2003.5.8(金)
国際学部国際社会学科 阿部 真理子
卒論ゼミレジメvol.1“卒論を始めるにあたって”
卒論テーマ 「現代日本フリーター論」
何についての卒論にしようかな、というのは昨年から悶々と考えつづけていたのだが、やはり自分の生活に密着しているものにしよう!という思いがあった。もちろん行政・社会事情というのは何のテーマにしても(認識が高い低いの違いだけであって)生きているうえで関わりがあることには違いないのだけれど、身近なテーマのほうが興味を持てるし、積極的に調べることができる。そして私がチョイスしたのは、現代日本社会のフリーターという生き方について。大きく言えば、正社員ではない労働形態について。このテーマは、生きていく方法・その在り方に繋がっていくものではないかと考えており、アルバイト・パート・派遣社員・契約社員から家事労働までを含んだ「フリーター論」をしようというのが現時点での卒論予定である。
自分が今、就職活動中ということもあり、現在の労働事情にはとても興味を持っている。私は正社員になろうと必死で企業にアプローチしているわけだが、何も正社員という枠だけが生きていく道というのは全くないことで、その人その時の状態によってフィットした労働形態がある。しかし現代の風潮として、正社員で働いている人々に比べてフリーターと言われる人々は、社会位置的に低く見られがちである。その背景は何だろう。何を基準として、まともに見られたり、ダメに見られたりするのだろう。
年明け頃までは「生きていくうえで何も正社員にこだわらなくてもいいのではないか。」という思いが強かったため、就職に本気になれない自分がいた。私の場合、何が起爆剤となったかというと、実際に派遣社員として派遣会社に登録して仕事をしていくうちに、派遣の不利な部分がたくさん見えてきて、「ずっとこのままじゃ嫌だ!」という思いがハッキリしたからである。持久力のない自分の性質には短期間での労働形態が似合っていると思っていたが、それは学生の状態だからであって、実際に社会に出てからを考えたら、正社員でいるほうが自分には利得があるように思えた。それは、固定の月給であったり、福利厚生であったり、賞与であったり、契約が終わったら次はどうすればいいのだろうとかいった心配がないなどの理由からである。
以上が主観的な卒論のへの取り掛かりだが、進めていくうえでは、労働省や各労働センター等のデータ、キャンパス外のフィールドで触れ合った人々から得た情報などから、客観的に「フリーター事情」を分析していきたいと思う。
●フリーターの定義
・ 定職につかず,アルバイトで生計をたてる人.フリーアルバイター.
*freeと(ドイツ)Arbeiterから.『デイリーコンサイス国語辞典より』
・
定職につかないで、アルバイトをやりながら気ままに生活しようとする人。フリーアルバイター。 『大辞泉/1998年刊行より』
・ 定職をもたない、フリーのアルバイターをさす新語。また、「自由に生きる人」程度の意味もあるという。フリーターの一種にときどき働くサムタイマーというのもある。会社づとめよりも自分の好きなことを続けたい、組織に縛られたくないという若者の傾向があらわれている。 『データパル1991〜2001より』
●フリーター急増の日本
前述のような人々を指すものとして「フリーター」という言葉が生まれたのは1980年代後半。その後、フリーターは増え続け、特にここ5年間で50万人も増加、現在は約200万人といわれる。これにさらに失業者を加えると、就職していない人の数はさらに跳ね上がる。労働科学研究所の推計によれば、15〜34歳のうち、非正社員と失業者を合わせると、2001年はなんと409万人に達する。90年は約178万人なので、10年ちょっとで約2倍以上に急増したことになる。いまや15〜34歳では5人に1人、15〜24歳に限れば3〜4人に1人が、失業者かフリーターなのである。
●変わりつつあるフリーター
「フリーター」という言葉が生まれた当時は「目的、目標をかなえるための生活手段としてアルバイトをする人」という意味合いもあったといわれている。しかし、最近はこの意味合いが、変わってきている。「目標や目的を実現するための手段としてのフリーター」ではなく「何となく、とりあえずのフリーター」がここ数年、急速に増加している。これは、確かに新卒者の就職状況の厳しさがその理由の一つとして考えられるが、「自分の進路を決めない、決められない」「自分のやりたいことがわからない」「企業に縛られたくない」といった、若者の勤労に対する意識の変化が指摘されてきた。その裏には、親と同居し、特に就職しなくても衣食住が確保される環境、いわゆる「パラサイト・シングル」の気楽さが、就職への意欲を低下させているともいわれる。
一方で、既存の雇用形態に対するアンチテーゼとの見方もある。一橋大学元学長の阿部謹也氏は、<彼らは、自分の進みたい方向が分からないまま「世間」のなかの“定位置”に収まるのは嫌だと考えた。意識するしないは別にして、国家を基本とした近代化システムを拒否し、「世間」のしがらみにも少しばかり抵抗したことになる。>とし、<これからは「世間体」ではなく、「働く」という本質的な中身が問われるべきだ>(『中央公論』2002年7月号)と擁護する。
若者の意識変化に対する意見は様々だが、それとは別にここ数年、就職しようにもできない社会状況が、より問題視されている。
≪参考文献≫
進路情報研究サイト ライセンスナビhttp://www.license-navi.co.jp/y2freeter.htm
『日本の論点 2003』文藝春秋