● まず始めに数字ありき、「食糧自給率」
とりあえずこちらを見て欲しい。農水省のホームページの平成12年度の農業白書第一章第二節「食糧自給率と食糧安全保障」。ご丁寧にアクロバットリーダーになっているので、直接文章をコピー貼り付けできなかった。ご勘弁願いたい。プリントアウトして読んでいる人の為に一応要約すると、近年食糧自給率は40%と大きく低下しているので、食糧の安定供給のためには国内の農業生産の増大を図る必要がある、その目標を45%に設定している、との内容である。
これの何が問題かというと、相変わらず、何故食糧自給率が低いといけないのかを全く説明していない点が問題なのである。それは何故か。きちんと説明できないからだと私は思う。石油、天然ガスをはじめとするエネルギー資源の自給率、日本はこれがゼロに近い。これでは、何故食糧自給率だけは高止まりしていなければいけないか、誰も理論的に説明できない。
このようにそもそも、農水省、いや日本の食糧政策をも含めた全体の存在意義自体が崩壊している、というのが私が「日本の食糧政策」「遺伝子組み替え作物をめぐる論争に終止符を」を通じて一貫して主張していることである。しかしとりあえず、ここで足踏みしていても埒があかない。ここから実際に日本の農業の何がいけないのかを検証していく。
● 農民の膏血を吸って肥え太る巨大組織
農協ほど摩訶不思議な金融機関はない。農協が頑張れば頑張るほど、農家は潰れていく。農協は単なる金融機関ではない。それは、特高警察であり、悪徳金融業者であり、巨大な既得権益を守る牙城であり、強力な労働組合でもある。
農協は組合員に「営農口座」を提供する。この制度は、農家が農機具や肥料、農薬などを購入する際に一定の額を無担保で融資する制度だ。ウソだろう、と思われる方もいるかもしれないが本当だ。無担保なのである。限度額は1ヘクタールあたり百万円。例えば10ヘクタールの農地を持つ農家ならば限度額は1000万円である。ここまでは、農家は三文判をぽんと押すだけで借りられる。
安易に借りられる資金というのは、減るのも早い。多くの農家は、あっという間に限度額いっぱいまで借りてしまう。するとまた、農協がやってくる。そして、甘い言葉を囁く。営農口座で借りた資金を長期貸付に移しましょう、そうすればまた営農口座で1000万借りることが出来ますよ、と。農家は長期貸付に借金を移す為、土地を担保に差し出すことになる。これを数回繰り返せば、借金は雪だるま的に膨れ上がり、立派な自殺志願者ができあがる。そして、ある日突然、農協の職員がやってくる。翌年分の農業に必要な種籾や種芋、肥料、農薬など、生産資材の供給を停止すると言い渡される。返せなければ財産、収穫物、自宅、そして農民にとっては命ほども大事な農地が競売にかけられる。
数字には出てこないが、多額の借金を抱え込んだ農民が自殺するケースは多い。
この農協という組織、やってることはサラ金並にあくどい。私は常々、自立できない農家はとっとと失業して転職すべきだと主張しているが、さすがにこの話を聞いた時は、ひどいことするなあ、と感じた。
ジャーナリストの櫻井よしこ女史の著書「日本の危機」のなかで、全国農協中央会の広報の川上昌宏氏はこううそぶく。「市中銀行が担保を差し押さえるのと同じです。このところ、米価が下がりつづけ、農家が苦しいのも分かります。しかし、それは政府の責任で農協の責任ではありません。」
農協は一体誰の為の組織か。農家のための農協が、いつ、農協のための農家に逆転したのか。農協の悪行はまだまだある。
● 農協のエゴ
田舎に行くと、金融機関は郵便局か農協しかない、という場合はめずらしくない。農村における閉鎖的な人間関係の濃密さからも、農家が農協の指導に従わないことはほとんどない。万一、従わない場合には村八分が待っている。農協はほぼ独占的に農家を顧客としておさえ、無責任に貸し付けを増やしていく。
ところで、農業の問題点は何か?と聞くと、多くの人は「競争の原理が働いていない」ことだと答える。
95年11月から食糧管理法が廃止され、コメの流通は自由になったはずだ。しかし、実際のところはどうか。これが全然、以前と変わってはいないのである。つまり、相も変わらず農協の独占状態が続いている。なぜか。法改正の時、農協が新しく参入する集荷業者にも減反政策への協力義務を課すよう、ゴネたからだ。
考えてみて欲しい。皆さんは新規に参入する集荷業者だとする。一軒一軒、それまで長年農協に集荷を頼んでいた農家を訪問して、今後はウチに集荷依頼を切り替えてくださいよ、と頼んでまわるわけだ。そんな「お願い」する立場の人間が、農家に減反を守る様「指導」したり「指図」をしたり出来る訳がない。
このように、せっかく法改正で目指した流通における競争の促進も農協によって換骨奪胎されてしまう。このことからも、農協というのは決して農家の為に存在している組織ではない、少なくとも彼ら自身にはそんな気はさらさら無いことがわかる。
● それでも、コメは余る・・
農協は、食糧管理法が廃止されてから、過剰なコメを調整保管することになった。調整保管とは、コメ余りに対処する為に農協にコメを購入、保管させる制度だ。目的は、コメ余りによって起こる米価の下落を防ぐことだ。ここまで書いてくると、余りにバカバカしくてやってられないよ、という気になってくる。
コメが余っているということは、農家が余っているということだ。だったら、農協も必要ない。つまり、少しの農家と農協を無くせば解決する話である。何で税金をつかって、わざわざ「調整保管」をし、農協と農家を手厚く保護してやる必要があるのか?
ともかく、話を進める。農協は調整保管する義務を負うことになった。このところ、豊作続きで(現在の農業技術だと、ほぼ毎年豊作になる)日本国内のコメの在庫は民間、政府あわせて約400万トンと言われている。「言われている」といったのは、はっきりした数字がつかめないためである。適正備蓄といわれるのは150万〜200万トンである。
要するに、備蓄として十分とされている量の倍以上のコメが余っている。勿論、コメも流通商品であるから、置いておくだけならタダ、というわけにはいかない。保管コストがかかる。1トンあたり年間1万4千円である。掛けることの400万。さて、いくらになるか。560億円である。そのうち四分の一は民間(農協)の備蓄だとしても、420億円。余ったコメを保管するだけで、年420億円の税金が使われているのである。
さて、560億円のうち、420億円は政府が、残りは調整保管として農協が負担しなければならないわけだ。つまり140億円を。そうなると、農協にとっては少しでも過剰米が増えるのを防ぐ為に、農家に減反を厳守させることは死活問題になってくる。一応表向きは、農家は減反政策に対して自主的判断を委ねられている。すなわち、減反政策に従うかどうかは自由、とされている。しかしここにおいて、農協はゲシュタポ並の支配力を発揮することになる。従わなければ村八分、融資引き上げ、生産資材の供給停止、生産物集荷拒否等々、えげつなくも大人気ない仕打ちが待っている。
農協が自らの利益を守ろうとすればする程、農協に従う農家は不利になる。かといって、なかなか背を向けることも出来ない。この国にはこうした構図がもう出来上がってしまっている。私が常々、採算が取れない農家はとっととやめちゃえよ、といっているのは、こうした構図も背景にある。
かつて日本には、鉄鋼業、造船業、炭鉱などに働く人が大勢いた。最近では、金融、観光などか。ひとつの産業が衰え、また別の産業が栄えるのは資本主義社会においては、雨が降ったあとに晴れ間がのぞくかのごときことで、当たり前のことなのである。失業することなど全然恥ずかしいことではない。日本という国は、これまで決して、そうした人々を飢え死にさせたことが無い。その点に関しては、誇りを持っていい。ハローワークもある。職業訓練制度もある。そしてなにより今は、少子化で人手不足のご時世である。まさに、選り好みさえしなければ、「すぐにでも職は見つかる」のだ。
因みに、それでも余ったコメはどうなるかご存知だろうか?価格は激安に値引きされ、家畜の飼料にまわされるのである。2000年度で言えば、トン当たり25万円ほどの生産者米価で買い取ったものが、飼料用として放出される時はトン当たり1万3千円程になるのだ。一連の保管・処分などを含めると、国民の財政負担は1兆円規模になる。
● 農地改革をも阻む農協
何十年も前から、日本の農業の大規模経営化が必要であるということは叫ばれてきた。農家の80%以上が兼業農家で、高齢で離農する農家が増えている現在、農地の流動化を推し進めることは必須となってくる。
その上で、株式会社の農地取得を認めるのは、1つの解決策だ。しかし、ここでも農協が邪魔をする。「日本の危機」のなかで、全国農協中央会の広報の川上氏はこう反論している。「株式会社の農地取得は反対です。農地が投機に利用されることも考えられます。また株式会社という組織が馴染むとはおもえず、仮に馴染まないからといって撤退されたら荒地が残るだけです。更には地域社会が崩壊して組合員が減ることもあります」
この川上氏の詭弁に対して私はこう反論する。既に酪農、畜産、園芸などの分野では法人経営が認められている。こうした土地や工業用地、住宅用地は投機に利用されるのは許されて、なぜ農地だけが法人を締め出す必要があるのか?その根拠は?また、投機はいけないというのなら、転用禁止令を出して農地の取引をチェックすれば良いだけの話ではないか。一体何のために農業委員会(農地の売買には農業委員会の許可が要ることになっている)が農地取得を規制しているのか?
更に、川上氏は「株式会社という組織が馴染むとは思えず」と言っているが、そもそもいったい「馴染む」とはどういうことか?もし馴染まなかったら一体どうなるというのか、さっぱりピンとこない。また、荒地が残るといっても、すでに35%の減反政策によって農地は荒地だらけというのが現状である。それでもコメが余って仕方が無いのである。すなわち、彼の言は理屈にもなっていない。
つまるところ、農協は地域社会の崩壊を心配しているのではなく、単に自分達のいう事を聞く従順な組合員の数が減るのを心配しているだけなのだ。
それと、もう1つ農協が農地改革を阻む理由がある。現在、農家への貸し出しはほぼ独占的に農協が占めている。それはなぜか。前述の通り、農地の取得は農業委員会に規制されており、農地を取得できるのは農家と農協に限られている。ということは、農地を所有できないのであるから、銀行などの一般の金融機関は農地を担保にとって農家に貸し出しをすることができない。だが、株式会社が農地を取得できるようになれば、そうした障害が無くなるので、農協以外の金融機関が一気にシェアを伸ばしてくる。農協はこれを恐れているのだ。
● 農業委員会のわがまま
農業委員会も問題だ。農業委員会は農地所有者の集まりで、農地の流動化には極めて慎重である。就農希望者が農業をはじめる為に農地を取得しようとすると却下し、農地の売買は大概認めない。現状を大きく変えることはしたくない、改革なしにこれまで通り農業保護の手厚い政策を続けて欲しいと望んでいる点について、利害が農協と一致している。人手不足は承知している、オラん家にも後継ぎが欲しいといいながらも、自分達の村に全くのよそ者が入ってくるのには反対する。これをエゴといわずしてなんというか。
結局、農業人口を確保し、自給率を保つ為の農業委員会制度が逆に農業の首を締める結果となってしまい、農地の流動化を妨げる大きな一因を担っている。
● 一粒で何度もおいしい「農業」
農業に群がるのは農協、農業委員会だけではない。政治家も官僚も同罪である。度々繰り返される北朝鮮へのコメ支援、これは人道的な理由から行われているのでは決して無い。余ったコメの処分の為である。農業政策の失敗を粉飾する為に行われているに過ぎない。櫻井よしこ女史は週刊新潮12月21日号掲載の記事「また始まった農業バラマキのアリ地獄」のなかで、昨年10月4日に決定した50万トンのコメ支援が決定した時の様子について取材している。
「党外交部会での決定の仕方はまさに噴飯ものでした。普段は滅多に出てこない河野外相や農林族議員らが出席していました。河野外相は、とにかく自分が全責任をとるからやらせて欲しいとの一点張りでした。とくに酷いのは鈴木宗男総務局長で、大きな声で"大臣の意見を聞こう"とか"大臣がおっしゃってるんだからそれでいこう"とか叫んで、そんな雰囲気の中で50万トンの支援が決まってしまいました。18人の出席者のうち、明確に反対意見を述べたのは私1人。あと2人が疑問視する意見を言っていましたが、鈴木氏の大音声に仕切られてしまった。」(自民党平沢勝栄代議士談)
鈴木宗男は、余剰米処理に困っていた農林族議員達のボス的存在である。この鈴木と共産党大好き左翼の河野が手を組んだわけだ。それにしても、50万トンのコメ援助である。コストにすると、1200億円。この売国奴達は、危機に瀕した農業を尻目に、こんなやり方で国民を食い物にしてポイントを稼ぎ、ついでに自らの失政を隠した。
そのあとニュースで日本の援助米が腐敗した北朝鮮幹部に横流しされ、闇市場で売られているのを見た。北朝鮮はとっととコメを売ってその金を核ミサイルづくりに充てたのだろう。
● 利用回数月2回の農道空港
農道空港という空港がある。政府は88年度から全国各地にこの「農道空港」をつくり始めた。目的は、収穫物の安価かつ迅速な輸送である。北海道の十勝西部空港では一年間に約50回の離発着がある。飛び立ってまた降りてきた場合、2回と数えられるので、正味の利用回数は半分の25回となる。つまり、月に2回。空港を1つつくるのには、どんな田舎でも十数億円の建設コストがかかる。加えて維持費が月数百万円。
そもそも、農道空港という発想自体が既に破綻している。なぜかというと、トラック便の方が安くて使い勝手がいいからだ。輸送に航空便を使うと言うことは積み空港までのトラックを手配し、加えて下ろし空港からのトラックも手配しなければならないことになる。深夜便のトラックが常に日本国内を循環しているので、スピードの面でもアドバンテージは少ない。アメリカのように国土が広大な国ならまだしも、日本ではとても割に合わないのは誰でも少し考えればすぐに分かる。
農道空港をめぐる利権に多くの政治家、官僚が群がっているのは明らかだ。こんな農業予算が補助金漬け、無駄遣い農政をつくっていく。
● とことん農業の足を引っ張る政府
ここまで読んで頂いた方は、国はろくなことをしないことがわかって頂けたかと思う。はっきりいって、戦後50年、国が一切農業に口を挟まなければ、どれだけよかったか。日本はアメリカ、フランスのように、農業先進国になっていたに違いないのである。私に言わせれば、政治家、公務員のほとんどは国民の膏血を吸って生きるダニである。本気で国を良くしよう、なんてちっとも考えておらず、国民の税金で安定した生活とぬくぬくした暮らしがしたいだけだ。あわよくば機密費を流用して王侯貴族のような生活をしよう、などと目論んでいる。モラルのかけらもない。
愚痴を言っていてもしょうがないので、ここからは、近年の農業政策に絞って、国がどのように農業の足を引っ張ったか、もう少し具体的に検証していきたい。
最近、コメが余って余ってしようが無い状態になっているのには幾つか原因がある。そしてそのほとんど全てが政府の失政によるものといってもいいくらいだ。
失政その1は、小規模農家が多すぎて、大規模農業への移行を阻んでいる現在の状況をわざわざつくりだしたことだ。1961年、高度経済成長に日本が沸き返るなか、農家所得を急速に伸びる他産業の収入に負けない様確保する為、政府は農業基本法を制定する。これが失敗だった。経済成長が余りにも急だったため、当時農村の若い労働力がどんどん都市に吸収される流れができつつあったのだが、農業基本法により農家の所得が増大したので、このとき、潰れるべき農家が潰れなかった。これにより、農業人口の質、量は悪化し、しかし農家の数は減らないという最悪の結果となった。
これが、農家に残されたじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんによる「3ちゃん」農業のはしりとなる。しかし、除草剤をはじめとする種々の農薬や、小型トラクターの開発等の民間努力により、3ちゃん農業もなんとか効率化がすすんだ。
ここに目をつけたのが政治家、官僚である。農民票に依存する地方地盤の政治家にとっては、大規模な集約農家が少数あるよりも、零細農家が多数あったほうが都合がよい。こうして政治家は「数の論理」を武器に議員数改定に反対し、同時に農家への保護を手厚くし、結果農業の競争力を削ぎ落としていった。これが失政その2。現在、一票の格差は東京都の4、98票に対して島根県の一票にまで広がっている。
因みにこれは自民党だけの話ではない。農協の労働組合である全農協労連は共産党の影響下にあるが、彼らは農協の統廃合に反対し、農協は政治家から政治力の便宜を、自民党は予算の実質的配分権を、共産党は農協の現状維持による党員確保をと三位一体のおいしいトライアングルを築いている。
1962年をピークにコメの消費量は減少の一途を辿り始める。一方日進月歩の勢いで農業技術は進歩する。コメが余るのは自明の理だ。失政その3は、無計画でいきあたりばったりの減反政策だ。
初めて減反政策を行ったのはなんと1969年になってから。7年前にコメ消費量のピークがきているのにもかかわらず、気付くのが遅すぎる。73年には世界的に異常気象により不作となる。驚くべきは、農水省がこれで減反政策を止めてしまったことだ。ところが翌年から再び豊作になり慌てて減反を再開。一体何のためにコメを備蓄しているのやら。その後も何度か迷走しつつ、94年まで懸命に減反と備蓄量減少に励む。で、94年には記憶に新しい米不足となり、タイ米をいれるいれないで大騒ぎとなる。苦肉の策でブレンド米を販売し、世間のみならず国際社会の顰蹙を買ったりもした。これで農水省はちっとも73年の不作から学んでいないことが明らかになった。
その後、またまた備蓄量を増やしすぎ、現在400万トンの備蓄を抱え、保管料だけで年560億円、あまりに古くなり家畜飼料にまわすコメに費やされる金は年間一兆円になるという惨憺たる状況になっているのは前述の通り。
失政その4。安易に補助金に頼った農政。先述の櫻井よしこ女史の記事「また始まった農業バラマキのアリ地獄」の中で、岩手県東和町の町長だった小原秀夫氏は語る。「政府の言うことを守って減反し、クワひとつ取らないでキノコ採りにでも行っていれば、結構、国から金が入ってくるんです。これではやる気のある後継者も農家も育つわけがありません」
ところが、昨年12月5日、政府自民党は、意欲ある農家40万戸を対象に所得を一定水準にまで補填する農業経営所得安定対策を実施する方針を固め、同対策を2002年度からでも実施したいと発表した。まさに、農業にとってとどめの一撃のような政策である。時代錯誤も甚だしい。この政策は農民を公務員にするようなもので、かつてのソ連の国営農場のようなものだ。こんな愚策を考えざるを得ないのは、政府が食管法で需給を完全に統制し、減反を強制し、逆らう者は力でねじ伏せ、その一方で補助金や各種保障で農家の意欲を減退させ、生産の合理化、効率化の努力を妨害してきた結果である。働いても働かなくても所得は一定水準、これはまともな資本主義国家のとるべき政策とはとても思われない。農水省は全く学んでいない。このような補償こそが農家のやる気をなくさせることを。
● 農業生き残りへの途
では、果たして日本の農業が生き残る途はあるのか。結論から言おう。私は、ある、と考える。
昨年コメの自由化が始まり、外国産のコメが自由に入ってくることができるようになった。ただし今は高率の関税(600%)がかかっているため、実際はまだ解禁されていないに等しい。問題は、10年後だろう。この頃には、コメは無関税で入ってくるようになっているはずだ。敵はオーストラリア米とカリフォルニア米だ。
MSNジャーナルの記者の団藤保晴氏は2000年9月27日の記事「無策コメ農政が専業農家を壊滅させる」の中でこうレポートしている。「梅雨時に近くのスーパーでオーストラリア・コシヒカリを見つけて買った。10キロ3400円くらい。梅雨時にもなると温度管理の悪かった国内米は、古米に近づき嫌な臭いを持つ。しかし、南半球のオーストラリアでは新米である。直前に買った北陸産コシヒカリより明らかに美味しかった」
これを見ても分かるように、味の面ではもう完全に同じレベルとなっている。生産コストは日本の4分の1。輸送コストもかかるので、おそらく現在の日本のコメの半額程度で売られるはずだ。つまり、2010年までに生産コストを半分にすることができれば、十分競争に勝てるという計算が成り立つ。それには具体的にどうしたらいいのか。
答えはわかっている。大規模農業を実現することだ。しかし前述のとおり、農地の流動化は難しいため、何か他に糸口を見つけ出す必要がある。農地を売買することなく、大規模農業を実現する方法、これは委託農業しか考えられない。
農家の80%以上が兼業農家であり、高齢で後継ぎのいない農家は多い。しかしこうした農家は先祖伝来の農地を手放すのに忍びないと感じている。だから、いっそ手放すよりは、信頼できる人間に耕作を委託するほうを選ぶ。
愛知県一宮市北方で農業を営む野田さんもそうした委託を受ける立場になった農家のひとつだ。「20年程前から、ご近所さんで離農する人が増えたがや。兼業で(農業を)やっとる(続けている)人も多いけど、趣味みてゃーなもんだわ。ほんでぽつぽつ頼まれる(耕作依頼を受ける)事が多くなってよお。まあこの辺みーんな親戚みてゃーなもんだで。」
閉鎖的な田舎では、歴史的に村落を形成してきた集落単位で、いわば隣組の感覚で土地の集約化をはかるのがベストだ。解決への糸口が見えてきた。
大規模農家への支援、そして委託の促進である。現在、農業への補助金は規模の大小を問わず、一律に支給されている。減反も同様だ。小規模農家はほとんどが兼業なので、農業による収入の多寡は生活に影響を与えない。本業の収入があるからだ。中には数アールだけ耕作して、自分と家族の主食分程度をつくっている人もいる。こうした人にも補助金は与えられる。まずはこうしたアンバランスな行政を改めるべきだ。完全に補助金を無くすか、それが無理なら、少なくとも大規模農家だけに限るか。小規模農家への補助を打ち切るだけでも、ただあそばせておくよりはと、大規模農家への委託が大いに進むはずだ。
日本の農政はこれまで、あくまでも産業政策でなくてはならないのに、社会政策のような間違ったシステムを国民に押し付け、これが当然、という顔をしてきた。ペリーの黒船来航以来、外圧が無ければ変われない体質なのは悲しいことだが、そんなことをいっていてもはじまらない。いまこそ悪弊を正し、改革を行うチャンスだ。
2010年に外国産米と戦うのは大規模農家なのだ。目先の狭い視野を捨て、切り捨てるべきは切り捨てる、そうした断固とした改革をのぞむ。
参考にしたもの
愛知県一宮市北方町で農業を営む野田賢治さんへの取材
MSNジャーナルの記事「無策コメ農政が専業農家を壊滅させる」 団藤保治
日本の危機 新潮文庫 櫻井よしこ著
週刊新潮12月21日号掲載の記事「また始まった農業バラマキのアリ地獄」櫻井よしこ
農水省ホームページ 「食糧自給率と食糧安全保障」