sator010704  余暇政策論レポート  「これからの日本の教育」〜ゆとり政策から考えて〜

K990130  佐藤理恵

 

 私は今回、平成14年度から実地される、新しい学習指導要領の中の「ゆとり政策」について調べた。「ゆとり」の中で「特色ある教育」によって子供たちに豊かな人間性や自ら学び自ら考える力などの「生きる力」を育成したいという、この政策に私は大賛成である。私たちは今まで、受験のために勉強をしていた。よく言われることに、日本はアメリカと違って、大学に入ることは難しいが、出ることは簡単だという。日本の学生の多くは大学に入ってしまうと、バイトをしたり、遊んだりと勉強をおろそかにする。それでも日本の大学は卒業できてしまうのだ。ここで、断っておきたいが、学生の全てが勉強をおろそかにするわけではない。もちろん、一所懸命勉強したり、大学によっては卒業することが難しい大学もある。しかし、一般的に日本の大学の見られ方として私は述べていることを理解してもらいたい。一般的にこのような傾向がある原因は、大学に入る前にあまりにも学生が勉強しすぎて疲れてしまったからではないかと私は考える。なぜなら、アメリカ、オーストラリアなどの国と比べて日本はとにかく、よく勉強させられる。私がここで「勉強をさせらるる」表現した理由は、多くの子供たちが意欲的に勉強をしていないように思うからである。私がボランティアで教えている何人かの子供たちも勉強嫌いである。あげくの果てには「何でこんなの勉強しなくてはいけないの。」とぼやいている。大学に入る前にこのような調子では、たとえ大学に入っても積極的に勉強するはずがない。コンスタントに勉強していくためには、ゆとりの中で教科書での勉強だけではなく、さまざまな体験を経られるような社会的な勉強も必要だろう。勉強することが楽しいと思えるような、また目的を持って勉強できるような環境を私たちはこれから、つくっていかなければいけないと思う。その第1歩が今回の「ゆとり政策」であろう。私はこの政策の主な点をあげ、それらの利点、欠点を考えていく。そして、その欠点を「ゆとり政策」の意義を十分に踏まえた上で、どのように改善すればよいか考えていきたい。また、これからの日本社会はどうあるべきか考えていきたい。

 まず、私が調べた範囲で今回の政策の中で、今までの教育方針から変わる点は主に4つあると私は思う。1つは完全週5日制になることである。次に授業数が現行より週当たり、2単位時間減るということである。これは、土曜日が完全に休みになるのだから、ゆとり政策を推進するためには当然と言えば、当然の措置だろう。次に教科書の内容をやさしくしたことである。これは、「子供たちは基礎・基本をゆとりを持って学習し、その内容を確実に身につけられるようになる」と文部科学省は考えている。最後に「総合的な学習の時間」を取り入られたことである。この時間を文部科学省は「自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考える力を育成すること」また、「情報の集め方、調べ方、まとめ方などを身に付けること」をねらいとした授業だと述べている。このような授業が効果的に行われれば、さまざまな体験ができて、社会的な勉強ができるので子供たちにとってはたいへんプラスとなる授業だと思う。

 これらの主な点は、ゆとりの中の勉強を進める上での第1段階と言えると思う。しかし、それらは欠点を招く可能性があったり、授業が有効に行われない可能性がある。まず、上述した中で最初の3つ、完全学校週5日制と授業数の削減、それと教科書の内容の簡素化は、親にとって子供の学力低下を心配する種となる。実際にテレビのインタビューで子供の学力低下を心配する親たちが多かった。それにより、子供たちに塾に行かせるような親が増えては、子供は学校と塾とで忙しくなり、ゆとりの中での教育という「ゆとり政策」の意味がなくなってしまう。親が子供の成績を気にするのは、日本の社会が成績重視で人の価値を計っているからである。親が子供の成績ばかりを気にしないようにするためには、人を成績だけで判断しないという社会を築いていくことが必要になってくる。例えば、高校入試や大学入試では成績だけで合否を決めるのではなく、面接や論文を入試に取り入れるようにする。勉強だけでなく、生徒の取り組んできたことも十分に評価されるべきことである。日本の社会が成績重視ではなく、勉強だけでは計れない人の能力などによって人の価値を計るような社会になっていくよう、さまざまなシステムを変えることが必要だろう。現在の社会では20年、30年前と比べると、そのような社会に変わりつつあるが、まだ不十分である。親が成績だけが全てではないと思えるような社会を作らなければ、このゆとり政策は成功しないだろう。

 次に教科書の内容をやさしくしたことについてだが、確かに内容をやさしくしたことで不得意な子にとっては、基礎・基本をゆっくり身に付けられるようになった。その点に関しては評価できる。しかし、その教科を得意としている子にとってはどうだろうか。簡単すぎて物足りないと思う子が出てくる可能性がある。物足りないと思った子は、その授業を受けていても簡単すぎておもしろいと思わなくなり、またその不満部分を塾で満たそうとし、塾に行く子も出てくるだろう。これでは「ゆとり政策」の意味がなくなってしまう。そこで、授業を3つのレベルぐらいに分けてはどうか。例えば、オーストラリアの私の学校では数学が3コースあった。それぞれやる内容はまったく違い、簡単なコースから難しいコースとレベル分けをしていた。私は、これはとてもいいと思った。これなら、数学の不得意な子は簡単なコースの、また、数学の得意な子は一番難しいコースの授業を取れば良い。そうすることで、数学が得意な子は、わざわざ苦手な子に合わせる必要がなくなる。また、先生の方も子供たちのレベルに合わせて教えることができるのだから、教えやすいと思う。今までは、その教科を不得意とする子がクラスにいても先生は彼らに合わせて教えることができず、またその子供の方もその授業についていけず、勉強が楽しくなくなってしまうという傾向があった。しかし、レベル分けすることで、生徒も先生もお互いにそのようなメリットがあるので、この授業システムを日本でも取り入れるべきだと私は思う。

 最後に「総括的な学習の時間」を設けたことに対して、私はとても良いと思うが、具体的なことが何も述べられていなかったので、その時間を学校で有効に活用できるか不安がある。この時間は小学校でも設けられる。小学校では、その時間の中で「国際理解教育の一環として子供たちが外国語に触れたり、外国の生活や文化などに慣れ親しんだりするなど、小学校段階にふさわしい体験学習を取り入れることにより英会話の学習などもできるようになります。」と文部科学省は述べていた。これもたいへん良い考えなのだが、やはり具体的なことは何も述べておらず、どのような授業になるのか少し不安である。私の案として、国際理解教育をすすめるのなら、地元の外国人と彼らの母国の料理やおもちゃなどを一緒に作ることで楽しく、彼らと触れ合えれば良いと思う。黒板の前に机を並べた授業ではなく、何かの作業を一緒に行いながら、彼らとコミュニケーションをとる。それによって、子供たちは異文化に興味をもったり、外国人と共存していかなければいけないという考えが生まれてくるだろう。また、私からもう1つの案として、生涯学習推進センター[1]を利用したら良いのではないかと考える。「生涯学習とは、一人一人が生きがいのある充実した生活を送るために、各人が自主的・自発的意思によって、必要に応じて自分に合った手段と方法で生涯を通じて行う学習である。」と生涯学習推進の意義が書かれてあった。そのセンターでは、あらゆる催しものや講座を開いている。そこで、私たちは自分の中の不足部分(生涯部分)を補い、また、そこで出会った人々とふれあいを深め、個人の人生を充実させることができる。そのようなセンターがあるのだから、授業の中で大いに利用すべきである。教科書の中だけの勉強だけではなく、社会的な勉強をするためにも、この授業を有効に使われることを願う。

 これまで、文部科学省がかかげた「ゆとり政策」について、いろいろと述べてきたが、欠点さえ直せば、とても良い学習システムだと思う。最後にもう1つ、「ゆとり政策」に通ずると思われる施策がある。それは、中高一貫教育の推進である。[2]年々、中高一貫学校が増えている。中高一貫教育の最大のメリットは、高校入試が行われないか、もしくは高校入試がある場合でもその影響が少ないので、時間的にも精神的にもゆとりを持って6年間の学校生活を送ることができるということである。中高一貫学校には3種類あって、そのうちの2つの「中等教育学校」と「併設型の中学校・高等学校」には高校入試がない。3つ目の「連携型の中学校・高等学校」には高校入試はあるが、その試験内容は面接や作文、実技などであり、調査書や学力試験などではないので、それほど負担になるようなものではない。もし高校入試があれば、中学生活でさまざまなことに挑戦できる期間は基本的には中学1、2年のたったの2年間だけとなる。また、高校に入っても大学入試があるので、あらゆることに挑戦できる期間はここでも基本的には2年間だけである。中高一貫学校なら大学入試を受けるとしても、基本的に5年間もさまざまなことを経験する時間がある。小学校の6年間とは違い、自分のしたいこと、やってみたいことなどが見つかり始めるころなので、この5年間だとゆっくりと、あらゆることに挑戦できるように思う。さらに、勉強の面でも高校入試がないので、中学3年生になって入試対策のようなことをしなくてすみ、中学3年間分の勉強をゆっくりとできて良い。このようなメリットがある中高一貫学校は良いのだが、何も新しく学校を建てなくても良いのではないかという意見もある。確かに、少子化が進んでいるにもかかわらず、学校を増やしても廃校となる学校が出てくるだけである。では、いっそうのこと高校入試を廃止にすれば良いのではないだろうか。たとえ、あったとしても実技や作文、面接などにして学力試験を行わないようにする。ゆとりある生活の中での勉強を目指すなら、このようなシステムに変える必要があると私は思う。

 このように「ゆとり政策」を行うためには、あらゆるシステムを変えていかなければならない。まだ、日本では成績重視で人の価値を計る傾向が根強い。そのような社会を成績以外でも人の価値を計れるような世の中にしなければならない。そうしなければ、この「ゆとり政策」は何の意味も持たなくなるだろう。そのような社会にするための第1歩として高校入試を廃止することを私は提案する。たとえ、高校入試を設けるのであっても、学力試験ではなく、作文、実技、面接などを試験科目とするべきである。上述したように、高校入試があるがために中学生はゆとりを持って勉強することはできない上に、さまざまなことに挑戦する時間もないのである。高校入試を廃止、もしくは学力試験ではなく、作文や面接などに変えることで、中学生には何の不安を持つ必要もなく、また試験準備をする必要もないので、中学3年間をゆっくりと勉強したり、さまざまなことに挑戦する時間ができる。このようにシステムを変えることで、日本の社会を成績重視から個人能力重視に転換できる第1歩だと私は考える。「成績が全てではない」という考え方を日本でも根付かせるために、日本の社会のシステムをいろいろと変えていく必要があるだろう。

 



[1] http://wwwwp.mext.go.jp/jyy2000/index-52.html

我が国の文教施策:第1節 生涯学習推進体制の整備

 

[2] http://wwwwp.mext.go.jp/jyy2000/index-62.html#TB2020301

我が国の文教施策:魅力ある高等学校づくりと中高一貫教育

 

参考ホームページ

 http://wwwwp.mext.go.jp/jyy2000/index-60.html#ss3.3.1.1.1

我が国の文教施策:第1節 自ら学び自ら考える教育を目指して