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中村祐司「地域密着型プロスポーツは地域社会の救世主となり得るか―”栃木ブレックス”の優勝がもたらしたもの―」
1.地域密着型プロスポーツの台頭
近年、いわゆる「地域密着型プロスポーツ」が地域社会に活力を与える状況が目立ってきた。とくに地元栃木県ではサッカーの栃木SC、アイスホッケーの日光バックス、バスケットボールの栃木ブレックス、自転車ロードレースの宇都宮ブリッツェンといった4つのプロスポーツチームが存在している。北関東における隣県の群馬や茨城と比べても多い[1]。
なかでも栃木ブレックスは今季優勝を飾り、これまで実力的には一枚も二枚も上といわれたトヨタ自動車、パナソニックといった実業団チームが多い日本リーグにおける「快挙」を成し遂げた。ここで快挙という意味には2つある。一つは、ブレックスの優勝がリーグの統合に向けた動きを一気に加速させた、いわば日本のバスケットボール界の変革・再編のうねりをもたらしたことである。もう一つは、ブレックスの経営・運営戦略がバスケに限らず、これからの日本における地域密着型プロスポーツクラブのモデルケースと考えられることである。
そこで以下、今回のブレックス優勝を契機に浮き彫りになった地域、企業、行政との関わりに注目し、自治体に及ぼした影響、企業、市民、行政の協働の萌芽などについて新聞報道を主な情報源に整理・把握した上で、地域の活力復興をめぐる新たなプロスポーツチームの可能性と課題について考察したい。
2.栃木ブレックス優勝の背景を探る
栃木ブレックス(正式名称はリンク栃木ブレックス。以下ブレックス)は、2010年4月に行われたバスケットボール男子の日本リーグ(JBL)で優勝した。地元での署名活動や準備会社設立を経て、07年に廃部した大塚商会を引き継いで日本リーグ2部に参戦したのが母体である。これまでの3年間で500以上に及ぶバスケ教室を開催し、約3,000人収容の主催試合はほぼ満席で、一部ファンから構成される応援団をチーム公認にするなど工夫を重ね、スポンサー支援は50社以上に上るという[2]。
ブレックスの優勝は、企業チーム主体のJBL(8チーム)と地域プロチームbjリーグ(13チーム)の統合に向けた起爆剤となった。2013年の新リーグ立ち上げを目指し、企業チームの地域化・分社化(チーム名への地域の盛り込みや試合興行権の買い取りなど)がどこまでできるかが鍵となっている[3]。
宇都宮の中心市街地におけるブレックス優勝パレードには1万人が押し寄せた(2010年4月17日)。しかし、華やかな側面(スター選手の存在や劇的な試合展開など)の陰で、これまで継続してきた地域に溶け込むための地道な取り組みがあった。山谷社長のモットーは、「勝敗には不確定要素がつきまとう。コートの外でのサービスならば(ファンや企業を満足させるだけの)品質を保証できる」[4]というものである。きめ細かなバスケ教室、小中学校訪問、地域イベントへの参加以外にも、チアリーダー「ブレクシー」やマスコット「ブレッキー」などもファン獲得に貢献している。また、宇都宮市が体育館の命名権を無償で付与(「ブレックスアリーナ宇都宮」)したように、ブレックスは行政をも動かした。そして本業との相乗効果を狙う企業をも動かしている[5]。
ブレックスが地域にもたらした波及効果は他にもある。栃木県における男女の小学生バスケチームの増加(06年度169チームが09年度には189チームに)がそれである。「子供がバスケットを始め、両親や祖父母も興味を持ち、家族全体の話題になっている」という[6]。
3.地域におけるプロスポーツと市民・企業・行政との協働の課題
以上のようなブレックスの課題克服のプロセスとその成果および他のセクター(行政、市民、バスケットボール界、プロスポーツ界など)への相乗的な波及効果から見えてきたものは何であろうか。
第1に、ブレックスの運営戦略はプロ・アマを問わず、あるいは私企業や公的組織を問わず、組織一般のパフォーマンス成功の条件を満たしているということである。選手が労を厭わず小学校等にこまめに出掛け、子どもたちと接して夢を与える。ファンやサポーターを大切にし、彼ら彼女らの支えがあってこそ、クラブが成り立っていることを試合当日のみではなく日々の実践活動を通じて相互に確認し合う。常に新たな顧客の獲得に向けて可能性が少しでもあれば、行動に出ることを躊躇しない果敢な運営戦略活動といったことが挙げられる。
第2に、スポンサー獲得において一社依存ではなく、複数のスポンサー企業から資金を集める経営の多元的基盤が、地域密着型プロスポーツクラブとスポンサー企業との関係の要諦である点を身をもって提示した。女子バレーボールの日航ラビッツの廃部に典型的であるように、当該企業の経営が傾けばその矛先は社内スポーツに向けられるという一社丸抱えの企業・実業団スポーツの限界を克服する手法を、サッカーのJリーグ運営にならって打ち出したのである。
第3に、経営基盤を地域に求めたことである。勝利という成功の果実は本社や支社の社員にではなく、地域にもたらされる。まさに地域あってこそのクラブなのである。ファンやサポーターの獲得と運営への参加は、会費や入場料による資金基盤の確保という範疇を超えてクラブサービス提供を支えるボランタリー活動をもたらす。ファンとクラブ経営との相乗効果、いわば「ウィン・ウィン」の関係がもたらされる。このことは言葉の飾りに終始しがちな「協働」実践の先行例としてもっと注目されていい。
第4に、ブレックスの成功は、行政による「後追い支援」をもたらした。当初は練習場所(公共体育施設)の確保にも苦労したといわれたように、得てして行政は萌芽期ないしは黎明期の目立たないプロスポーツクラブ活動の奮闘や価値に冷淡に距離を置く傾向にある。それが、まさに「乗数効果」の地域密着型プロスポーツ版ともいえる成果の地域社会における広がりと浸透を目の当たりにして、行政は自らのPRの場確保のためにクラブに頭を下げるというある意味での珍現象まで生じたのである。行政とクラブは主従関係や対抗関係にあるのでなく協働関係にあるとの認識がなされ、それが現在進行形で日々実践されている。
第5に、ブレックスがもたらしたものは「地域内循環」で終わってはいない。優勝というスポーツ世界の盛り上がりの必須条件である勝利をもたらしたことと相俟って、一スポーツ競技の範疇を超え、その経営戦略はたとえ「横並び意識」であっても、他自治体における今後のプロスポーツクラブ運営に多大な影響を及ぼすと思われる。ただし、この流れを企業スポーツの全面否定につなげてはいけないと思う。35部ものスポーツ部を抱え、これまで一部も廃止していないトヨタ自動車はまさに「企業スポーツの最後の砦」といった様相を呈しているが、企業スポーツの分社化など、企業スポーツ改善の方向性を明確にすることが大切ではあるものの、企業によっては従来の基盤を堅持する選択肢があってもいいのではないだろうか。
第6に、地域密着型プロスポーツクラブの将来は決して「バラ色ではない」という点を敢えて指摘しておきたい。理念レベルでもパフォーマンスレベルでも鳴り物入りでスタートした野球の関西独立リーグは、経営難から運営母体を株式会社からNPO(非営利)法人に変更することが明らかとなった。選手は無給となりプロチームではなくなる[7]。ここに地域プロスポーツチームの運営・経営をハイテンションで継続していくことの多大な困難を見出すことができる。優勝はあくまでも一過性のものである。勝敗によって会場に足を運ぶファンの数は左右されるだろうし、サポーターはプロフェッショナルな形でクラブ運営に参画しているわけではない。会費は一般には単年度単位である。行政支援が毎年安定的に継続されるという補償は何もない。小口とはいってもスポンサー企業の提供する資金は景気に左右される。熱さ、冷静さ、客観性を備えた事業経営を果敢に継続していくことは至難の業であろう。しかし、ブレックスが地域の協働実践の積み重ねに向けた重要な契機を提供したことは間違いないように思われる。
[1] 群馬県の場合はサッカーのザスパ草津と野球の群馬ダイヤモンドペガサスの2チーム、茨城県はサッカーのみで鹿島アントラーズと水戸ホーリーホックの2チームである(2010年5月現在)。
[2] 産経新聞「プロバスケ栃木 3季目で黒字化」(2010年4月17日付)。
[3] 日経新聞「バスケ界 統合へ始動」(2010年4月20日付)。
[4] 日経新聞「栃木のプロバスケ、リーグ制覇」(2010年5月3日付)。
[5] たとえば、ブレックスはホーム最終戦で、スポンサーの栃木銀行のイメージカラーである緑色のユニホームで臨んだ。加えてこのユニホームをオークションに出し、収益は栃銀が取り組む日光杉並木保存事業に寄付するといった事例がある(日経新聞「プロスポーツチームと地元企業」2010年5月1日付)。さらにブレックスは群馬、茨城の住民も視野に入れ、独立採算の2軍チーム「D-TEAM」を栃木県南(小山市)を拠点に設立した。
[6] 産経新聞「栃木に実った『共有財産』」(2010年5月2日付)。
[7] 朝日新聞「関西独立L 非プロ化」(2010年7月2日付)。