もう一つの被災地

 

6月11日

国際学部国際社会学科 松下容子

 

 

テーマ

普賢岳噴火から10年経った故郷島原の商店街を例に取り,今の被災地復興事業のあり方を問う。

 

 

今後の方針としての前書き

雲仙普賢岳の噴火から10年が経ち,その爪あとも復旧・復興作業という名のもとで大方整備されてきた。しかし直接被害を受けた地域だけをサポートすることで本当に被災地は復興することができるのだろうか。確かに当時頻繁に報道されていた土石流で氾濫した河川や土砂に埋もれた民家はもう見ることはない。毎日のように降り注いでいた火山灰も過去のものである。だが残念ながら町は活気を取り戻してはいない。その原因は道路や埋め立てという直接被害を受けた箇所の復興しか重要視されていないからではないかと私は予想する。そこで本卒論では故郷島原商店街を例に取り、本当の復興とは何なのかということを考察する。

 

 

現在の普賢岳に関するHP

内容は災害時の写真の掲載や復旧・復興事業についての掲載がほとんどである。

・当時の様子→火砕流・土石流の直接被害について(主に写真の掲載)

・現在の様子→公的な復旧・復興について

 

こうやって外側から見てみると、明らかに私がもっている故郷のイメージと外部の人たちのイメージとのギャップを感じざるを得ない。それは多かれ少なかれ誰もが故郷を離れたとき感じることかもしれない。しかしこれとは話が別で、公的資金の導入や多額の義援金をいただいた元被災地が実情を隠したままでよいのだろうかと思うのだ。これからも不幸にも被災地となってしまう地域は必ずある。それが神戸のように都市部なら話は別だろうが、島原のような地方の町であれば復興は困難ではないだろうか。そう思ってしまうほど実際の今の島原には活気が戻っていないのだ。

 

 

私が感じる島原

●島原商店街→・アーケードの空き店舗がかなり目立つ

       ・人通りの急激な減少

       ・改装する店舗が少ない

●観光地島原→・資料館などへの集客が主

       ・泊り客の低迷

       ・観光客向けの商店が商店街にほとんどない

 

商店街の建て直しには観光客を呼び戻すことが必要だと思われるが、そのためにどのような活動をしているのだろうか。

 

 

今後の予定

災害時から今まで商店街がどのような活動を行ってきたかを調べ、それに行政がどのように関わったのかを調べていきたい。