余暇政策論レポート
国際学部国際社会学科 2年
070106Y
伊澤 美里
「LIVEと余暇政策」
余暇とは、“人が自分を取り戻し、また活発に仕事や家庭での雑事に立ち向かうための活力を養うためのもの”である。そこで、私が余暇について考えた時、自分の使える自由な時間に、私は何をして楽しみたいのだろうかと考えた。そして、私が考えた私なりの余暇がLIVEである。私は、今まで多くのアーティストのLIVEには行き、その度、本当に素晴らしい掛け替えのない時間を過ごした。LIVEに行くと、「明日からまた頑張ろう」という気持ちになり、元気が出る。音楽は身体で聞くもので、あのLIVE独特の臨場感は、実際に行ったことのある人だけが分かるものだと私は思う。生で受ける音楽のパワーに震えが起き、会場にいる全員の気持ちが一つになるのだ。あの感動を一度知ってしまったらもう止めることは出来ない。そして、LIVEに行った経験のない人は人生損している。CDプレイヤーのスピーカーを通して音楽を聞くのではなく、実際に自分の好きなアーティストを前にして、多くの人が集まった場所で生の音楽に浸ることでしか得られないパワーがLIVEにはあるのだ。例えそのパワーが私達の目に見えないものでも、LIVEで得たパワーは生活をする上で私達の活力になっていることは間違いない。また、LIVEには色々な楽しみ方がある。LIVE会場で知り合って新しい友だちが増えたり、一つの会場で皆と一緒に騒いだり、同じ趣味を持つ人達に囲まれることで私達の中で相乗効果も生まれる。LIVE会場で出会った人と、次違う場所で会うことで、それが自身の新たな余暇にも繋がる。LIVEは音楽を楽しむだけではなく、人と人を音楽で繋げて、そこから人と人の和を無限に広げてくれるのだ。
私達の生活を考えると、そこには何をしていても音楽が密接に関係している。音楽は、どんなシュチュエーションでも順応し、私達の感情を盛り上げてくれる。音楽の力は無限だ。音楽がない世の中を想像出来るだろうか。私達の周りから音楽が消える、そんな世の中は存在しない。ポップ・クラッシック・R&B・ロック・ジャズ・HIPHOP・パンク・ラテン等々、音楽には様々な種類がある。人によって好みは異なるが、一つの曲を聞いたとき、ふっと思い出す風景が私達にはそれぞれあるはずだ。悲しいとき、辛いとき、そのときの自分にあった曲を聞くと自然と涙が溢れてくる。楽しいとき、嬉しいとき、明るい曲を聞くと気分は上がる。また、落ち込んでいるときや励まされたいときには応援歌を聞くと頑張ろうという気になる。音楽とは、私達の生活の一部であり、また音による芸術である。楽器を鳴らせば音が出て、私達が口を開けば歌が生まれる。しかし、音楽は形あるものではなく、その存在はとても儚くもあり、とても強い力を持つものでもある。耳を塞いで生活してみると、音の重要さが身にしみて分かるだろう。生活をする上で出ている音と、ポップミュージックなどといった音、重要性はことなるが、どちらにしても私達から音楽を消すことは出来ない。
音楽は、音楽療法など科学的にも私達人間に与える強い力として認められている。音は、目で見えない。しかし、実は目に見えない振動で音楽は我々に触れているのだ。このため、音楽を聞いたとき、あの感動は起きる。LIVEとはその振動を直接受けるため、CDプレイヤーのスピーカーを通して聞いたときと伝わり方が違うのである。
音楽療法とは、音楽の力によって色々な病気を改善させ、治療する方法のことで、多くの医療施設で取り入れられるようになった。このような音楽療法は、古代ギリシャ時代から存在し、音楽が人の精神の乱れを癒すことも出来ると言われている。しかし、化学の進んだ現代において、音楽が医学的な作用を持つことは実際に証明され、健康に悩める現代人にとって大きな救世主とも成り得る。音楽療法ということにこだわらずに考えると、もともと音楽そのものは、古来から人間が生活の中でいろいろ使い分けていたという経緯がある。古代人は音楽を「魂の薬」とし、また「不思議な力を持つメディア」とも捉えていた。音楽療法は、すでに古代から始められていたのだ。音楽療法の専門家が職業として行う音楽療法の形態は、1940〜50年代にアメリカで行われた精神病院への慰問活動が始まりで、次いで戦争による負傷者への音楽活動から音楽療法として位置づけ固まった。アメリカでは早くから音楽療法が社会的に認知され、今では多くの音楽療法士が医療・福祉機関で活躍している。日本では、精神病院において早くから取り入れられていたが、非常に地味なもので、現在ほど注目は浴びていなかった。昭和50年代になってさまざまな医療機関や福祉施設、教育機関(特殊教育)での実践が盛んになり、事例報告等が積極的に行われるようになってきた。また、健康ブームにあやかって世間でも音楽療法に注目するようになり、関心が高まってきた。
アメリカでのローバッカー博士による心身の機能回復の実例報告を見てみる。ある自閉症の子供が学校の教室から教室へと移動したり、クラスでの行動内容が変わるときに適応できなかった。音楽療法プログラムが計画され、彼女の独特の問題行動に焦点を当てた叙情詩の使用や、廊下や教室での規則を教えるために彼女のためのいろいろな歌が作られた。また、勉強がうまくいくとご褒美の意味で彼女の好きな音楽活動を取り入れた。結果的に、自分や同級生を悩ませる学習の妨害になるような行為がなくなり、今では学校できちんと勉強をしているという。
また、ある腹部手術を受けた患者が痛みを訴えていた。痛み止めの薬を打っても改善されなかった。そこで音楽療法が痛みを緩和するかどうか試された。音楽療法士が患者の好きな歌を歌って聞かせると、約5分で患者は楽になった。そして、患者もセラピストと一緒に歌ったり、リズムを楽器で演奏し始めた。音楽の効果は続き、患者は痛みから解放された。患者が落ち着く音楽が演奏されると患者は眠りに落ちた。たった25分の出来事であったという。
さらには、ある高齢の女性が脳卒中で倒れ言語を失った。週2回6ヶ月にわたり音楽療法が行われ、彼女の言語機能は回復した。家族や他のスタッフも彼女と会話が出来るようになり、彼女からの手出すけの求めに応じられるようになった。発語に関わる運動筋肉をタイミング良く調節するのにリズムが使用され、メロディが実際の言葉を構築するために使われたのである。
生の音楽に触れる。それがLIVEである。音の振動を直接受けることで、私達は感動し、癒され、そして、元気づけられる。音楽療法として実際に検証され、結果がでているように、LIVEは一種の音楽療法であると私は考える。毎日生活する上で生まれるストレスや傷。そんな痛みを音楽は和らげてくれるのだ。テレビの音楽番組で聞く音楽、CDプレイヤーから聞く音楽。どれも音楽であることに代わりはない。また、どれも音の振動を私達に届けている。しかし、やはりLIVEで聞く音楽。これは特別な意味を持っている。一つの空間に、演奏する人・歌を歌う人・ステージを作る人・同じ音楽を愛する人が集まる。皆それぞれ、今まで生きてきた経歴は違っても、音楽を通してLIVEで初めてお互いの人生が交わる。これかれ先、二度と同じ空間で過ごすことはなくても、そのLIVEをしているときは同じ空間で同じ音楽を堪能し、同じものを見て、感動を共有している。むしろ、感動を生み出している。
しかし、LIVEはただの音楽療法という次元ではない。そこに人の力が組み合わさることでさらなるパワーが生まれるのだ。自身の余暇政策を考えたとき、LIVEが一番余暇の過ごし方として最適だと私は考え、そして皆に勧めたいと思った。面倒くさい、チケットの取り方が分からない、人混みが苦手だから、などといった理由でLIVEを諦めるのは実にもったいないことである。LIVEでは、人が集まり一つになることの素晴らしさを再認識させられ、音楽のパワーを肌でひしひしと感じることができる。余った自由に使える時間を、LIVEという音楽の場に充ててみてはいかがだろうか。音楽に真剣に触れ、そして向きあうことで、私達の新たな道は開かれると私は考える。
参考文献URL
徳島文理大学 音楽部 実例報告
http://wwwt.bunri-u.ac.jp/ongaku/therapy/report.html
聖徳大学 音楽部
http://www.seitoku.ac.jp/daigaku/music/mt.html
自然音楽療法センター
http://www.lyla.co.jp/yamanami-syosai/nature-song/h1course.html
Music Therapy
http://www.geocities.com/yukakasuya/AboutMT.htm
日本音楽療法学会