070627watanaber
「泣ける映画」ブームからみえる余暇のあり方 050566y渡邊里英
私は映画が好きで、よく映画館に映画を観に行くが、近年封切られる映画の宣伝ポスターやテレビCMの多くで、「日本中が泣いた感動作〜」あるいは「涙を流さずにはいられない〜」などといったキャッチコピーを目にする。このようなキャッチコピーがつくのは、集客効果が期待できるためであるということはまず間違いないだろう。インターネット上でも、「泣ける映画」を紹介するサイトや、「泣ける映画ランキング」など、たくさんの関連サイトが存在し、人々の、「泣ける映画」に対する関心の高さがうかがえる。「泣ける映画」と呼ばれるものの代表は主に恋愛小説などを映画化した、いわゆる純愛映画であると言えるが、そのブームを一気に加速させたのは、2004年に公開された映画『世界の中心で、愛を叫ぶ』である。この映画は若者を中心に大ヒットし、興行収入85億円、観客動員数620万人を記録、その年の実写版国内映画の第1位となった。[i]それまでの日本映画は、日本映画市場においても海外映画におされ気味であったが、2004年度は一気に盛り返し、日本映画のターニングポイントになったと言えるだろう。翌年の2005年も『電車男』などの純愛映画は快進撃を続け、さらに日本のドラマをリメイクした韓国映画、『私の頭の中の消しゴム』が日本での公開後4週連続で観客動員数1位を達成するなど、韓国映画においても純愛映画がヒットを飛ばした。[ii]その後も現在に至るまで数々の純愛映画=「泣ける映画」が公開され、人気を博している。ではなぜ人々は「泣ける映画」を観に行くのだろうか。なぜ映画を観て泣きたいのだろうか。このような疑問を解決するために、まずは「泣く」という人間の生理作用について調べてみた。
涙には「基礎分泌の涙」「反応分泌の涙」「感情の涙」の三つの種類がある。「基礎分泌」という体のしくみで出る涙は、眼球を濡らす働きをしている。眼球の表面は凹凸があるため、涙で表面を滑らかにしないと物をはっきりとみることができないのである。「反応分泌」による涙は、タマネギやゴミ、風などの刺激物から目を守っている。そして三つ目の感情によって出る涙は、さまざまなホルモンを含め、分泌によって出る涙より20〜25%もタンパク質を多く含んでおり、その成分に違いがある。[iii]1985年、ウィリアム・H・フレイ2世という人物が、この「感情の涙」に関する調査を行った。それによると、感情的な涙の原因の内訳は、女性の場合、悲しみが5割、喜びが2割、怒りが1割で、同情・心配・恐怖がこれに続く。また、女性の85%、男性の73%は、「泣いた後、気分が良くなる」と答えた。この結果から、フレイは涙に精神的なストレスを解消する働きがあるのではないかと考え、上記の成分の違いを発見した。このタンパク質の量の違いとストレス解消の直接的な因果関係は発見できなかったが、ストレスへの抵抗力強化に関わるホルモンが、涙の分泌を促す機能も持っているということを発見した。[iv]さらに、ストレスに反応して生成されるコルチゾールという物質が、涙によって体外に排出されるという事実も突き止めた。しかも、このストレス物質は「感情の涙」によってのみ排出される。すなわち、感情によって出る涙にしか、ストレス解消効果はないのである。また、人は泣くときに体が痙攣したように震えるが、このことは体のコリや緊張をほぐす効果がある。泣くことを我慢せず、思いっきり泣いたほうが体にとってもいいということである。[v]
科学的な立証は知らないにしても、現代人の多くは自らの経験から、泣いた後に気分がすっきりしたり、ストレスが解消されたりするということを知っているのではないかと思う。多くの人が「泣ける映画」を求めるのは、純粋に映画を楽しみたい、映画を観て感動したい、という気持ちのほかに、泣いてすっきりしたい、ストレスを解消したいという気持ちがあるからではないだろうか。「泣ける映画」と聞いて観に行ったのに泣けなくてがっかりした、というのはこのためだと思う。また、映画以外でも、書店に行けば「泣ける本」が平積みにされており人気を博している。「泣ける映画」を観ることと「泣ける本」を読むことは、泣いてストレスを解消するという点では同じ役割を果たしているが、そこには大きな違いがあるように思われる。それは「共有感」の違いである。本を読むという行為は自分一人で行うものだが、映画を観るという行為は、一緒に観にいった相手、さらには劇場にいるすべての人間と映画のストーリーを共有していることになる。どちらの行為においても、感動して涙を流した時点でストレスは解消されるかもしれないが、その感動を誰かと共有することでさらなる幸福感や満足感が得られるのではないだろうか。自分が感動した映画を誰かに勧めたりそのストーリーを話したくなったりするのは、感動を誰かと共有したいという気持ちからくるのかもしれない。
人が泣くときというのは、前述のフレイのアンケートにもあったように、悲しいとき、うれしいとき、悔しいときなどである。これらは個人の日常生活の中で起きる感情である。それに対して、映画を観て泣くというのは、そのストーリーに感動して泣くわけだから、個人的な出来事とは関連のない、いわば非日常的なことである。私は、泣く理由がないのに自らの余暇を使ってわざわざ映画館に泣きに行くことに対して不思議に思っていた。もちろんその映画に興味を持ち、観たいと思ったから映画を観るわけだが、そのうえでさらに「泣ける」ことを期待して映画を観に行くのはなぜだろうと思っていた。しかし、これは現代人がそれだけ日々の生活のなかで悩みやストレスを抱え、どう解消していったらいいか奔走しているという事実の裏返しなのかもしれない。自分の悩みやストレスを映画に託し、涙とともに流してすっきりできるのであれば、それも立派な映画の活用である。人によって余暇の役割やその使い方は違うが、「泣ける映画を観る」という観点から余暇を考えると、余暇とは自分をリセットする時間なのかもしれない。日々の生活の中で抱えた悩みやストレスから自分を解放して、気持ちを切り替え、また次の一週間を頑張れるよう充電する時間である。余暇を有効的に使い、また一週間頑張るぞ、という気持ちになるのと、もう休日が終わってしまった、明日からいやだな、という気持ちとでは、仕事や学校での成果も変わってくると思う。様々な余暇の過ごし方がある中で、自分に合った、有意義な過ごし方を見つけていくことが大切なのだと思う。
[i] http://www.eiren.org/toukei/2004.html(社団法人日本映画製作連盟)6月現在
[ii] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E3%81%AE%E9%A0%AD%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%B6%88%E3%81%97%E3%82%B4%E3%83%A0(ウィキピディア)6月現在
[iii] http://www.tbs.co.jp/catchat/friendpark/universe/que_cry.html(Cat Chat:Drユニバース:なぜ人間は泣くの?)6月現在
[iv] http://www.nagaitosiya.com/a/cry.html(永井俊哉ドットコム:人はなぜ泣くのか)6月現在
[v] http://www.nakoyo.com/weep0+index.htm(泣こうよ.com)6月現在