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佐藤亜希「オーストラリアにおけるマリンスポーツの普及について」
1.なぜオーストラリアのマリンスポーツなのか
以前オーストラリアへホームステイした際に、休日や平日にかかわりなく、浜辺や河原には波に乗るための板(ボード)を持った人がたくさんいることに大変驚いた。
ここ数年、日本の首都圏のサラリーマンの間ではランニングがブームであるが、オーストラリアでは流行としてではなく日常の一部として出勤や通学前、もしくは帰宅途中や帰宅後にも海や河川を活動場所とした余暇活動を楽しむ人が大変多いのだ。
このレポートでは、サーフィンなどのマリンスポーツを一例に、地域や環境と余暇活動の地理的関係を考察することに始まり、余暇活動と関連する政治・経済活動や人間関係についても視点をあて、最終的に余暇活動と人々の生活の関係を見出すことを目標としたい。
2.地域や環境と余暇活動の地理的関係性
オーストラリアにおいて、人口(約2063万人[1])の集中する大陸の東側は、温暖湿潤気候と西岸海洋性気候の過ごし易い地域である[2]。また、同国の人口のおよそ85パーセントは、その大部分が砂浜のある海岸から50キロ以内に住んでいるとされる[3]。
このことからして、国民の大部分がマリンスポーツに親しむのは当然のことのように思える。
また、都市から離れた郊外には、大都市(シドニー、メルボルン、ブリスベンなど)に見られるような大型のショッピング街やテーマパークが多くないことも見逃せない。
都市部からの遠隔性により、地方地域でも容易に親しむことのできる身近なスポーツとしてサーフィンは人々の生活に浸透したといえるだろう。同じ海に囲まれた日本においても、郊外へ行くにしたがって自然に密着した余暇活動が多くみられる点と同じである。
サーフィンのように、国や地域別に発展している余暇活動の存在は、地理と人間の活動の結び付きを読み解く上で見逃すことはできない。
3.経済活動と余暇活動
オーストラリアにおいてマリンスポーツが国民的人気を博した背景には、企業の活躍と、市民の経済活動の存在も大きい。
1970年代半ばに、世界プロサーフィン連盟(ASP)の会長であるウェイン・バーソロミュー(09年1月同連盟退任)は、従来のサーファーが用いていた板を改良し、波の上を縫うようにターンする技を開発する。彼がサーフィンにスポーツ性とファッション性を付加したことがきっかけとなり[4]、一部の人々が独自に作った板に単純に波に“乗っていた”ものが一挙に注目を集め、サーフィンが商業の対象となった。
このことがきっかけでサーフィンに伴うマリンスポーツの人気に火がつき、同国内でサーフボードを扱うメーカーが多数誕生した。それに伴い価格競争も激しさを増し、より安く、より幅広い地域でマリンスポーツが余暇活動として、またはファッションアイコンとして若者の支持を得ながら普及していくことになる。
また、市民の経済活動にも焦点を当てると、前述のとおり、オーストラリアの人口の大部分は浜辺かその均衡に集中しているため、遠方の浜辺にでかける必要がない。つまり、マリンスポーツを楽しむために長距離を移動する際の交通費を抑えることが可能であるということだ。
経費のかからない活動というのは、えてして国民の支持を得やすいものである。
用品にかける費用や、交通機関の不便さがないために発展した余暇活動の例が、サーフィンなのであろう。
4.政治の支える余暇活動
オーストラリアでは、夏期になると現行の時間に一時間を加えたタイムゾーンを採るサマータイム制(同国ではdaylight saving time, DSTと表記)[5]を導入している。
この制度により、夏期には仕事に行く前の早朝の時間と、帰宅してからの時間に余裕が出るため、出勤前や帰宅後、通学前や下校後に余暇の時間を持つことが可能となる。
これもまた、平日でも遠くまで出向く必要がなく、身近に存在する海辺で趣味の時間を享受できる手軽さからマリンスポーツが人気となった原因のひとつであろう。
さらに、政府はオーストラリア・スポーツ委員会(Australian Sports1
Commission: ASC)に2億1,600万ドルを支給し、能力の高い選手に対する質の高い訓練の提供や、スポーツ全国組織とスポーツ事業への資金提供を行っている[6]。
また、キャンベラには世界最高水準のスポーツ設備を備えたオーストラリア・インスティチュート・オブ・スポーツ(Australian Institute of Sports : AIS)を政府の資金によって設立し、オーストラリアのエリート選手育成を主導している。余暇活動をプロスポーツへ転換させようと思ったとき、確固たる支援の存在は心強いものであろう。
同国はまたマリンスポーツを門戸として、サーフィン留学制度の普及にも力を入れている[7]。海外の学生にサーフィンをしながら語学学校へ通う制度を提供し、国内外でもマリンスポーツに人気を与え、経済活動が更に活発になる契機を作り出している。
政府の支援に後援されたスポーツ活動というのは、言うまでもなく国民にとって余暇活動の発展に広がりと余裕、そして活動への参加を容易にするのだ。
5.教育と人間関係の支える余暇活動
2005年の全国調査によると、15歳以上のオーストラリア人1,100万人余りは、少なくとも週1回は、訓練かレクリエーション、または趣味として何らかのスポーツ活動に参加している。この参加率は人口の69.2パーセントにあたる[8]。
オーストラリア沿岸にすむ人にサーフィンの経験の有無を尋ねると、ほとんどの人が経験者であると答える。更に興味深いのは、回答者のほとんどは小学校低学年からサーフィンやその他のマリンスポーツに興じ、子供同士で遊びに行くことも多かったということだ。
日本でいえば海や河川で泳ぐということは危険も伴う行為であるので、年端もいかない子供たちだけで遊びに出すことには抵抗があるのではないだろうか。筆者自身、10歳前後の少年たちが保護者なしに数人でサーフィンをしているのを見かけ、水難事故が起きたらどうするのかと驚くことが度々あった。
オーストラリアの小学校では、低学年のうちから臨海学校や課外活動として、海における安全確保や緊急事態回避の方法をライフセーバー達から学ぶ機会が設けられている。これは必然的に海で遊ぶことが増えるであろう青少年たちの命を守るためである。
一歩海へ出れば、子供たちだけで遊びに来ている者を見守る目の多さにも気づく。等間隔で設置されたライフセーバーたちのテントはもちろん、若者や大人が他所の子供にきさくに話しかけ、あまり遠くへは行かないようにと注意を促し合っているのだ。
休日ともなれば祖父や祖母や両親に手をひかれ海辺へやってくる幼児の姿も見られる。老若男女が集まる浜辺において育まれているのは身体的な能力だけではなく、人間関係によって情操教育も同時になされているのだ。
6.社会活動の中の余暇活動か?余暇活動が成す社会活動か?
以上のように考察をしてみると、オーストラリアとマリンスポーツの繋がりに一層の疑問と興味を抱いた。日本でも海に対する人々の愛着心を感じることはできるが、毎朝毎晩、海で遊ぶことはできない。それはやはり気候の関係であったり、海洋性の問題であったりする。
そう考えてみると、オーストラリアは生活の一部に海を取り込むように「できている」国なのではないかと感じた。
オーストラリアは人の住む大陸としては世界で最も乾燥している。都市部から離れれば、水不足に苦しむ地域も、たとえ海岸沿いであろうとも存在するのが現状なのだ。
しかし、だからこそ水に憧れを抱き、親しもうとする姿勢が発達したのではないか。
政治・経済をうまく取り込んで、人間関係の構築や情操教育にも一役かっているような、ここまで一年中国民的に親しまれているスポーツのある国はなかなかないであろう。
総括してみると、筆者が今回レポートで考察したものはもはや「余暇活動」ではなく、「社会活動」に包括された、あって然るべき国民活動なのではないかと思えた。それはつまり、余暇とは人々の社会活動と切っても切り離すことのできない、個人単位で広がりを持つものではなく、同国内にすむ人々にある程度の同性質を持たせるものなのではないかということだ。
「お国柄」は国内の経済力や政治活動、貿易収支からのみ読み取れるものではない。今回のレポート作成を通して、人々の仕事以外の「余暇」の時間から、こんなにも様々な、国民とその生活の繋がりを見出すことができるのだと知れた。
註
[4] ASPジャパン 2009年 1月28日付
ウェイン"ラビット"バーソロミューが、プロサーフィン界36年の生活に終止符を打つ。
http://www.aspjapantour.com/2009/news/wct/36.php