被災地復興〜行政・市民による町おこし〜

5月21日

国際学部国際社会学科 松下容子

 

はじめに

 私の故郷である長崎県島原市は、今年で普賢岳噴火から満10年が経った元被災地である。噴火終息が告げられてから5年。郷土の復興は市民の願いでもあった。もちろんまだ火山活動が活発なときから、砂防ダムの建設や土石流被害をうけた道路などの整備は行われてはいた。しかし今回の卒論研究では完全に火山活動が停止した後、被災地住民と行政がどのような復興を目指して活動を行ったのかを重点に調べてみたいと思う。

 

普賢岳噴火についての詳細

平成2年(1990年)
 11月17日 普賢岳から噴煙あがる(九十九島火口、地獄跡火口)

5月20日 地獄跡火口に溶岩ドームが出現
 
平成3年(1991年)

 6月 3日 大火砕流発生(死者43名:家屋焼失・倒壊179棟)
       長崎県が自衛隊に救援出動要請
 6月30日 148棟を飲み込む土石流発生
 9月15日 最大規模の火砕流発生(218棟が焼失・倒壊)

 

平成5年(1995年)

 4月12日 雲仙復興工事事務所(建設省)開設
 

平成7年 (1995年)
 1月 6日 噴火以来初めて火山性地震の発生ゼロ
 1月 6日 噴火以来初めて火山性地震の発生ゼロ
 4月25日 火山噴火予知連絡協議会は「噴火活動はほぼ停止状態」と統一見解を発表
 4月28日 国道57号線が開通
 7月 9日 島原鉄道の水無川流域区間での高架化事業着工
 9月 5日 湯江川上流のスーパー治山ダム完成
 10月28日 水無川上流のスーパー治山ダム(1号ダム)着工
 11月 1日 県道愛野島原線の不通区間開通(2年4ヶ月ぶり)
 12月12日 陸上自衛隊島原災害派遣隊が撤収。活動は通算1658日

平成8年 (1996年)
 3月26日 水無川拡幅改修工事完成
 3月27日 林野庁、普賢岳の大規模緑化に着手
 5月20日 普賢岳溶岩ドーム出現からまる5年を機に、島原市と小浜町は溶岩ドーム 

を「平成新山」と命名               
 5月30日 九州大学島原地震火山観測所の太田一也所長が「普賢岳の噴火活動は終

息した」との見解を示す。    
 6月 3日 「噴火活動の終息宣言」

大火砕流惨事からまる5年。長崎県、島原市、深江町が災害対策本部を解散。

 

復旧・復興の活動内容

<復旧>

・水無川・中尾川流域の防災対策

・安中三角地帯のかさ上げ工事

<復興>

・島原深江道路の建設

・安徳海岸の埋め立て

・住宅団地の造成

 

課題

どこをサンプルとするか

ex.

・島原商店街

・深江町(土石流の被害を受けた水無川がある町で、現在あらたな町整備が行われている)

・農家(タバコ農家、その他も灰の被害による影響は大きかったと見られる)

     土建会社(無駄だといわれながらも地元還元のためだといわれて行われた砂防ダム建設などの大型工事の実態)

 

 

参考HP

http://www.city.shimabara.nagasaki.jp/ (島原市役所HP