2004/10/18 卒論指導
松本千穂
1. 卒論に向けて。書いていくこと。
@ 日本における競馬発祥の歴史
A 中央競馬と地方競馬の成り立ち(競馬法などを絡めて)
B 中央競馬の実状(実際の競馬場の雰囲気・キャンペーンなどを考察)
C 地方競馬の実状(宇都宮・大井・園田競馬に行った時の印象)
D 消える地方競馬
E 競馬の文化的価値
F 競馬の今後 以上を内容によって章立てていく。
また、宇都宮競馬を支援する会 の連絡先を知ったので、インタビューに行く事ができればと思う。
宇都宮競馬
宇都宮競馬[1]の在り方を考える「栃木県競馬委員会」の審議が8月25日に行われ、結果が県ホームページ[2]にて公表された。この委員会は、12名の県議会議員で構成され、この日の審議は8名の委員で行われた。議題は以下の2つであった。まず一つ目は、平成15年度決算状況及び平成16年度運営状況について、二つ目に競馬事業の今後のあり方についてが話し合われた。議論の場では、「競馬関係者と共に競馬場の活性化を考えていかなければならない。」「県はもっと経営努力すべきだ。」「平成17年度実施するかどうかの結論は、もっと慎重に検討すべきである。」「平成14年度の競馬検討委員会の答申は尊重していきたい。」「平成17年度まで実施して財源を使い果たす前に廃止して、その財源を競馬関係者の補償に充てるべきだ。」「競馬関係者の雇用の努めてもらいたい。」「場外発売は、残すべきである。」といったような意見や質問が出たようである。そして、委員会の意見としては「県営宇都宮競馬は、平成16年度をもって廃止せざるを得ないと認められる。」という結論に行ったとされている。この意見は、福田昭夫知事に報告され知事の決定を待つという状況になっている。宇都宮競馬運営の経緯には、栃木県営競馬が18分の16、宇都宮市営競馬が18分の2の割合で開催権を有していたが、2002年3月限りで宇都宮市が開催権を返上。福田富一宇都宮市長は前市長の「2004年をめどに存廃論議」方針を覆し、宇都宮市営競馬の廃止を2年前倒しする政治決断をしたということがある。
これらの動きに対し、騎手や調教師、馬主らは反発し、抗議を行っている。また、「宇都宮競馬を支援する会」が活動を開始している。栃木県全域に支部を設け、10万人の会員(無料)を目標に、競馬ファンの増員と共に売り上げ増収・入場者の増員を目的に大々的な活動を展開することを表明している。実際に、宇都宮競馬場の前で、必要な入会カードやチラシなどを配布している。支援する会入会希望者はメール[3]にて連絡をすれば会員になれるようだ。少しではあるが、市民の力を結集させていこうという動きが高まっている。だが、やはり先の見通しは立ってはいない。なぜなら、県議会総務企画委員会が30日開かれ、県馬主会が提出していた宇都宮競馬の存続を求める陳情を審議結果が厳しいものであったからである。激しい議論が交わされたが、陳情は不採択に対する賛成が多数となり、今年度末での廃止がほぼ確実な情勢となっている。
やはりここで争点になるのは膨大な赤字である。県責任者は、宇都宮競馬の昨年度までの累積赤字が計約41億円に上り、「来年度も単年度黒字は見込めない」と厳しい経営状況を説明した。しかし、経営努力をしてきたのかという疑問はやはり残る。かつて地方財源を潤す競馬と導入し、そこに甘えてきてしまったのではないだろうか。今では中央競馬に見るも劣らないスタンドを持つ大井競馬[4]。しかし、都心のサラリーマン、OLを狙ったナイターという切り札がなければ、今のような姿ではいられなかったであろう。もちろん、大井競馬の真似をすれば全てが上手くいくわけではない。大井と宇都宮では人工そのものが異なるし、客層も異なる。その土地その土地にあった切り札が必要になってくるのである。例えば、女性が行きやすいような雰囲気を作ってみたり、家族で出かけても子供を安心して連れて行ける場を作ってみたりする。これは、競馬場だけでできるものではない。運営する自治体と、働く人々が一緒になって行動を起こさなくてはならない。今、やっと民の力が立ち上がろうとしているときなのである。確かに、競馬=ギャンブルというイメージは付きまとってしまう。しかし、今競馬で生計を立てようとしている人が一体何人いるだろうか。いまや、ギャンブルといえばパチンコやパチスロのほうが遥かに人気がある。ギャンブル性をどこまでレジャー性に変えられるかがポイントであろう。さらに、レジャーにするにはまだまだ問題がある。レジャーと一言でいっても、その選択肢はギャンブルよりも遥かに広がってしまう。ココにしかないものを持っていないレジャー施設は負け組みになる。ディズニーランドや、富士急ハイランドが勝ち組なのは、ミッキーや絶叫マシンなどそこにしかないものがあるからであろう。競馬場にしかないものは、なんであろうか。そう、「馬」である。馬は生きものである。馬と触れ合える場所というのはそう多くないし、多くの人は馬をかわいいと思う。そして、時には高知競馬[5]の「ハルウララ」のように、頑張っている姿に自分を重ねたりする。馬を武器にせず、何を武器にしようというのだろうか。経営努力=経費削減になってはいないだろうか。確かに経費削減は重要である。経費が嵩めば円滑な運営の妨げになるのは明らかだ。だが、経費=馬という図式も確かにあると思う。馬の維持費は膨大である。華々しい中央競馬とは違い、地方競馬の賞金はたかが知れたものになってしまっている。中央競馬のトップジョッキーの武豊氏は、自身のホームページ[6]でこう言っていた事がある。「騎手という仕事は命がけなのだ、そこをもっと考えてほしい。」馬も人間も命がけ、救うことが出来ない状況までおいやってしまったのは誰なのだろうか。そこを追求していかない限り、地方競馬の問題はどんどん深刻化していくだろう。
おそらく、北関東から競馬が消えてしまう日は近い。その後何が起こっていくのか考えなくてはいけないのである。