卒業論文

国際学部国際社会学科4年 澤田 勝弘

 

テーマ:フリーマーケットにみる地域振興のあり方について(仮題)

10月1日

 

【2】コミュニティーについて

@コミュニティーとは何か?:

 コミュニティーと一言に言ってもその概念は不明確な事が多い。横文字で表記され日本人にとっては馴染みが薄いのが現状である。とは言うものの市民によるコミュニティー作りの運動はいまや全国的に広がっている。言葉としてはよくわからないとはいえ、住民が力を合わせて新しい課題に取り組み、知恵と汗を出し合う事で地域の生活環境が少しずつ改善されていくのをみるとき、そしてその過程で今まで挨拶をしたこともなかった人々と知り合いになり、地域の暮らしに新しい世界が開けてくるのを実感するとき、そして自分達の手作りの部分が増えてくる中で街への愛着が膨らんでくるのを知るとき、私達は地域社会という領域が私達の暮らしの中にあったことを改めて思い出すのであると考える。そして市民社会というものが単なる「根なし草」の吹きだまりとはおよそ異質のものである事に深い感動を覚えつつコミュニティーという言葉を了解するのである。

 わが国の伝統的な「イエ」と「ムラ」が急激に解体していく過程は、人々が長い間人間を束縛してきた絆から初めて解放され、自由と自立を勝ち得たと感じたものであったと考えられる。地域ではそれまで「自由の都合」が唯一の原理で、それ以外は排除されるべき「強制」だとの感を強めてきた。しかしやがて、マイホーム主義(地域の崩壊)が自分主義(家庭の崩壊)に拡大し、それが、現代社会で自立できる職業と収入があり、病人や老人を抱えていない「強者」の論理にほかならないことを露呈し、さらにこの「強者」がバラバラなものであるために、かえって支配の餌食にされていく弱さ(学歴社会傾向等)と空洞化の危険をはらむものであることを明らかにしてきた。

 こうした流れの中で、人間の自由と自立はかけがえのないものとしながらも、他方で、市民の生き方を支える市民同士の連帯と共感が存在しなければ、人間としての暮らしも成り立たなくなることを、人々は大衆社会的あるいは、管理社会的現実にてらして予感してきたのではないのかと考えられる。このことを合意点とするならば、それは古典的な意味でのコミュニティーの概念(マッキーバー)と合致しているのである。

 

Aコミュニティーの作られ方

 コミュニティー作りがいわれるようになったのには、住みよいまちづくりの取り組みが、少数の有力者やボランティアの力だけでは追いつかなくなり、日々地域に生活を営む多数の住民の参加を要請するようになったことが背景となっている。人々は共通の面を意識する度合いに比べて違う面の印象が強いために、コミュニティー作りの意思と行動は自然発生的にはなかなか生み出されてこないものであると考えられる。そこには、住民運動がそうして発展してきたように、頭と手と足を使った生きた学習と研究、くり返しくり返しの話し合いが必要となってくるのである。コミュニティーづくりが住民自身による地域問題解決能力の発展と、一人一人の住民の生活のゆとりとうるおいの増大を目指すとするならば、それには、このことを可能とする住民の主体の形成がなされなければならず、コミュニティーづくり自体が一つの壮大な学習活動ということができる。コミュニティーを作っていくという事は、与えられたモデルを写す事でもなければ、昔への回帰でもないのである。そこには、住民の意識改革が必要となってくるのである。

 

       参加型住民:自らの生活環境の整備改善に対して、何らかの形で自分も参加しようとする人々

       利用型住民:与えられた環境をただ受け入れるのみの人々 

               ◎参加型住民

 

◎住民                         

                            ◎無関心型住民                               

               ◎利用型住民       ◎観察型住民

                            ◎クレーム型住民

 

Bコミュニティー行政の課題

 フリーマーケットやバザーだけでなく、住民が多くの催し物を行おうとする際、行政側との交渉問題が浮き彫りにされることが多々ある。その中の1つに、コミュニティー施設の整備が行政側における現在の課題であると私は考える。

その要因とするのは:

       地域、特に都市部においては地価や資材の高騰も原因し住民の力だけでは施設づくりが困難である。

→いくつかのフリーマーケットは公的な場所を借りて行われる事もある。その際、もし仮にフリーマーケットやバザーだけでなく、地域住民がコミュニティーを図れる専用的な公共の場があればその際の催し物に関してはその施設が利用される事となり、住民の主体性・自立性を確立するだけでなく住民と住民とのいっそうのコミュニケーションが構築される要因になると考えられる。例えば、お年寄りと子供達との交流会や生涯学習教育の場としても利用できる。

       コミュニティー施設整備は施設管理問題の解消につながる。

→施設を運営する上で最も重要な事の1つに、施設を運営していく事があるのではないだろうか。もし仮に、民間に委託し施設運営をするのであればその利益が全て管理会社のものとなってしまい、管理会社側がフリーマーケット等のスケジュールを自身で決定してしまった場合、公正なコミュニティー活動を行う事が不可能になってしまうだけでなく、維持費解消の問題から、住民への施設利用費の高騰を余儀なくしてしまう恐れもありうる。

→行政が施設運営を行う上での問題点は、その運営費を住民の税金で賄っていく必要性が出てくるという事である。コミュニティー施設維持等に必要な経費の負担区分については、住民の過大な負担にならないようにするために、一応の原則をつくっておく事が必要となってくる。例えば、施設の利用に関して必要な水道光熱費、施設の補修に要する経費の負担は公費で行政が負担する、即ち補助金助成する事を原則とする必要があるように思える。現実に、一定の地域ではこれら行政援助が十分でないために、これら財源確保のための学区会費(町内会費)の値上げや地元学区住民以外の利用者利用協力金の徴収を行うという例もある。このことは、様々な意味での問題点を行政と市民との間に植え付ける要因に成りかねなく、この問題解消こそがコミュニティー活動を行なっていく上で最も関心があることの1つではないだろうか。