余暇行政論レポート

国際学部国際文化学科2年 990526A 斉藤純子

ジブリ・宮崎駿の世界

1.はじめに

http://www.ntv.co.jp/ghibli/index.htmlより〉

「ジブリ」とは、宮崎駿・高畑勲の両監督を中心に劇場用アニメーション映画の制作を行ってきたスタジオのことである。ここはこれまでに、『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『もののけ姫』など数々の長編作品を世に送り出してきたという実績を持つ。今回はこれらの原作・脚本・監督と全ての役割を(一部を除いて)手掛ける宮崎に視点を合わせ、彼の思想に迫っていく。

 

2.宮崎駿について

 

http://plaza14.mbn.or.jp/~TRZ379/より〉 

1941年1月5日、東京都墨田区生まれ。飛行機会社の役員だった父親や、戦記好きの長兄の影響下、読書や漫画を描いて幼年期を過ごす。1963年、学習院大学政経学部卒業。在学中には児童文化研究会に所属。これこそが宮崎ワールドの出発点とも言える。同年、東映動画に入社。『長靴をはいた猫』の場面設定・原画を担当するなど多くの長編作品に参加後、1978年に『未来少年コナン』を演出し注目を集める。以後、『ルパン三世カリオストロの城』で初の劇場作品を監督、今までにはなかったルパンを作り上げた。自分自身で原作をつとめたのは『風の谷のナウシカ』が初めてとなる。そしてこの頃から、宮崎はアニメの中に「宮崎思想」を反映させていると思われる。それはただ単にストーリーを展開させていくのではなく、何らかの問題を必ず提起している点にある。例えば『風の谷のナウシカ』では、環境問題。これを見た後に、現代社会の自動車の廃棄や、人間が発明した環境に対して影響を与える便利なモノの利用をやめようと訴えているのでは?と感じる人が多い。確かに映画の主人公(=ナウシカ)は、「自分たち人間側に非があるのではないか。」というような感情を抱いていることを自分の師に告白しており、これは宮崎自身の声といっても良い。映画を通した彼なりの社会への訴えは、「すべての人間が自然に戻る」ことを望んでいる心の表れなのかもしれない。

また、彼の思想の一つに、「自分のために映画を作るな。子供のために作れ。自分のために作るんだったら本を読め。」というものがある。これは宮崎がスタジオジブリの若者たちに言っていた言葉であるが、その言葉通り、彼の作品はいつも子供中心に制作され、結果として大人の支持をも集めている。特にジブリの全貌を表すこととなる『となりのトトロ』(1988)は劇場でこそうけなかったが、幅広い「ビデオ」の中で親しまれ、徐々に子供の心を掴んでいったのである。子供たちに「宮崎駿のアニメ(=映画)を見たことがあるか?」と聞けば、その答えの大半はYesであろう。これは憶測ではなく、映画の動員数・テレビの視聴率・ビデオの普及率から明らかである。そして、大人の支持があることも忘れてはいけない。

 

3.「もののけ姫」で見る宮崎思想 〜世界へ広がる宮崎ワールド〜 

 

http://www.ntv.co.jp/ghibli/Pmo/nissij.htmlより〉

今、冒険活劇と言えばアメリカ映画と相場は決まってしまっており、膨大なお金をかけて派手な見せ場を作り、アメリカ人の主人公が活躍する。日本人はただそれを観るだけにすぎない。いつからこのようになってしまったのか。また、デジタル技術の進歩によって、近年のハリウッド製アクション映画はどんどん見世物化が進んでいる。見世物のためだけの見世物。宮崎駿原作・脚本・監督による最新作の『もののけ姫』は、こんな状況に敢然と挑む野心作である。以前から『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』など、宮崎作品にも冒険活劇はあった。しかし『もののけ姫』で宮崎監督が選んだ舞台はなんとこの日本。制作費・制作期間ともに従来のスタジオジブリ作品の倍以上をかけた本作は、日本映画界久々の、日本人の手による一大娯楽冒険時代活劇なのである。

 ますます混沌の度合いを深めるであろう21世紀に向かって、宮崎はこう述べる。「世界全体の問題を解決しようというのではない。荒ぶる神々と人間との戦いにハッピーエンドはあり得ないからだ。しかし、増悪と殺戮の中にあっても、生きるに値する事はある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る。」宮崎が持てる情熱の全て注ぎ込んで、最も過激かつ空前のスケールで描き出す感動の一大叙事詩『もののけ姫』。ディズニーによる世界配給が決定している本作は、世界に対する日本からのメッセージでもあるのだ。(上の図は『もののけ姫』の英語版ポスターである。)

 

4.三鷹の森「ジブリ美術館」(平成13年10月開館予定)

 

〈「ジブリ美術館イメージ画」http://www.ntv.co.jp/ghibli/museo/index.htmlより〉   

 正式名所は「三鷹市立アニメーション美術館」。これを通称で「三鷹の森ジブリ美術館」としている。宮崎はこの美術館の設立にあたって次のように述べている。

  おもしろくて、心がやわらかくなる美術館。いろんなものを発見できる

  美術館。キチンとした考えがつらぬかれている美術館。楽しみたい人は

  楽しめ、考えたい人は考えられ、感じたい人は感じられる美術館。そし

  て、入った時より、出る時ちょっぴり心がゆたかになってしまう美術館!

  こんな美術館にしたい。

          http://www.ntv.co.jp/ghibli/museo/miyazaki.htmlより〉

そのために、建物それ自体が一本の映画となるように作りたいと彼は続ける。威張った建物、立派そうな建物、豪華そうな建物、密封された建物などはここでは何の意味もなさない。美術館を訪れる人々が映画の登場人物となりうる、または美術館にいながらも映画館にいると思わせる、そんな独特の空間を宮崎・スタジオジブリは目指す。

 展示物については、ジブリファンにとどまらず多くの人々が喜べるような構成になるよう心掛けており、年齢を問わず、誰もがアニメーションへの新しい見方を発見できるであろう。また、最近では《小学生はお断り》等の看板を見かける所もあるが、この美術館では小さな子供たちも一人前に扱いたいとしており、自ら経験しながら公共施設での行動を身に付けることが可能となる。映画での問題提起だけでは終わらないのが宮崎思想の奥深さでもある。「ジブリ美術館」には宮崎の全てが詰まっていると言っても過言ではない。美術館はまさに彼の集大成なのである。

 [美術館へのアクセス]

JR中央線三鷹駅から玉川浄水沿いに歩いて約15分、吉祥寺駅から歩いても約15分のきょりにある。(平成12628日時点)

 

5.おわりに

 宮崎駿は、大人の視点で問題を発見・提起し、子供の立場から映画を作成することでその問題の重要性を語っている。そして彼の思想は映画という媒介を通り、観客の心へ到達していくのだ。さらにはビデオとなって、半永久的に私たちへ訴えを投げかけている。一見娯楽の領域にあると思われる映画は、宮崎の手によって学校には存在しない教科書と姿を変え、子供ばかりではなく、大人にまでも何かを考えさせてくれるのである。

作品の大半は「自然」に関したものとなっている。だがそれは、「自然」だけではなく私たち現代人が忘れてしまった心そのものなのかもしれない。宮崎思想とは本来誰にでもなくてはならないもの。私はその思想を映画と同様、「ジブリ美術館」で多くの人に感じとってほしいと思う。

 

参考文献

http://www.ntv.co.jp/ghibli/index.html

http://plaza14.mbn.or.jp/~TRZ379/

http://www.ntv.co.jp/ghibli/Pmo/nissij.html

http://www.ntv.co.jp/ghibli/museo/index.html

http://www.ntv.co.jp/ghibli/museo/miyazaki.html