sasakit010704 余暇政策論レポート 「政治に影響される観光地」 k990126 佐々木 哲夫

 

序 はじめに

 私は高校時代にインドネシアへ留学して以来、栃木県内のロータリークラブの留学関係に携わっている。毎年高校生たちが1年交換留学プログラムへ応募し、10人前後が栃木県から世界へと派遣されている。1996年及び1997年は1人ずつ派遣されてはいたが、1998年の政変以来、派遣が休止されている。それは現地情勢の不安定化がもっとも大きな要因である。確かに外務省の海外危険情報により、法的拘束力はないものの、不急の渡航の延期を勧告する「海外旅行延期勧告」(危険度2)などが発令される。ちなみに現在の首都・ジャカルタは危険度1の「注意喚起」(渡航・滞在に特別な注意を必要とする)が発令中である(参照;外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/)。そうした中、あえて危険地域へ子供を送り出そうとしない親(保護者)がいるだろうし、こちらとしても安心して子供たちを送り出すことが出来ない。

 同じようなことが観光地でも言えよう。例えば、あえて今、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ等に行こうと思う者は少ないだろうし、周囲も心配するだろう。そうした観点から見ると、受け入れ側、すなわち現地の観光地はその時々の政治状況や治安状況で左右されることになる。そうしたことからも、今回は私にとって馴染みの深い、インドネシア・バリ島について考えてみようと思う。

 

 

1 インドネシア政治の主な概要

面積が約192.3万平方キロ(日本の約5倍)と広大で、人口も約2億400万人と多いこの国は、今変革期を迎えている。各マスコミにも取り上げられているアンボン島における宗教[1]紛争、アチェやイリアンジャヤの独立問題等、問題は山積している。政治体制は共和制で、国家元首は大統領。1945年の建国以来現在までの56年間で歴代大統領は、初代スカルノ(Soekarno、1945-68、但し1967-68はスハルトが大統領代行)、第二代スハルト(Soeharto、1968-98)、第三代ハビビ(Habibie、1998-99)、第四代アブドゥルラフマン・ワヒド(Abdurrahman Wahid、1999-現在)の4人のみとなっている。また、議会は国民協議会(MPR、Majelis Permusyawaratan Rakyat)と国会(DPR、Dewan Perwakilan Rakyat)に分かれている。MPRは国権の最高機関。憲法制定・改定、正副大統領の選出、「国策大綱」の策定等を行う。大統領弾劾も可能である。従来は5年に1度の開催だったが、1998年のハビビ政権による憲法改正により、毎年開催となった。議員定数は700名(従来は1,000名)。内訳は500名が国会議員と兼任、残り200名の内、135人は地方代表議員(27州×5名)、各種団体代表が65名となっている。ちなみにアブドゥルラフマン・ワヒド(厳密には「ワヒド」とは彼の父親の名前であるため、以下、愛称の「グス・ドゥル(Gus Dur、ドゥル若君)」を用いる)大統領は各種団体代表(ナフダトゥール・ウラマ(以下、NU)代表)である。任期は5年。一方DPRは法律案の審議・承認等を行う。一院制で定員は500名。内462名が総選挙(各州毎の比例代表制選出)による。残り38名は大統領による国軍任命議員(軍人は選挙権及び被選挙権を有しない。その代わりに大統領任命による議席を確保し、一定の発言力を保つ。次回総選挙では国軍枠は廃止予定)。任期は5年。ちなみに99年6月7日実施の総選挙結果は資料1の通り(次回総選挙への参加条件となる10議席以上獲得した政党のみ)。

さて、大統領の役割は次のようになっている。

(イ)国家元首、行政府の長(首相職はない)。内閣は大統領の補佐機関で、国務大臣は大統領が任命。(1945年制定、インドネシア共和国憲法第17条)

(ロ)国軍最高司令官。(同第10条)

(ハ)「国策大綱」に沿った国政運営を行い、MPRに対し責任を負う。

(ニ)DPRは大統領を罷免できず、大統領は国会を解散できない。

(ホ)大統領が任期内に物故、停職またはその職務を遂行できない場合は、任期終了まで副大統領がこれに代わる。(同第8条)

(ヘ)任期は5年。(同第7条)

(参照;インドネシア共和国憲法 http://travel.nifty.com/fworld/indonesia/const/

 

 今現在、インドネシア政局で大きな焦点になっているのが、(ニ)と(ホ)である。(ニ)については、グス・ドゥルが「国会を解散する」という趣旨の発言をし、弾劾ができないDPRに対し、強気な方針を貫いていることである。これは明らか問題発言である。また、5月にDPRはMPRに対し、大統領弾劾に向けた特別総会開催を要求した。ゆえに、その後の政局については幾つかのシナリオが想定される。

【シナリオT】大統領弾劾

DPRの弾劾要求を受けてのMPRで、弾劾がもし決定された場合、メガワティ副大統領が憲法に沿って大統領へ昇格する。今のところこの可能性が最も高いと言われている。現在インドネシアの政局は、「ワヒド後」を見据えて、メガワティ氏の昇格により空席となる副大統領に、ハムザ・ハズ開発統一党党首を推す等、慌しい動きを見せている。また大統領側も、小規模ながら内閣改造を行ったり、国軍・警察人事に介入したりするなど、弾劾阻止に向けて動いており、両者の妥協があるかは分からない。

しかし問題が無いわけではない。東ジャワを拠点とするNUやグス・ドゥル大統領の支持者が、弾劾に反対する不穏な動きを見せていることである。また、国際的にも政治手腕が未知数の「メガワティ大統領」となると、更なる政治混乱が引き起こされる恐れもあり、予断を許さない状況が続くこととなる。

【シナリオU】大統領が強権発動

 大統領陣営が現在模索している動きとしては、DPRがMPRに弾劾を求める決議を行った後、大統領がMPRの特別会開催を阻止するため、非常事態宣言の大統領令を発令し、国会の解散、または凍結を行うことである。インドネシア憲法第12条によるものである。先日、大統領報道官が示唆した。更には、DPR総選挙の繰り上げ実施をも視野に入れているといわれている。これに関連し、スシロ・バンバン・ユドヨノ政治・社会・治安担当調整相(当時)ら主要7閣僚は危機打開策を大統領に提示しているが、大統領側はこれを不服としている。ただ、国軍は5月19日に現役・退役双方の最高幹部らと協議した結果、国軍の総意として非常事態宣言には賛成しかねることで一致した。大統領自身は、「二十六日午前零時までに(大統領弾劾を狙う)特別国民協議会の開催断念の兆しが見られない場合、国家非常事態宣言を発令し、繰り上げ総選挙を行う」(2001年5月26日 じゃかるた新聞)と述べているが、5月28日現在、非常事態宣言は発令されておらず、この発言も野党へのけん制発言と見られる。

【シナリオV】大統領弾劾をMPRが拒否

 今回の政局混乱、当初はブルネイ・ゲート事件などの一時的な混乱に見えたが、その後の大統領発言などが火に油を注ぐ形となり、現在では大統領の政治手法・統治能力自体への疑念・不信となっている。それ故、副大統領への大統領権限委譲などでは収まりそうもない。グス・ドゥル大統領自身も、副大統領への権限委譲は昨年、約束しておきながら反古にした経緯もあり、今回も「政策決定権と人事権だけは譲れない」と強気の姿勢を崩していない。しかし、政策決定権や人事権が今のままでは、いくら副大統領に他の業務を委譲したところで、副大統領は大統領の手足となるばかりである。メガワティ副大統領も、自分は大統領選とは別個の副大統領選で選出されたので、大統領の部下になる必要はない、と権限委譲を拒否しており、先行き不透明な情勢である。

 

政 党 名

得票率

議席数

党 首 名

闘争民主党

33.74%

153

メガワティ・スカルノプトリ

ゴルカル党

22.44%

120

アクバル・タンジュン

開発統一党

10.71%

58

ハムザ・ハズ

民族覚醒党

12.61%

51

マトゥリ・アブドゥル

国民信託党

7.12%

34

アミン・ライス

月星党

1.94%

13

ユスリル・イザ・マヘンドラ

 資料1 DPR各政党議席数(出典;外務省ホームページ)

 

 

2 どのようにして影響が及んだか?

インドネシア政府は1960年代、それまでも宗主国のオランダによる観光開発は行われていたが、外貨獲得などを目的としてバリにおいて観光開発を始めた。

現在バリ島は、日本人が訪れる世界の観光地で、最も渡航者数が多い地域の一つとなっている。特にヌサ・ドゥア[2]やクタ・レギャン[3]等は、世界中から若者が集まり、バリの中で最も発展した地区の一つである。他方、ウブド[4]は「芸術・芸能の都」とも呼ばれ、人々を魅了し続けている(写真1〜3を参照)。しかし、それが一転、政治による影響をもろに、それも日本人が受けた事件があった。

【邦人約340人が足止め インドネシア・バリ島】

「インドネシア大統領選で敗北した闘争民主党メガワティ党首の支持者らによる混乱が起きた観光地バリ島で21日夜、日本航空便の欠航や、空港への道が閉鎖された影響で、観光客ら日本人約340人がバリ島から出られなくなり、約140人が空港で一夜を明かした。

日本航空の現地事務所によると、デンパサール発ジャカルタ経由成田行きのJAL726便が欠航。乗客約230人全員が足止めされたほか、関西空港発デンパサール経由ジャカルタ行きJAL713便に搭乗予定の乗客のうち約100人が空港にたどり着けなかったという。

現地は22日に入って平静を取り戻しており、日本航空は振り替え輸送などをしているが、正午現在で依然約200人が残っている。全員がバリ島を出るのは24日ごろになる見通しという。

東ティモール避難民支援のための自衛隊機派遣に向けた政府調査団16人も空港で足止めされたが、22日朝、ジャカルタに向かった」(共同通信ニュース速報 1999年10月22日)

1999年10月22日、日本人観光客がバリ島・ングラ・ライ国際空港に足止めとなった。これは同日の大統領選で敗北したメガワティ・闘争民主党党首の支持派がバリ島各地で暴動を起こしたため、空港が一時閉鎖となってしまった。普段、あまり地勢に明るくない旅行者は、インドネシアとバリ島とを別個にして考えており、今までは両者を隔てる「カーテン」が存在していた。しかしこの日、突然カーテンが引き上げられてしまった格好である。

資料2にもある通り、我が国からインドネシアへの渡航者数は、非常に高い数値を示している。観光客のほとんどはバリ島へ足を運び、バリ島はインドネシア随一の「外貨獲得地」であった。しかし今回(1998年)からの一連の政変は、この観光地・バリにも飛び火し、観光客は激減した(資料2)。これはやはり序章にも書いた通り、敢えて危険地域へ行く事もなく、南国のリゾートであればタヒチやモルジブもあるのだから、そちらへ客足が逃げたのであろう。今回は「客足が逃げた」証拠となるデータがなく、手元のデータを自分なりに分析したものである故、正確かどうかは分からない。

では何故、今回バリはメガワティ支持に回ったのだろうか?それは、メガワティの祖母(スカルノの母)がバリの貴族出身で、バリ人の血を受け継いでいるからに他ならない。故に、バリはメガワティ氏の支持基盤の一つで、最重要地域である。今まではスハルト政権の強圧的治安維持により、自らの意思表明を行えなかったが、スハルト政権が崩壊し、言論の自由が保障されるようになると、政治的なデモが頻発するようになった。そして今回の大統領選。誰もがメガワティ氏の勝利を信じていたが、立候補受付締め切り直前の土壇場になり、グス・ドゥルという対抗馬が現れ、「イスラムにおいては、女性を指導者にすべきではない」「政治手腕は未知数」などのメガワティ批判が功を奏したかどうかは定かでないが、グス・ドゥルが第4代大統領に選出された。これを聞いたバリの住民が抗議の為に騒乱を起こし、空港への道路が封鎖する事態と相成ったわけである。

つまり、現在のインドネシア情勢を見る限り、日本人が最も海外に脱出する時期である7月末以降の夏休みシーズンが、インドネシア政局にとっては大統領弾劾を審議するMPR開催や、その前後の予想される混乱など、最も重要な時期であるから、危険、とまでは言わないが、政情不安定が更に深まるものと予想される。そうなれば、上記の記事のように空港で足止め等が起こらないとは言えない。故に、今後も海外旅行者数は増加するとは思うが、それは渡航先の政治状況なども少しは考慮し、考えて行動しないと、住民に不要な刺激を与えたり、自らが事件に巻き込まれたりする可能性がある。たかが観光、されど観光。遊びに行くのは結構なことではあるが、最低限の心構えだけはしていって欲しいものである。

 

資料2 インドネシアへの海外旅行者数

(参照;(社)日本旅行業協会 保存版旅行統計 http://www.jata-net.or.jp/jt/tokei/004/1.htm

 

写真1 ウブドの街並み(著者写す)       写真2 ウブド王宮のレゴンダンス(著者写す) 写真3 ウブドの絵画ギャラリー(著者写す)

 

参考ホームページ

加納啓良ホームページ http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~hkano/

東京大学東洋文化研究所・加納啓良氏のページ。インドネシアの政治などに興味のある方には有為なページ。

 

じゃかるた新聞 http://www.jakartashimbun.com/

スハルト政権崩壊後、ジャカルタ在住邦人向けに発刊された日本語紙のページ。インターネットでも最新のニュースが読め、情報源として価値のあるページ。

 

インドネシア文化宮 http://www.harapan.co.jp/Indonesia/GBI/GBI_index.htm

インドネシアの週刊誌『GAMMA(ガンマ)』東京支局が作成し、インドネシアに関する情報を発信するページ。

 

バリにおける観光表象の変遷 http://www.tr.rikkyo.ac.jp/~inagaki/Bali.pdf

立教大学社会学部・稲垣研究室の調査報告書。バリ島におけるリゾートグループを研究。

 

世界観光機関(WTO)アジア太平洋事務所 http://www.rinku.or.jp/wto/

世界規模の観光全般について書いてある。データも豊富にあり、観光業に興味のある方は必見。

 

 



[1] イスラム教87.1%、キリスト教8.8%、ヒンズー教2.0%、その他に仏教、アニミズム等がある。世界最大のイスラム人口を抱えるが、イスラム教は国教ではない。

[2] 1980年代中頃、インドネシア政府がリードしてヌサ・ドゥアビーチを開発。コンセプトは「東洋一のリゾート」。この地区は従業員やタクシー運転手などの観光産業関係者以外の現地人を割れ門(ゲート)から先への立ち入りを禁止し、旅行者とバリの生活を完全に分離する。高級リゾートが集まる地帯で、バリでは独特の雰囲気をもっている。

[3] 静かな漁村に、サーフィンの波を求めにオーストラリアなどの若者が集まり始めたのがクタの始まり。その後、ヒッピーなどもこの地を目指し始め、今では若者観光の一大スポットとなった。レギャンはクタに隣接する地区。

[4] クタ等の南部リゾートエリアの発展とそれに伴う観光公害を反面教師とし、村人たちが自主的・計画的に観光地化していった。「ウブド」とは狭義で「ウブド村」をさすが、通常は周辺のプリアタン村、プンゴセカン村、チャンプアン村、サヤン村、クデワタン村などを含めた地区の総称として用いる。街には絵画ギャラリーが多数営まれており、夜になると各村毎に民族芸能が上演される。