序 −身近に合った老人介護、そして介護保険−

 

 私の両親は私の父の母、つまり私の祖母と同居している。そして、数年前までは私の祖父とも同居していた。祖父母はほぼ毎日買い物がてら友人達に会いに行っていた。しかし、自動車を運転していた祖父が亡くなってから祖母の行動範囲はかなり狭くなり、同年代の友人達と会う機会も減ったようで、よく「とぜんなか(佐賀の方言で『つまらない』の意)」というようになった。祖母は今回の介護保険制度導入にあたっての認定審査で「自立」と診断されているうえ、一人暮らしでもないため、自ら行動を起こそうとしなければ高齢者に対するサービスをうけることはできない。そして、私達の祖父母の世代、特に地方の人々というのは、一般的に行政のサービスなどに対して受身な傾向がある。すると現代の申請主義では十分なサービスを受けることができない、もしくは受けようとしない人を生みやすい。この祖母の状態が、私に、申請主義はサービスに選択の幅を与えたものの、同時に受身的要素を多く含んでいるということを明確にした。

 久しぶりに実家に帰ったある日、母がポツリとつぶやいた、「親が子に老後の面倒をみてもらう時代はおわったのね。」と。そういう母は時々冗談めかして私達姉妹に「老後は任せたねー。」と言っている。日本では昔から子供、特に長男の嫁が義父母の世話をすることが一般的であった。また戦前の日本には、「今日の生活保護法の大本となった恤救規則では貧しいのものは本来なら人民相互で助け合うものである」、つまり親族相救・隣保相扶であるが、極貧の者のみ国が救おうという考えのものであった。国全体としても親族や近隣の者が弱者の面倒を見るということがいわれていたのである。そして戦後に制定された老人福祉法では老人は敬愛され、健康で安定した生活を送る権利を有するとされたものの、「親族相救・隣保相扶」の精神は日本人の心に根付いている。この精神は尊重すべき部分もあるが、核家族化が進み、世代間の価値観などに大きな格差が生じた今日では精神的にも物理的にも家族内だけで介護を行うことに無理が生じてきているのではないだろうか。

家族が介護をするということは、奉仕である。年長者の介護を家族がするのに報酬が必要なのかと、不謹慎に思われる方もいるかもしれないが、いつ終わるとも知れない重労働を介護のアマチュアである身内が続けることは介護者にとっても被介護者にとってもメリットがあまり見出せない。今はなき社会主義国ソビエト連邦をみればわかるように、自己の労働に見合った見返りがなければ人は一定以上の努力をしようとしないという一面も持っているのである。しかも、これからの日本は超高齢社会を向かえる。みながみな、無料で高齢者の介護をしたとしてだれが生産活動をし、子どもを育てるのだろうか。

 しかし、私は高齢者を見捨てるべきだといっているわけではない。これからの日本社会の高齢者福祉において必要なのは「自立と尊重」である。高齢者が人生の大部分を労働に費やした後、彼らをサポートする社会システムは、もちろんあってしかるべきである。しかし、自分が老いて身体に支障をきたした時、そのシステムをどのように使いたいのか、あるいはどの程度使えるのかを自ら考える時代になってきたのである。自分の人生は老いてなお自らで選択すべきではないだろうか。そして、これまで日本を担ってきた高齢者が安心して選べるシステム、サービス体制を整えるのが行政のであるべき姿である。
 母は、「あなたたちがみんな自立したら、お父さんと旅行行くわ!あなた達に借金ものこさないけれど、遺産ものこさないからね」といいきる。それが私達にとっても彼らにとってもベストな選択ではないかと思っている。親も子も家族であるとともにそれぞれ別々の個人なのである。

高齢者に対する福祉は介護保険制度によって、制度面だけでなく、高齢者や高齢者予備軍の老後に対する考え方という面でも転換点を向かえたといえるだろう。しかし、現在の高齢者に対する福祉はいったいどの程度整備されているのだろうか。高齢者が果たして「健康に安心して」生きていける社会になりつつあるのであろうか。高齢者福祉の現状を理解するために、社会福祉行政の立場、そして介護保険導入後一年以上を経た実際の現場を見ていくことで今後日本の高齢者福祉はいかに進んでいくべきかを考えていきたい。