は法定協議会設置の前に任意の合併協議会が3市で設置された。ここの任意の合併協議会で新市の市域等の問題があらかじめ話し合われていたのだ。確かに事前に協議を行うことは法定協議会をスムーズに進めていく上で大切なのかもしれない。事実、小山市・栃木市合併協議会は2年経っても合併せず無期限休止状態。また、佐野市・田沼町・葛生町合併協議会は設置されてから3年経とうとしているのに合併が一向に進んでいないのに対しさいたま市の法定協議会は設置されてから半年も経たずに合併調印が行われた。この点を考えると市町村合併をスムーズに進める上であらかじめ関連市町村が事前協議することは必要なのかもしれない。しかし同時に、任意の協議会で上尾市と伊奈町の合併を(関係しない3市が)棚上げしたりするのは問題であろうし、合併協議会設置が議員主導で進んだ点からみても住民の目の前で進んだ合併とは言えないのではないか。やはりそこに住んでいる住民のために行うべき合併であるのだから違うやり方というよりも現行の市町村合併のやり方そのものを変える必要(合併過程で住民投票の実施など)があるのではないかと感じる。

 これまでに4回のレポートを書いたわけだが、

1回目「総務省、市町村合併について」

2回目「栃木県市町村合併推進要綱の分析」

3回目「栃木県内の合併状況」〜佐野市・田沼町・葛生町合併協議会と栃木市・小山市合併協議会の現況と宇都宮市周辺の動き〜

4回目「合併した市町村の分析」〜さいたま市の合併までの道のりと現状、問題点〜

と、国―都道府県―市町村(現在進んでいる所、休止している所、合併した所)のそれぞれのレベルでの合併に関して文献を読んだり、分析したりした。最後のレポートで市町村合併を行うメリットはあるのか。また、栃木県内やさいたま市の事例を参考に市町村合併はどうあるべきかを考察しこれまでのレポートをまとめていきたいと思う。また、必要に応じ県や市町村の合併担当者の考えや市民の側からの意見も拾い、レポートに生かせていけたらと思う。

 

用語解説

1)「彩の国 YOU And Iプラン」

県とこの41町が協力し、「ゆとり、思いやり、潤いあふれる彩りの街」をテーマに埼玉の中枢都市圏を作ろうとした計画。ちなみに「YOU And I」とはY(与野)O(大宮)U(浦和)A(上尾)I(伊奈)のそれぞれの英語の頭文字をとったものである。

 

2)任意の合併協議会

 法律で規定された合併協議会(正式には法定協議会)ではなくあくまで自主的に合併問題について話し合おうとした協議会。3市は任意合併協議会で合併期日や方式を決めてから法定協議会を設置しようとしていた。

 

3)政令指定都市

 地方自治法252条で定められていて人口50万人以上で指定され(指定都市の多くは100万人以上)、政令指定都市に指定されると都道府県が事務(都市計画、保健衛生分野など)を行うものが委譲されたり、財源が委譲されたり、区制を敷く事も出来る。

 

参考URL・記事

Saitama City Nethttp://homepage2.nifty.com/saitama-city/

新しく出来た、さいたま市についての歴史や情報が細かく載っている

 

「毎日新聞」http://www.mainichi.co.jp/

過去2年間の記事検索が無料で出来る便利なサイト

 

「読売新聞」

2001430日記事