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東山博哉「ランニングという余暇と政策」

 

 街中に出ればどこでも走る人を見かける。子どもは公園で走りまわり、お年寄りも目を見張るような速さで駆け抜けていく。東京マラソンには32000人の定員に10倍もの申し込みが殺到するようにマラソン大会も人気を集めている。余暇の時間をランニングに費やす人は年々増加し、空前のランニングブームとなりつつある。人々はなぜ走り、どのような政策が展開されているのだろうか。

 

1、市民ランナーの走る意味

 「市民ランナー」とは、専門的なトレーニングを受けることなく、趣味で走り始め、自らの創意工夫と努力によって一本立ちしたランナー(三省堂 大辞林)のことである。競技を目的とするアスリートとは異なり余暇の一環として走るのである。市民ランナーの走る目的は人それぞれであるとは思われるが、大きくは健康のためと喜びのための2つであろう。

〈健康とランニング〉

 高齢化やメタボ、高血圧など生活習慣病が騒がれており、市民の健康意識は高まってきている。またストレス社会と呼ばれる今日で余暇の過ごし方はリフレッシュの面で重要な課題である。余暇を運動に費やすことは健康の促進やストレスへの対処法として有効であることは科学的に証明されている。その中でもランニングは非常に「お手軽」な運動である。靴さえあれば場所も天気も選ばず一人でも行うことができる。特殊な動きも必要なく前世代に可能なスポーツであり、走るという動作はすべてのスポーツの基本となる。健康増進とストレス解消が可能で、かつお手軽であるランニングが人気となることは不思議ではない。

〈喜びとランニング〉

アスリートは順位や記録のために競技を行うが、市民ランナーはランニングに達成感や出会いといった喜びを求めるのだろう。長距離選手やコーチとして活躍している金哲彦さんは、「走ることは人間の本能である。子どもにいくら危ないから走るなと言っても走りまわることを止めないのが分かりやすい例であり、自由に動き回れることに喜びを感じるのである。走っていない人は走ることの辛さのみを想像しがちだが、走ってみるとどんな人にも共有できる楽しさ、嬉しさが待っている。また、マラソン大会に出場すれば、応援されるというとてつもない快楽を感じ、新たな人間関係の構築や新たな自分の発見も可能である」という@。私自身は競技者として1位になり自分を示すために大会に臨んでいたが、押しつぶされそうなプレッシャーや緊張を抱えていた。市民ランナーにとって大会はわくわくする楽しみなのである。今まで走れなかった距離やタイムで走りきることができた時の喜びは競技者と市民ランナー両者に共通することであり、その達成感はアスリートをさらなる高みへと導き、市民ランナーは仕事へのモチベーションを生みだす原動力となるのであろう。走ることは非常に魅力的なことである。

 

2、マラソン大会と政策

 東京マラソンに代表されるように、マラソン大会は地域ごとに多数存在している。きっとみなさんの住んでいた町にもあったのではないかと思う。なぜ自治体はマラソン大会を開催するのだろうか。

〈経済効果〉

 東京マラソンでは推計240億円もの経済効果が見込まれたというA。都の出費はスポンサーで賄え、イベントでは宿泊費や交通費、グッズの売り上げなど周辺産業にも影響を与えている。またスポーツブランドはウェアやシューズのファッション化に力を入れるなどして関連商品の売り上げを伸ばしている。また家電量販店でアディダスの防水イヤフォンが発売されていることには驚いた。スポーツ産業を中心にランニングの普及は市場にも好影響を与えている。

〈観光資源〉

マラソン大会を観光へ結び付けようとする狙いがある。国外でもニューヨークシティーマラソン大会やホノルルマラソンなどが有名である。特にホノルルマラソンはハワイで行われるマラソン大会であり、参加者の半数は日本人である。主催はJALで、マラソンツアーを組み自社の飛行機を利用してもらう。ハワイ政府においても多数の観光客が来るなど多くの利点がある。東京マラソンでは東京の有名な観光スポットを回るようにコースが決められており、魅力の一つとなっている。大阪や京都、神戸でも大規模なマラソン大会が企画されている。マラソンをきっかけに都市の魅力を再発見してもらおうという狙いがあるのだろう。

〈医療費と健康〉

近代医学が進み寿命が延びたが、それは同時に莫大な医療費の増大を意味する。またお年寄りの介護にかかる費用も増加する一方である。国民の健康維持というものは医療費や介護費の面で政府の予算に深く関係したものである。国民の健康増進は政府にとっても重要な課題であり、ランニングブームをきっかけに国民の健康が促進され、医療費や介護費を抑えることができればブームを後押ししない手はないだろう。

〈自治体の責務〉

文部科学省のスポーツ振興基本計画によれば「国民一人一人がスポーツ活動を継続的に実践できるような、また、競技力の向上につながるようなスポーツ環境を整備することは、国、地方公共団体の重要な責務である。」とあるB。国民の充実した余暇活動のためにスポーツに興じる機会や場所を提供することは自治体の責務なのである。

 

3、問題点

大規模なマラソン大会ともなれば、医療体制の整備や交通といったことに問題が生じる。大会に参加する何万人もの人々の健康を管理することは容易なことではないし、町の中心をコースとして利用するのであれば道路封鎖に伴うその他の経済活動への影響は避けられないだろう。またランナーたちのマナーの問題もある。皇居周辺大勢の市民ランナーが集結した結果、衝突などの事故や通行人の迷惑になる事態が生じているという。周辺への影響を避けるためイベント前の十分な告知や、ランニング場の提供などによる対応策が求められる。

 

4、まとめと自分の走る意味

週休2日制となり余暇の時間は増え、仕事から余暇へと生活の比重を移す人は増加してきている。余暇の時間をいかに過ごすかは今後の人生に大きく影響する重要なことである。マラソン大会は余暇の過ごし方に一つの提案を与え、さらに経済政策などの一環として機能するものであろう。また健康のため、趣味のために走りたいと望む人のニーズと相まって政策としての効果をより高めることになっている。

自分自信は高校時代に競技者としての価値観の中で走ってきた。引退後、大学に入り市民ランナーというものに物足りなさを感じていた。かといって陸上部に入りもう一度現役に戻ることを想像すると素直に足を踏み出すことができない。アスリートとして走ってきたことの9割以上は辛いことばかりで、最終的な結果も自分自身納得できるものではなく後悔ばかりである。それでも走ることには興味があり、このレポートを作成するうえで走ることを改めて考えさせられた。結局のところ、やはり私は走ることが好きなのだろう。辛いことを乗り越えた喜びはどうしても忘れることができない。この喜びは大会だけで感じるものではなく、日々の練習の中で実感できるものだった。確かに表彰台からの眺めは素晴らしい。しかしそれは二度と見ることができないから魅力的に感じるのではないかと気づいた。走る魅力は勝者の優越感に浸ることだけのものではない。もっと単純に、走ることそれ自体が楽しいのだ。健康のためだとかほかの理由はおまけみたいなものである。アスリートとして誰かに認めてもらうために走るのではなく、もっと気楽に自分のために走ってみたいと思うのである。一市民ランナーとしてランニングをこれからの余暇活動のひとつとしていきたい。何にも頼らず自らの脚で風を切り、苦しくなって生を実感し、新たな街の風景を見つけ、ランニング仲間と語り合い、素晴らしい目標と新たな自分に出会う、そんな魅力あふれるランニング生活を始めてみてはいかがだろうか。

 

 

 

参考文献

『余暇生活論』一番ヶ瀬康子 園田碩哉 牧野暢男 夕斐閣(19943月)

『運動とストレス科学』 宮竹隆 下光輝一 杏林書店 (20033)

@『走る意味 命を救うランニング』 金哲彦 講談社現代新書 (20102)

http://www.tokyo42195.org/ (東京マラソンホームページ2011619日現在)

http://www.honolulumarathon.jp/(ホノルルマラソンホームページ2011619日現在)

http://www.kobe-marathon.net/(神戸マラソンホームページ2011619日現在)

http://www.osaka-marathon.com/2011/schema/gist.html(大阪マラソンホームページ2011619日現在)

Ahttp://www.nikkei4946.com/zenzukai/index.asp?BackNumber=65nikkei4946.com2011619日現在)

http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/plan/06031014/001.htm(文部科学省スポーツ振興基本計画2011619日現在)