余暇行政論レポート

 

                       国際学部国際社会学科2年

 

                     磯 加奈子(990103M)

 

   

スポーツと余暇

 

 スポーツは、人生をより豊かにし、充実したものとする、人間の身体的・精神的な欲求にこたえる世界共通の人類の文化の一つであるといえる。体を動かすという人間の本源的な欲求に答えるとともに、爽快感・達成感・他者との連帯感等の精神的充実や楽しさ喜びをもたらし、さらには、体力の向上や精神的なストレスの発散、生活習慣病など、心身の両面にわたる健康の保持増進に有益である。競技スポーツに打ち込む選手のひたむきな姿は、国民のスポーツへの関心を高め、国民に夢や感動を与えるなど、活力のある健全な社会の形成にも貢献するものである。また、スポーツを振興することは、スポーツ産業の広がりとそれに伴う雇用創出等の経済的効果を生み、日本の経済の発展に寄与するとともに、国民の心身両面にわたる健康の保持増進に大きく貢献し、医療費の節減の効果等が期待されるであろう。 

 

今回は「見るスポーツ」として日本国民に最も浸透しているプロ野球に焦点を置きたい。

以下http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/801665/8co8dcf8cf889ca-0-2.html参照 

西武鉄道は17日の1999年3月期決算発表で、「西武ライオンズの松坂大輔投手は約11億円の経済効果があった」と説明し た。西武球場のドーム化による人気も手伝って球場関連の売上高が 対前年比9億円増えたのに加え、鉄道事「球場関連で2億円の 増収」と弾き、合計額をすべて「松坂効果」と判断した。 松坂投手の年俸は今年、1300万円から7000万円(推定)にアップしたが、新人としては史上最高の増額も出し惜しみと言え るかもしれない。プロ野球の公式戦は、雨天中止がこれまで年間5〜10試合あったが、昨シーズンはドーム化でゼロ。このため、公式戦66試合で対前年比47万人増の178万8000人が観戦し、入場料や各種販売が伸びた。野球以外のガーデニング展やコンサートなどイベント利用も順調だった。 決算は、ハワイのホテルリゾート子会社の株式売却損を、国内不動産の売却益やリストラ効果で補い、経常利益は176億円と過去最高。売上高も前年比4・3%増の1962億円で、5期ぶりの増収増益だった。

 

スタジアムという劇空間

「プレイボール」という呪文がかけられた瞬間、そこにあった単なる球と棒切れは、生命を吹き込まれ、ボールとバットという野球にはなくてはならない文化的道具に変わる。そして、グランドに引かれた白線は、ただの空間をプレイゾーンに変えてしまう魔法のラインとなり、人々はルールという行動規準にそって展開される。社会から遮断された、一種の劇場空間である。

そこに集まった人々は、匿名性のストレンジャーである。何の利害関係も持っていない。もちろん、なぜそこに居るのかという理由はそれぞれだろうが、野球を観るスタジアム、それを構成する一員として参加していることに間違いはない。

 

近代都市における感情の飛び地としての「みるスポーツ」

現代社会は息苦しい。現代社会には安心して座れる場所がどこにもないのだ。学校にも、家庭にも、ましてや地域にも。若者の中に拡がっている携帯電話は、常に、自分の居場所を誰かに確認していて欲しいという現れであり、彼らは、目に視えない電波に自分を仮託しているのだ。いや、姿が視えないことこそ重要なのだ。つまり、神戸児童殺傷事件の少年が言う「透明な存在であり続けること」こそ、彼らの安住の場所なのである。それは、まるで「かくれんぼ」のように、見つけられたくないが、見つけられなかったらどうしようと思う気持ちと似ている。見つけてもらえない、つまり、無視されるのが恐いのだ。しかし、野球スタジアムはちがう。ここには居場所がある。無視されるのではなく、余計な干渉がないだけだ。しかも、感情をあらわにしていい。まるで、現代社会のブラックホールのような存在だ。犯罪は社会を映す鏡とはよく言ったものだ。ちょっと前までは、グリコ・森永事件のように、劇場犯罪と呼ばれるものだった。しかし、今の犯罪は激情犯罪だ。なんとなく人を殺したとか、誰でもよかったとか、むしゃくしゃしてやったというように、犯罪の動機を既存のボキャボラリーではうまく説明することができない。これは、感情が優先する「激情化社会」が出現したとしか思えない。近代は、感情を制御することによって成立してきた社会なのだ。だからと言って、われわれから感情がなくなったわけではない。日常は、多くの場合、感情によって行動しているのである。しかし、感情通りに行動することはよくないとされるエトスによって、われわれは感情や欲求を抑える生き方としての禁欲主義を強いられたのだ。しかし、皮肉なことに、感情や欲求は抑えられれば抑えられるほど、逆に膨らみ、この禁欲主義が新たな欲望を生んできたのも事実である。近代以前はそうではなかった。感情の身体的表現である暴力だって、誰かにコントロールされるべきものではなかったのだ。日本の風土は、息抜きの構造をもっていた。たとえば、日本建築はよくできたもので、隙間風があるから、常に密閉されることなく、自然を取り入れ、自然と一体化する構造になっていた。しかし、西洋の近代建築を採り入れた都市づくりは、自然と対峙し、機能的につくられているがゆえに、とても息苦しいものとなったのだ。そこで、近代都市における感情の抑制の飛び地として、「みるスポーツ」は誕生した。ここでは暴言を吐くことも、暴力的行為も許されるのである。プレイヤーが試合中に喧嘩をし、たとえ相手を傷つけたところで、障害事件として警察がスタジアムの中に入ることはない。都市空間の中に、一種の解放区が出来上がり、それは近代社会の秩序の安全弁としての機能を担うことになったのである。

 

(まとめ)

スポーツの楽しみ方として、スポーツを競技場で観戦したり、テレビで見たりする「見るスポーツ」の重要性が高まっている。こうした中で、多くの人々に親しまれているプロスポーツは、青少年のスポーツへの関心を高め、スポーツの裾野を広げる役割を果たすとともに、プロスポーツの競技者の高度な技術は、スポーツ全体の競技力の向上にも貢献するなど大きな意義を有している。

参考資料

http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/5082/entrance.html