umemurar010704 余暇政策論レポート 「参加型開発」 k990107Y 梅村理恵子

 

 今日、開発プロセスにおける住民参加への関心が高まっている。参加型開発(Participatory Development)には、主にPRAParticipatory Rural Appraisal)―主体的参加型農村調査法―の手法が利用され、今やNGOや政府機関のみならず、研究機関や大学など、開発の現場から政策や理論レベルへとその範囲は広がっている。実際にインターネットで検索してみてもアクセス先は多岐にわたる。新たな視点により、どのような変革が起こっているのか。住民主体の参加型開発の課題と意義について考えていきたい。

 

 開発における住民参加の重要性は、1980年代後半から指摘されるようになった。背景としてどんなことが挙げられるであろうか。1つは様々なアプローチで開発がなされてきた反面、依然として貧困者数は増大し、富の偏在と格差が拡大したことがあるだろう。この事実は戦後の開発や援助の目標であった「経済成長中心モデル」への疑問を強め、開発そのものの意味を問い直す動きが高まったのである。1989年には経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)においても、参加型開発の重要性が強調されている。開発の視点が人間中心へと変化してきたのだ。さらに近年目立つ南のNGOの活発化も背景の1つに挙げられるだろう。南の諸国では、政府の基盤が弱く、特定の富裕層に有利に働く場合が多く、貧困層のニーズに目を向けていない。そのため、自発的に組織化されたNGOが貧困層の立場にたち、その視点やニーズを政策決定過程に反映させるように働きかけ、より公平な開発を目指している。このようなNGOの多くは、貧困の背景はモノやカネの不足よりも、地域住民が自らの生活に影響を与える要因に対し、発言力や影響力をもたないことにあるのではないかと考えるようになってきた。そして住民が自ら問題を解決していくための組織制度づくりを重要視するようになっている。南のNGOのこうした考え方や自国の問題解決のために立ち上がる姿勢は、多かれ少なかれ、その国の多くの人々に力を与えていくだろう。参加型開発の手法であるPRAの発展の源となったのは、1988年のケニアとインドでの参加型のフィールドワークである。その後、インドで主にNGOセクターにおいて革新的に発展し、政府機関も巻き込んで国内のみならず、国境を越えて広がり、相互に影響を及ぼし合いながら、PRAは普及し、発展していった。PRAはフィールド経験の情報交換や研修を通じて主に途上国同志で広まり、この活動を支援した組織の1つはNGOであった。まさに途上国の人々が実践活動から得た知識がPRAの手法となっている点に大いに関心を持った。(以上http://www.jica.go.jp/enjoreport/participation/menu.html、 http://www.mskj.or.jp/getsurei/moriokay0007.html、および『国際協力20007月号』「地球市民社会とNGO」より要約)

 

 では、どのようにして住民が自らの問題を解決するための組織を構成し、行動していくのだろうか。参加型開発に用いられるPRAのアプローチと手法について、より具体的に『参加型開発と国際協力』(ロバート・チェンバース著、野田直人・白鳥清志訳、明石書店、2000年)に基づいて見てみる。まず、参加の前提として、地域住民が自らの生活状況における問題について正しく認識し、その原因を理解する必要がある。そのために、住民自身によって調査、分析がなされる。得られた情報から自分たちに分かりやすいように地図や模型、図表を作成し、表現しあうことで組織内の視覚化による共有がなされる。その情報はさらに分析され、地域住民自身の計画、行動、モニタリングと評価のために利用される。従来のモニタリングや評価は外部者によって、外部者の基準で行われていた。これらの実践例を以下に引用する。−ザンビア貧困アセスメントの一環として、ある女性グループは、まず、自分たちの地域で人々が直面している問題をリストにし、それを因果関係のフローチャートに表した。−この因果関係のフローチャートは開発の計画段階で技術協力の専門家も行っている。−ベトナムの村人は、森林破壊の原因と影響をカードに書いてリストにし、それらを地面の上においてチョークで線を引いて関連性を示し、それぞれのカードの重要性をタネを使って点数で表した。−(紙ではなく)地面やタネを使うのは文字の読めない人にも分かりやすく、組織内のメンバー間で情報を共有するためである。一連のプロセスで重要なのは、外部者(専門家など)の立場である。外部者はあくまでも力添えをするという立場であって、きっかけを作るのである。地域住民が情報を収集し、表現し、分析し、そして計画を立てることができるように、ファシリテート(促す)し、分析の過程を批判的に観察する。主体的な参加をファシリテートするにあたり、外部者と地域住民との信頼関係は最低限の条件となる。外部者の行動様式と態度は仕切るのではなく、コミュニティの中で住民とともに学習する双方向的なものであり、認識し合うものである。既成のデータに固執せず、時間をかけて住民と対話・調査し、ひとつのものに優位性を与えようとせず、多様なコミュニティのそれぞれの情報、意見、価値観、信念を明らかにし、共有するという姿勢が重要である。

 

 このPRAのアプローチと手法によって得られる効果はどのようなものだろうか。地域住民はPRAにおいて、自分たちの知識や経験、欲求を表現し、共有し、調査、分析し、行動するそれぞれの過程で、自分たちでもやることができるという喜びを味わうことができる。女性も男性も社会的地位の低い人も自己の能力に気づき、共働していくことでお互いを高めあうことができる。このように住民は社会への参加の意識と自信を向上し、主導性を高め、個人の能力の発展・強化=エンパワーメントを実現する機会を得る。また自らのニーズを満たすための住民自信の作業は、組織の中での話し合いに基づいて決定されていくのでノウハウ・資源の面でも無理がなく、自主的かつ持続的な活動となる。PRA経験者が他の村でファシリテーターとして、またフィールド学習経験を外部者に提供する指導員として、影響を与えている例も見られた。開花した能力や自らの生活向上のために立ち上がって得た経験は大きな自信となり、ボトムアップ的な波及効果を持っていることが分かる。

 一方、地域住民への効果のみならず、外部者にとっても大きな効果がある。外部者はそれまで気づかなかった地域住民の潜在的能力に気づく。その住民たちの活動を通じて、行動様式や態度を変えなくてはならないという根本問題にぶつかる。外部者の思い込みや支配的な態度を改める機会となり、何より自分自身が変わらなければならないことを認識するのだ。

 

 1990年代半ばまでにPRAと称される活動はおそらく100カ国あまりで実施され、主に主体レベルでのPRA関連のネットワークができたという。中でも活発なPRA関連の活動を行っている国には途上国が多く見られる。参加型開発の概念の発展には途上国が大いに貢献し、途上国から途上国へ、途上国から先進国へと急速に一般的になった。しかし、一方で誤った実践も増えているという。以上、参加型開発について概観した上で、参加型開発の課題を考えていきたい。まず、参加に関して考えられるのは参加の公平性が確保されるかという点である。各地域には地域ごとの習慣があり、価値観も多様である。女性、貧しい中でもより貧しい人々、身分の低い人、障害者などその地域で相対的に低い地位にある人々が、男性、貧しい中でもより生活に余裕のある人々、年長者など上位にいる人と偏見なく、ともに組織を作るのは難しいのではないか。貧困の中でも特に上位にいる人々の意見がそのコミュニティの貧しい人々の意見として一般化されてしまうことは、見過ごされている人々の真意は反映されないままで、真の意味での参加型の開発とは言えないだろう。地域の多様な特性と組織作りをいかに融合させ、組織のメンバーの公平性を確保するかが問題である。外部者は、参加の機会を広げる段階からファシリテーターとなり、両者の仲介者となって、基本的な権利(地域の生活状況改善のために発言する、行動する、そのために参加すること)が地域で認められるよう働きかける役割も担う必要性も出てくる。こうした公平な参加を高めることは、ジェンダーや階級差別の観点から見ても、社会的な公正を促す上で有意義である。

 さらに参加型開発のアプローチ、手法には時間が必要であることをよく考慮しなければならない。見てきたように、参加型開発では住民が主体となって一連の作業を行い、その1つ1つのプロセスを重んじている。それは学習であり、失敗も繰り返すだろう。一連のプロセスにはトップダウン的な開発に比べて、柔軟に対応していくための十分な時間が不可欠である。住民が認識し、協議するこのプロセスが不十分であれば、様々な弊害を招き、得られるべき効果を失ってしまう。外部者はリスクを負うだろうが、時間的制約にとらわれず、長期的性格のこの開発に取り組まねばならない。また参加している住民のモチベーションを保つためにも、協議を密に行い、問題意識やそれまでの成果などを明確に表し、共有することも大切だ。さらに住民と外部者は同じ地平に立っているのだという姿勢を強調しておきたい。

 

 開発援助の対象であった単なる「受益者」から開発の主体へ。この個々人の「生活の質」を問う人間サイドに立ったアプローチは従来のアプローチの限界が実践活動で認識される中で表れてきた。本来持っている個々人の可能性を開花させていく開発の過程は、まさに言うのは容易で、モザンビークの現地報告から実際は本当に試行錯誤であり、複雑な問題(住民の援助への心理的な依存が強く、その意識を変えていくことがいかに大変かということや、参加する住民に生活に困らない程度の余裕があることが参加の前提になってくること)があるのだと痛切に感じた。

http://www.seiryo.ac.jp/iaia-japan/news/news4-2/d00002.html)しかし、多くの失敗、そして実践活動が新たなアプローチの方向性を示していくことは間違いない。コミュニティの多様性に適用するような一定のアプローチなどないのだから、実践活動の体験を情報としてアクセスできるようにし、それが次の問題解決の糸口となるようにフィードバックさせることも大きな意味を持つだろう。コミュニティからコミュニティへと、人間同士の手探りによる模索のなかでいかに人々を、特に貧しい人々を主体としていくか、参加型開発は開発のあり方を日々問いつづける意義をもつのである。

 

http://www.jica.go.jp/Index-j.html

国際協力事業団ホームページ・サイトマップで各事業報告をダウンロードすることができるようになっている。しかし、更新のため、私が使用したものと同じ資料へリンクできない可能性がある。