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塚田悠 「読めない名前」

 

現代的な名前の特徴

私の出身地では毎月の新生児の名前を広報に掲載しており、千聖(ちひろ)、愛花(あいか)、延圓(みおん)、花澄(かすみ)、叶愛(のあ)、綾香(あやか)、優貴(まさき)、李斗(ももと)、かな子(かなこ)、優成(ゆうせい)が七月に寄せられた名前である(「広報かみかわ」7月号 神川町役場発行)。このことから現代的だと思われる名前の特徴は、1.日常で使用しない珍しい漢字の使用、2.珍しい漢字の読み、3.名前そのものの斬新さが挙げられる。また、生まれ年別の名前のランキングでは、最近の傾向が以前と比べて、4.名前が多様であり、5.しかも名前の種類の数が多いことが特徴的であると読み取れる。具体的には、4では名前は1880年ほどまで子、美、太、などの留め字が多くの名前に用いられているなど上位の人気の名前になるほど共通点が多いが、最近の名前は人気の漢字はあるものの名前すべての共通点は見られない。5では1990年頃から同順位に数個の名前がランクインしていることから、上位の名前でもあまり人気に差がつけられていないと考えられ、どの特徴も自由な名づけがされていることを表している。(「生まれ年別名前ベスト10」明治安田生命20127月現在)

 

 

自由な名づけをする理由

 現代は自由な名づけをするといわれているが、そもそも名づけには使用できる漢字が決められているだけで漢字の読み方に制限はないので自由な名づけは名づけの本来の姿であるといえる。また、名前に生まれた順番を表す数字などを用いることを輩行というが、子供が多かった昔に比べて現代は少子化が進みこの輩行の必要がなくなったことと、核家族化の進行で若い親は祖父母世代と離れて住むことが多くなり、伝統的な考え方から離れた名づけをするようになったことが名前の多様化の原因であると考えられる。男女に人気の漢字は分かれるようだが、特に男児には男らしい名前で女児には女らしい名前というこだわりは名づけの理由には見られない。男らしさ女らしさのジェンダー観が多様になってきたことの表れであると言える。

 

 訂正の必要がある「不便な」読めない名前がなぜ好まれるのだろうか。もしもその名前に親の込めた願いがあるならそれを子供に告げるべきである。名づけの理由に納得すれば、読みやすいか読みにくいかに関わらず子供は自身の名前に誇りを持ち度重なる訂正をもいとわないだろう。しかし、最近の名づけに多い変わった名前をつけたいという理由は子供が納得するものであるだろうか。他人と異なるということがどのような意味を持つのかを子供に伝えることができる名前であればまだ納得できるかもしれないが、時代によって名前の珍しさの基準は変化するため、名前によって他人と異なることの意味を伝えることは難しい。

 

読めない名前を取り巻く偏見

 Web版の産経新聞に読めない名前に関係するコラムが寄稿された。

 

私は複数の大学で講師を務めている。毎年学生名簿を見るたびに、読めない名前が増えたなと思う。(中略)画数が多く無理読みの漢字を使った名前が多くなった。暴走族のグループ名に多い方式なので、私は「暴走万葉仮名」と呼んでいる。(中略)暴走万葉仮名の女子学生が多い大学は、あのー、偏差値がね、ちょっと、あれなのですね。難関の某国立医大の教授である友人にその話をすると、うん、うちの女子学生に暴走万葉仮名はまずないな、と言う。 超高学歴者ばかりの某有名全国紙の女性記者(子がつく)に同じ話をすると、ああそう言われてみればと、同僚たちの名前を思い起こしてくれた。やはり暴走万葉仮名の女性記者はほとんどいませんね、と言う。

 (201191日 呉智英)

 

 内容の真偽はともかく、名前で人柄や家庭環境を計るような考え方は広まりつつある。例えば就職活動で、また幼稚園や小学校の受験で人物を判断する際に読めない名前が悪印象を与えてしまうという。このような考え方は数え切れない名前と人物に触れた経験からの判断なので正しい面を持っているかもしれない。しかし、このコラムは読めない名前や珍しい名前をその人の内面を表すものであるとして社会全体が偏見をもって見ていることを表しているのではないか。

 

どのような名前が難しくて珍しいかの基準は時代によって変わる。現代人が古代の名前を見たら先に挙げた現代的な名前の特徴がすべて当てはまると感じるだろうし、現代では少数派の読めない名前は将来多数派になってレトロな名前が珍しいと言われるかもしれない。肝心なことはありふれていても奇抜でもそれは一人の人間の名前であるということであり、本来は読めない名前が良いとか悪いとかは議論されるべきではないのである。読めない名前は不便であり他人に迷惑がかかるという意見があるが、学校や病院で名前が読めないという教師や医者は読めない名前に迷惑しているのではない。ありふれた名前でも漢字の読み方が何通りもあったり男女の区別がつかないことがあったりするのでその度に相手に名前を確認することが必要になる。問題なのはこの確認の時に名前が読めないことにヒステリックになる保護者に拒絶されたり、暴力をふるわれたりする場合である。

 

よく考えられた真剣な名づけの必要性

 最近では読めない、見たことがないという理由よりも、むしろ見たことのある名前なので問題になることが多い。漫画やアニメの名前である。これらの名前を付ける立場の保護者としては、まっとうな名づけの理由もあるのになぜいけないのかという意見がある。一字で意味を表す漢字を使用する日本社会では人命に限らず名前が持つイメージというものが広く浸透しており、子供が将来生活する社会や時代では子供の名前はどのようなイメージとして受け取られているのかを良く考える必要がある。

 

名づけの時に良い名前だとは思っていてが意外な人物の名前と同じになってしまったり漢字に二重の意味があったりと全てを考慮することは難しく、そこで当たり障りのない名前を選ぶことも名づけのひとつの動機である。繰り返しになるが名づけでは平凡か珍しいかということを一番の話題にするのではない。保護者は子供の生活を第一に考える。名前が読みやすいということは決して安易な考え方ではなく周囲との人間関係を円滑にすることに大いに役立つであるだろうし、例え読みにくい名前でもやはり子供の将来や生活を一生懸命考えてつけられた名前であり、その名前が読みにくいということを当人たちが自覚していれば周囲が難しい名前を嫌う流行に便乗して非難するべきではない。