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遠藤舞「電車と私」

 

1・はじめに

現代における鉄道について。交通社会と化した現代の日本には必要不可欠な交通手段である。同時に趣味や生きがいといして鉄道を利用する人々もいる。私にとっても鉄道という文化は、ただ利用するだけの「交通機関」ではなく、有意義な余暇活動であり、趣味である。

そう考える1番の理由は、私自身鉄道に乗ることを好み、乗車することによって落ちつきを感じることができるからである。電車に乗ることで様々な土地の景色を見ることができ、知らない世界を見ることができる点に魅力を感じるのだ。他の交通機関でもそのような楽しみはあるが、電車には独特の「速度」や「雰囲気」というものがある。新幹線のように速度は速くないが、そのためまわりの雰囲気や景色を堪能することができる。高速バスは電車より個人の空間を確保できることが多いが(最近のバスは別シート等が用意されていることが多いため)、閉鎖的であるため電車のように人々の間の微妙な雰囲気や各駅の個性等を味わうことができない。

このような点において、私は乗り物の中で1番鉄道に乗ることを好む。

 

2・16歳 「はちじでん」との出会い

私の地元は宮城県内陸部の栗原市という小さな街で、本数自体は少ないが電車が通っていた。栗原市には、“JR東北本線下り一関行き”という宮城県仙台市と岩手県一関市を結ぶ路線が通っている。宮城県一の面積を誇る我が市だが、はっきり「駅」と呼べるものは1つしかない。私の自宅から歩いて5分の距離にある「有壁駅」という小さなコテージサイズの無人駅である。

有壁駅は、仙台駅からは20駅で所要時間は約1時間半、終点の一関駅までは1駅、所要時間は7分。本数は大体1時間に1本。やや不便な環境ではあった。電車に乗っているのは、ほとんどが学生、そしておじいちゃん、おばあちゃん、たまにサラリーマン、結構な確立で現れる酔っ払い。多種多様である。

私が小学生の頃は、無人駅ではなく、田舎に似つかわしくない大きさのホームと、その中に駅員さんが1人いた。小さな頃は、特に電車に乗る用もなく、駅に行くことも滅多になかった。小学校高学年の時に、駅員さんはいなくなり、ホームは取り壊され新しい建物が建てられていた。中学生の頃もバス通学だったため、駅にも電車にも関わりがなかった。

関わりができたのは、高校生の頃。初めて電車通学というものを経験した。進学先が市内の高校ではなく、県外の岩手県一関市内の高校だったため、金額的にも時間的にも都合がよい「電車」に乗って通学せざるを得なかった。乗り始めた当初は、私は電車が嫌いだった。理由としては、混雑するというのが嫌だったからだ。私たち高校生が通学する時間帯は、朝も夜もちょうど通勤ラッシュの時間帯である。普段は学生とご高齢の方ばかりの車内ではあるが、この時間帯ばかりはスーツを着た軍団が周りを埋め尽くしていた。私たちが利用する有壁駅は、終点一関駅の1駅手前なので、無論朝は座れない。帰りも、毎日のようにスーツの軍団に囲まれながらの帰宅の日々であった。

時が経ち、部活を始める時期になり、私は弓道部に所属した。そのため帰る時間も遅くなり、大体毎日20頃帰宅するようになる。田舎の列車のためピーク帯を過ぎると、あとはガラガラである。私たちが利帰宅時に利用する列車は、仙台に向かう列車のであるため車両が多い。仙台付近になるとその車両を埋め尽くすぐらいの人数が乗車するのだが、一関駅付近はさほどでもない。一つの車両に5人、多くて10人いればよいほうだ。

私のように部活をする学生は、大抵1954発の電車に乗る。大体20時には互いの家につくため、学生の間では「はちじでん」と呼ばれていた。「はちじでん」で帰宅するようになり、私はそのガラガラの電車で暇をもてあそぶようになった。最初のうちは、携帯を見たり、本を読んだりしていた。同市内の進学校の生徒たちは、必ず勉強をしていた。

私たちの高校は、進学する者・就職する者・介護士を目指す者、進路先が多種多様な学校であったため、皆が電車内で勉強をしているわけではなかった。友達と話したり、寝ていたり、カップルの語らいが行われていたり…私たちの学校の生徒に限ったことではないが、生徒たちは電車の中で思い思いの「余暇」を楽しんでいた。

 私もだんだん中の良い友達が増え、他校の生徒とも友達になった。学校が違うため普段は合わないのだが、その子とは必ずといっていいほど帰りの時間が合う。そのため、毎日のように電車内で合流していた。そこでは、今日あったこと、お互いの学校のこと等、様々な事を語りあった。学校で出会う友達とはまた違う、新しいネットワークができた。

 「学校」という狭いフィールドにとらわれていた高校生の私には、すごく新鮮な出会いであった。

 

 その時感じた事は、電車という空間が新しいネットワークの場になるということである。

 

 

 

3・21歳 「青春18切符」(青春18きっぷとはhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~sakana/18kippu.htm)

  21歳の頃、私は福島県福島市で浪人生をしていた。福島といえば、東北の最南端である。新しい場所、新しい雰囲気を見ることが大好きな私にとって、福島駅の「東北本線黒磯行」「郡山」「いわき」という表示を見るだけで、『旅をしたい』という気持ちが大きくなった。乗ったことはないが、「寝台特急 カシオペア」には、なんとなく憧れる気持ちがあるため、一度は乗ってみたいと思う。

 

しかしながら、アルバイトをしながらの浪人生であったため、あまりお金もなかった。しかし、旅もしたい。迷った私は、電車に詳しい旅好きの先輩に軽い気持ちで『遠くに行きたいんですけど、お金がないんです』と、相談してみた。先輩は『これ使えばいいよ』といって、一枚の紙を取りだした。名前だけはよく聞いてはいたが、その時初めて「青春18切符」というものを見た。見る前の勝手な想像としては、「18歳しか使えない」「普通の切符とは異なっていて、特殊な形をしている」というイメージがあった。しかし実物を見て、驚いた。以外に小さい。大きさとしては、宇都宮大学の学生証の大きさで、横の幅を2倍にした形である。そして私のように18歳ではなくても、だれでも使えるということが分かった。後に自身で旅をしてみて、色々な世代の人がいることが分かった。老人から20代の青年まで、さまざまであった。むしろ、肝心の18歳の利用者は今まで見たことがない。

 その切符の存在を知り、私は早速購入しに駅へ向かった。購入方法が分からず、駅員さんに聞いてみたら、『券売機でかえますよ』と言われ、また驚いた。当初のイメージは、前述した通り、年齢制限があると思っていたため、窓口で確認されるのかな、と思っていた。しかし、以外にどこにでもあるような券売機で買える、という事を想像していなかった為、非常に意外であった。

 そこで切符を購入し、まず手始めに関東へ出向いた。茨城県に向かい、常磐線に乗った。茨城県土浦市に所要で降車し、そのあと宇都宮大学を目指し、大学見学を無事済ますことができた。それが私の第一歩である。

 お金を気にせず行きたいところに行ける、という点に私は心惹かれ、その後何度も関東へ出向いた。東京・茨城・埼玉・栃木、等短期間に多くの場所を訪れた。東北しか知らなかった私は、新しい世界を電車を通して知ることができた。この時期に、私は旅をすることが好きだという気持ちが強くなった。

 

 青春18切符の期限も迫り、どこに行こうかと迷い始めた。どこか遠くに行きたいな、という気持ちが元からあったため、関東より遠くに行くことを考えた。そこで思いついたのが「大阪」である。短期大学時代の友人が大阪に住んでいるため、ずっと行きたいとは思っていたが、如何せん福島と大阪の距離はおよそ850q。そう簡単に行ける距離ではない。何よりも長距離移動なため、お金がかかる。 幸い私は、長距離移動に対して苦痛に思う気持ちが薄い。お金の問題が気がかりだっただけなので、切符の存在を知ってからは大阪へ行く決意はすぐに固まった。

 

 「思い立ったが吉日」がモットーの私は、すぐ行動に移した。友人と都合のつく日時を照らし合わせ、休暇を取って、下調べをして、電車に乗り込んだ。

当日はアルバイトをam500に終え、506の始発の列車に乗って、最初に黒磯まで向かった。黒磯からは、宇都宮、戸塚、熱海、浜松、豊橋、金山、米原、大阪という経路で乗り継いだ。所要時間は、約16時間。この日は、夕方から早朝までの労働を終えた後の移動だった為、しばらくの間は電車内で寝ていた。

 起きたのは、大体戸塚周辺である。見たことのない駅の雰囲気、人の多さ、ちょうど昼時だったため日も明るく、自然と目が覚めた。そこからは景色を見たり、本を読んだり、人間観察をしてみたり、またちょっと寝てみたり、様々である。あたりを見渡してみると、私と同じようなことをしている人もいたし、車内から写真を撮っている人もいたし(静岡通過の際に)、一人でしゃべっている人、二人で話をしている人、大人数で騒いでいる人、部活帰りの高校生の集団も多く見かけた。

 大阪に着き、友人のいる安孫子へ向かった。翌日は大阪案内をしてもらい、その翌日は京都に出向いた。楽しい旅になった。

 

 この旅を通して、電車という空間は余暇活動を行う「空間」であり、「電車に乗る」という行為自体も余暇活動なのだなと感じた。寝るという行為も、本を読む行為も、電車内で話すという行為も全部余暇活動なのである。ということを学んだ旅であった。非常に有意義な時間を過ごすことができ、貴重な思い出となった。

 

4・22歳 「余暇=電車」

 編入試験に合格し、晴れて宇都宮大学に入学することができ、今現在に至る。現在入学したてということもあり、うまく時間が取れない状況が続いている。しかしながらここは宇都宮。交通の便も良く、多方面にアクセス可能な土地である。限られた時間の中で、どれだけ自身の願望を叶えられるか定かではないが、私はできるだけ多くの土地を訪れ、色々な経験を積んでいきたいと思う。

私の大学在学中に掲げる目標は、広島・神戸・北海道・島根・三重など様々である。時間も限られているし、全部実現できる保証はないが、自分の望みはできる限り自分の力で叶えていきたいと思う。

 

 

 私は何故旅行するのか、という意味を改めて考えてみると、私にとって「旅=経験」であるからだで。ただ黙って一つの場所に留まるだけでなく、多くのものや景色を見て感動したり、新しい物を見て考えを及ばせたり、違う土地に行くといつもと違う目線で物事を見ることができ、それこそが旅の醍醐味だと私は考える。

景色がきれいだと感じる気持ちも、新しい土地を見たとき、訪れたときの昂揚感も、どこに行こうかと計画を立てる楽しみも、全部旅行から得るものである。そのような気持ちを味わいたくて、私は旅をする。新しいものを見たくて、色々なことを知りたくて、私は電車に乗る。

 

私にとって、「旅」を繋ぐのに必要不可欠なのは「電車」である。「旅」と「旅」を繋ぎ、新たな経験へと繋いでいく、それが「電車」の役目である。だからこそ「電車」というのは新しいものを見たり、経験を積む為のきっかけである。そして心休まる空間を与えてくれる、最大の「余暇活動」なのである。

今後もまだ訪れたことのない土地や興味のある場所に行き、たくさんのことを感じ取っていきたいと思う。