120710tokumei02
「余暇と趣味の関係の考察」
1.生活の中で感じた趣味への疑問
近頃、自らの趣味に興じていても、以前ほどのめりこむことができなくなってきたように感じることがある。趣味に費やしているはずの時間に、趣味以外の事柄、すなわち自分の場合は本業と呼ぶべき学業に関わるものが脳裏を再三よぎり、最終的にそれが頭について離れなくなってしまう。楽しいと感じることができる時間、それが趣味の時間であるはずなのに、ふと気が付けばそのような心持はせず、むしろ不安などと言った感情に支配されていることを自覚する。
趣味というものは本来、余暇を自分自身にとって快いもので満たすことにより、その後の精神的・身体的調子を前向きに維持することを可能にするものではないのだろうか。またそれが、余暇が本来もちうる性格と言うことはできないだろうか。あるいは、余暇の大部分を占めると考えられる趣味の質が、生活の質にまでも作用するのではないだろうか。このことから、余暇と趣味は相互にいかなる影響を及ぼし合っているのかということについて、前述の問題提起を通して考察するものとする。
2.語句の定義
以降の考察を円滑なものとするために、「余暇」と「趣味」というふたつの言葉について本項で本文における解釈、定義を示す。まず「余暇」という言葉であるが、この言葉に関しては日本語の辞書と、英英辞典からの定義を列挙し、共通点を抽出することを通じてその定義を設定していく。
では、日本語の辞書による「余暇」の定義を示す。今回用いた辞書においては、「自分の自由に使える、あまった時間。ひま。いとま。」[1]「仕事をはなれて、自分の勝手に使える時間。ひま。」[2]「(仕事をして)余った時間。ひま。いとま。レジャー。」[3]「余ったひまな時間。仕事の合間などの自由に使える時間。」[4]といった定義がなされている。これらに共通することは、いずれも「あまったひまな時間」というものである。「ひま」を何もすることがなく手持ち無沙汰な状態を指すとするならば、「余暇」は「あまった、何もすることがない自由な時間」と考えることができる。ここでひとつ、この「何もすることがない」という表現は特に後ろ向きの意味合いを持ったものではなく、単にその状態、有り様をそのまま言い表しただけであるという点に留意したい。
次に、英英辞典による定義を、辞典に記載されていたものとともに、日本語を拙訳ながら括弧内に併記する。“In narrower sense: Opportunity
afforded by freedom from occupations.(狭義:仕事がないことによって与えられた機会)/The state of having time at one’s
disposal; time which one can spend as one pleases; free or unoccupied time.(個人の自由になる時間を有している状態、人を満足させるものとして過ごすことができる時間、自由な、あるいはひまな時間)”[5]のように書かれているものもあれば、“time when one is free from work or duties of any kind; free time(仕事や職務の類がない時間、自由時間)/at one’s leisure at a convenient time(都合の良い時間)”[6]とするものもあり、また“Leisure is the time when you are not working and you can relax and do
things that you enjoy doing.(余暇とは、仕事をしておらず、かつくつろぐことや物事を行うことを楽しむことができる時間である。)/If someone does something at
leisure or at their leisure, they do it slowly, taking as much time as they want
and doing it when they want to.(何かを時間をかけて行う場合、その主体ができる限り時間をかけてその物事を行うこと。)”[7]とするものもある。ここでは「個人の自由になる時間」という面が重んじられているように思われる。
以上のことから、本文では「余暇」の定義を「仕事がなく、あまった状態にある、個人の自由にできる時間」というものと解釈する。ちなみに「仕事」については「各個人の本業」とし、アルバイト・副業は含まないものと考える。これは、アルバイトを趣味として捉えている人がいる可能性を考えたことを理由に挙げたい。また、趣味そのものが本業になっているという人に関しては、本レポートにおいては割愛するものとする。
次に、「趣味」の定義についてだが、辞書的かつ一般的な趣味の定義と合わせて、趣味を「主体となる人間がその興味・関心に応じて、日常生活の中で楽しみという感情を得つつ行うもの」と本文では考えたい。毎日のように取り組むものか、週末あるいは休暇などのまとまった時間が得られるときに取り組むものかに関しては、本文では問わない。むしろここで強調しておきたいのは「楽しみという感情」を得ることに、人々が趣味に興じる大きな要素が含まれているのではないかという点である。興味・関心によって、例えば読書・スポーツ等の趣味に興じることを通して、その過程における感情には変遷があれども最終的には「楽」の感情をどこかに抱いているはずではないだろうか。この点を踏まえて、次項の「趣味によって余暇を満たすこととは」について言及していく。
3.余暇を充足させるものとしての趣味
趣味が余暇をすべて占めるとまでは言い切ることはできなくとも、趣味は余暇において大きな比重を占めていると考えられる。「自由にできる時間」がある場合、その時間に何をするかと考えるとき、たいていはその主体の興味・関心・嗜好のおもむく方向の先にあるもの、つまり趣味にたどり着くことが往々にしてあるだろう。言い換えれば、趣味は当意によってではなく、行為者の希望や自由意志に基づいて行われるもの、ということである。
上述したことから再度まとめると、余暇が趣味によって満たされるということは、仕事をしていないあまった自由な時間を、行為者の(興味・関心・嗜好に裏付けられた)希望や自由意志によって選択された行動で充足させるということと言える。この前提に立つならば、趣味の質を向上させることが余暇の質を高めることにつながるとみなすことはできないだろうか。
すると次に考慮すべきは、「充足させる」というからには、そのように感じるための満足感が必要になってくるはずだということである。また、満足感が趣味を充足させるためのものだとするとき、この満足感を得ることが余暇における趣味の目的の内のひとつだと捉えることもありうる。それならば、はたしてこの満足感はいかに得られるものなのかということにも目を向けなければならない。
では、満足感を得るための要件とはいったい何なのであろうか。それは主に、行為者の時間と精神に十分に余裕があるかどうかに集約されることと思う。いずれか片方のみが足りていたとして、満足感といった類の感情に気付いたとしても、これは不足している要素によって打ち消されるか、弱められてしまう。この例として「気分転換」と称した、本業の合間の休憩時間を挙げたい。たとえば、何らかの締め切りが目前に差し迫っているがために本業に取り組みながらも、その後の作業効率のために本業を少し中断し、「気分転換」を行うために時間をとるとする。そのとき、手近にあった本を手に取り、ほんの数ページだけ読んで作業に戻ろうと考えていたにもかかわらず、気付けば一冊丸ごと読み終えてしまったというような経験をもつ人は少なくはないだろう。
いつの間にか「気分転換」に、本来すべきことに用いるための時間をとられてしまったという事実に気づいたとき、それまでの充足感は「こんなことをしている場合ではなかった」というような言葉で表現されるように、陰りを見せ始める。本業の作業効率を維持する(あるいは向上させる)ための「気分転換」は、時間の浪費ともいえる負の認識によって、充足感を得られない、むしろ本業に支障をきたすような影響を与えかねないものになってしまうということである。
時間と精神に十分に余裕があるならば、趣味という手段を通じて余暇を充足させることができるということは、一般的に考えれば明らかではあるが、それは常に実現するものではないだろう。余裕ということを急迫の物事がない状態とするのか、継続的に感じる不安感がない状態などとするのかにもよるが、最終的には本業と余暇の調和を個人の裁量によって行い、その行為者にとって最善のものを追求していくことが望ましいと思われる。その中の手段のひとつとして、趣味をいかにうまく組み込んでいくかが重要なのではないのだろうか。
[1] 新村出 編 広辞苑 第6版 岩波書店(2008)
[2] 西尾実、岩淵悦太郎、水谷静夫
編 岩波 国語辞典 第7版(2009)
[3] 上野久徳(株式会社 三省堂 代表者) 広辞林 第5版 三省堂(1976)
[4] 松村明 監修 大辞泉 第1版 小学館(1995)
[5] J. A. Simpson and E. S. C. Weiner (Eds.) (1989) The Oxford English Dictionary Second Edition
[6] Kelly Davis, Anne Forsyth, Susan Lambert, Deborah Tricker, Elizabeth Walter(Eds.) (1987) Longman Dictionary of Contemporary English
[7] Gwyneth Fox, Rosamund Moon, Penny Stock (1987) COLLINS COBUILD ENGLISH LANGUAGE DICTIONARY