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鈴木康大「南三陸町の復興と観光について」
1.南三陸町長佐藤氏のお話
私は以前、とある授業で、南三陸町の佐藤仁町長にお話を伺いに行く機会があった。そのインタビューの中で、佐藤氏には職歴や何を考えて仕事をしてきたかを伺った。佐藤氏は、「『交流人口をいかに増やすか』をモットーに職務に当たってきた」と仰っていた。現在でもそれは変わらず、さまざまな施設や産業が深刻な被害を受けたが、かえってボランティアなどで大きなホテルがにぎわっているという現状もあり、被災地の復興を考えるうえで、「観光」は大きな要素となっている。その中で、出身である南三陸町がどのような取り組みをしているかや、現状と課題、それらを解決するためにどのような方法があるのかを考えていきたいと思う。
2.南三陸町の現状
南三陸町には、社団法人である南三陸町観光協会が存在する。ここに町が国からもらった補助金が一任され、観光に関する事業を中心となって推し進めている。例えば、企画の立案をしたり、HPで観光企画への予約の管理や町へのアクセス方法なども載せたりしている。また、「みなみな屋」という南三陸町観光協会が運営するインターネットショップもあり、大漁旗で作ったハンチング帽や、「置くとパス」という意味から縁起がいいと商品にしたタコの「オクトパス君」というグッズも販売している[1]。さらには、復興市に出店する商店の管理も受け付けている。この団体が中心となり、さまざまな企画が運営されている。今回、調べるに当たり、南三陸町の観光協会の方に電話でお話を伺った。まず、メインとして行っているのが「福興市」と「学びのプログラム」であるという。
「福興市」とは、毎月1回開かれる大型の市場で、およそ半分の割合で町内外から店舗が出店しているという。また、「学びのプログラム」とは旅行会社のJTBと提携して行っているもので、ガイドさんが被災した場所を回りながら震災当時の状況や、現在に至るまでを説明するというものである。こちらの企画は大人気で、10月まで予約が埋まっている状況だという。ちなみに、この「学びのプログラム」のガイドさんはガイドサークル「汐風」の方が執り行っている。もともとは、南三陸町の良さを知ってもらうための講話を行っていたが、被災後はガイドをするようになったのだという。
3.現在の課題
観光協会の方のお話によれば、現在の課題は、「何と言っても集客力のなさ」であるという。福興市や商店街もひと月ほどは話題となり、だいぶ人も多かったようだが、最近ではあまり見込めていない。とくに、南三陸の目玉商品である水産物以外のお店の売れ行きが良くないようである。さらには、がれき撤去のボランティアも少なくなっているという。また、「観光で行きたいけれど観光目的で行くのは不謹慎では」と考えるお客さんも少なくないという。「来ても大丈夫だ」ということをアピールすること、来たくなるような魅力が必要になるであろう。
4.南三陸町の魅力
私は、南三陸町の魅力は何と言っても海であると思う。景色も日本でも有数のものであると思うし、志津川湾で取れるタコや牡蠣などの魚介類も大変美味であり誇れるものだと思う。また昭和51年以来リアス式海岸を利用した銀鮭の養殖も盛んであり、全国の95パーセント以上を占める宮城県でも重要な養殖場となっている[2]。また、日本の水浴場88選にも選ばれた「サンオーレそではま」という海水浴場も毎年多くの人が集まる。温水シャワーなども整備されており、良質な300メートルの砂浜と、子供たちも安心して泳げる静かな渚が続き、家族連れに人気がある[3]。
5.魅力をどう生かしていけるか?
では、どうしたら南三陸町の良さを売りだしていけるのだろうか。私は、そのために、「ブランド」が重要になってくるのではないだろうかと考える。南三陸町においては、まだ完全に震災前のように復活していないとはいえ、やはり水産物が一番の売りであると思う。同じ水産物でも、大分県の「関サバ」や「関アジ」などは高級品として知られており、わざわざ取り寄せしてまで買い求める客も多い。「関サバ」「関アジ」は、大分の漁港が人気のあった魚種の中からアジとサバを選び、大々的に販促に乗り出した。「ほかのアジやサバと違うおいしさ」を提供しようという方向性から、「瀬」と呼ばれる固定した漁場で漁をすることで鮮度の良いアジやサバを安定的に確保できた点、あるいは、「物語」が成功につながったという見方もある[4]。「物語」というのは、すなわち一本釣りや、「瀬」という特殊な養殖法により鮮度の良さを保っていることなど、ユニークな背景があることを指している。たしかに、わたしたちは、「本場イタリアのピザ」や、「フランス製の本革の財布」などと背景を謳った宣伝文句に目を奪われがちである。消費者からみて品質の判断が難しいとき、「物語」はかなり有効であることがわかる[5]。安定した漁場を作るにはまだまだ時間はかかるであろうが、町の名を冠した水産物を何か作り、震災後、名前が世に知られることとなった「南三陸町」から活きのいい魚が取れたとあれば、注目度は上がるのではないだろうか。
また、「地域ブランドと(中略)まちづくりが一体化すべきものである」という指摘もある[6]。さらに、それに付け加える解釈として「一体化」すべき相手は「まちづくり」に加えてそこに暮らす人々のライフスタイルまで含むのではないかと考えられるとの指摘もある[7]。
すなわち、街並みなどの物理的な街自体も重要ではあるが、人々が暮らす生活の様式、すなわちライフスタイルがあっての街づくりであるというのである。たしかに、観光に来る人にとっては、例えば京都の街並みなどは、それだけで魅力的だが、独自の生活様式もあり、それも魅力となって「行ってみたい」という気にさせるのであろうと思う。南三陸町においては、港に行けば大量に船が並んでいたし、漁業に従事してきた街の文化を取戻し、大事にしていけたらいいのではないかと思う。
6.これからの南三陸町
自分自身、正直これまでは、将来南三陸町に帰ろうという気はあまりなかった。しかし大震災後、復興の力になりたいという気持ちも芽生えてきた。さまざまな問題はあるにせよ、まずは自分にできることとして自分の街をきちんと知り、愛してみようと思う。南三陸町を愛する人がまず地元から増えていけば、町外にもどんどん増えていくであろうと思うし、もしかしたら「移住したい」と考える人も出てくるかもしれない。どのくらいの時間がかかるのかは想像もつかないが、多くの人が行き交う街にしていけたらと思う。
[1] 楽天市場HP「南三陸町観光協会公式みなみな屋」(2012年7月現在)http://www.rakuten.co.jp/minamina/
[2] みやぎ生協HP「産直の水産物『産直志津川湾産 養殖銀さけ」」(2012年7月現在)http://www3.miyagi.coop/coop/sanchoku/suisanbutsu/ginsake.htm
[3] 南三陸町観光協会HP「お知らせ・イベント 海水浴場」(2012年7月現在)http://www.m-kankou.jp/topics/index.php?id=17
[4] 加藤正明(2010年)「成功する地域ブランド」戦略 九条ねぎが高くても売れる理由
[5] 注釈4に同じ
[6] 森文雄(2003年)『伝統的地場産業の振興と地域ブランドを生かしたまちづくり』会津大学短期大学部「会津大学短期大学部研究年報」60号
[7] 注釈4に同じ