080702sakayoris

 

坂寄静香「日本人のブランド志向―ヨーロッパにおけるブランドとの比較から見るその問題点―」

 

1.はじめに

 

テレビの報道や自分自身の周りを見ていてよく感じるのは、「日本人はブランド好きである」ということである。街を歩いていてもいわゆる「ブランド物」のバッグや財布を持つ女性をよく目にする。また、最近では大人だけでなく中高生の間においてもブランド志向は浸透してきているようである。なぜここまで日本人はブランド物が好きなのか、このような状況は日本においてのみのことなのかに興味を持ったため、日本におけるブランドの現状、日本人のブランド好きの理由、海外での状況、その問題点などについて考えていきたいと思う。

 

「ブランド」というと、無印良品などの「日用品ブランド」、ルイ・ヴィトンなどの「高級ファッションブランド」、トヨタなどの「自動車ブランド」、ソニーなどに代表される「電子機器ブランド」など、種類は実に様々である。その中でも、このレポートでは「高級ファッションブランド」に焦点を当てて、日本人のブランド志向について考えていきたいと思う。

 

 

2.日本人のブランド好き

 

 上でも述べたように、ブランドと一口に言っても低価格なものから高級なものまで、その範囲は広い。しかし日本人がブランドと聞いてまず想像するのは、おそらくルイ・ヴィトンやエルメスなどの高級ファッションブランド、いわゆるラグジュアリーブランドのことだろう。バブル崩壊後の不況がいまだに続き、人々が消費を抑える中、それらラグジュアリーブランドは常に売れ続けている。今ではバッグひとつなら100円ショップでも買えるようになったにもかかわらず、高級ブランドのバッグを手に入れるために何十万円も何百万円も払う人もいるのである。せっかく海外旅行に行っても、その目的は世界遺産でもなく観光名所でもなく、高級ブランドショップで買い物をすることだという人も少なくない。そして最近では中高生の間でさえもブランド物の財布を持つのが当たり前というような時代なのである。

 

 

3.なぜ日本人はこれほどブランドが好きなのか

 

 単にブランド品は物がいいから買うのだろうか。それともブランド品を買うことに、何か別の意味があるのだろうか。第2章で述べたような状況を見ていると、日本人にとってブランド物を買うことは、単に「生活に必要なものを買うこと」、「質のいい品を買うこと」以上の、何か重要な意味を持っているように思われる。

 

まず挙げられるのは、日本人の多くは自分自身の価値観が確立されていないということだろう[1]。自分の中で、何が価値のあるものなのか、重要なのかがはっきりとしていないため、すでに多くの人々に価値が認められているブランド品を身につけて満足するのである。また日本人の集団主義も、そのブランド好きに大きく関わっていると言えるだろう。集団主義を持つ日本人は、所属する集団から外れないこと、他人と同じであることに安心感を覚える。みなが持っているブランド品を自分も持つことで、その安心感を得ようとしているのではないだろうか。また集団の中のメンバーにどう思われるか気にするため、ブランド品で自分自身の価値を高め、自分をよく見せようとするのである。

 

 

4.欧米における「ブランド品」との違い

 

 これまでは日本人がブランド好きであることを述べてきた。では、海外でブランドはどのようなものと捉えられているのだろうか。

 

欧米においてブランド品というのは、高価だけれども長持ちがするということを特徴にしていて、そのかわり、ブランド品を毎年買うとか、あるいはシーズンごとに買うなどということはなく、たとえお金のある人たちにとっても、ブランド品は、2年に一度や3年に一度買うというものである。もっと極端な場合には、ブランド品のいいものを買って、10年、15年にわたって持ち続ける。それでもなおかつしっかりしていて形も崩れないバッグなら、それを娘にも譲り渡して使い続けるというような、そんなものがブランド品と呼ばれているものである[2]。もちろん日本でも、質の良さからブランド品を買い、長い間使い続ける人もいるだろう。しかし日本では、シーズンごとに新しく発売されたデザインのブランド品を買うことは珍しくなく、それらは自分の価値を高め、他人に見てもらうことによって自分に自信を与えてくれるもの、自分を安心させてくれるものという役割が大きい。

 

またニューヨークのある有名高級ブランド店は、たとえ大金持ちでも予約がなければとても入れないという。入り口にはガードマンが立っていて、客が来るとその都度予約の有無をチェックして、それから中に入れてくれるというような、非常に厳しい警備らなされている。それに対して、その高級ブランドの日本の店舗となると、誰でも入っていけるような場所になってしまう。予約が必要ないことはもちろん、10代や20代のごく普通の女の子も当たり前のように店の中に入っていく。予約は必要ないにしても、軽々しい気持ちで入って行けない格の高さを売りにしている高級ブランドショップに、格安パック旅行でブランド品を大量に買うことを目的とした日本人が、集団でぞろぞろと店内に入り、デリケートな革製品を素手でべたべたと触る。そんな光景は珍しいものではなく、高級ブランドショップの中には「日本人はできるだけ御遠慮したい」というところもあるようである[3]

 

 このように、たとえ同じブランド品であっても、日本と海外では人々による捉えられ方にかなりの差があるようである。

 

 

5.日本人のブランド志向の問題点

 この日本人のブランド好きは、ブランド自体にとっても、経済にとってもうれしい状況といえるかもしれない。しかしそこにはいくつかの問題点が存在する。

 

 欧米において「ブランド品」というものは、その質のよい品を持つにふさわしい人が持つものであり、もしそれを持ちたいなら、まずは自分の内面を磨き上げなければならないという考え方がある[4]。しかし日本においては、自分の内面やその他に身に着けるもsのとの組み合わせなどお構いなしに、未熟な子供が当たり前のようにブランド物をもち、バーゲンで買ったような洋服を着てヴィトンのバッグを持つ光景も珍しくない。全体の「バランス」というものが欧米では重視されるのに対して、日本人の格好はどうしても「チグハグ」な印象が強い。また前章で、欧米では1つのブランド品を長く使い続け、娘の代まで使い続けることがあると述べたが、日本人はブランド品を質に入れたりリサイクルショップに持っていったりする。彼らはそこで手に入れたお金を新しいデザインのブランド品を買う資金にするのである。そして「ブランド品」というものは、そのデザインや質の良さ、品格を大切にしているものである。よって本来は「このデザインが気に入ったから」、「生地の質がいいから」という理由で買うべきものなのだが、日本人は、「みんなが持っている」=「欲しい」となっている場合が多い。多くの日本人は「ブランド」の持つ本来の価値を理解していないのである。

 

 また、この日本人のブランド志向が日本人の価値観自体に与える影響も大きいと思われる。ブランドを持つことが自分の価値を高めることになり、ブランドを持っていることが他人を評価する1つの基準になっているという現状がある。このことは、人をその持ち物で判断することを助長しているのではないだろうか。たとえ中身が空っぽでも、ブランド品さえ身につけていればよく見られる、せっかく内面が洗練されていても身に着けているものがセール品なら評価されない、ということはよくあるだろう。いわゆる「ブランド好きの日本人」の中には、ブランド品で身を固めることで安心してしまい、自分の内面を磨くことを忘れているのかもしれない。そんな中、洋服やバッグなど身に着けるもののブランド志向が、私たちの身体自体もブランド化させてしまっているように感じる。つまり、私たちの目、鼻、そしてスタイルなどのブランド化である。一般的に言われているのは、「目は大きいほうがいい」、「鼻は高いほうがいい」、「体型は細いほうがいい」などだろう。大きい目、高い鼻、細い体自体がブランドなのである。それによって人々は、他人の価値、優劣をその人の容姿で判断するようになっている。最近の美容整形の増加の原因の一つがその身体のブランド化であろう。美容整形自体が良いのか悪いのかは別として、人にどう思われるかを気にしすぎて、自分の見た目を根本から変えてしまうというのは決して喜ばしいことではない。

 

6.おわりに

 日本人のブランド好きは、多くの商品を買ってもらえるという点で高級ブランドショップ側にとってうれしいことかもしれない。しかし格式高さを売りにしている彼らにとっては、日本人はその格を引き下げてしまう存在でもあるかもしれない。そんなジレンマをかかえている彼らは今後も日本人のブランド好きを受け入れていくのだろうか、それとも自分達の格を守るために、ブランド品を買いあさる日本人御一行さまをご遠慮するのだろうか。

 

 日本人のブランド志向を見ていくことによって、日本人の特徴そして内面の軽視という問題点を見ることができた。この問題は日本人という国民の性質が大きく関わっており、それをど解決するのは簡単なことではないと思う。しかし、一人ひとりがブランド品の役割をもう一度考え直すこと、自分の価値観をしっかり持とうとすること、そしてメディアなどが人々に凝り固まったイメージを植え付けないように気をつけることなどがあげられるのではないだろうか。

 

 

 



[1] バーネット洋子『ブランド品を持っていい人、悪い人』中央公論新社、2005

[2] マークス寿子『自信のない女がブランド物を持ち歩く』草思社、2002

[3] 脚注3と同書

[4] 脚注1と同書