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高橋恵 「新幹線を切り口に、終着駅近郊の人々はどのような影響をうけるのかを探る」

 

0.はじめに

私は帰省するとき東北新幹線を利用する。その際乗車するのが「はやて」だ。200212月に開通したはやてのおかげで、青森県(ここでは特に八戸市近郊)はおおいに盛り上がった。今やなくてはならない存在になっている。しかし2010年末には青森市まで線路が伸び、八戸は終着駅ではなくなる。これに伴いさまざまな影響がでることが考えられる。私はここに着目し、どのような影響が町に、人々に、影響が及ぶのかを「余暇」を中心に置きながら考えてみる。

 

1.はやての歴史

 はやてとはJR東日本が運営する東北新幹線の東京―八戸間を走る最速列車の愛称である。2002年に完成したときは「はやて」の名前は、『「はやて(疾風)」が農作物に被害をもたらす風や疫病の異名でもあるためといわれているが、将来の新青森延伸も視野に入れ斬新でスピード感を表す名称として、敢えて採用された。』¹今ではすっかり地元、他にも馴染み、全席指定席や全席禁煙など利用者から好感を得ている。

 

2.新幹線が開通したことによって

八戸市まで新幹線が延びたことで市は観光PRに力を入れた。国の重要無形民俗文化財に登録されている三社大祭や、名産であるイカ、B級グルメの礎となった郷土料理せんべい汁など、全国に広報活動を広げた。そしてテレビや新聞の取材、ロケ地として使われることが明らかに増えた。芸能人がプライベートで遊びにくることも増えた。(ex 青木さやか、成宮寛貴、石原さとみ…etc)影響を受けたのは八戸市だけではない。その近辺の街、八戸から接続がいい町もPRに乗り出し、町おこしにもつながったと考えられる。外に発信するだけではなく、通学通勤などで自分たちの利益にもして地域に根づいた。大いに地域の活性剤になったと言っていいだろう。

しかし新幹線開通による短期的な観光の収益があがるのは当たり前のことである。人ははじっこまで行ってみたくなる心理があると思うのだが、移動時間が短縮できることで、「日帰りでちょっと遠出」が可能になる。私は特に「終着駅である」ことがポイントになると考える。

 

3.終着駅であるとは

 新幹線が通っているとはいえ、ただの通過駅ではなかなかスポットは当たらない。実際私が八戸から宇都宮まで通ってくる間にある、二戸、いわて沼宮内(ぬまくない)の駅は決して目立つ駅ではない。少し移動すれば夏フェスが行われる安比高原に続いたり紅葉がきれいな八幡平に行けたりする見所あるところだ。だから停車するのだが、それでは通過駅に過ぎない。はじっこだから味がありわくわくして価値がある。そこまで行って、遊んで、食べて、楽しんで、帰る。あるいはさらに遠くまで赴く、という観光が産業として成り立つたち、そしてそこがぶらり旅(など)の余暇の最大の魅力になると考える。

 

4.線路が延びることで

2010年12月に八戸を通り越し青森市まで線路が延びる。そこでまた新しい「終着点」が生まれ、観光のみならず企業の誘致が成功したり、観光客が増えたり、東北、俗に思われている田舎からの発信がしやすくなったり、都市化への促進が進められると考えられる。新しい終着点にスポットライトが当たり、今までの八戸駅は「通過駅」へと変身する。今青森駅は、かつての八戸駅のような、あるいは八戸の町以上の興奮を起こすためにさらに思考をこらし、青森、ひいては県のために事業を興している。しかしここで注意しなければいけないことがある。『02年に新幹線が開業した青森県八戸市では観光客数が02年の380万人から、07年には573万人に増加している。八戸信用金庫の試算では、開業1年で同市周辺には182億円の市場が生まれた。ただ、その経済的な恩恵は、新幹線開業に向けて準備していた一部の地域や企業にとどまったという。八戸高専の河村信治教授(都市科学)は「八戸では、地域色のある独自商品を開発したり、盛岡や仙台まで販路を広げたりした商店や企業が売り上げを伸ばした。何ができるのかを考え、実践することが必要だ」と説明する。』²そう、いくら新幹線効果で夏祭りやイベントがあるときに盛り上がっても、平時で中心街がにぎやかになる工夫をして継続的に活気がある状態にしなければ、その土地が活気づいたとはいえない。終着駅が変わることで、通過駅になる八戸駅にしても、終着駅になる青森駅にしても、1年中栄えるための仕組みを探す事が課題になる。これは市の行政、ひいては市民ひとりひとりの問題に発展していくのではないだろうか。新幹線の効果を利用した利便性や勝手の良さのアピール、リピーターの獲得などが町づくりの鍵になるだろう。これは3で述べた魅力を磨く術になるはずだ。終着駅になれるのは一本の線路の末端駅しかない。だからその価値をもっと引き出すべきだ。きっと町づくりこそが、私たちが生きる場所作りになって、そこを訪れる人たちの余暇を作り出すのだと思う。いづれは北海道から沖縄まで新幹線で結ばれ日本は繋がるだろう。確実に交通網を整備して全国各地をより身近に感じてもらう手段として、これからも新幹線は走り続け、私たちの余暇にかかわり続けるに違いない。

 

 

引用

¹はやて(列車)について(2010/06/28 現在)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%A6_(%E5%88%97%E8%BB%8A)

²八戸に学べ 新幹線延伸の行方(2009/1/27読売新聞)(2010/07/07現在)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/feature/hokkaido1232501218048_02/news/20090127-OYT8T00292.htm