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秋元明日香「ハリウッドアカデミー賞からみる映画と余暇と私たち」

 

1、きっかけと動機 

友人と映画を見に行くことやレンタルビデオを家で見ることは、私にとって至福の余暇の過ごし方である。特に洋画を好んで見ており、その年代、制作、ジャンルなどは様々だ。もちろん、毎年行われているハリウッドアカデミー賞を見ることは恒例行事となっている。世界中が注目するその賞では、人々が長い年月をかけて作り上げた映画が評価される。その中で作品賞に選ばれた作品は、世界に広く知れ渡ることになりその年のアカデミー賞の顔となる。そしてその映画が社会に与える影響も大きい。そこで私は、「日ごろ余暇としてだけ楽しんでいた映画には、もっとほかの意味や影響があるのではないか。」と考えるようになった。そして、歴代のアカデミー賞作品賞受賞作品が世界、社会、人間にどのような影響を与え、人々は映画に対してどのような価値観を持っていたのかを調べるべく、アカデミー賞誕生の1920年代から2010年現在までの9つの映画からそれらを考察した。

 

2、ハリウッドアカデミー賞とは

 アカデミー賞とは、1927511日に創立された”映画芸術科学アカデミー”と呼ばれる団体が、その年に活躍した映画人に賞を贈るというイベントである。1927年頃、ハリウッドでは労働者が組合を結成し、経営者側と労働条件や賃金に関し対立していた。ルイス・B・メイヤーは、組合に対し危機感を持ち、このままではいずれ監督・俳優たちも組合を結成し、彼らに払う賃金は莫大な額になってしまうと考えた。 そこで、メイヤーは彼らが動き出す前に、先にハリウッド映画人の組織を結成し、組合に先手を打ち、経営者側に有利に話しを進めようとした。 メイヤーの目的はあくまで、組合対策だったが、「映画芸術および科学の質の向上をはかること」との大義名分が掲げられ、活動の一つとして「優れた業績に対する表彰」がつけ加えられた。当初は晩餐会を開き、ついでに発表を行うという規模のものだったそうだ。そしてこれがアカデミー賞の誕生であった。[]

 

3、年代ごとの映画考察

 ここからは具体的に1929年から2010年までの作品をその年代ごとに意味付けをし、選択した9つの作品について、作品の概要と考察を述べていく。[]

 

@  1929年(第1回) 作品賞 『つばさ』 / ウィリアム・A・ウェルマン

憧れの航空隊に入った機械好きの青年が、戦争の現実に飲み込まれていく姿を、友情や恋愛を絡ませながら描いた作品である。当時、飛行機は人々の憧れの対象であったため、主人公に投影したと考える。監督の欧州戦争の経験から迫力ある映像でFS要素でも楽しまれただろう。反戦というテーマを恋愛や友情によって覆い、ハッピーエンドを飾るオプションとして使われていたよう思うが、この賞を得たということは、人々にとって映画は悲劇からの逆転劇、そして純粋なハッピーエンドが好まれていたと考察する。

 

A  1935年(第7回) 作品賞 『或る夜の出来事』 / フランク・キャプラ

ふとしたきっかけで一緒に旅をすることになった男女の気持ちの変化を描き、第7回アカデミー賞で主要部門を独占した作品。偶然の出会いから苦楽を共にする男女の誤解や擦れ違いの中でのハッピーエンドに、人々は羨望の感情を抱き、映画にそれぞれの理想を求めていたのだと思われる。そのような物事をフィクションとして割り切ることで映画を娯楽的に楽しんでいたのだと考察する。

 

B  1940年(第12回) 作品賞 『風と共に去りぬ』 / ヴィクター・フレミング

南北戦争のアメリカ南部を舞台に、美しくバイタリティあふれる女性スカーレットの波瀾万丈の人生を描いた作品。主人公が欲望のままに生き、何事にも楽観的な点が当時(南北戦争時)のアメリカと重ねられているが、主人公は戦争の学びから更生していくが、アメリカはどうなのか。という皮肉が込められた映画である。人々はこの映画で主人公の波乱万丈の劇的人生に羨望し、また多くの人がそのような変化をアメリカにも望んでいたと考える。

 

C  1950年(第22回) 作品賞 『オール・ザ・キングスメン』 / ロバート・ロッセン

汚辱にまみれたスタークの出世の一方でその不正行為に疑問を抱くジャックの苦悩を描いている。政治の裏側を暴いた内容が問題となり、当時日本では政治的圧力を受け未公開であった作品。政治的タブーを公開したこの作品は、人々に政治に対する懐疑性を持たせた。正義が悪にもなりえるという世の中の矛盾に人々の共通した問題意識があったことがこの映画に作品賞を与えたといえる。この作品において映画の社会性が本来の娯楽性を超えたことは明白で在り、人々が映画にそのような変化を求め、望むようになった表れであると考える。

 

D  1966年(第38回) 作品賞 『サウンド・オブ・ミュージック』 / ロバート・ワイズ

修道女志願のマリアが7人の子供の家庭教師になり、子供たちの成長を通して自分を見つめなおす。また、ナチス勢力迫り、ヒトラーからの召集令状が届き、戦争に翻弄されていく場面もある。戦争が当事者やその家族までも巻きこむという現実を人々が改めて知り、平和への意識の共通の高まりを表している。それを露骨に表現するのではなく、一見娯楽的にも捉えられるようなものの中にあえてヒントとして隠し、視聴者がそれを探し出す形がとられていたと考える。

 

E  1973年(第45回) 作品賞 『ゴッドファーザー』 / フランシス・F・コッポラ

物語は絶対的な権力を持つドンが暗殺されかけ、一族が復讐をするという展開の中での騙し合い、心の駆け引き、また家族愛が描かれている。裏社会という日常からの逸脱によるスリルと緊張感、対してありふれた人間性と愛情。人々はそれら非日常性と日常性のはざまに身を置くことで地に足をつきながらの現実からの浮遊を楽しみ、安全な冒険を望んでいたのだと考える。

 

F  1989年(第61回) 作品賞 『レインマン』 / バリー・レヴィンソン

今まで他人同然に生きてきた兄弟。自閉症の兄と自由奔放な弟の出会いによって変化してゆくそれぞれの人生を描く涙を誘う感動的な物語だが、愛情だけではどうにもならない厳しい現実をストレートに伝えている。それは人々に世の中の厳しさ、冷たさを伝えて、それに対しての疑問や課題を視聴者に投げかける。問題提供し、視聴者が答えを自ら探すという様式を、人々は快く受け入れた、または望んでいたことの表れだと考察する。

 

G  1992年(第64回)作品賞『羊たちの沈黙』 / ジョナサン・デミ

FBIアカデミーの若き女性訓練生が、精神病院に監禁中の天才精神科医の遠隔捜査を受け連続誘拐殺人事件の解明に挑むという複眼的視点をもつサイコ・スリラー作品。初めから終わりまで間接的だが確実な恐怖に人々は曝される。視聴者はそこで心地よい緊張感を味わい、その異空間体験を多くの人々が求めていたといえる。心理的スリルと快感、それをフィクションであることが支え、人々が恐怖という名の新たな娯楽性をつくりだした作品であると考える。

 

H  2010年(第82回)作品賞『ハート・ロッカー』/キャスリン・ビグロー

イラク戦争に爆弾処理のエキスパートとして従軍し死と間近で対面している兵士たちの葛藤のドラマ。人々の記憶に新しいイラク戦争というテーマに、多くの人々が高い関心を持ったことの表れであることは間違いない。主人公達と対等の目線で戦争を疑似体験することで戦争を身近に感じることを人々が望み、それによって問題意識が高まった。今まで客観的だった目線を主観的な目線に移行する人々の視点の変化の表れであると考える。

 

4、全体の考察とまとめ

 上記の9つの作品を総合して考察していく。

 

まず、映画とは「人間の知的欲求を満たす余暇としての身近な手段」であると位置づける。知的欲求とは、興味・関心・問題意識のことをさし、またそれらは人間の本能として万人に備わっているものである[]。考察してきた9つの作品から、この人間の知的欲求の在り方についての変化を考えていく。

 

まず、『つばさ』『或る夜の出来ごと』『風と共に去りぬ』の作品は、主人公の感情や生き方に恋愛や苦難といった身近な要素から身を投じることで共感し、主人公や作中の世界観に対する〈興味〉という観点で知的欲求を満たしているのだと考える。確かに娯楽的要素は強いが、現実から足を浮かせているわけではなく、フィクションとして純粋に楽しんでいたと考える。

 

つぎに『オール・ザ・キングスメン』『サウンド・オブ・ミュージック』『ゴッドファーザー』は、政治や世界情勢、裏社会の色を持ち、〈関心〉という点で観客の知的欲求を満たしているといえる。今までの娯楽要素はメインで残し、観客に自然と関心を抱かせるように問題を全面的には出していないものが多い。このころから観客の知的欲求が問題意識へ傾き始めていると考える。それは、今までの戦争や政治に対する価値観が変化したことによるのではないか。戦争や政治に関して批判的・否定的な意識が芽生え、しかもそれは他人事ではなく身近なものだということに気付いたということだと考える。すなわち被害者としての意識の自覚とそれによる変革意識の増加だ。余暇に対する知的欲求は、娯楽的要素だけでは物足りなくなってきたのではないだろうか。

 

 最後に、『レインマン』『羊たちの沈黙』『ハート・ロッカー』は、それぞれ異なった視点からの〈問題意識〉という観点で知的欲求を満たしていると言える。『レインマン』ならば障害者福祉や家族問題に関して。『羊たちの沈黙』は凶悪犯罪と犯罪者心理について。そして『ハート・ロッカー』は、グローバル社会における戦争・紛争、人権や人命について。これらは今まさに現代社会の課題となっている問題を取り上げている。娯楽としての要素は薄く、観客に疑問や課題を投げかける作品が多い。そして観客は問題意識という知的欲求を満たしながらも、その投げかけに対する答えを自ら探すのだ。

 

以上のことを踏まえて、これまでの映画に対する私たち人間の知的欲求の変化は、よりグローバルで問題意識の強い客観的なものになっているということが出来るだろう。言い換えると、国際的により広い視野を持ち、社会に対する見解が変わり、物事を冷静に見る目を持ったということではないだろうか。これらのことから、これから人間の知的欲求は更に深まることは確かであろう。また、余暇としての映画の在り方は、知的自己投資や人間性の形成と発展、成長の場へと変化していくのではないだろうか。つまりは、余暇であっても、知的欲求を満たすという本能を顧みることはできないのだ。私たち人間は、自らの本能に忠実に生きておりこれからもそのように生き続けるのだろう。

                                          



[]アカデミー賞とは?:http://www.movieplus.jp/original/backnumber/academy05/about.html2010/06/09参照)

[]82回アカデミー賞特集:http://movie.goo.ne.jp/special/oscar/index.html2010/06/09参照)

[]欲求とは:http://www.eonet.ne.jp/~human-being/page3.html2010/07/04参照)