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飯田美咲「ただ書き残すこと」

 

 日記とは日々の出来事や感想などの記録である。母の影響で小学校の頃から日記をつけることが習慣となり、今では一日を締めくくる重要な役割となっている。ほんのわずかな時間であるが、それは私にとって大切な時間であり、日記帳は私の宝物である。今回最も身近な余暇として日記を取り上げる。

 

ではなぜ人は日記をつけるのであろうか。その他にも、なぜ過ぎた出来事を記録するのか、その時の気持ちを書き残す必要があるのか、という疑問が浮かぶ。それを考えるにあたり、日記をつけることで、人々は日記の持つ効果と、人間の発展していくために必要な存在意義を見出したのではないかと考えられる。そのために日記がいつどのように始まり、時代とともにどのように変化を遂げてきたのかについて着目し、日記と人間の関係について考察していく。

 

日記はいつ何のために書かれたものであったのか。[i] 現在日本最古の日記と言われている土佐日記は、土佐守の任満ちた紀貫之が9341221日に任地をたち、翌年216日に帰京するまでの55日間の海路の旅を元にした日記体の紀行文である。内容は、旅の行程、天候、人々との離別、自然景観、船中での人の動静などが書かれている。土佐日記に続き、蜻蛉日記、紫式部日記、更級日記などが書かれ、これらは現在日記文学として確立し、研究の対象となっている。こういった日記は旅行記のように、事実をそのまま記したもので、人々に公表する目的、また重要な行事の記録として存在していた。写真もビデオカメラといった電気機器が日本に存在しなかった時代、その当時の日本人の活動、生活様式、時代背景、天候などあらゆる情報を読み取るには、絵画や日記といった、人の手で書かれたもののみである。そのことから日記が書かれたその当時の日記の果たす役割と、後世での日記の果たす役割が変化していることがわかる。いずれにしても、人の手によって書かれた文章以外、後世に残る資料がなかった時代、日記がその時代の今を知らせる道具となっていたと考えられる。

 

 土佐日記が書かれてから現在まで、日記は多くの人々に書かれるようになり、身近なものとなった。人々が気軽に日記を書けるようになった背景には、文字の読み書き能力の向上、紙の製造技術が発展したことが上げられるであろう。そのような時代の流れを経て、多くの人が日記を書くことが出来るようになった今、日記はかつてのように公に公開されるために書かれたものから、各人が個人的な出来事、感想を連ねるものへと変化していった。ただ書くというこの行為が私たちにどのような影響を与えるのか。一日の中の半のわずかな時間ではあるが、日記を書くという行為にあらゆる効果が含まれていると考える。

 

 日記の効果の一つ目として、日記は自分自身と向き合う時間であるということである。些細な感情であってもそれらを書き出し、文字として目で確認できる形にすることにより、自らの行動や感情を客観視することが出来る。そのことにより不思議と心は晴れ、自分の改善すべき点を見つめる機会を作るのである。また年月が経ち、書き残したものを読み返してみると、その当時のその時にしかない感情に舞い戻ることが出来る。人間の記憶はあやふやなもので、次から次へと移り変わる感情というものは最も忘れられるものであると考える。まさにその時の自分の生き方や考え方と今を比べてみると、自分の内面の変化や成長を感じることが出来るのである。内面の成長は目で確認することが出来ない。しかしその確認の方法として日記が効果的であり、日記を書く者の楽しみの一つであると考える。

 

 以上のように内面的な効果の他に、現在では教育面でも、表現力の向上や読解力の向上がその効果として挙げられ、注目され始めている。[ii] 日常の小さな出来事を記録していくだけでも、漢字を使い、思考を深める機会となる。また日記の類である絵日記は一般的に就学前教育や初等教育の場面で、簡単な言葉で楽しく言葉を書いていくことで、文字の読み書きを覚えていく。実際に私も文字を学校で習う前、母や姉から教わって覚えたひらがなを使って、今日は何をした、おもしろかった。などという簡単な文章を書き、赤ペンなどで間違いを直された思い出がある。同じ経験をした人は少なくないはずである。

 

 紙製造技術、読み書き能力の向上により、身近となった日記は、ここ数年でさらに新たな広がり、また発展を見せている。それはmixiというソーシャルネットワーキングサービスの一つとしての日記である。[iii]これは紙媒体の日記ではなく、パソコン、携帯電話によるインターネット上での日記である。mixiに無料登録することで、日記はもちろん、多種多様なアプリやつぶやき機能などのサービスが利用可能になる。ここでの日記とは、登録した者はいつでも自由に日記を書きこみ、自らのページに公表する。制限をかけない限り、不特定多数の人が自由に閲覧し、その日記に対してコメントを投稿出来る、といったサービスである。この日記に対するコメント機能は、今までの人に公表されることなく連ねられた日記との違いである。またこの機能によって遠くの友人と容易に連絡を取り合え、状況を伝達しやすいなどの利点から、新たなコミュニケーションの場と言えるであろう。不特定多数の人に公表される日記という点では、日記の起源に舞い戻ったと考えられる。しかし、人間の手で書かれたものではなく、過去の日記もクリック一つで消し去ることも出来る。また実際に漢字を書くわけではないため、思考を深めるには効果的である可能性はあるが、上記にあるような基礎学力の向上は見込めないであろう。

 

 このように時代の流れとともに、日記のあり方は変化し、日記が誕生してから千年以上の月日がたった。これほどの年月、日記というものが人間に書かれてきたのは、様々な効果や存在意義があるという事よりも、ただ純粋に日記を書くことに楽しみを感じ、日記が持つ魅力があったからこそであったと考える。日記を書く事で自分と向き合う事が出来る。知ることが出来る。成長を実感することが出来る。自分の感情や記憶を大切する事。これらが日記の持つ魅力なのである。この考察を通し、少しでも日記というものの魅力を知ってもらえたらと思う。



[i] Yahoo!百科事典―土佐日記―」(7月6日現在)

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%97%A5%E8%A8%98/

[ii] 日記で表現力、福井大准教授が学テ好成績の背景報告書」(7月5日現在)

http://osaka.yomiuri.co.jp/edu_news/20100318kk02.htm

[iii] [mixi]mixiについて」(75日現在)

http://mixi.jp/about.pl