2003/04/28 (月)
卒論ゼミ発表用レジュメ 第一回
国際学部国際社会学科4年 板倉世典
恥ずかしいことだが、卒論の具体的なテーマはまだ決定していない。テーマは進学のことを考え、環境問題に関するもので、かつ実際的な問題に焦点を当てるものにするつもりである。日頃どんなテーマがよいのか考えて、頭の中にはいくつかの案が挙がっているが、決定打がなく絞りきれていない。今回はそれらの案の紹介と、その背景、概要を述べることで発表にしたいと思う。なお、頭に浮かんだものを羅列しているので、農学部的なものも多く、卒業研究になじむのかは考慮していない。番号は優先順位ではない。
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CDM(Clean Development Mechanism : クリーン開発メカニズム)の今後とODA
昨年日本は京都議定書を批准した。残りはロシアの批准を待つ段階である。CDMとは京都議定書で認められている二酸化炭素削減目標値の達成方法のひとつである。日本は1990年比6%の削減を義務付けられている。しかし、すでに省エネ化が徹底されてきた日本において、自力だけでの削減は不可能である。現に日本は京都会議で0%を主張した。そこで自力削減と合わせて排出権取引、CDM、植林によるシンクを認めた。排出権取引とは削減を義務付けられている先進国間での取引で、目標値よりも多く削減を達成できた国は達成できなかった国に対して余った削減分を売りに出せるという制度である。削減できなかった国はこれを買って埋め合わせをする。CDMとは先進国ではもはや当たり前になった省エネ技術を発展途上国に技術輸出して排出を削減し、その分をカウントするというものである。先進国ではさらなる技術発展を待たなければならないが、それは難しいので、既存の技術を途上国に使って容易に目標を達成しようということである。シンクとは森林吸収のことで、植林によって緑を増やし、二酸化炭素を森林に固定させて削減したものとみなすという方法である。
この中でCDMに焦点を当てる。なぜならばうまくいけば比較的早期に、一定量の削減が見込めるからである。途上国の技術向上にも役立つ。しかしながら、現在は民間主導である。これは植林についても言えることだと思う。CDMにODAは流用できないことになっている。しかしながら技術供給・移転や人材育成等は積極的に行っている。これらを整理し、その際に特許などの影響はあるのか、問題点は何かなどを明らかにすれば面白いと思う。
A
地方町村の環境政策と都市環境政策の比較
自治体の財源と環境政策のかかわりについて考える。東京都などの都市部では財源が多い反面環境対策費はそれほど割合が高くないはずである。対して地方の中核都市例えば宇都宮はどうか、あるいはより地方の小規模自治体はどうだろうか。人口に比して広大な面積を持つ自治体ほど、環境保護にかけなければならない負担の一人当たりの額は大きいはずである。環境保護による利益は地元の人だけが享受するものではない。また過疎地ほど福祉などの面で財源出動が必要となっている。この問題は合併によっても、とりわけ町村同士の場合は解決できない。
B
森林税の導入について
高知県の橋本大二郎知事が森林税の導入を決めた。これは県民一人当たり一律500円を徴収するというものだ。多くの県がこれに続いて導入を検討している。栃木県は検討していない。この税の効果はどのようなものか。効果が本当にあるのか。問題はないのか。こういった税は海外にもあるのか。どのような理念、経済学的な裏づけに基づいて導入されたのか。これらを明らかにしたい。
C
公有の遊閑地の環境保全対策
環境保全が最も遅れているところは実は市街地でもなければ営利を目的した私有林などではなく、国有林、あるいは目的が特に定まっていない公有の空き地などであるという指摘がある。コモンズの悲劇という言葉がある。これは共有地には所有権がないために、他の人が使用すると自分の取り分が少なくなってしまうので、自然に必要以上に使用してしますという理論である。途上国の森林減少にもよく見られる減少である。公有地、国有林の割合は、日本ではかなり高い。しかしながら財政は逼迫し、これらへの資金は多くまわせない状況である。
D
地球温暖化対策としてアグロフォレストリーを考える際、コーヒーを導入した際の品質維持、向上、管理及び地域経済発展の可能性について
温暖化対策のひとつとしてアグロフォレストリーというものがある。これは実がなる木を植えてその収穫と植林による二酸化炭素固定を同時に行おうというものである。
途上国にははげ山が多くある。焼畑によるものあるいは日本の住宅の柱や屋根になってしまった結果である。はげ山は土砂災害を招きやすく、また貯水機能もないので生活にとって好ましくない。しかし、一方でユーカリだらけの山がある。植林したのだが成長が早いユーカリだけを植えたのである。緑色は増えるが、ユーカリは養分の吸収が大きすぎる上、葉には毒があって利用用途も乏しい。
こういった森林需要、あるいは焼畑による減少の内側に貧困がある。途上国は南側に圧倒的に多いが、それらの主要な外貨獲得源がコーヒー豆の輸出である。コーヒー豆はここしばらく中南米の一部を除いて品質低下の一途をたどっている。スターバックスはたしか中南米産の豆しか使っていないはずである。コーヒー好きの私にとっては残念でならない。それだけではない。コーヒーの価格は80年代から下落の一途をたどっている。この理由は超過供給である。新興のベトナムでの増産が拍車をかけた。インスタントコーヒーがスーパーに安値で山積みされているように、コーヒーはあふれている。その一方で、コーヒー豆は一部の富裕層がプランテーションで大量生産し、土地なし農民は安値で労働し、プランテーションでなくても安値で業者に買い叩かれている。フェアトレードでこういった状況を改善しようという動きもあるが、少なくとも日本では一般的でない。買い叩かれる、商品価値向上に努めない(努められない)、生きるためには生産を増やす、価格が下がる、の悪循環に陥っているのが現状だ。そのため、メーカーは直営、あるいは直接契約の農園を持って品質を維持しているところも多い。(キーコーヒーのトアルコトラジャなど)日本人などのコーヒー好きの先進国は高くても質がよければコーヒー豆を買う。例えばブルーマウンテンは生産のほとんどが日本向けであるが、買うと100グラム1300円ぐらいが相場である。ハワイコナもおなじくらいする。ちなみにそれほどでもない銘柄は1300円あれば1キロ買える。
このような状況を踏まえると、アグロフォレストリーにコーヒーを組み込むことは社会科学的に有益なのだろうか。大農園方式は搾取的な要素を持つ反面、ある一定の品質を保つのに一役かっている。エチオピアなどでは野生のコーヒーが売りに出されたりしているが品質は最悪である。小規模だと洗浄や乾燥設備なども貧弱にならざるを得ない。商品作物としてではなく、木として植えることもあり、一括した管理は難しく、品質が悪くなって売れないのではないか。供給が増えてさらに価格が暴落するのではないかというのが私の推測である。しかし、それでもコーヒーをアグロフォレストリーとしてとの声は消えない。逆にフェアトレードなどと組んで小規模に徹底管理すれば高品質のものができ、住民の生活向上に寄与するはずである。ただし、こうするとシンクとしてのコーヒーはあまり期待できない。ただし、焼畑などの森林減少は防げるだろう。これらの点を行政の役割という視点から見てもよいと思う。
バナナも重要な輸出産品であるが、近年高品質バナナのスゥイーティオというのが出た。果たして売れているのか。これとの比較も面白そうな気がする。
E
植林の成否と土地制度、行政
国内の森林は価格が高いので木材の需要が少なく、森林面積は増加の一途をたどっている。多くの先進国でも、森林面積は増加している。一方で途上国の森林面積は急激に減っている。
ところで、先ほど述べたように京都議定書では二酸化炭素削減の代替案としてシンクが認められており、国内で今後植林が増えることが予想される。森林管理、耕作地管理、植生の回復、牧草地管理の活動でも目標達成に使える。これらと行政、あるいは土地制度はどのように関わっているのか。どのように達成するのか、興味がある。
また、途上国でもしきりに植林の必要が叫ばれ、日本の企業が現地で植林を行う例も増えているようだ。植林する土地をすべて買っているわけではないだろう。この場合でも、同じように背後にはどんなものがあるか、考えてみたい。
F
サマータイム制の是非
温暖化対策や省エネのためにサマータイムを導入してはどうかという声がよく聞かれる。いくつかの国では既に導入されているようである。サマータイム制とは昼間の長さによって活動する時間を変えるという考え方で、夏期には1時間時間を早めて活動する。つまり、出勤時間が冬期9時だったのが8時になるという具合である。こうすれば暖房や冷房などのエネルギー消費が少なくてすむ。
個人的にはこの制度には反対である。なぜならばリスクが大きすぎると考えるからである。このリスクとは自分の経験から納得しているのだが、人間の体内時計との関係である。今日からすべて一時間早くなる、遅くなるといったらどうなるか。遅刻が増える、脳の切り替えができず仕事の能率が上がらない、交通事故の多発や勘違いなどのトラブルが起きる、ストレスや疲労感などが容易に想像できる。毎日の生活リズムを人間は容易に変えられない。
果たしてサマータイムは積極的に導入すべきか。リスクのほうが大きいのではないだろうか。メリットとリスクを徹底比較し、政策提言型の内容とする。