卒業論文
宇都宮大学国際学部国際社会学科4年 980122X 澤田 勝弘
テーマ
フリーマーケットにみるコミュニティー活動とリサイクル活動
【要約】
【序章】動機とフリーマーケットの概要
1.はじめに:テーマを選んだ動機
2.フリーマーケットの定義
3.フリーマーケットの原論
4.フリーマーケットとバザーの起源及び相違点の概要
【第1章】フリーマーケットにおける詳細
1.出店の際の注意事項等
2.出店に関する規定
3.市民団体の特徴(東京リサイクル運動市民の会・リサイクル運動市民の会)
【第2章】環境問題からみるフリーマーケットの役割
1.リサイクルを目的としたフリーマーケット運営(環境を考える市民の会)
2.リサイクル活動における疑問点
3.市民団体が目指す方向性と行政側との環境対策について
4.公共リサイクルセンター
【第3章】欧米におけるフリーマーケットと日本との相違点
1.フリーマーケットの本場欧米でのフリーマーケットの位置付け
2.日本の諸団体と欧米との相違点
3.欧米におけるフリーマーケットの出店者・利用者の違い
4.日本が欧米に学ばなければならないリサイクルの心
【第4章】大規模フリーマーケットと地域密着型フリーマーケットの相違点
1.大規模・定期的に行われているフリーマーケットのメリット・デメリット
2.地域密着・住民参加型の地域振興のあり方について《埼玉県K市ナイトバザールを例に》
3.地域振興に役立っているスタイルはどちらのフリーマーケットか《都市型フリーマーケットと地域密着型フリーマーケット〈環境生活化事務局〉を比較して》
【第5章】コミュニティーについて
1.コミュニティーとはなにか?
2.コミュニティーの作られ方
3.コミュニティー行政の課題
【終章】フリーマーケットのこれから及びまとめ
1.地域コミュニティー向上の一環としてのフリーマーケット
2.そのメリット・デメリット
3.リサイクル活動への展望
4.まとめ・感想
【あとがき】
【図表】
【参考WEB PAGE】
【参考文献】
【要約】
私は、本論文において、私達の生活に密着し、多くの人々に愛され続けているフリーマーケットを極めて多角的な見方を行う事により、コミュニティーとリサイクルという2つの軸を中心に、果してフリーマーケットは地域コミュニティーにどのように貢献しているのか、その目的はどこにあるのかなどを調査し調べ上げた。
その中で、幾つかの章を設ける事により、フリーマーケットというどこか漠然としているものの、老若男女に愛されているものの実態を一方通行的なものの見方だけではなく、少し角度を変えた私なりの解釈により考えてみる事にした。
まず、序章においてはこの問題を卒業論文として取り上げる事になった動機やフリーマーケットとは何だといったもののような、概要を取り上げた。次に、1章において、実際にフリーマーケットに出店した経験から、それを開催している市民団体に対して取材した経験をもとに、誰にでも簡単に出店でき、訪れるだけでなく本当の意味で地域と交流を図る事が可能になるようその詳細を記した。2章においては、一概にフリーマーケットというだけでは何ら論文に適するものではないテーマとなってしまうため、フリーマーケット主催団体や環境保護団体等の1番の目的である、住民に対してリサイクルの心を植え付けるという考えを考慮し、環境問題として見るフリーマーケットを考えてみた。また、3章においては、平成13年度の8月に機会がありイギリスを訪問する事が出来たため、以前に訪問した事のあるフリーマーケット・リサイクル先進国であるアメリカやオーストラリアでの事例と共に、欧米でのフリーマーケットのあり方やリサイクル活動の価値観、日本との相違点や行政側の姿勢を調査した結果をまとめた。次に、4章では、フリーマーケットは私たちのような若い世代の人間にとっては代々木公園や明治公園などの流行に敏感な若者達が数多く出店する、比較的大規模なものを考えがちであるが、地域にはそれぞれの特色を持ったフリーマーケットやバザーが存在するため、それらと大規模なものを比較し、どちらが地域コミュニティーに役立つものとなっているのかを考えた。その上で、5章においてコミュニティーとは何なのか、それを概要としてまとめてみた。最後に結論としてこれからフリーマーケットのあるべき姿、ただ週末に一定の場所において開催し、古着や骨董品の売買を行うための場所であっていいのか、欧米のようにリサイクルとしての姿勢を前面に打ち出さなくていいのかなど、展望の意味も含め私なりの観点からフリーマーケットを考えるものとした。
また、これは動機にもつながるかもしれないのだが、私がフリーマーケットをテーマに選んだ事の1つに誰も思いつかないような、且つ身近なもので特によく利用しているものを、行政学に、無理やりに映るかもしれないが結びつける事により、新たな行政学の可能性を見出すだけでなく、新しい付加価値を創造したくこの抽象的過ぎるテーマで卒業論文を書くことにした。これにより、今後フリーマーケットを訪れる際、服や小物の売買だけでなく、また違った物の見方を訪問者が感じ取ってくれれば幸いであるし、私自身大好きなフリーマーケットについて論文を書くことが出来て幸せであるし、今後もフリーマーケットという存在に対して、今以上にさらに探求する事を考えている。
【序章】動機とフリーマーケットの概要
1.はじめに(テーマを選んだ動機)
私は古着や骨董品が好きである。様々なアンティーク商品を保有しているし、古着に関してもアメリカやオーストラリア等へ出かけていき、購入してくるくらい好きである。そのため、私は以前からフリーマーケットを古着や、雑貨などのリサイクル品を売買する場所という認識で良い品を安く手に入れるという目的で何度も訪れていた。また、自身でもインターネット上で物の消費を知るためのリサイクル活動の一環として、自らが所有するアンティークの小物や古着等を売買している。しかし、何度もフリーマーケットを訪れ、出店者の方や地域住民の方達との交流を深めたり、地域ボランティアの一環として家庭内で要らなくなった生活用品等を収集したり、それを修理したのち老人ホームなどにおいて配るなどをしていく中で、フリーマーケットやバザー、蚤の市の多くが市民団体や商店街等の地域団体が主催しているもので、その主たる目的は、物品を売買するというだけでなく地域住民と訪問者とのコミュニケーションを図ること、さらには、リサイクル運動を推進していくことにあるということに気がついた。その上で、市民団体側としてはフリーマーケットという手段により、その地域を多くの方(特に若者対象)に地域振興を促すことにあるということが理解する事が出来た。(例えば、普段は若者が訪れる事のない商店街や公園等において、自分達の地域を多くの人に知ってもらおうという意味でフリーマーケットを開催する場合、それまで興味を示す事のなかった若者達が、その商店街などの良さを認識する事にもつながるし、何よりも老若男女の枠を越えたコミュニケーションを図ることができるのではないだろうか。)このように最も身近な所で地域コミュニティーのあり方を研究したいと考えフリーマーケットを運営し、住民との交流を深める事でどのような結果がもたらされるように努めているのか、その際の行政と住民との関係はどうなっているのか、またコミュニティーはどのように成り立っていくのか、環境問題をどのように捉えリサイクル活動に貢献しているのかなどを、ここに探求していきたいと思う。
2.フリーマーケットの定義
家庭には古着や雑貨など、不用品として使わないものがたくさん眠っている。しかし、どんな家庭においても折角高いお金を出して買ったものをゴミとして捨ててしまうのはもったいないし、環境にも良くない、というような思いがあると思われる。フリーマーケット(蚤の市)とは、そうした家庭の不用品を効率良く売買し、それを必要としている人々に購入してもらい、いくらかでもお金に換えて、大切にしてくれる方に安く譲るというリサイクル活動を兼ねた場所である。
最近では、家庭の主婦の方や若者同士の友達、さらには家族での参加、リサイクル活動として渡米し、現地においてフリーマーケット開催団体に参加するなど、その広がりは年齢、性別、国境を問わないものとなってきていて、普段は仕事や家事で忙しい人などが、フリーマーケット(蚤の市)をリフレッシュの場として楽しんでいるようである。公園の緑の中で行うフリーマーケット(蚤の市)は、そうした人々によって支えられている。以下の図はフリーマーケットを簡単に図式化したものである。売り手と呼ばれる、いわゆる出店者はまず主催団体や、地域の自治体を通じて、フリーマーケットやバザーにおける参加希望を申請する。次に、参加が決まると出店者(売り手)は主催団体に対して一定の参加料金を支払う。その上で、買い手と呼ばれる訪問者に対して要らなくなった不用品を提供する。その見返りとして買い手は売り手に対して料金を支払う。この際の料金設定はフリーマーケットの場において売り手と買い手の交渉により決定される。この問題に対して、主催団体からは一切の注文はない。
以下に記した図は参考までであるが、フリーマーケットというものを簡素化させたものである。売り手(ここでは出店者のこと)と呼ばれる人々は、要らなくなったリサイクル商品や一度も使用せず保管しておいたものなどを、買い手に対して販売を持ちかける事で一定の料金を受け取る。その商品価値を売り手との交渉により独自に定めた買い手は、料金を支払い、商品を受け取る。同時に、売り手は出店料や公園などの利用費等を同時に主催団体(市民団体)や自治体に対して別途に支払う。ここに、売り手と買い手、主催者側との三角関係が形成され、3者のコミュニティー(定義については第5章参照)ネットワークが形成される事になり、フリーマーケットとして形作られる。
(図表1)フリーマーケットのしくみ
◎主催団体・自治体
○事前に申し込みをする
(参加料が必要な場合
有り) (商品)
◎売り手 ◎買い手
(料金)
3.フリーマーケットの原論
フリーマーケットを知る上で、まず私は3つのカテゴリー「市」、「場」、「間」に焦点を当てて客観的にフリーマーケットというものを外側から考えていく事にした。この背景には、フリーマーケットが環境保全のために存在するであるとか、リサイクルによる地域振興や貢献が目的であるなどといわれていても、その前にそもそもフリーマーケットとは何なのか、どこで行われてきたのか、それによりもたらされるものは、などという抽象的ではあるが最も根本的な部分を解釈しない事にはその存在意義を語ることは不可能であると考えたためである。そのため、文献などから、いくつかのカテゴリーを照らし合わせ、まずはそれに準じた源泉としてのフリーマーケットを解釈し、その上で、フリーマーケットの原論を考えてみたいと思う。
@「市」
「市」の起源はかなり昔に遡るといわれ、様々な視点による学説、研究がある。例えば、分権などに記述される以前の時代を生きた古代人がすでに「市」をもっていたらしい。そこに確実な証拠はないのだが、この場合とりとめのない過去の事柄を調べ上げるのは、逆にナンセンスな事である。それは、「市」というものがそのものの中にあらわれるのは、紛れもなく「人」、「物」、「事」との初々しい出会いの「場」であったからだ。一方で、考古資料、遺跡、断層などを調べるとある実態をそなえた「市」が推定できる。古代ギリシア・ローマ時代の痕跡などから、都市遺構らしきもの、即ち「市」が認められると、そこでは交易、交通、交換が自然発生的に生じ、やがてその「場」が常設的になり、人々の生活が文化・文明化するきっかけを開いたともされる。また、アジアにおける「市」もその歴史は西欧のそれに負けず劣らずかなり古い。すでに、唐代、都市部はもとより農村部にさえ草市(くさいち)と称される定期市が栄え、これらの発展を軸として市(し)、鎮が形成され、拡大し各地方の輪郭となっていった。
また、日本の「市」がはじめて文献にあらわれるのは奈良期大和の軽市からである。このような、初期の「市」とは別に、中世起源となるとその数は急増する。私達が知る「市」の元姿はそこから求められる。それ以降、「市」は各地に誕生し、定期化し、貨幣を介した売り買いの「場」となり、すでに人々は社交、情報交換する余裕さえあったかもしれないのだ。さらに、「市」は経済・文化的な役割を担いながら発展を続ける。18世紀末の産業革命を期に「市」は近代化の一途をたどる事となった。その中で、「市」は分極化していく。1つは近代化の恩恵に浴し、もう1つは取り残される結果となっていった。前者は経済の集積、中心化をとげる事となったロンドン・パリ・ニューヨーク・東京というビックマーケットに膨張する事になり、後者は街路市、露天の旧態で局地化し残っていく事になった。
私達がフリーマーケットの発祥を「市」と置き換えて考える場合、その興味は後者に向けられる。今では珍しくもない縁日もこの「市」という形態そのものが変化したものではないのだろうか。
A「場」
フリーマーケットの楽しみや、その目的などを検討する際に必ず必要となってくるものが「場」という存在である。例えば公共公園においてフリーマーケットや「市」を開催するには、それを主催する市民団体や環境保護団体などと行政側との日程や開催等に準ずる交渉が必要不可欠となってくる。また、フリーマーケットを訪れる人にとってもそこが交通の便がよく駐車スペース等の設備があるか、近くに飲食店等の施設が整っているかなど「場」というもの1つでそのフリーマーケット自体の人の流れが変わってしまうのである。また、その「場」に行くのも訪問者にとっては未知との遭遇的な緊張関係があり、なんと言っても「場」と「事」との出会いがある。つまりフリーマーケットに行く事をある種、1つの旅のようなものと位置付けるのならば「場」という存在によってずいぶん趣が異なる事を私達は体験して知っているという事になる。多くの人が東や西へ刺激を求めて行くのもフリーマーケットのめざましさに惹かれるためである。即ち、私達はフリーマーケットをそれぞれの「場」で実感していると考えられる。
例えば、同じフリーマーケットでも、東京と大阪、日本とアメリカでのそれとでは「場」、「事」、「人」などはそう違いはあるわけではないのだが、フリーマーケットの雰囲気というものに焦点を当てた場合にそれぞれが大きく異なるように「場」こそがそれぞれのもつ雰囲気を微妙に変化させ、各差別化をはからせていると考える事ができるのである。
B「間」
フリーマーケットにおいて「間」は非常に大切な要素である。それは、「場」の雰囲気をつくり、「人」の立居振舞を左右し、「場」「事」の型をきめるためである。これが不足すると型無しになり「間」抜けとなりかねない。例えば、「間」を体得した人達の多く集まるフリーマーケットはおおらかなリズムが漂う。業者にしろ訪問客にしろ、相手を気持ちよくさせる「人」は、大抵独自の「間」を持っているためである。故に私達はそこに居るだけでとても気持ちが良くなれるのである。これは、「場」を提供する行政側との配慮も関係してくるため、何気ない事に思えるのだが、非常に重要な事である。フリーマーケットはあくまで地域を振興させ出店者と訪問者とのコミュニティーを図るものであると考えるのであれば、そこに「間」が上手く存在するかしないかが、地域振興の最も重要な要素になりうると私は考える。
〈注〉@〜B『ノミの市手帳』 安岡路洋・与野冬彦著(株式会社北辰堂)から参照
4.フリーマーケットの起源(又はその始まり)
フリーマーケットは英語表記ではFlea Market(蚤の市)と記す。一般的にFree Market(自由市場)であると考えてしまいがちであるが、やはり日本語で蚤の市というように、Free(自由)でなく、Flea(蚤)と記す方が正しい。
それは、広辞苑によればパリの北郊ラ‐ポルト‐ド‐サン‐トゥアン(地下鉄のポルト‐ド‐クリニャンクール駅近く)に毎週立つ古物市に転じて、一般的に古物市の事を指すとある。
ここまでは、世界規模におけるフリーマーケットの起源だが、日本ではどうだったのだろうか?歴史的にみれば、江戸の街には、たくさんの古着屋や古道具屋など、今でいうリサイクルショップのようなものが点在していた。家具も着物も手作りの一品主義で、落語の「道具屋」にも登場するとは思うが、このことから、庶民はもっぱら中古品を利用していた事を窺うことができる。嘉永5年(1852年)の『諸問屋再興調』という資料によると、古着屋3102軒、古道具屋3672軒となっている。これに、質屋、ボロや紙屑買いなどを加えると1万軒以上になる事がわかる。当時、江戸の人口が50万人といわれていたため、50人に1人はリサイクルに従事していたことになる。
明治29年(1896年)の商売ベストテンでは、1位が菓子屋の7882軒、2位が薬屋の3872軒、3位は古道具屋の3501軒、古着屋は8位で1930軒となっている。
しかし、第二次大戦後の高度経済成長期には、古着屋はほとんど消滅し、古道具屋や骨董屋など、生活用具の中古品を扱う店も皆無に等しい状態になった。わずかに質屋の一部が「出庫物」として、質流れ品を売っていた程度である。
それが、二度にわたるオイルショックと平成大不況などの影響も有り、古着屋や古道具屋、つまり「リサイクル」という概念が再び日の目を見ることとなったのだと考えられる。
〈注〉参考文献:広辞苑及び東京リサイクル運動市民の会HPから参照
(1)フリーマーケットとバザーの相違点
フリーマーケットと同じような意味で日本では使われる事の多いバザーという言葉。フリーマーケットを知る上で、バザーについてはたして蚤の市のような意味で使われているのであろうか。Baza(a)r:バザーは元々はペルシア語で市場の意味であった。しかし、市場といっても公共事業・社会事業などの資金を集める目的で催す市との見方が一般的であり、慈善市とも考えられる。また、バザーの他にバザールという言葉も存在する。Bazar:これはバザールと発音するが、主にインド・中央アジア・中東諸国などにおける市場の意味で、他には種々雑多な品物を売る小店。一般的に私達がよく使う使い方だと百貨店などの大売出しの事を指す事が主な使い方のようだ。私が考えたこれら2つの相違点は、やはりフリーマーケットは大規模〜中規模レベルの蚤の市がほとんどである。それは、フリーマーケットと呼ばれるものの多くが以下のような市民団体により運営されているのに対し、バザーと呼ばれる形態の蚤の市は学校、幼稚園・保育園等による保護者会やPTA主催、または、企業などによるかなり狭い意味で地域に密着し、慈善的な意味を含めたものであるためである。
これは、アメリカ国内においてもその意味付けは同じである。それは、アメリカのフリーマーケットと呼ばれるものはRose Bowlと呼ばれるアメリカンフットボールの競技場で毎月第2日曜6時から行われるものと、Long Beachと呼ばれる毎月第3日曜8時から行われる2つがそれである。これは、かなり広い地域で行われるため、ロサンゼルス市民の週末での楽しみのひとつになっているようだ。これに対し、アメリカのバザー的な位置付けのものは各ストリートや公園、学校などにおいて行われているものを指す事が多い。また、アメリカでのフリーマーケットにおいて売られているものは揺り籠から墓場までではないが古着や小物の他、車やログハウスなどもある。
それらの情報はhttp://fleamarketguide.comにより検索する事ができる。これは、全米各地で行われているフリーマーケットの情報が、開催日時、場所、その行き方、内容とすべて一目瞭然に見る事ができるサイトである。アメリカ国民は自宅のコンピューターやインターネットカフェによりこれらのサイトから情報を入手し、フリーマーケットに出かけていくようである。これは、国民性としてフリーマーケットを町興しのイベントとして位置付けている事や、環境問題に熱心な事が背景にあるからではないだろうか。
〈注〉参考文献:広辞苑
【第1章】フリーマーケットにおける詳細
ここでは、実際にフリーマーケットに出店した経験から、いくつかフリーマーケットという存在を表してみることにする。フリーマーケットを単なる不要品の売買のための場として考えるのではなく、ゴミと呼ばれる家庭内の不要品をどのようにリサイクルしていくかに焦点をあてて、その利用方法を考えてみた。
1.出店の際の注意事項等
日本におけるフリーマーケット出店時における注意事項及びフリーマーケットでの諸情報として、準備しておくと便利な物の中には、敷物(ビニールシート等)・ガムテープ・マジックペン(黒・赤の二種類は必須)・ウエストポーチ・販売用の袋・簡易イス・計算器・画用紙・ブティックハンガー・食べ物、飲み物(会場によっては近くに売店がない場合がある)などがある。また、当日比較的良く売れる物の傾向があるのでそれを以下に記した。
(1)よく売れるものベスト(図表1参照)
この中で、ジーンズやスラックス等は、サイズの把握が鍵となり、お客様用にメジャーを持っていくのも良いとのことであった。(市民団体関係者談)
また、これとは別にやはり売れにくい物、訪問者に対して抵抗感をあたえてしまう物も存在する。
(2)売れにくいもの
例えば、代々木公園などの大規模なフリーマーケットにおいては、その対象が若者などに限られる場合があるので、古食器や古本などはあまり売れていないようです。しかし、地域的に行っているフリーマーケット(埼玉県K市ナイトバザールや同様のあくまで地域住民対象なもの)においては、古食器、古本等も売れる場合もあるので、一概に売れないものと位置付けるよりも、ここでは売れにくいものとした。この他、電化製品など会場にてかさ張るような生活製品は、フリーマーケットではあまり売れないようである。
(3)売ってはいけないもの
また、フリーマーケットも全ての物品を売買して良いという訳ではなく、やはり法律に違反しているもの(偽ブランド品・コピー品等)はどのフリーマーケットにおいてもその売買を禁止している。しかし、中には主催団体や責任者に無断で出店する人も存在し、主催者側の見回り強化に繋がる物となっている。また、この他販売免許がないと販売できないもの(食品・医薬品・化粧品・酒・タバコ・アダルトビデオ・生き物等)もあり、出店の際には充分な注意が必要となってくる。これは、これらの商品を無断で売買していると行政側と市民団体側との間に問題が生じやすくなり、公正な開催が出来なくなる恐れがあるためである。
(4)ブースの広さ
手持ち出店スペースは基本的に2m×2mである(団体により規定)、車出店スペースは6m×2,5m(車自体の駐車スペース含む)であることが一般的である。
会場によって、若干の違いはあるが、この広さを下回る事はないので、事前に出店スペースを計算・考慮しておく必要性がある。
2.詳しい出店方法
(1)出店者の条件
都・区立公園では、新品プロ・中古プロ・コレクターズ品販売・骨董販売・手作り品の利用者は出店できない規定になっている。(上記の利用者はイベント会場を利用する必要がある。)
(2)出店手続き方法
基本的には当日受付と、オンライン予約、往復葉書予約、電話予約の4通りの予約方法がある。
当日受付:
フリーマーケット開催当日に、会場へ直接荷物を持って行き、会場で受付。
オンライン予約:
当ホームページ内に設置してあるオンライン予約フォームから予約をし、後日返送されてくるメールに記載してある整理番号を持って会場に来場。
往復葉書予約:
事前に事務所の方に往復葉書を出して、事務所から返送されてくるハガキ(これが整理券になる)をもって会場に行く。(往復ハガキの予約が必要な会場は、すべてオンライン予約)
電話予約:
事前に予約センターの方に電話して、そのときに伝えられる整理番号を持って会場に行く。
主に、当日受付の会場が多いが、定員数に限りのある会場はオンライン予約や往復ハガキ予約となる。定員になり次第締め切るので、往復ハガキなどは、出す前にまだ間に合うかどうか問い合わせておく必要がある。なお、出店方法は、出店時配布されるパンフレット等のスケジュールの右側に書かれている事が多いので、そのパンフレットなどを参考にするとよいだろう。
(3)予約の際の注意事項
オンライン予約では、公園を会場とするフリーマーケットにおいて、基本的に1人1ブースまでの予約となっている。これに対し、イベント会場では、1人2ブースまでの予約が取れる。また、都立公園フリーマーケットなどで、1人で2通のメールを送り、予約整理番号が送られてきたとしても、有効なのは、1ブース分のみであるので注意が必要である。
(4)参加費
参加費を各団体ごとに平均値を取ったところ、以下のようになった。
年会費 2000円
手持ち出店 3000円
車出店 4000円
3.市民団体の特徴(東京リサイクル運動市民の会の例)
古着を回収する市民団体(東京リサイクル運動市民の会)
「ありがとうからありがとうへ」を目指す
東京リサイクル運動市民の会では他の市民団体との差別化を図るために、一般の家庭においていらなくなった古着を回収しリサイクルに貢献している。その理念は
洋服や雑貨、日用品って長く持てば持つ程、親しみが出るものです。
これら要らなくなった洋服などの処分に頭を悩ませたり、着なくなったり利用しなくなったけれど手放せない洋服や雑貨だってきっとあるでしょう。
洋服や雑貨の気持ちを考えると、押入れの中やタンスの奥に押し込められているより、誰かに着てもらったり新たに利用してもらいのびのびと外の空気に当たっている方が幸せなんだと思いますよ。
また、企業の在庫品や、処分品なども回収しています。業務依頼からご相談ください。
―東京リサイクル運動市民の会HPより抜粋―
といったものである。東京リサイクル運動市民の会は古着の循環型生活貢献を目指している。そのため、これら利用者のニーズと合致するものがあれば、市民の会が責任をもち、これら古着を預かる。
東京リサイクル運動市民の会ではこの他お試し出店といった初めて利用しようとする出店者フリーマーケットに慣れてもらう目的や、フリーマーケットを少しでも多くの人々に理解してもらい、リサイクル運動の理念を知ってもらうため、フリーマーケット訪問者のみでなく、出店者のニーズにも答える形でこの制度を行い続けている。
これは、東京リサイクル運動市民の会会員における出店条件よりも出店料等の面において高くはなっているが、あくまで、フリーマーケットを多くの人々に知ってもらうための手段としては素晴らしいものであると考えられる。
出店はしてみたいけれど、年会費を払うほど出店回数をしないかもしれない?」
という出店者の方への要望に答えて、年会費2000円を収めなくても出店できるスタイルが「お試し出店」である。
アマチュア(家庭の不要品のみ販売の方)に限り一回だけこの権利を使うことが出来る。
しかしながら、お試し出店は全会場で出店料+500円という料金体系なので、2回以上出店される予定
があれば、年会費を払ってしまった方が得だとも言える。
@フリーマーケットの基礎知識及び市民団体について(リサイクル運動市民の会)
「リサイクル運動市民の会」は81年4月に活動をスタートさせた非営利団体である。日本最大規模のフリーマーケット会場である代々木公園をはじめ、一都三県で20ヵ所ものフリーマーケットを運営している。「リサイクル運動市民の会」によれば、創立当初、フリーマーケットで不要品などを売る事に対する一般の人々の抵抗は相当強いものがあったという。80年代前半は概して参加希望者が少なく、「出店をお願いして歩き回ることも会った」という。それがここ2〜3年で会員数が急激に伸び、現在は17000人である。そのため、人気会場においては抽選で決まるほどである。
例えば、代々木公園の場合、2メートル×3メートルの区画が約800件用意される。そのため、代々木公園の出店倍率は4倍強となってしまう。私自身、有名なフリーマーケット会場に出店する事は、出店を希望する前の回に出店申し込みを済ませればよいとだけ考えていたため、毎回4倍近い倍率の中フリーマーケットは開催されているという現実を知り、人々のリサイクルに対する関心の高さを伺う事が出来たと同時に、毎回首都圏だけでなく、(例えば北関東や静岡など)からも出店者が集まるという事で、ある種の地域コミュニティーがそこに形成されているのではないのかと感じる事が出来た。それは、フリーマーケットやバザーは、その地域ごとに各特色を醸し出しているものも多く、出店し営利だけを目的にするのであれば、態々東京に出てくる必要がないためである。しかし、この倍率を考えると、東京において見知らぬ人と人との交流を深めたり、自身の郷里のフリーマーケットを紹介したり、様々な意味でのコミュニケーションが取れている要因になっているのではないだろうか。実際、私自身数多くのフリーマーケットを訪問したが、出店者は東京在住の人はあまりいないことが多く、千葉や埼玉、神奈川、群馬など数多くの地域から出店をしに来ている人の方がむしろ多かった。この事は、このフリーマーケット一つ一つが、ある種のお祭であり、フリーマーケットが定期化され有名になる事でそれを開催している地域の発展につながり、貢献しているのではないかと考えられる。有名な例が、世田谷区のぼろ市ではないだろうか。普段は決して名が知られている地域であるとはいいにくいが、その存在は周辺地域の人だけでなく、いまや全国規模でその名が知れわたっている。ここからも推測できるように、従来のフリーマーケット=地域的なものの構図は変化しつつあるのではないのかと考える。
また、規模は小さいが世田谷公園、中野北口公園、錦糸公園も人気で常に5〜6倍の競争率になるそうで、団体関係者に言わせるとかつての話が信じられないとのことであった。
フリーマーケットの参加者は、ここ3〜4年で急増している。主催する団体もウナギ登りで、関東近県だけに限ってみても、現在60〜70団体あるといわれている。大盛況のフリーマーケット事情を、老舗団体である「リサイクル運動市民の会」の方に疑問をぶつけてみた。
Q:フリーマーケット主催団体が本当に何十もあるのだろうか?
A:何度かフリーマーケットに足を運ぶ人の中には《主催団体に参加費をピンハネされている》と感じる人が多く、それなら自分で団体を主催しようということになり個人でそれらしい名前を付け旗揚げしていくというのが現実である。しかし、実質的には個人で運営しているような団体が定期的にフリーマーケットを開催していくとは考えられず、名実ともにフリーマーケットの団体というと、60〜70もある団体の半分あるかないかというのが実情であるようだ。現状の乱立状態はしだいに淘汰されていくのではと懸念されていた。
最後に、団体の方に初心者でもフリーマーケットを上手に楽しむ方法を教えてもらう事が出来た。これは、地域コミュニティーの開放を目的とするには必要な事である。そのポイントは以下の4点である。
A.商品を小出しにする
→会場となる公園などの公式開園時間は午前10時であるが、実際8時半位から人の出入りがある。中には、人垣を盾にしたり、商品の入ったダンボールを勝手に開けたり、そのまま持っていってしまう人がいるため、商品を小出しにした方が安全であるということである。
B.売値の計画をたてる
モノに対して値段をつけるのは当たり前の概念である。このフリーマーケットの主催者側としての第一の目的は、地域振興を含めたコミュニティーの確立にあるが、出店者側にとれば、ほとんどの場合、商品を訪問者に購入してもらう事が第一の目的と考えられる。ここでいう、売値の計画とは時間経過にあわせた値段の事である。開園から11時位までは売り手市場であり、11時〜1時位までは買い手市場となる。それ以降になると人の流入が減少してしまうため、最初は値切られても売りたい値段になるよう、少々高めの値段をつけておくことが出店者と訪問者のコミュニケーションを円滑に進めるためのポイントになる。
C.グループで出店する
フリーマーケットにおいては、人が多いほうがあらゆる面において行動をとりやすい。それは、食べ物を購入する事も可能であり、自分達以外の出店者とのコミュニケーションも図りやすいためである。また、必然的に商品も多くなるため集客の点においても有利である。極端にいえば、一区画を10人や20人で使用する事も可能である。しかしながら、当日出店を予定していない人の商品を売買する事は、禁止されている。これは、物が破損してしまったり紛失してしまったりする場合の所在の有無を明確にするために市民団体のほうが厳しく取り締まっている。
D.参加前にフリーマーケットを見学する
フリーマーケットにおいて、出店者は店主、1国1城の主となる。出店者のコミュニケーションにより当日の成り行きが変化してしまうため、あらかじめ、品揃えやレイアウト、訪問者との駆け引き等を研究する事でより円滑にコミュニケーションを図ることが可能になる。
また、リサイクル運動市民の会などの老舗団体以外にも、国内にはリサイクル活動を積極的に推進しフリーマーケットを開催している団体が数多く存在するが、以下にそれら代表的なものをいくつか挙げてみたので参考にしてもらいたい(図表2参照)
【第2章】環境問題からみるフリーマーケットの役割
1.リサイクル=環境保全としてみるフリーマーケット
フリーマーケットの基本理念は、各市民団体により異なるが、その最もなものが家庭内にある資源を有効的に再利用しようというものである。リサイクルという言葉は、環境問題のキーワードになっているが、リサイクルは決して最近に始まった現象ではない。例えば、戦前の日本では、トイレットペーパーやティッシュペーパーに使っていた紙は塵紙といわれる、再生紙であった。時には、原料の新聞紙や広告に印刷されていた活字が、そのまま塵紙の上に残っていたりした。また、着古した浴衣が赤ちゃんのオムツになっていたのもリサイクルであった。そのオムツも使い捨てにせず、何度も洗濯し、本当のボロになるまで使い続けられていた。ビン類にいたっては、牛乳ビン、酒ビン、ビールビンなど返却し再使用する事が、むしろ普通の事とされていた。しかし、現代においては、物を惜しむよりも時間を惜しむという、現代人の忙しい生活態度がごみを増やす結果を招いたとも言えるのではないだろうか。リサイクルのためにゴミを仕分けして捨てる事も、物を丁寧に使い切ってゴミの量を減らす事も、ひいては地球環境の悪化防止をする事も、手間と時間がかかることである。私達のかけがえのない地球を、少しでもよい状態で将来の世代に渡せるように、私達各個人は、時間や手間を惜しまず資源節約や環境保全のために努力し、児孫のために美田を買わない人でも、児孫のために美しい地球を残す事に依存はないのではないだろうか。これらの考えを包括的に考慮し、リサイクルは家庭や会社などからの廃棄物を減少させる事により地球環境を向上させていくことにも繋がる事になると考え、実際フリーマーケットを開催しているのが環境を考える市民の会が主催している明治公園フリーマーケットである。
(1)環境を考える市民の会
基本的に環境問題を考える無償ボランティア団体として発足。名前の由来は会員が同じ環境カレッジに通っていた事による。会員同士で環境問題に関するイベントを考え、東京都庁へ問い合わせたところ市民グループでの開催許可はリサイクル目的のフリーマーケットのみである事を知る。元々はグリーンマーケットやグリーンフェスタ(ニューヨークなどでは盛ん)のようなイベントを企画していたが、日本には前例がないため許可が下りなかった。この会は営利目的の市民団体ではないため(非営利団体:NPO)営利目的の団体と同一視される事を好んではいない。また、いかなる政治団体や政治結社にも属さず、あくまで自分達の理念を貫き通している。また、イベント開催における収益金(出店料)から開催経費(公園使用料・広告代・事務用品代等)を除く全額を東京都社会福祉協議会や墨田区社会福祉協議会の方に寄付している。
@東京都はリサイクル目的の市民団体に対してその開催を許可する。しかし、その前例がない場合は難しい。
環境を考える市民の会で特徴的な事は、一部を除く収益金を全て東京と社会福祉協議会や墨田区社会福祉協議会の方に寄付している事であると考えられる。一部の市民団体が収益金の全てを団体運営やイベント開催経費に充ててしまうのに対し、環境を考える市民の会では、あくまで住民(この場合は区民を指す)あってのリサイクル=フリーマーケットであり、リサイクルという運動をより地域に根付かせ、そこからコミュニティーを形成するために自分達の運動を行っているという点が他とは相違している。この形式による利点はなんと言っても住民のリサイクルに対する意識の向上であると考えられる。つまり、それまで、自分達の近隣で行われていたフリーマーケットというと身近ではあるが、そこから生まれる収益金(出店者が物品売買により得た収益金を除く。ここでの収益金とは参加料や一定の会員費等)が一体どこに行ってしまっているのかという、不透明な疑問を残さざるを得ないものであったのに対し、この団体での収益金は一部を除く全額が行政に対して寄付されているため、そこから生活向上やコミュニティー形成のための資金援助となりうるのではとの見方が出て来ているのではないかと推測する。つまり、市民団体と住民が一丸となり地域振興に貢献しているという意識が存在しているのである。錦糸公園で行われたフリーマーケットでの個人調査によると、一定の出店者を除き、ほとんどが墨田区や近隣の住民の出店である。つまり、代々木公園などでの大規模なものに比べ地域振興に貢献しているという出店者の意識が高いだけでなく、中規模(当団体主催の明治公園フリーマーケットを除く)の利点を生かし、住民同士のコミュニケーションの場としての役割をも担っているのである。
2.リサイクル活動における疑問点
日本の家庭から排出される一般のゴミの総量は一年間に約5千万トンであるといわれている。それに産業廃棄物2億5千万トンが加わるため、その量は想像を超えるものである。処分場は逼迫し、地球環境は悪化の一途をたどっている。このままでは、立ち行かない事は歴然としているが、個人、行政、企業の取り組み方はなかなか改まらないのが現状である。
私は、日頃から憤慨している事の1つに、先立ってある自治体のリサイクルフォーラムが開催された際、見学を兼ねて訪問した。個人が、意見や疑問をぶつける事が可能であると感じていたが、そこでの発言を許されるのは、婦人会の人々、牛乳パックで紙を作っている団体の人々等であった。そのような人々が、時間を当てがってもらって自らの活動内容や、自分達がいかに素晴らしい活動を行なっているかなどを発表しているものに過ぎなかった。これに対して、個人、つまり意見・発言を目的に訪問した人々や、業者等の人々は一切の発言を許されず、ただ、黙々とノートを取っているだけであった。つまり、ゴミ問題に関しては、必ずボランティア的な性格、いわゆる非営利団体でないと参加する事すら出来ないのが、今の行政の現状である。これは、行政側が自分達や非営利団体の方々をただPRしている場に過ぎず、本当の意味でリサイクルを行っている業者や企業の妨げになっているのではないだろうか。考えてみれば、何百人もの人が車を利用し、排気ガスを撒き散らしまわり、「牛乳パックを1つの家庭で10個ずつ集めてはがきを作りました。素晴らしいリサイクルです」といっている。これでは話にならないのではないだろうか。その上、大きな会場を貸しきり、そこでエアコンを回し、電気をつけている。そのエネルギーを考えれば、これは相当なものになると思う。リサイクル活動を推進する人々の方が環境に悪影響を与えているのではないのだろうか。はがきを何百枚作ったところで本当の意味でのリサイクルには繋がらないと思うし、環境には何ら影響を与えるものでもない。その事を広報誌などに印刷し、配って歩いている団体の方が、逆に紙の無駄使いを行い、ゴミの元を生んでいるのである。つまり、リサイクルを行うという姿勢は形だけのものである、というのが私の率直な感想であった。
確かに、地域の女性が個人活動として行っている回収活動や、はがきや石鹸に変えるリサイクル活動、またフリーマーケットにおいても資源問題であるとか、環境改善に役立っている事が多々あるのは明らかである。小さいながらもコミュニティーを形成したり、お互い物や知識を交換し合ったり、子育てといった分野まで考え助け合っていく事は大切な事であるし、参加者の意識改革にもつながるものである。しかし、本当の意味でのリユース(再利用)にはならないのではないだろうか。やはり、趣味や遊びの世界の事である。
牛乳パックで紙を再生し、リサイクル活動である。と自分達の活動内容をアピールするよりも、行政として、ゴミ出し問題以外にも他にもっとやる事があるのではないだろうか。このことを改善するために、行政側も体質改善しリサイクル活動を営利目的としている企業や団体と協力し、タイアップ、ネットワークを築き上げるなど、今までどおりの建前でのリサイクル活動推進ではなく、本当の意味でのリサイクル運動を行ってもらう必要があるのではないだろうか。
〈注〉参考文献:ごみの山は宝の山だ 堀之内九一郎(メタモル出版)
3.市民団体が目指す方向性と行政側との環境対策について
フリーマーケットを調べていくうちに、フリーマーケットを主催している多くの市民団体と、行政側(ここでは公園や開催地を提供している自治体やフリーマーケットやバザーを開催している自治体等)のリサイクル活動を軸としてのフリーマーケットの考え方に大きく相違点が存在している事が理解できた。これは、市民団体側を取材した際に、関係者の方から行政側に対して疑問点に感じる事をまとめたものである。
例えば、ごみゼロ運動などをスローガンに掲げている自治体も数多く存在する。しかし、それを掲げている自治体の市役所や県庁などから、まだ使用が充分可能な事務机や書類棚などが次々に捨てられているのが現状である。『使える物は使いごみを減らしリサイクル活動に貢献しよう』などと掲げている自治体がこれでは、その住民は納得しないのは当たり前である。
しかも、各自治体により見解や処分方法も異なり、その表示方法も異なるものとなっている。例えば、鉄ごみや紙ごみという呼び方はいいが、屑というと自治体は顔をしかめる事が多い。これは、鉄屑というとそれは、何かを加工した残り物になり産業廃棄物の部類に属するため、鉄ごみという表示を行い、一般廃棄物にして処理するようにというものである。このようないい加減な法律を設定し推進している自治体にリサイクル活動の本質は理解出来ないものとし、市民団体や廃棄業者等は独自の活動を行なっていることが多い。
また、ごみの呼び方においても自治体は改善をする必要性があるのではないだろうかと疑問に思う。埼玉県K市の中の、特に現場においてごみを収集している人々(アルバイト・パート含む)に対して、市民団体を通じて質問を投げかけてみたところ、実際いくつかの矛盾点を感じているとのことであった。その1つに、役所が市民に対して、「燃えるごみ」と「燃えないごみ」の分別を義務付けている自治体が多く存在するが、「プラスチック」をどのように分別するか一部の自治体を除き未だ不明確な自治体が多いとの事であった。
多くの人々に知られているように、「プラスチック」は燃やすと解けて燃える物質である。しかし、燃えるごみの中に入れると、プラスチックは不燃物であるため、燃えないごみとして出して欲しいというような事を自治体に言われたと、以前市民の方から収集者の方々に対して苦情があったとの事であった。確かに、一般の人々でプラスチックが不燃物であると考えている人は存在しないし、燃やせば燃える物質のため、行政側の対応が必要になると考えられる。この問題に対しての私なりの対応策を考えるとするならば、例えば、「燃やしてもいいごみ」、「燃やしてはいけないごみ」の従来の2つの分類の他に、「資源ごみ」と呼ばれる分類を設置する事により、行政と市民との間の軋轢もなくなり、このような問題自体が起こらないのではないのかと考える。プラスチックは燃やせば燃える物であるが、中には塩化ビニール製のプラスチック類(食品のラップやたわし、建材用のシールなどに使用されている)は燃やすことによりダイオキシンの原因となる事が以前騒がれたので、「燃やしてはいけないごみ」に分類されるし、ペットボトルやプラスチックのトレーやタッパなどは近年になってようやく「資源ごみ」として分類した自治体が出てきたが、まだ分別回収が完全に行われていない自治体もあるとの事であった。このように、いわゆるお役所用語と呼ばれるものを子供から一般市民にまで幅広く、わかりやすく改革し、「燃やしていいごみ」、「燃やしてはいけないごみ」、「リサイクルできる資源ごみ」と分類する事で、誰にでも分かりやすくリサイクルの考えを植付ける事が可能になるのではないかと考えた。
ところが、実際は可燃物と不燃物に分類せよとだけ行政側は提示するため、市民の理解や正しい分別知識が一向に進まないものとなっているのが現状である。しかし、ごみ袋は中身が見える半透明なものに限るであるとか、啓蒙的なパンフレットなどを作成することに力を注ぎがちで、余計に資金を無駄遣いしているのが現状ではないだろうか。
市民団体を含めたリサイクル活動推進の人々は、リサイクルや再利用という概念では行政側と一般の人々との間に格差はないが、根本的なものとして、行政側が制度や法律を改善しないため、その実態に軋轢が生じてしまうのであると述べていたのが印象的であった。これらの姿勢を正す事から始めるのが、行政側に対して望まれる事であるように私は考える。
4.公共リサイクルセンター(不用品の販売を自治体が代行)
多くの市区町村も地域在住・在勤の人から預かった家具や家電製品、衣類や雑貨などを役場の施設に展示して一般を対象に代行販売を行っている。
出店システムは各自治体によって異なるらしいが、共通点として品物は出品者が持ち込まなければならない点がある。手数料は無料のところから1回200円、あるいは売上金額の10%などと設定は様々である。出品点数にも制限がある。価格は原則的には出品者が決められるが、あくまでリサイクル活動の一環であるため、値付けは上限3000円までであるとか、5000円までなどと制限がある。そして、約1ヶ月程の展示期間終了後、清算して売れ残った品物は返却される事となる。
また、粗大ゴミとして回収した家具や家電などを修理・補修・再生して展示し、希望する市民に対し格安で、あるいは無料で譲渡している自治体も多い。この場合の申し込みは1人2点までといった制限があり、希望者が多数いる場合は抽選となる。見た目が粗大ゴミに見えないものも多々あり、公共なリサイクルとはいえ一見の価値があるようである。
【第3章】欧米におけるフリーマーケットと日本との相違点
1.フリーマーケットの本場欧米でのフリーマーケットの位置付け
フリーマーケットを語る上で、忘れてはいけないのが欧米(特にイギリス・フランス、アメリカ)におけるフリーマーケットである。一般的に考えられるフリーマーケットとは、その存在意義や会場での規模、集客率などどれをとっても日本のそれとは大きく異なっている。私自身、日本においてかなりの数のフリーマーケット及び蚤の市を訪問した。しかし、その多くにおいて利益第一という考え方の中で営まれているのではないのか、という懸念を感じるものであった。それは、あらゆる場面(特に大規模な公園等で開催されるフリーマーケット)において業者と呼ばれる人たちの存在が拡大してきているためである。前にも述べたとおり、フリーマーケットの存在価値は地域住民又は出店者と訪問者との間に置いてコミュニケーションを図り、地域の活性化の中でその知名度をあげていくことと、リサイクルという地球環境保全において一番身近な身の回りの要らなくなった所有品を売買し人から人への構図を構築していく事にあると思う。それは、日本に存在するフリーマーケットを主催する各市民団体の方々の願いでもあるからだ。しかし、この業者の存在により、個人がフリーマーケットに出店する可能性を下げただけでなく、利益第一の彼らが、市場に出回っている価値がある商品に対して付加価値、即ち一定の利益率を上乗せし販売しているのである。ある会場で調べてみたところ、一般の訪問者は市場のニーズに対応していくために朝早い時間から会場に来場しこれら高額商品を購入していくが、はたしてそれが本当の意味での地域貢献につながっていくのだろうか。主催者側もそこに本当の意義が存在するとは考えていないと思う。
2.日本の諸団体と欧米との相違点
1で少し記したように、日本でのフリーマーケットに対し欧米におけるフリーマーケットは相違している。まず、かなりの大規模会場のフリーマーケットにおいても日本におけるような業者はほとんど存在しない。(しかし、最近では日本でのブームが引き金となり、日本のブランドやビンテージ志向等に着眼した海外の業者も存在する)住民のほとんどが隔月や隔週など、週末に行われるフリーマーケットを本当に楽しみにしているし、自分達にリサイクルできるだけの商品が揃えば、近所の友人などと協力し合いフリーマーケットに出店することもある。そうする事でフリーマーケットを地域住民が交流できる数少ない場として考えている事が理解できるし、そこから、新たな出会いやリサイクルにおける価値観を見出せる事ができるのだと信じているためである。そのため、ホームページでも多くのフリーマーケット(アメリカでは商品の分類ごとに異なるフリーマーケットが存在するため)を一目で検索できるサービスも充実しているし、何より、日本のフリーマーケットよりも掘り出し物に出合う確率がかなり高いのである。日本のフリーマーケットで現在、掘り出し物は存在しなくなってきている。高付加価値商品は店舗に存在しても、値段がそれに比例していては、フリーマーケット=リサイクルの意味が失われてしまうのではないだろうか。本来ならば廃棄してしまう商品の中から掘り出し物を見つけ、初対面の人とのコミュニケーションによりそれを購入する。それこそがリサイクルを楽しむという事につながり、人々のリサイクルへの意識を高める要因になっているのではないだろうか。このことこそが、欧米と日本のフリーマーケットの違いであると私は考える。
3.欧米におけるフリーマーケットの出店者・利用者の違い
今回、大学4年の8月にイギリスを訪れる機会があり、日本であらかじめ調査し、日本におけるフリーマーケットとイギリスにおける様々なフリーマーケットを比較した。その中で、理解する事が出来たのは、イギリス、特にロンドンにおいては本当にフリーマーケット(ここではバザーも同じ概念とする)が本当に住民生活の一部となっていることであった。日本では、平日に行われているフリーマーケットはまず存在しない。それは、日本人の国民性や生活環境だけでなく、そのコミュニティーの存在意義に関係してくるのではないかと私は考える。つまり、上記に記したような、参加型住民と利用型住民との格差があまりに開きすぎているためであるように思える。今回、いくつかのコミュニティーを調べてみて、日本においてのコミュニティーは一部の熱心な住民がまず存在し、積極的に地域活動を推進し、それに順ずる形で、建前を重んじる人々が渋々地域活動に参加している。つまり、参加をしているという概念ではなく、参加させられているという意識が本当に強い。これでは、形だけ地域コミュニティーの構築が行われても、それが継続する事は難しくなってくるように思える。ここに、本音と建前が交錯する日本社会の溝が存在するのではないだろうか。
これに対して欧米(ここではロンドン)は、フリーマーケットが生活に根付いているため、買い物に出かける感覚でそれぞれの市を訪れる事が可能である。また、場所という問題でも行政側の対応策がきちんと行われている為、それに対する弊害はほとんどない。日本には、代々木公園などの管理者(行政)と主催者側(市民団体)との間で、開催後におけるごみ問題や地域に対する弊害など、まだまだ理解されない場合が多いため、フリーマーケットを本当に開きたい場所(路上や商店街、一部の道路を一定時間閉鎖し歩行者天国状態での開催等)が一部の自治体を除きほとんど不可能に近いということであった。これに対する理想的な答えがロンドンには存在していたように私は感じた。また、アメリカ国内においてのフリーマーケット情報検索サービスhttp://fleamarketguide.comを参考にして、アメリカでのフリーマーケット事情を調べたところ、フリーマーケットを通じ家族的な付き合いを行い、新たにコミュニティーを形成していると答えた利用者が意外にも多い事が理解できた。アメリカは国土が日本の数十倍もあり、且つ州ごとに自治権が任されている合衆国なため、地域的な付き合いは少ないと感じていた。しかし、例えばロサンゼルスにおいてフリーマーケットを利用した他の住民が、出店者と意気投合し、次回は共同でフリーマーケットを出店し、その後、アメリカ特有の家族的な付き合いを通じ、週末には家族ごとに集まり、ホームパーティーやバーベキューなどを行っている家族も多いとのことであった。これは、フリーマーケットが地域コミュニティーに良い効果を及ぼしている代表的な例であると考えられる。このような現象が日本においても日常的になる事で、フリーマーケットは更なる地域振興活動に役立つものとなるのではないだろうか。
さて、参考までに今回訪問する事の出来たイギリスやフランスでの代表的なフリーマーケットをいくつか挙げてみた(図表3参照)
4.日本が欧米に学ばなければならないリサイクルの心
アルバイトを兼ねた取材ではあったがイギリスを訪問して、フリーマーケットを含めた意味で日本のリサイクルに対しての知識や行政側の対応は、リサイクル先進国である欧米に比べるとまだまだ発展途上の段階にあるのではないのか、という疑問が出てきた。例えば、フリーマーケットと直接は関係ないかもしれないが、リサイクル問題の提起として、海外に旅行をするとよく感じる事なのだが、ごみ(廃棄物)をどうして捨てるかによって、単なる旅行者としてその地にいるのか、それともそこに住んでいる住人なのか、分類できると思うのである。旅行者としてホテルやその他の宿泊所にいる場合には、ごみは備え付けられているごみ箱に一括して入れておけば、後にそれがどう処理されるのか思うこともない。しかし、たとえ数日間でもその場所に住むのであれば、でたごみをどのように廃棄するのか問題になってくるため、ごみ処理に関する情報をまず入手する事が、新しい土地で気持ちよく生活を始める決め手になってくると考えるのである。
廃棄物の処理方法は国や、地方や都市によって千差万別である。最近になって環境保全・資源の有効利用と廃棄物処理の関係が重大視され始めた事で、共同社会のルールを乱すような不適切な捨て方をしないという配慮も重要になってきている。そうすると、一括して捨ててよいものか、どの程度まで分別するものなのか、何に入れてどこに捨てればよいのかなどの問題を理解できるまでごみと共に家庭に抱え込む事になりうる。しかも、日本においてはごみの回収日でないと捨てる事はできないため、ごみを捨てる日取りは必ず入手しなければならないのが現状である。イギリスやオーストラリアを訪問して最初に感じた事は、この「ところ変われば、ごみ捨て変わる」ということであった。
以前、東京都がごみ捨てのルール違反を減らす目的で中身の分かる半透明のごみ袋を導入し話題になったが、それに比べると、イギリスやオーストラリアでの住宅地でのごみ捨て方法は、日本にも戦前から戦後にかけて存在していた、戸口の脇に置いてあったごみ箱方式とあまり変わらないものとなっている。ダストビンと呼ばれる円筒形の容器(国によって色・形は異なる)に、燃えるごみでも燃えないごみでも入れておけば、毎週1〜2回特撮映画に出てくるようなクレーンを備えたごみ収集車が各家庭を訪問し、回収してくれるシステムになっている。ダストマン(イギリスでのごみを収集する人々の愛称)は各家庭の庭にまでダストビンを回収しに来てくれるため、留守中でもダストビン空になっている事で、出し忘れがないのが日本と根本的に異なる点である。
また、調べた限りではあるがイギリスやオーストラリアでもごみを仕分けして捨てる事は行われている。これらの国では上で述べたようにごみを一括して収集することも行われているが、その他に個人がごみを各自で仕分けし、リサイクルセンターと呼ばれる所に持っていく事も可能なシステムとなっている。この他、町外れには市民のための家庭内のごみを分別し廃棄する目的の大廃棄場が存在し、そこではさらに細かい分別が可能となっている。これらを管理しているのが地方自治体であり、市民のための場所(Civic Amenity Site)は週末でも開かれている。この行政側のリサイクルに対する姿勢の違いこそがリサイクル先進国と日本との相違点である。
考えてみれば、リサイクルとは戦後物質不足を味わった日本が、高度経済成長時代に物質的豊かさを追い求めた結果の浪費の固まりであるが、日本人は必要でないものを一定の空間に抱えすぎではないだろうか。つまり、不要品を抱え続けることこそ一番の贅沢であり、これを排斥する事こそ私たちが身近に出来るリサイクルの形であると私は考える。ただ、リサイクルという言葉は今でこそ環境問題のキーワードとなってはいるが、調べるにあたりリサイクルは決して現在に始まった現象ではないのである。例えば、以前はトイレットペーパーの代わりに多くの家庭では塵紙という再生紙を利用する事が日常的であったし、時には新聞紙などが塵紙の上に残っている事もあった。また、現在は紙オムツが主流であるが、以前は大人が着古した浴衣などそのまま乳児のオムツとして再利用して使用していた。それも、何度も何度も洗濯し、ボロとなるまで使い続けられた。私自身、裕福とはいえない家庭で育ったため、塵紙は最近まで使用していたし、小さい頃の写真を見ると布製のオムツをしている自分の姿を見ることが出来た。この他、牛乳ビンやビールビンなど返却して再利用する事が普通の時代もあったことを知り、実生活の中にリサイクルの心が根付いていた事実に、現在の生活と照らし合わせ驚愕した。今すぐ生活を変えようという事は無理な話であるが、昔の日本人に出来ていた事がなぜ現代人に出来なくなったのかを考え、物を惜しむより時間を惜しむという現代人の生活環境を変えていくことこそ、リサイクルの心を理解する事が出来ると考えている。
〈注〉参考文献:英国コミュニティ・ライフ 森嶋瑶子(岩波書店)
コミュニティー活動入門(生活地自治体をめざして) 東海自治体問題研究所編(自治体研究社)
【第4章】大規模フリーマーケットと地域密着型フリーマーケットとの相違点
1.大規模・定期的に行われているフリーマーケットのメリット・デメリット
大規模なフリーマーケットの特徴は出店する場合のほとんどが事前に予約する「予約制」が原則となっている点である。これは、フリーマーケット出店者を会員制にすることで、違法出店者や、多くの業者の参入を防ぐものでもある。また、最近ではスタンダードになってきてはいるが、東京リサイクル運動市民の会が始めたお試し出店という制度である。大規模フリーマーケット主催団体では、この他、上記で記したような申し込み方法、会員に対しての参加費・年会費などの徴収、キャンセル・雨天時の対応、売ってはいけない物への対応など、多くの規制が存在するが、逆の見方をするならばこれらの規制により、出店者が安心してフリーマーケットに出店する事が可能であり、生活不要品のリサイクルに対してあくまで再利用可能な物をリサイクルするのであり、家庭内のごみを出店してはいけないという意識付けを行う要因ともなっている。私自身実際に、これら一般的に大規模なフリーマーケットと地域で行うフリーマーケットの両方に出店してみたが、大規模フリーマーケットにおいては、安心して出店が出来たという事実と共に、出店者のリサイクル品を比較してもあまり個性が感じられるものではなかった。つまり、ある一定の商店街にそれぞれ若干異なった店舗がそのまま、青空の下に移動してきたという感覚がそこにあるのである。よく、地下街などで同じような商品を売っているお店が連なって店舗を構えているがそれとよく似た感じがするのである。異なる言い方をすれば、ユニクロやマクドナルドなど全国的に展開している大手チェーン店で買う品物が、全国または全世界どこで購入してもその品質の差に格差が少ないのと同じであるが、個人商店はその地域にその店舗しか存在しないため、同じ洋服や食べ物を取り扱っていても、その商品を北海道で買うのと東京の原宿で買うのでは、購入者の気持ち的な部分も異なるが、そこに相違が存在してくる事も明らかである。
2.地域密着型フリーマーケットについて《埼玉県K市を例に》
フリーマーケットには、誰もが知り半ばその地域の名物的な役割をはたしているものから、あくまで地域にこだわりその地域内でのコミュニケーションの活性化を図ろうと試みるものまで、多種多様な種類が存在する。後者は地域に存在する学校から老人ホームなど諸団体を参加させ子供から大人、お年寄りまでが一同に集まり開催されるもので、社会的な知名度や近隣への貢献度は少ないが、その地域に暮らしている人々にとっては何ものにも変えがたいものではないのだろうかと考えられる。
埼玉県K市では、不定期(隔月の場合もあり)ではあるが社会福祉法人K市社会福祉協議会が主催し、K市が後援しているK市ふれあい広場や夏休みには小中学生などの児童を対象にした元気!K市っ子まつりとよばれる様々な催し物が、市民公園において開かれている。障害者とのふれあい交流を基本理念としたこの催し物では、舞台、歌、おどりから遊び、運動コーナー、福祉バザーに至るまで様々な催し物が行われ、市民の地域交流に役立つものとなっている。ここでのバザーは、日用品・衣類品等の即売などリサイクルを目的に開かれるもので、正式に出店許可を取らなくても、引出物や雑貨類、食料品などバザー用品を開催日の10日前までに申請・持ち込むことも可能であるだけでなく、連絡をすれば、出店品を自宅まで取りに来てくれるサービス、また、開催当日は使用済みテレホンカード、古切手、録音テープまで当日のリサイクル運動を実施する為に市民に対して開かれた地域活動となっている。
また、K市の個性的な地域コミュニティー活動の一つに、市内のK町と呼ばれる地区においてナイトバザールというものが毎月最終土曜日に行われている。この地域振興活動は10年程前のさいたま博覧会に際して始められ、以後10年間近く続けられており、すでに120回を数える。現在では、参加商店も50を超え、今ではK市の毎月の恒例行事の一つにまで発達した。今回、調査を兼ねてナイトバザールを取材したところ、住民の中には近隣地域からこの催し物を楽しみにして訪れる家族連れも多いことがわかった。このナイトバザールでの総合的なキャッチコピーは「パパ連れてって!」である。これは、大規模なショッピングセンター等が増設され始めた今から十年近く前において、市内の小さな商店街のひとつに過ぎなかったK町商店街組合が顧客を取り戻し集客率を回復させるため出した、ある種の地域振興活動であり、商店街の存続をかけた苦肉の策であったように思える。しかしながら、これによりこの商店街の知名度はK市以外の市町村や県外の自治体にも広まる事になっただけでなく、同じようにコミュニティー活動を行う自治体も増えてきている事を考えれば、地域振興と地域コミュニティーの両方に成功した数少ないものではないのだろうか。
さて、今回このナイトバザールを調査するため、イベントが行われる当日とそれ以外での同時間における訪問者等の数を比較してみた。その結果、ナイトバザール開催日における訪問者の数と、それ以外での土曜日同時間の商店街利用者数では、明らかに雲泥の差がある。イベント開催日以外のこの商店街は、人の姿を探す方が難しいのである。これは、近くに大手スーパーが隣接している事、同市の住民のほとんどが車所有者により車でスーパーなどに買い物に出かける事が多いため、同商店街を利用する必要性がない事等があげられる。
(1)ナイトバザール当日 毎月最終土曜日(午後6時〜午後9時)
@一回のイベントによる訪問者数 約2000人
A.当日の各商店以外での組合のイベント
→演歌歌手によるコンサート、低価格でのうどん・焼きそば等の販売、射的などのイベント、福引大会、地元のお囃子会による演奏など。
(2)ナイトバザール以外での同日同時間帯による商店街における訪問者数
@同時間によるK町商店街の来客数 約30人
A.この時間帯約50軒の商店の内、同時間に営業している商店の数 約5軒
→居酒屋、イタリアンレストラン、CDショップ、日本料理屋等
上の結果を比較してもその差は歴然である。例えば、商店が実家、または個人商売以外に他の職業に就いている人々(兼業商店)等を除くと、個人商売に依存し家族を養っている人々においては、正直先行きが不安になってしまうと考えられる。また、行政側は先の10年間(歩行者天国に伴う道路交通問題・K町商店街発展のために商店街を跨ぐ道路を両側2車線道路にする問題等)特に目立つ協力はしてくれなかったとのことであった。そのため、商店街組合会長等が率先して協力し、ナイトバザールを運営してきた。しかし、前回の市議会議員選挙において、K町商店街が推薦する商店街組合会長の市議当選や、この市議のK町商店街に対する強力な支援活動により、この問題が市議会全体の注目を集める結果につながり、ようやく同商店街の長年の目標であった両側2車線道路実現に向けての法案が可決する見込みとなった。近隣商店街などいくつかの反対勢力も存在するものの、現在も定期的に組合で会議を開き、更なる発展のために商店街の市議に対する賛成派の人々が積極的に地域振興に努め、同時にさらなる地域コミュニティーの活性化を目標にナイトバザールは様々なイベントを行いながら続けられている。
3.地域振興に役立っているスタイルはどちらのフリーマーケットか《都市型フリーマーケットと地域密着型フリーマーケット〈環境生活化事務局〉を比較して》
ここまで、時には有名人が出店するような大規模なフリーマーケットから、あくまで地域に根付いた地域密着型のフリーマーケットを数多く取材し調査した事で、私は、ある一つの概念をそこに見出す事が出来た。それは、どんな規模のフリーマーケットでもそこに人がいて笑顔があり、地域が活性化へと向かっているということである。つまり、言い方を換えるのならば地域振興にスタイルはないということである。その場を楽しむ人たちがいて、それを提供する人たちがいる。そこから新たな付加価値が生まれてくるのであるとするならば、どんなスタイルでも地域振興の役に立つものと成りうるのではないだろうか。この二つの規模のフリーマーケットに対してその相違点における例をあげるとするならば、例えば、大規模フリーマーケットは、いわば総合デパートのような存在である。つまり、日用品から少し高級志向な物、あるいは本やレコード、CDのような趣味、実用品までありとあらゆる物が揃い、来る人を楽しませる事が出来るし、それだけの規模であるならば目当ての物も見つかる可能性も高い。これに対して、地域密着型のフリーマーケットはいわば商店街の1店舗ではないだろうか。規模では総合デパートに及ばない商店も、専門性を重視し注目してみるのであれば、その品揃えは総合デパートに引けを取らない。また、商店一つ一つが地域社会に密着し、顧客と呼ばれる存在がその各商店に根付いているように、密着度に関してはデパートを上回るものであると考えられる。それぞれ、特徴を持ち、それに応じた訪問者がいる。フリーマーケットも同じであると考えられる。
しかし、十人十色の人々が訪れ楽しめるかと問われれば、大規模フリーマーケットでは、その存在に疑問を感じてしまう。実際、代々木公園に来ていたある老夫婦の方にお話を伺ったところ、自分達が本当の意味で購買意欲を掻き立てられるような商品はこのような大規模フリーマーケットには少ないという。むしろ、誰にも知られていないような小さなフリーマーケットの方が、同じ世代や感性を持った人の出店もあるため、訪れやすく、且つ盆栽や骨董品などの購買意欲を掻き立てる商品は多いとおっしゃっていた事がとても印象に残った。
その結果も踏まえて、今回地域密着のフリーマーケットをより深く調査するために、あるフリーマーケット主催団体が開催するフリーマーケットを断続的に訪問し、その地域社会貢献度を調査した。それは、埼玉県北部地域、特に深谷市や熊谷市を中心に活動を行っている環境活性化事務局という個人個人が中心となり運営しているリサイクルフリーマーケット団体である。私は、このフリーマーケットを夏休み前から断続的に調査した。規模や出店者数では、都市地域のフリーマーケットに劣るものの、出店される商品の質を比較するならば、決して大規模なフリーマーケットのそれに劣ることはない。また、地域に密着して行われるため、住民の交通の便が比較的よい場所(この地域は都内などと異なり、一家に一台車を所有している世帯が一般的なため、駐車スペースが多く取れ、街の中心部から少し外れた地域を選んでいる事が多い)を厳選して開催している事も特徴である。このため、訪れる人の服装も若干都心部のそれとは異なる。エプロン姿の主婦、子供をおんぶしたり、スーパーの買い物篭を持ってくる主婦、お年寄りとお孫さん連れの人々など。ありとあらゆる人々がこのフリーマーケットを楽しんでいる様子が伝わってくる。この感覚はアメリカや、調査に行ったイギリスのフリーマーケットの感覚と似ていると思う。そのため、若い人も多数訪れるのであるが、やはり出店者をみても近所の主婦同士で出店するなど、家族連れでピクニックに出かける感覚でお弁当を持参し出店する人々も目立った。これこそが本当の意味でのフリーマーケットではないのだろうか。都心部のフリーマーケットは、やはり業者と呼ばれる人々の存在が大きく、出店者も若者が多く、実際訪問するのも大多数が若い人なので、年配の方にはあまり面白いものではないのかもしれないと感じてしまうためである。
〈注〉参考文献:まちづくりの中の小売業 石原武政(有斐閣選書)
【第5章】コミュニティーについて
1.コミュニティーとは何か?
ここまで、フリーマーケットにみるコミュニティーの成り立ちを考えてきて、実際コミュニティーとは何なのか、考えてみたいと思う。
コミュニティーと一言に言ってもその概念は不明確な事が多い。横文字で表記され日本人にとっては馴染みが薄いのが現状である。とは言うものの市民によるコミュニティー作りの運動はいまや全国的に広がっている。言葉としてはよくわからないとはいえ、住民が力を合わせて新しい課題に取り組み、知恵と汗を出し合う事で地域の生活環境が少しずつ改善されていくのをみるとき、そしてその過程で今まで挨拶をしたこともなかった人々と知り合いになり、地域の暮らしに新しい世界が開けてくるのを実感するとき、そして自分達の手作りの部分が増えてくる中で街への愛着が膨らんでくるのを知るとき、私達は地域社会という領域が私達の暮らしの中にあったことを改めて思い出すのであると考える。そして市民社会というものが単なる「根なし草」の吹きだまりとはおよそ異質のものである事に深い感動を覚えつつコミュニティーという言葉を了解するのである。
わが国の伝統的な「イエ」と「ムラ」が急激に解体していく過程は、人々が長い間人間を束縛してきた絆から初めて解放され、自由と自立を勝ち得たと感じたものであったと考えられる。地域ではそれまで「自由の都合」が唯一の原理で、それ以外は排除されるべき「強制」だとの感を強めてきた。しかしやがて、マイホーム主義(地域の崩壊)が自分主義(家庭の崩壊)に拡大し、それが、現代社会で自立できる職業と収入があり、病人や老人を抱えていない「強者」の論理にほかならないことを露呈し、さらにこの「強者」がバラバラなものであるために、かえって支配の餌食にされていく弱さ(学歴社会傾向等)と空洞化の危険をはらむものであることを明らかにしてきた。
こうした流れの中で、人間の自由と自立はかけがえのないものとしながらも、他方で、市民の生き方を支える市民同士の連帯と共感が存在しなければ、人間としての暮らしも成り立たなくなることを、人々は大衆社会的あるいは、管理社会的現実にてらして予感してきたのではないのかと考えられる。このことを合意点とするならば、それは古典的な意味でのコミュニティーの概念と合致しているのである。
2.コミュニティーの作られ方
コミュニティー作りがいわれるようになったのには、住みよいまちづくりの取り組みが、少数の有力者やボランティアの力だけでは追いつかなくなり、日々地域に生活を営む多数の住民の参加を要請するようになったことが背景となっている。人々は共通の面を意識する度合いに比べて違う面の印象が強いために、コミュニティー作りの意思と行動は自然発生的にはなかなか生み出されてこないものであると考えられる。そこには、住民運動がそうして発展してきたように、頭と手と足を使った生きた学習と研究、くり返しくり返しの話し合いが必要となってくるのである。コミュニティーづくりが住民自身による地域問題解決能力の発展と、一人一人の住民生活のゆとりとうるおいの増大を目指すとするならば、それには、このことを可能とする住民の主体の形成がなされなければならず、コミュニティーづくり自体が一つの壮大な学習活動ということができる。コミュニティーを作っていくという事は、与えられたモデルを写す事でもなければ、昔への回帰でもないのである。そこには、住民の意識改革が必要となってくるのである。
(1)参加型住民:自らの生活環境の整備改善に対して、何らかの形で自分も参加しようとする人々
(2)利用型住民:与えられた環境をただ受け入れるのみの人々
◎参加型住民
◎住民
◎無関心型住民
◎利用型住民 ◎観察型住民
◎クレーム型住民
3.コミュニティー行政の課題
フリーマーケットやバザーだけでなく、住民が多くの催し物を行おうとする際、行政側との交渉問題が浮き彫りにされることが多々ある。その中の1つに、コミュニティー施設の整備が行政側における現在の課題であると私は考える。
その要因とするのは:
(1)地域、特に都市部においては地価や資材の高騰も原因し住民の力だけでは施設づくりが困難である。
@いくつかのフリーマーケットは公的な場所を借りて行われる事もある。その際、もし仮にフリーマーケットやバザーだけでなく、地域住民がコミュニティーを図れる専用的な公共の場があればその際の催し物に関してはその施設が利用される事となり、住民の主体性・自立性を確立するだけでなく住民と住民とのいっそうのコミュニケーションが構築される要因になると考えられる。例えば、お年寄りと子供達との交流会や生涯学習教育の場としても利用できる。
(2)コミュニティー施設整備は施設管理問題の解消につながる。
A施設を運営する上で最も重要な事の1つに、施設を運営していく事があるのではないだろうか。もし仮に、民間に委託し施設運営をするのであればその利益が全て管理会社のものとなってしまい、管理会社側がフリーマーケット等のスケジュールを自身で決定してしまった場合、公正なコミュニティー活動を行う事が不可能になってしまうだけでなく、維持費解消の問題から、住民への施設利用費の高騰を余儀なくしてしまう恐れもありうる。
B行政が施設運営を行う上での問題点は、その運営費を住民の税金で賄っていく必要性が出てくるという事である。コミュニティー施設維持等に必要な経費の負担区分については、住民の過大な負担にならないようにするために、一応の原則をつくっておく事が必要となってくる。例えば、施設の利用に関して必要な水道光熱費、施設の補修に要する経費の負担は公費で行政が負担する、即ち補助金助成する事を原則とする必要があるように思える。現実に、一定の地域ではこれら行政援助が十分でないために、これら財源確保のための学区会費(町内会費)の値上げや地元学区住民以外の利用者利用協力金の徴収を行うという例もある。このことは、様々な意味での問題点を行政と市民との間に植え付ける要因に成りかねなく、この問題解消こそがコミュニティー活動を行なっていく上で最も関心があることの1つではないだろうか。
〈注〉参考文献:自立する地域 荒田英知(PHP研究所)
自治体のイメージアップ戦略 土橋幸男(ぎょうせい)
【終章】フリーマーケットのこれから及びまとめ
1.地域コミュニティー向上の一環としてのフリーマーケット
ここまで、フリーマーケットを調べてきて、感じた事の1つにフリーマーケットは本当に多くの人々に愛され続けているし利用されているということであった。市民団体の方の話によれば、年々団体参加を希望する人の数が増加し、今では希望する期日の開催に抽選会を行い出店者を決定しなければならないほど人気が出てきているのだという。これは、バブル経済がはじけ、現在も続く平成不況の中、政府に痛みを伴う構造改革を断行され、苦しめられている多くの国民の物への見方が変わってきた結果でもあると思うが、それよりも、地球規模的に地球環境をもう一度考え直した結果、一番身近に出来る環境保全としてリサイクル活動がクローズアップされてきたのではないのかと考える。
私自身の見解は、日本人の多くが価値観の逆流を行い始めたのではないだろうかというものである。それは、3章Cでも触れたが以前のように物を出来るだけ大切に使い、1つの物を長く使う事を心がけるという概念である。日本人が元来続けてきたこの姿勢を復活させる事こそ、大きな意味で私たちが一番身近なところから出来るリサイクル活動ではないだろうか。それには、地域との密な関係を徐々に戻していく事が必要であるという事である。以前は、現在ごく少数の地域でしか見ることが出来なくなった長屋住まいや、路地裏という光景が日本のいたるところで見ることが出来たし、地域、特に町内会やご近所での人々の結束が現代社会より強かった気がする。これは、自身の体験からも幼い頃は隣近所の人々と夕飯のおかずを交換したり、自分より少し年上の子が使った衣服や玩具、小物類に至るまで、お下がりとして贅沢をせず使用していたのが普通であった。それ故に、あまり物を買わなかった記憶があるし、子供同士にしても、今よりも喧嘩や遊びを密に行っていたのである。少子化が進み欲しい物が何でも手に入る時代になって、物質的に豊かさを手に入れた私たちは、逆に地球環境を悪化させ、精神的豊かさを失っていたのではないだろうか。
以前のような、地域が密着しコミュニケーションが図れる社会に暮らしていた生活を元通りにする事は不可能であるが、それと同じような気持ちを、私は特に地域的な地元密着型のフリーマーケットから得ることが出来た。日本人にはまだリサイクルの気持ちは根付いているのである。今後、フリーマーケットは生活不要品の売買のための場所ではなく、私たちが忘れていたコミュニケーションを図れる場としても考え直していく必要があるのではないだろうか。それは、ただ、一方的に会員費や参加費を徴収するのではなく、定期的な催し物などを開く事により、フリーマーケットを軸とした地域の活性化運動も行える可能性もある。そのためには、利用型住民だけでなくより多くの参加型住民を増やし、比較的狭い地域でのフリーマーケットを多くの場所に点在させ、地域ごとの特色を出していき、同時にリサイクルも考えていく必要があるのではないのかと私は考えている。
2.そのメリット・デメリット
さて、1では地域的なフリーマーケットの方が地域コミュニティーの向上に必要であると考えたが、それにはメリットやデメリットが伴う事も事実である。例えば、小中学校や高校などの運動会や文化祭などのイベントにおいて、参加を積極的に行う学生と、面倒だという事で参加を拒絶していた学生の2通りがいたように、フリーマーケットなどの地域的なイベントにおいても5章で記したような参加型住民と利用型住民が存在する。参加型住民の多くはイベントに参加する事を基本的に躊躇しない人々のため、積極的に地域発展のために貢献しようという気持ちが誰よりも強い。しかしながら、その行動全てが許されるものかと問われるのならば、久しぶりの休日なので自宅で静養したいとか、家族でどこかに出かけたいと考える人々もいる。ここに、参加型住民と利用型住民との間に意見の相違が生じてしまう。これらの住民を無理やりにフリーマーケットに参加させたのでは、はたして本当の意味での地域貢献とはいえるのか疑問である。
3.リサイクル活動への展望
ここまで、フリーマーケットを軸としてリサイクルというものにも焦点をあて、日本人のリサイクルへの意識、貢献度を調べていくうちに、私自身新しいリサイクル活動のあり方というものを見出す事が出来た。それは、『ゴミの山は宝の山だ』の著者でもあり全国的にリサイクルを目的とした株式会社生活創庫の社長でもおられる堀之内九一郎氏が提案している、捨てられた物に価値を見出すリユース思想というものである。
例えば、世の中でゴミとして出てくる物に対し、日本人の考え方は2通りしかない。それは、リサイクル資源化か、最終処分かということである。つまり、資源にする事の出来る物は資源物とし再利用し、資源に出来そうにないものは捨てるといったものである。しかし、堀之内氏は、資源に出来ない物(一般的なゴミ)も、用途は限りなく存在するため潰さず、フィードバックするリユース(再利用)という思想を発表している。私は、氏の意見に共感できると感じるのは、例えば、仮に再利用できると考えていても、それを行わないでゴミとして決めつけてしまう日本人が数多く存在するが、その日本人に植え付けられた価値観を打破する事こそが、行政に必要とされている事ではないかという事である。そのいい例が車の存在価値ではないだろうか。日本人ほど車を買い換える人種は世界中にいないのではないだろうかというくらい、日本人の車購入遍歴は激しいものになっているのが今日の現状である。
私は、海外を訪れる際に一番感じる事は、現地に中古と思われる日本車が溢れているという事である。これは、イギリスやアメリカ、オーストラリアなど先進国の一般的に裕福といわれている家庭においても、中古の日本車を乗っている事が多く見られる。この日本車の多くが、日本人が新車として購入し、何年か利用したがすぐ新しいモデルや経済状況の向上などによりその車を売り払ってしまったものが、まずは先進国に輸出されるといったものである。ここで、全ての人々とはいかないまでも、安さや使い勝手から中古日本車を購入する人が先進国には多く存在する。ここで、十年近く利用された中古車が、次にゴミとして最終処分されるのではなく、今度は南米や東南アジア各国などの発展途上国に輸出され、そこで何年か利用された後、使える部分だけでも再利用できるか考え、その後初めて最終処分される事が多い。なんでもかんでも日本のようにスクラップしようとしないのである。それにより、その後にゴミとなる物が減少する要因につながる。このように、日本国外を見渡しても、極端かもしれないが車1つでここまでリサイクルというものは循環している。つまり、日本人の根幹に植え付けられている見た目の美しさではなく、地球環境を見据えた精神的な美しさというものを、各国の人は持ち合わせているのだと感じる。 この意識の差は、もちろん訪れたイギリスやアメリカなどのフリーマーケットにおいても 見ることが出来たし、取材によれば、国や市とまではいかなくても、町村レベルでのフリーマーケットなどのリサイクル活動に対しての行政の協力がかなり各国とも充実しているとのことであった。これらの姿勢を日本の市町村、各自治体とも持って、本当の意味でのリサイクルとは何なのか、一方的に決定せず市民と協力し合いながら打ち出していくことが理想ではないだろうか。物を大切にするという事は、自然を残そうという事と同じ考えではないだろうか。例えば、家具一つ一つにしても一生利用できるくらいの物を購入し、出来るだけ何度も購入しないように心がける事が必要だと思う。
4.まとめ・感想
フリーマーケットを調査し、それについて探求していくうちに、これほど身近なもので多くの人々に利用され、愛され続けている地域的な催し物も他にないのではないだろうかという気持ちが強くなった。私は、それまで利用型市民の1人として、フリーマーケットを単に洋服や靴が安く購入できる場所としか位置付けていなかった。また、運がよければ、掘り出し物やビンテージと呼ばれる年代を超えて愛され続けている物を購入できるくらいにしかフリーマーケットの存在意義を感じていなかったし、これ自体が研究に値するものであるとも思わないでいた。しかし、ここまで調査や論文にしようと心に決める事が出来たのは、私の中に、リサイクルという理念を最も身近な所から考えていかなければならないし、それを考えるのに一番適切な存在ではないのかという事であった。リサイクルというと、行政側のごみ問題や水問題、環境破壊などに目を向けがちであるが、私自身は最も身近なリサイクルとして、生活不要品の売買を行う事が今の日本人に必要な概念ではないのかと考える。日本人は物を持ちすぎてはないだろうか。部屋を見渡して見てもこの2〜3年一度も使用しないのに、なぜかスペースを塞ぎ続けている洋服や、靴箱を見てもサイズが合わず履かなくなった靴であふれている。そんな身近な物を、ニーズがあるところへ提供する事こそ、森林伐採や牛乳パックの再利用などよりも大切な考えであると思う。また、そんな場所がないと考えていても、調べた限りではかなり多くの民間のリサイクル業者が日本のいたるところに存在していた。そのいい例が、ブックオフという古本や中古のCD・玩具などを扱う全国チェーン店である。今この会社の存在が不況で喘ぐ出版業界に大きな影響を与えている事は言うまでもないが、この会社が繁盛するという事は、ようやく日本人の中にも一番身近で不要品になる確立が高い雑誌や書籍などを少しでも循環させようというリサイクルの考えが浸透してきた結果であると考える。新しいものを買う必要性もないし、欲しいとも思わない。少なくともこのように考える人々が増加してきているのは事実である。
しかし、ではなぜ欧米のようなリサイクルという概念が私達の生活に定着しないのであろうか。それは、行政側の対応の悪さ、決断力の無さ、ニーズを理解しようとせず自分達の価値判断で物事を決めてきたためにあると思われる。イギリスにしてもアメリカにしてもオーストラリアにしてもリサイクル問題に関しては、まず行政側が具体策を打ち出す事で、国民が納得してきた例が多かったし、不思議と日本に存在するようなリサイクル活動を推進していく市民団体というものが少ないのである。これは、埼玉県K市の環境リサイクル市民団体の方に伺った話であるが、日本では、フリーマーケットを開催すると主張し始めた際に、決定までにかなりの過程を通過しなくてはならず、企画がとおりにくい風習がある。しかも、ただ一方的に行政側の対応を待っていたのではいつまでたってもフリーマーケットは開催される事はない。だから、自分達で非営利な組織を打ち上げるしか方法がなかった。そのため、一地方に過ぎなかったK市にもフリーマーケットを根付かせようと賛成派の方を集め、市役所に提案をし、ようやく開催に至った。偶然にも不況社会と重なり、今では行政側が公園や施設など公的な場所を提供してくれるようになった。まずこの姿勢を変え、市民と行政が自由に交流しお互いの考えを現場に生かせる社会が来る事が来るべき国際化社会に対して、必要な事であるように考える。
【あとがき】
就職活動中、ある会社の社長面接ので、私の卒業論文に対するテーマや要約を見た社長が「この論文は半分遊び感覚で書いているのだろ?」と私におっしゃった事があった。その時は、読みもしないで何を言うかと憤りを感じたが、今こうして振り返ってみると、私の卒業論文作成はどんな内容のものよりも充実していたし、なにより取材や実地調査、文章化など本当に自分が論文をやっていて楽しめるものであったため、あながちその社長の言っていたことも嘘ではなかったなと感じた。論文とは本来そのようなものではないだろうか。研究に値する内容であっても、それを自らが楽しめないのではその論文の作成価値は消えうせてしまう。論文作成をする際、そこに、遊びとまではいかないでも楽しんでいる自分の姿を想像できた時、その論文は納得のいくものに仕上がるに違いはないのだ。
フリーマーケットを通じて、私は十人十色の人々と触れ合う事が出来た。それは、市民団体の方であったり、環境保護を訴えているリサイクル業者の方であったり、共に出店したフリーマーケット愛好家の方であったり、彼らとの出会いにより1つのものの見方を寄り多角的に感じ取り、文章化することが出来たし、論文作成によりこれほど多くの仲間を見つけられるとは思わなかった。
リサイクル問題は、現在それに対して活動されている方々を除いても、私達の生活に最も密着している生活問題である。調査を行ってみて感じた事の1つに、一般の人々のリサイクルに対しての知識が、その熱意や考え方とは異なり、かなり勉強不足であるということであった。それと同時に、行政側が提示する規制や法律が壁となり、本当の意味でリサイクルを考えている人々の妨げとなっている。行政がそう指示するからではなくて、自ら動いてリサイクル活動を行なっていくことこそ、リサイクル活動がもっと地域に根付くものとなるように思える。
最後になったが、就職活動であまり指導授業にも出席できなかった私の卒業論文製作に丁寧にご指導いただいた、我が行政学研究室の中村祐司先生には多大なお力添えをいただいた。また、同時期に卒業論文指導を受けていた国際学部4年の方々、忙しい中ジョイントゼミという大きなイベントを何の問題もなくSmart&Speedyに遂行され大成功を収めた行政学演習受講生の方々に対して、敬意を表し感謝すると同時にこころからありがとうとお疲れ様といいたいです。
【図表】
1.よく売れるものベスト
2.その他フリーマーケットを運営している市民団体等一覧
参考までに、上記の団体以外にもフリーマーケットを運営している市民団体をいくつかあげてみた。
リサイクル運動市民の会(北海道本部・静岡本部)
リサイクル運動市民の会(東京本部)
東京リサイクル運動市民の会
日本フリーマーケット協会
中部リサイクル運動市民の会
中部フリーマーケット連盟
西日本リサイクル運動市民の会(福岡事務局)
山口県リサイクル連合会
おびさんロード商店街振興組合
沖縄リサイクル運動市民の会
調べた限りでは、以上のような代表的な市民団体があり、リサイクル=環境保全という視点でフリーマーケットを運営している市民団体が多いのに驚かされる結果となった。以上で示した市民団体が主催するフリーマーケットが全国各地で一ヶ月間の間に約60近くあり、人々のフリーマーケットに対する興味の深さが窺える。
3.イギリス・フランス(パリ)における代表的なフリーマーケット
ロンドン市内で、火曜から土曜の10時から夕方6時まで開催されている骨董会館の名称
(2)アーディングリー(Ardingly)
年に数回開催されるロンドン郊外の巨大な蚤の市
(3)アレキサンドラ・パレス(Alexsndra Palace)
ロンドン近郊北部地区丘上の建物の中で年に数回開催される約70軒の市
(4)バース(Bath)
パディントン駅(Padding ton)から約一時間半ローマ時代の水道跡がある保養地。水曜日開催
(5)バーミンガム(Birmingham)
イギリス第2の都市。年に4〜5回開催
(6)ブライトン(Brighton)
ドーバー海峡近く。日曜日に開催。
(7)ホテルのフェア
毎週日曜、ロンドン市内のどこかの大きなホテルでアンティークフェアが開催され、約50〜100軒位の店が出る。
(8)クリニアンクールの蚤の市
パリの土曜、日曜、月曜はパリの北部のクリニアンクール蚤の市が良い。約1000軒とも2000軒ともいわれている世界一の蚤の市。業者も多いが、泥棒も多いのが特徴。
【参考WEB PAGE】
(1)fleamarketguide.com (USA) http://fleamarketguide.com
(2)マイフリマドットコム http://www.myfurima.com
【参考文献】
(1)ノミの市手帳 安岡路洋・与野冬彦著(株式会社北辰堂)
(2)コミュニティー活動入門(生活地自治体をめざして) 東海自治体問題研究所編(自治体研究社)
(3)スマートコミュニティー(都市の再生から日本の再生へ) 細野助博(中央大学出版部)
(4)リサイクルショップ開業《完全》マニュアル 橋本一郎(墨田出版興文社)
(5)あなたのガラクタ、高く買います。 日本リサイクル研究会編(株式会社メディアファクトリー)
(6)売りたい買いたい徹底活用マニュアル メディアビュー編(東京書籍)
(7)岩崎紘昌のアンティーク商売 岩崎紘昌(ダイヤモンド社)
(8)まちづくりの中の小売業 石原武政(有斐閣選書)2000年6月1日89頁
(9)英国コミュニティ・ライフ 森嶋瑶子(岩波書店)1997年7月54頁〜60頁
(10)ごみの山は宝の山だ 堀之内九一郎(メタモル出版)1998年6月28日172頁
(11)自立する地域 荒田英知(PHP研究所)1999年2月26日
(12)自治体のイメージアップ戦略 土橋幸男(ぎょうせい)1999年3月15日
(13)地域活動事始め 池上洋道(自治体研究社)1999年8月1日
(14)現代のまちづくり 池上惇・小暮宣雄・大和滋(丸善)2000年9月20日
(15)リサイクルショップ成功法 沼野保典(実業之日本社)2000年5月17日123頁
(16)リサイクルしてはいけない 武田邦彦(青春出版社)2000年2月5日