080702yokanakamuray
中村祐司「北京五輪大会をめぐるボランタリズムの新しい潮流―四川大地震との連結性―」
1.なぜ今、中国のボランティア活動に注目するのか
間近に迫った北京オリンピック大会(オリンピックは2008年8月8日から24日まで。パラリンピックは9月6日から17日まで)を成功させるための不可欠な要素として、ボランティア活動による運営サポートが挙げられる。1984年のロサンゼルス大会を契機とした五輪運営の市場主義・商業主義の拡大は北京大会にも引き継がれている。そして、政府直営型の大会運営の払拭は、企業のみならずボランタリーセクターの参入を必然とするものになった。
良くも悪くも五輪大会そのものが、政府、企業、団体、ボランティアといった多元的な諸アクターによって担われるようになったのである。北京大会に関わるボランタリーセクターの特徴は何であろうか。
昨夏に北京を訪れた際に、日本の政府開発援助機関(北京事務所)に勤務する中国人スタッフが、中国では政府機関がボランティアの招集に苦労することは一切なく、いったん募集すれば定員数を大幅に上回る希望者がすぐに集まるので全く心配していないと述べていた。その言葉通り、北京大会に関連するボランティアの希望者数は非常に多いと報道されている。
確かに、ボランティアは中国政府の統治の一手段として動員されているに過ぎないという見方もできる。政府が関係団体を通じて人々に招集をかける指令・動員型ないしはトップダウン型のスタイルが定着しているという見方である。ボランティアの意味するところはそもそも草の根の自発的な行動にあり、ボトムアップ型がその生命線であると捉えるならば、北京五輪ボランティアはボランティアの名に値しないことになる。
しかし、北京五輪と四川大地震との連動が、中国のボランティア概念を上位下達のベクトルから下意上達のベクトルに変えつつある。以下、北京ボランティアに関する最近の新聞報道から、今回の大震災との関連でボランティア活動の考え方や具体例を抽出・把握し、この検討作業から何が見えてくるかを指摘したい。
2.五輪ボランティア活動の概観
中国では北京五輪の開催が決定した01年まで、ボランティアの名称が決定しておらず、「義工」「志願労働者」と呼ばれ、相手への「施し」と捉える傾向が強かった(その後「志願者」という呼称で定着化)。政治運動化への警戒・制限ゆえに草の根のような組織は少ないという指摘もある。こうした中、北京五輪とバラリンピックの10万人のボランティア需要に応募者112万人が殺到した[1]。
例えばパラリンピック(150以上の国・地域から約4、000人の選手が参加。20競技・472種目の実施)開催との関連で、北京市内や郊外の観光地において交通機関、公共施設などのバリアフリー化が進められている。そして障害者や高齢者、ボランティアら約5、000人の「バリアフリー監督官」が市内状況を毎月1回視察することとなっている。先述の五輪ボランティア応募者の8割がパラリンピックも希望している。「北京市障害者スポーツ・職業技能訓練センター」では「平日100〜200人、週末は約90人が競技知識や障害者への接し方を学んでいる」という報道もある[2]。
3.ボランティア活動を媒介とした四川大地震と北京五輪の連結
5月12日に発生した四川大地震に対する義援活動は北京市内でも活発で、北京市衛生局によれば、大地震翌日の13日には市内だけで「200ml容器で5,300本分」の献血が集まった。その後も順番待ちの列ができる状態(5月29日現在)が続いた。北京五輪組織委員会でも募金を開始し、著名選手による寄付が相次いだ。聖火リレーの参加者からの募金も続いた。まさに「被災地支援」と「五輪成功」の連結・連動が見られたのである[3]。
北京五輪や被災地でのボランティアをたたえる映像を、現地のテレビが盛んに流す中、「主体的な市民活動」が展開されているのも事実である[4]。こうした動きについては、「開放的で自信を持ち、草の根運動も芽生える希望の中国を見た」(ニューヨーク・タイムズ紙の元北京支局長クリストフ紙)という評価がなされている。無数の市民がボランティアとして救援に駆けつけ、膨大な民間寄付が集まったことに欧米メディアは驚き、「慈善団体や非政府組織が禁じられ、(市民が助け合うのでなく)政府だけが国民の面倒を見るとされたこの国で、市民活動は前例がない」(ワシントン・ポスト紙)と見なされた[5]。
さらに、四川大地震で見られた国民の反応を、自発的に公民の義務と権利を行使し国家を支えようとする「公民意識」の目覚めだとする論評もある[6]。
4.拡大するボランティア活動の担い手
募金活動の吸引力は人間だけではない。北京動物園では被災地の四川省から貸し出された「五輪応援パンダ8頭」(なお、計画は震災前からあった)に対する募金(四川省内のパンダ保護研究施設再建のための募金)が6月5日から開始された(7月4日までの予定)[7]。
ボランティアの担い手には日本人もいる。「北京オリンピック・パラリンピックを応援する中国在留日本人の会」が発足した。「北京日本人会」(約2,000人)、「中国日本商会」(北京に事務所のある日本企業で、約700社)、「北京日本人学校」「日本大使館」といった対象団体から参加者を募る。北京市内には約1万2,000人の日本人が在住している。マラソン開催日には「最もきつい所で勇気を与えたい」と36`地点に集合するなどの活動を計画している。
また、1998年の冬季長野大会から始まった参加各国・地域を学校ごとに応援する「一校一国運動」では、北京市内で日本を担当する「花家地実験小学校」との連携・交流を図る動きがある。さらに四川大地震後、北京日本人会と中国日本商会では合同で義援金を募った。「五輪実行委員長」に就いた日本人会副会長は、自ら経営する「会社でも5dトラック1台を被災地域への援助用に無償提供、テントや乳児用のミルクなどの物資輸送に使われている」と報じられた[8]。
5.北京五輪ボランティアを「共生論」構築の契機に
以上のように、四川大地震以後の北京五輪をめぐるボランティア活動の状況について、新聞報道からの把握を試みた。確かに断片的な実際の活動事例を単に抽出したに過ぎないかもしれない。また、恣意的にポジティブな側面のみに注目して、これに合致する具体例を取り上げたことも否定できない。さらに今回のボランティア活動の「盛り上がり」そのものが、政府の北京五輪「盛り上がり」誘導戦略の一時的成果に過ぎないという批判もあろう。
しかし、四川大地震と北京五輪大会とがまさに連結・連動あるいは相互共鳴し、従来の中国の「施し」には見られなかった新しい潮流としての「主体的な市民活動」が顕在化しつつあることも事実である。
これこそ中国におけるボランティア活動の新しい可能性を示唆しているのではないだろうか。草の根型ボランタリズムともいうべきうねりが、大会期間中はもちろん、その前後さらには将来にわたってダイナミックに展開される原動力を北京五輪は提供するのではないだろうか。
五輪終了後には、世界人口の22%(13億人)を占める巨大国家特有のダイナミズムによって、地球社会におけるボランティア・イメージすら変わるかもしれない。だからこそ、私たちは激動する中国の行く末を「脅威論」ではなく、「共生論」で捉える必要があるのではないだろうか。
[1] 2008年5月30日付産経新聞「奧運専欄 根付き始めた『志願者』」。
[2] 2008年6月6日付毎日新聞「9月開催パラリンピック 観光地もバリアフリー」。
[3] 2008年5月30日付毎日新聞「週刊 北京五輪 『大会成功』と連動 四川大地震 広がる支援」。
[4] 2008年6月12日付毎日新聞「中国四川大地震 識者に聞く 集落復興の手法 学び合える」。
[5] 2008年6月22日付下野新聞(共同通信記事)「五輪の風 世界が見る中国6 四川大地震で透明性 米メディアの好感度アップ」。
[6] 2008年6月19日付産経新聞「五輪の中国 第4部四川衝撃 問われる『愛国』の中身」。
[7] 2008年6月13日付毎日新聞「人呼ぶ被災地パンダ 北京動物園に8頭 保護区復興の募金も」。
[8] 2008年5月23日付毎日新聞「週刊 北京五輪 在留日本人も 熱き応援」。