090701miyakeyu

 

三宅裕子 「都会について」

 

 

1.     はじめに

 

おおまかに都会とは便利、人が沢山いる、人と人との繋がりが薄いとよく聞く。

そして又、都市とは人間の精神の最高の創造物であり、都市は、人間とその活動の集合体であると定義されている。又、都市は私が地方に住もうと常に影響を与える存在である。しかし私が都市にすんでいたならば地方を意識する機会がない、また特に意識しようとも思わなかった。このことから都会とは何なのかを学術的に学びたいと考え今回のテーマを選んだ。

 

 

2.都市の理解

 


現在の都市を理解するということは、都市が明らかな矛盾に満ちている事を理解しなくてはならない。またここでは都市とは東京(池袋〜品川)を指す。都市はよい面、悪い面、裕福と貧困、連帯と孤立が共存している。つまりポジティブ要素とネガティブ要素をもっているのである。したがって、都市生活とはその人その人によって感じ方大きく異なる。熱く、冷たく、生温く、激しくといったように。例えば、生まれてきた所が都市で小中高大勤め先がずっと都市の人の場合と、大学進学時に上京してそのままずっと都市に永住する人とでは考え方やライフスタイル、感じ方まで全く異なる。また都市とは批判されやすく、否定的に考えられる。都市における道徳の乱れなどといった言葉はよく耳にすることである。否定的に挙げられる例として、地方空港で安全な着陸が何百回となくあっても、全く注意を払わないのだが飛行機が一度でも墜落すると強い興味を示すように、都市では何か良いことがあってもめったにニュースにならないが、何か悪いことが少しでも起こると常にニュースになるのである。私たちは感じが良く少なくとも行動の予想のつくような何千人という人々にはほとんど注目しないが不愉快で一風変わった人と出会うとよく覚えていたり、大げさに言ったりする。都市においては単純に人口や相互作用の量を考えただけでも、小さな町よりも否定的な出会いの絶対数が多く成ることは確実である。そして否定的な出来事は目立つので、こうした印象は強く、そして長く残りがちである。

また都市において私たちが当たり前だと思っているサービスや快適さ、教育の機会、社交の機会、文化的な出会いや、あるいは都市が提供してくれる行政サービスで際もそれらを失うまで殆んどありがたみを感じる機会はない。また映画館が1つか2つしかない町に引っ越して初めて都市には50個近くもの映画館があることに感謝する。[1]


 

 

3.リチャード・ビセルとルイス・ラパプハムの対立した意見


 

そして都会を否定的に考える人はかなり多いとおもうが、都市にも弁護者がいる。リチャード・ビセルは「例えどんなに小鳥がさえずっていても、田舎のけばけばしい日の出よりも、大きく汚い都市の方が良い。都市の中ではあなたは困惑するだろうが、どうじにまた何かがなくて寂しいという思いをしないですむ。」といっている。またルイス・ラパプハムは「都市の自由は精神の自由であり、表現の自由である。この自由は非常に貴重である為に、大都市に住む人々は、それを得るために極めて大きな代償を払っている。やぼな意見を述べる人が、まぎれもない害悪だと決め付ける汚れた空気、騒音、密集したアート、汚さ、腐敗した政治そして犯罪といった事柄は都市の住人が自由の代償とみなすものである。不潔で汚らしく、そして危険というのは、都市の本質であるが精神の自由によって都市の住人はそういた状態を無視したり、軽視したりすることが可能になる。」といっている。[2]


 

 

4.都市の比較

 

また都市といっても東京だけではない。{埼玉(大宮)神奈川(横浜)、大阪も上げられる。

ここではこれらのことを地方都市と呼ぶことにする。}ここでは都市の比較を行う。

ネガティブな意見の多い都市だが、地方都市はどうだろうか。例えば横浜だと中華街が存在し海辺であり、都市と違ってそこまでがやがやしていない良いイメージがある。またくじ引きの一等が横浜34日といったようにしばしば賛美の対象にも値する事もある。ここでの問題点として、ある都市と別の都市を比べどっちが優れているということを示すのは何かという事である。

 

 

5.都市の特性

 

つぎに文献の資料から抽出した事柄をみていく。都市とは一般的に市民にとってどういったものかをアンケートしたものである。ここでの注意点として、直接インタビューしてきくということを行ったと書かれている。そしてそこから分かった事は、人は都市を客観的に見るということはなく、自分自身との繋がりから都市を見る傾向が高いことが明らかになった。そのことが例えステレオタイプであったり、歪んでいるものであったり、また、事実であっても都市とは人と日常生活の中での相互作用で構築されているものだ。だから、よりリアルに都市を認知できると考える。質問内容は以下である。

 

「一人の火星人が着陸して、あなたの住んでいるところを尋ねた所、あなたは「大都市です。」と答えたと思ってください。しかしその火星人が言うには、「われわれの言語にはそのような単語はない。それがどんなものであるかを私にわかるように最も重要な事柄を10個以上話してください。」

である。そこから同義語、重複、特異語をすべて除いたところ、様々な回答がえられた。

 

大都市の属性(一致率75%以上)

〜市民全体の特徴〜

色々な人が混在している。密集している。混雑している。地元以外の出身者が多い。大きい

〜雰囲気〜

競争的である。娯楽が多い。活動性が高い。友人選択の幅が多い。文化の趣がある。ペースが速い。匿名性のある。孤立感を強める。幅広い活動に従事できる。現代的である。個人的なつながりのない。混乱の感覚を助長する。ライフスタイルの選択の自由がある。

〜人々〜

他人を信じない。興味深い。よく孤独になる。他人のことに干渉しない。習慣に縛られない。

 

小さな町の属性

〜市民全体の特徴〜

特に記述なし

 

〜雰囲気〜

平和である。古くからの流儀が尊重されている。安全である。きちんと整理されている。健康的である。田舎風である。固く結ばれている。気分の休まる。親密感がある。古風な趣がある。故郷の感覚がある。

 

〜人々〜

誠実である。感傷的である。友好的である。法律に従う。騒がしい。おしゃべりが多い。よそ者をきらう。身心深い。偏見をもっている。親切である。

 

この結果が意味することは都市と小さな町の違いは単一の次元では適切に捉えられないということである。この研究の対象者は大都市の生活条件や、ある程度のなりゆきは分かっているが、住んでいる人々にとっては、同じ事が言えないということである。都市は多種多様であり、そこに住む人も様々である。

たとえば出会いとは都市でも地方でもある。しかし出会い方にもシチュエーションというものが存在する。ある特定の二人がどのような場所でであったかによって、どう人間関係を構築するかが変わってくると私は考える。バイト先か、塾か、学校の授業か、エレベーターの中か・・そのみしらぬ二人が他人であり続けるか、親友になるかは、2人がであう場面の特有な社会風土が大きく関係し、また性格も大きく関わっている。と私は考える。

 

 

6.考察

 

都市は地方と比べ絶対的に人と接する機会は多い。しかしそこから自分と合う、仲間を作るときはよく見て判断することが必要とされると私は考える。そして地方は地方の都会は都会の楽しみ方がある。田舎が嫌だ。都会が嫌だ。という観点を置き、必要に応じて自分なりに両方を上手く利用して生活していかなければ、今後のより現代化された世界で、生活することが、困難になっていくと考えられる。

 

 

 

 



[1]  都市社会学

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%83%BD%E5%B8%82%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6/

 

[2] 地域社会学http://www3.u-toyama.ac.jp/takayama/class/2004/sociology_of_community/20040611lecture.htm

 

参考文献

 

都市生活の心理学 監督者 藤原武弘 1994210