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宇宿里沙「オーシャンドームの失敗」

 

 

1.はじめに

 

2007年に東国原秀夫氏が知事に就任して以来、宮崎県は知事のメディアへの露出などによって何かと注目を浴び、知名度も上がってきた。おかげで、宮崎県庁は宮崎の観光地のひとつとなり、名産品である地鶏の売り上げは伸び、北海道の花畑牧場と提携しマンゴー生キャラメルなるものまで登場した。20092月にはWBC日本代表がキャンプを行い、たくさんの観光客が訪れ、その様子はニュースに取り上げられた。また、最近では知事の衆院選出馬の意向が注目されている。

 

宮崎県にはたくさんの自然があり、観光地がいくつもあるのだが、かつて「オーシャンドーム」というギネスブックに認定されている、冬でも南国気分を味わうことのでき、波の出るプールがある世界最大の室内ウォーターパーク[1]があったことを知っている人は今どのくらいいるのだろうか。

 

もし、今もなおオーシャンドームが営業されていたら、もっと観光業に影響が出て、何らかの経済効果が見込まれたのではないだろうか。

 

そこで、本レポートでは、なぜオーシャンドームが閉館したのかをまとめ、考察する。

 

 

2.開館

 

1993730日、第3セクター時代のフェニックスリゾート社が総工費420億円で建設し、フェニックス・シーガイア・リゾートのオープンと同時に開業。

 

シーガイアは、国のリゾート法(総合保養地域整備法)の第1号指定を受けた「宮崎・日南海岸リゾート」の中核施設として199410月に全面開業された大型リゾート施設である。高層ホテルやコンベンションセンター、ゴルフ場を備え、九州・沖縄サミットの際にはコンベンションセンターで外相会合も行われた。

 

建設当時、他のリゾート構想はバブル崩壊の影響で建設主体撤退という事態に陥っていたが、シーガイアの場合、当時の宮崎県知事であった松形知事が元林野庁長官だったため、ちょうど国有林のリゾート活用を模索していた林野庁との思惑が一致し、計画が頓挫せずにすんだ。また、建設・運営主体のフェニックスリゾートは、フェニックス国際観光に加え、宮崎県と宮崎市など13法人が出資した第3セクターであり、実際はダンロップ・フェニックストーナメント開催などの実績もある地場のフェニックスグループが主体になっていたことも、撤退という最悪の事態を招くことなく、完成させることのできた理由のひとつだった[2]

 

オーシャンドームは、全長300m、幅100m、高さ38mという、ギネスブックに認定されている世界最大級の室内ウォーターパークで、館内の室温は年間通して30度を維持されてあり、水は淡水なので体がべとべとすることもなかった。人工波が打ち寄せるグレートバンクではサーフィンショーが行われ、ボディボードにチャレンジできるなど、本物の海とは一味違う楽しさが満載であった。温水プールも点在し、キッズプールや流れるプール、三種類のウォータースライダーなど、バラエティに富んでおり、ドリンク、ファーストフード、軽食、宮崎の味を楽しめるレストラン、アトラクションシアターもあったので、一日中水着で過ごすことができた。

 

 海岸沿いに位置するので、温かい南国の海岸にある全天候型プールというのは違和感があるが、シーガイア付近の海岸は浅瀬が少なく、通年波も荒い。また「だし」と呼ばれる強烈な引き潮も存在している。この引き潮に呑み込まれて死者も出ていたため、安全な海水浴場で子供を泳がせることが一部の地元での隠れた悲願であり、オーシャンドーム建設のきっかけとなったとされている。

 

 

3.閉館

 

利用者は1995年度の125万人をピークに減少し、次年度は過去最低の26万人。残念ながら、開業以来施設単体では一度も黒字化しなかった[3]

 

 2001年、シーガイアは、第3セクターの破たんでは過去最大規模となる負債総額約3,261億円を抱え、宮崎地裁に会社更生法の適用を申請し、その後リップルウッド・ホールディングスが買収に買収された。

 

 その後、2007930日に閉鎖された。

 

 

4.問題点

 

平日は閑散としている反面、土日祝日や夏季観光シーズンになると人出でにぎわうという偏った入場者数の平準化が開場以来の課題となっていた。そのため、プール以外のエンターテイメントや施設整備に注力し、集客を図る努力が払われていたが、恒常的な集客にはつながらなかった。そのため、20062007年は、閑散期は休業し、ゴールデンウィークや夏休みなどの長期休暇期間のみ営業を行っていた。集客については開館前から心配されており、新しい施設だけに、入場者が夏場に多いのか、それとも冬場に多いのか見当がついていなかった。

 

 入場料に関しては、地方の施設にしては1人当たりの料金が高すぎて、家族連れで簡単に行けないなどの批判を受け、開館当初は大人1人4,200円であった入場料を、2001年には2,500円、2005年以降は2,000円と年々入場料金を引き下げていった。また、宮崎県民割引や半年パスなどを設けるなどと工夫もなされた[4]

 

 環境問題についても、開発にともなって保安林として指定されていた松林を伐採したことで、樹齢100年を超す貴重な松が倒木するなどの環境被害もあった。

 

 また、交通の便が悪いことも集客率の悪さにつながっていたと考えられる。開館当初は、長崎のハウステンボスと、福岡の福岡ドームやスペースワールドとの九州内のテーマパーク同士の連携を深め、観光ネットワークを構築することで採算を図ろうとしていたが、実際のところ、長崎・福岡とは距離がある上に、宮崎は高速道路が完備されていないので、全九州を二泊三日程度のツアーで回るのは不可能である。そのため、長崎・福岡との観光ネットワークによる集客を期待するのは間違っていたのだ。

 

しかし、最も反省すべき点は財政面だ。バブル崩壊から「経済効果の薄いリゾート開発」と言われ、更生法申請時に創業者は「私が手掛けたリゾート事業は日本人のレベルに合わず、少し先走った」と自省していた。バブルのつけはあまりに巨額すぎたようだ。

 

 

5.おわりに

 

 オーシャンドームの問題点ばかりあげてきたが、実際にオーシャンドームに行き、遊んだことのある立場から言わせてもらうと、あの施設は本当に楽しい施設であった。まだ営業されていたころは、「大学生になったら友達や彼氏と行こう!」と思っていたので、正直、閉館されてしまったのが名残惜しいくらいだ。私のように感じている宮崎県民は少なからず他にもいるであろう。

 

閉館する一週間前には、県民の入場料を半額にする感謝ウィークが始まり大盛況であった。ドームへの思いを投函するポストが設置され、「ドームが大好き」「やめないで」などの閉館を惜しむ声が掲示板を埋めた。「人の多さに驚いた。これだけの施設なのでもったいない。子どもをもっと早く連れてくればよかった」[5]という声も上がっていたようだ。

 

閉館後の施設活用案として、閉館時に東国原宮崎県知事は、映画撮影用の施設にならないか、と独自の案を示したが、その後の進展は今のところない。県民からは国際見本市会場、テーマパーク誘致などの案も出されたが、どれも実現していない。ギネスブックにも載った人工の波を発生できる施設を備えたオーシャンドームは、今後の活用策を待っている[6]が、屋内施設であるがゆえに施設の拡張、または改装が難しいため、なかなか良い活用法が見当たらない。

 

そもそも、何も手を加えない自然が豊富にあるにも関わらず、美しい海のすぐそばにこのような自然を模倣した人工的な施設を作ったこと自体が失敗であったのかもしれない。お金を払って人工の海で泳ぐより、無料で泳げる海で泳いだ方が何倍も楽しいし得である。まだ自然の海で泳げるうちは、必要なかったのではないだろうか。そう考えると、オーシャンドームの建設は早すぎたのかもしれない。

 

 

 

 

 



[1] http://www.seagaia.co.jp/japanese/od/od.html

オーシャンドーム‐フェニックス・シーガイア・リゾート。

 

[2] http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0102/sg/

シーガイア破たん関連。

 

[3] http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/?itemid=2199&catid=74&blogid=13

2007101日宮崎日日新聞「オーシャンドーム閉館 14年の歴史に幕」。

 

[4] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A2

シーガイア‐Wikipedia

 

[5] http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/?itemid=2046

2007924日宮崎日日新聞「閉館を前に感謝週間始まる オーシャンドーム」。

 

[6] http://www.news.janjan.jp/area/0904/0904282346/1.php

2009430日市民の市民による市民のためのメディアJanJanニュース「閉館したオーシャンドームを「クジラ水族館」に!」。