余暇政策論レポート
070179H
ハラ オサマ サウッド
テーマ: ミニ四駆
私の愛するアニメが「ダッシュ!四駆郎」や「爆走兄弟レッツ&Go!!」(WGP/MAX)であり、それをきっかけでミニ四駆も好きになった。私以外の多くのミニ四駆ファン達も「爆走兄弟レッツ&Go!!」の楽しさや面白さにひかれ、ミニ四駆を始めたという人たちが多い。「爆走兄弟レッツ&Go!!」訳して“Let’s&GO!!”とはミニ四駆シリーズを描いたアニメであってミニ四駆は非常に面白いスポーツで、今から15年ほど前に世界的なセンセーションにもなった。
まずミニ四駆の誕生から説明すると、ミニ四駆が誕生したのは1969年の事だった。1969年に田宮模型により「クイックレーサー」が誕生した。それが初めてミニ四駆というスポーツをこの世に登場し、いろんな人々から注目を浴びた。ミニ四駆はそれから多くのシリーズによって様々な形や機能を持つマシンを次々と発売してゆき、時代とともに進化していった。
ミニ四駆の時代は三つに分ける事が出来る。まずは第一次のブームの時期である。1988年にハイスピード設定に変える事ができ低重心化等をして、「レーサーミニ四駆」が売られるようになると同時期には、ミニ四駆マンガ『ダッシュ!四駆郎』(徳田ザウルス)が『月刊コロコロコミック』(小学館)にて連載されミニ四駆が知られていった。私もミニ四駆を知ったきっかけになったのは「ダッシュ!四駆」のアニメ放送を自国で見てからであった。1988年夏からは、ミニ四駆全国選手権大会「ジャパンカップ」が開催されるようになった。ジャパンカップがテレビアニメにも登場し、子供のころの私にとっては夢の様だった。「ジャパンカップ」に参加が出来る子供達をとても羨ましく思っていた。私の第一次のブームの一番大きな印象と言えばおそらくジャパンカップの事だろう。
第二次のブームは1994年にあり、タイヤをカウルが覆う形のボディを採用した「フルカウルミニ四駆シリーズ」が発売された。フルカウルミニ四駆を題材にした漫画『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』が『コロコロコミック』に掲載され、ミニ四駆は再び子供達の注目を集めた。私は来日後に早稲田大学のミニ四駆部の提供で初めて本物のミニ四駆レースに参加する事が出来た。ミニ四駆部はみんな大学生で、第二次ブームの当時には彼らは小学生だった。そして彼らの話によると“ミニ四駆のブームが当時すごかった”と強く主張していた。その当時は日本だけではなく、海外にもミニ四駆ファンが増加していった頃だった。1996年に「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」のアニメではジャパンカップが放映され、その次に1997年「爆走兄弟レッツ&ゴー!!WGP」ではワールドカップまでも始まり、ジャパンカップにおいて出場していたミニ四駆レーサー達がさらに国際的な現場で活躍するようになっていく。
ちょうどこの頃からたくさんの模型店や玩具店にてサーキット常設店が設備され、「街角レース」と呼ばれるレースが次々と増加していった。また、「TVチャンピオン」などテレビ番組にも取り上げられ、さらに日本の小学校理科教科書にもミニ四駆が登場した。その後ミニ四駆は徐々にブームが終わる時期を迎えていった。そして『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の連載終了並びにアニメ終了を迎えた。ジャパンカップも1999年で終了し、2000年にはタミヤ公式レースも殆ど開かれなくなった。第二次のブームが終わった頃、レーサー達の年齢は向上し、小学生レーサーはかなり減っていった。ミニ四駆以外のパーツホビーにみんな走っていき、ホビーショップやおもちゃ屋などで買い残されたミニ四駆達の多くのモデルが発売中止となった。
しかし2005年に人気の旧車種が再発行され、さらに「ミニ四駆プロ」という新しいシリーズを発売された。これは第3次のブームという時期であった。第三次ブームは、第一次・第二次ブームにて子供としてミニ四駆で遊んでいた世代が大きくなり、社会人になった後にまた古いホビーを復活させたレーサーが多かった。
私が思うに彼らは自分の中に子供の気持ちがまだ残っており、これを純粋に楽しんでいるのである。
こうしてミニ四駆が時代と共に人々の心を動かし続けてきた事に、私は感動をうけている。ミニ四駆がどんなにたくさんの人々の成長に影響をしたのかを考えさせられるし、私も自分の中の一部がミニ四駆にて形づけられたと思っている。
参考サイト
ミニ四駆の世界
www.mini4wd.jp
ミニ四駆歴史年表
www.tea-league.com/web/rekisi.htm
大人のミニ四駆
www.excite.co.jp/News/column/20100402/Gizmodo_201004__mini4wd.html
TAMIYA
www.tamiya.com