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2002FIFAワールドカップにおける誤審問題

 

国際学部国際文化学科2年 070503Z 安納枝理

 

1.     はじめに

現在、世界各地で2010年南アフリカワールドカップの予選が行われている。ワールドカップがアフリカ大陸で開催されるのは初めてであるが、2002年に行われたワールドカップも、アジアで初めて行われたワールドカップとして有名である。しかもその開催国は、日本と韓国での共同開催という異例の形だったため、注目を集めた。

私は2002年の日本と韓国で共同開催されたワールドカップをきっかけにサッカーに興味をもったため、この大会には深い思い入れがある。そして、日韓の歴史から見ても、この大会は画期的なものであったと言える。そのため、私は6年前に遡り、この大会について調べることにした。

しかし、ひとえにワールドカップと言っても範囲が広すぎるので、この大会を行った上で大きな物議をかもした、誤審問題について、この大会を参考にしながら述べていきたいと思う。

 

2.     2002W杯での誤審問題

 次に、大会中に大きな問題となった、誤審問題について述べていきたい。

まず大会中に起こった主な誤審問題は大きく言って3つある。

韓国vs.ポルトガル戦における、ポルトガル代表へのカードの乱発。次に韓国vs.イタリア戦におけるイタリア代表へのカードの多発・韓国代表選手の明らかなラフプレーを無視。そして韓国vs.スペイン戦における、取り消されたスペインの2ゴールである[1]。すべて韓国戦であるというのが驚きだが、開催国である韓国に対して明らかに意図的なジャッジが行われたと、FIFAには抗議のメールが40万通以上も寄せられ、通信に障害をきたしたとまで伝えられた。

また、各国でもこの問題は大きく取り上げられていた。

 

3.     誤審の種類と周囲に与える影響

 誤審には、二つの種類があると考えることができる。@純粋なミスジャッジ、A不公平なミスジャッジだ。それらの誤審が生まれる原因としては、まず審判本人の問題である。いくら国際的な審判だと、経験を積んでいても、個人という存在であるから、「審判の質」、つまり審判としての完成度は人によって違うし、その基準も曖昧である。

そして、死角である。プレイ中は攻守の入れ替えが激しく、移動やパスワークも多い。審判も選手と同じピッチに立ち、同じ目線でボールを追うが、目まぐるしい試合展開の中で、死角が生じるのは必然的なことと言える。

 

 また、原因にはまだ考えるべき要素がある。それは、選手のプレイ内容や観客の反応・試合会場の雰囲気(ホーム・アウェイ等)である。これは審判個人の問題ではなく、審判と取り巻く周囲の環境である。特に試合会場の雰囲気について考えてみるが、たとえば日本がホームの試合だと、観客はおそらく80%以上が日本を応援する側につく。つまり、日本側に劣性なジャッジをすると、ブーイングの嵐が起こる。このような会場の雰囲気に、審判が左右されないとは言い切れないのである。特に微妙な判定をしなければいけないときはなおさらであろう。

 

 そして、誤審が人々に与える影響も大きい。選手に対しては、韓国vs.スペイン戦で起きたミスジャッジが印象にのこる。2002623日の共同通信では、誤審の犠牲となったスペインの選手についてこのようなことが書かれている。

メディアは、疑惑の判定の犠牲者となった選手の声も伝えた。主将でこのワールドカップを最後に代表引退する34歳のイエロは「ワールドカップを4度経験したが、これほど悔しい思いは初めて」と語った。PKを外した20歳の新鋭、ホアキンは「ゴールキックになった僕のプレイは、審判の明らかなミス。あのショックが頭にこびりついたままで、あこがれていたワールドカップに幻滅した」と涙ぐんだ。  
準決勝が25日から始まる。イエロの「力を出し尽くしている選手を悲しませないでほしい」という言葉が痛切だ。[2]

このように、選手に深い傷を与えてしまう。またこの判定が原因となり、FIFA審判委員長が辞任するという騒動も起こった。そして、観客たちも、審判への不信感から始まり、激しいブーイング、果てにはピッチに物が投げ込まれる・発煙筒を焚かれる等、乱暴な行動に出ることも少なくはない。

 

4.     誤審への対応と予防策

 前述のような悲劇を起こさないためにも、誤審への対応や予防策が重要となる。まず誤審への対応だが、4つ提案したい。まず1つめは、主審・副審等を廃止し、優劣を持たない複数の視点からのジャッジを行うということである。現在のシステムでは、副審と主審のジャッジが違った場合、主審のジャッジが優先される。しかし、死角や視点の問題から、プレイに一番近い審判に決定権をもたせるべきである。

 次に、試合後の誤審発表ではなく、即時にジャッジの訂正が行える環境を作ることである。疑問を持つようなジャッジが発生してしまった場合、すぐさま映像等で確認し、訂正を行うことが誤審を少なくする近道であると考える。

 次に、審判の決定は絶対とされる中で、「ジャッジ=覆らないもの」ではなく、「正しいジャッジ=覆すことができる」という認識に変えていくことだ。

 最後に、もし誤審が試合後に発覚した場合は、再試合またはその結果を取り消すことを徹底させることである。ミスをそのままにしていたのでは、ミスのままである。試合をやり直すことになったとしても、より正しいジャッジを追及していかなければならないと私は考える。

 

 具体的な誤審防止策としては、@審判の研修、育成システムの徹底と誤審の事例を挙げた分析を実施すること、A公平なジャッジを可能にすべく、安全を確保できる環境の提示をすることの二つを提案することができる。

私はスポーツの試合で誤審が起こってしまう原因は、まず経験であると主張したが、実際に審判としてピッチに立つまでにも、徹底した研修と育成システムは非常に重要なものだと考える。そのなかでも、実際に起きた誤審の分析を実施し、その問題が起こした周囲への影響を理解しなければならない。そして、サッカーはもはやただのスポーツではなく、政治や社会を巻き込むものと言える。自国が勝ったからと言って街中でパレードを行ったり、負けたからと暴動を起こす国も多い。やはりそれにもジャッジが大きく影響している。間違ったジャッジをしてしまったのならば、マナーの悪いサポーターのイライラの矛先が審判に向かうこともあるのではないだろうか。このようなことを防止するためにも、Aの対策が必要となるのである。

 

5.     まとめ

ここまで誤審について述べてきたが、では、誤審ははっきりと「悪」だと言えるのであろうか?いや、誤審は悪ではない。人間が判断する以上、ミスは必ずつきまとうものである。世界という大きな舞台に立つという点では、審判は選手となんら変わりはない。ならば、選手までとは言わないが、似たような緊張やプレッシャーは必ず抱えているものであろう。ただミスジャッジを行ったことで、周囲に与える影響が莫大なのである。だが、その誤った判断たったひとつで、選手、スタッフの人生を変えてしまう可能性もあれば、試合会場で大きなトラブルが起こり、犠牲者が出る可能性ももちろんある。

正しいジャッジを行うためには、よりきめ細やかな目が必要となってくる。また、「審判の判断は絶対であり、覆ることはない」という概念は、試合後の誤審発表につながり、被害者の受ける傷の大きさは計り知れない。それを未然に打ち消すには、前述の概念を変えていくしか策はない。それには、サッカー界全体での取り組みが必要となってくるのである。

 

 

 

 

 



[1] W杯でのカトリック勢と日本の問題』 2008630日参照 製作者:ヨゼフ高橋東

(http://home.att.ne.jp/wood/aztak/world_cup/sinpan.html)

[2] W杯でのカトリック勢と日本の問題』2008630日参照

 

 

参考文献

2002年韓国への旅 FIFAワールドカップTM開催10都市ガイド』大島裕史、20014月、日本放送出版協会

『ワールドカップの世紀 リアリズムとしてのサッカー』後藤健生、19965月、文藝春秋

『サッカー狂の社会学 ブラジルの社会とスポーツ』J.リーヴァー、亀山佳明・西山けい子訳、19967月、世界思想社