070627sakurair
櫻井留美「変わり行く旅行のあり方 ―“余暇=時間に追われない時間”という視点から―」
“余暇”という言葉を広辞苑で引いてみると、「自分の自由に使える、あまった時間」とある。私も広い意味では、その漢字からみてもわかるように、余暇とは余った時間のことだと思う。しかし、私の中で本当の意味での余暇とは、単に余った時間ではなく、“時間に追われない時間”のことである。
普段私たちは、誰かによって決められた時間の中で、決められた(「しなくてはならない事」という広い意味での)仕事をして生活している。例えば私の場合、授業やアルバイトといった仕事と、その仕事をするための決められた時間があるので、それに合わせて時計を気にしながら行動しなければならない。私は、多いときで1時間に5回以上時計を見ているのではないかと思う。
しかし、現代の日本社会には、私以上に1日中時計を気にしながら、忙しく過ごさざるをえない人々が多く、「時間に追われている」という感覚がますます広まってきているようだ。それがよく表れている興味深いアンケート結果がある。SEIKOが毎年、時の記念日の6月10日に行っている時間のイメージに関するアンケートの結果である。まず、2000年に行われたアンケートの「20世紀の時・時間のイメージを漢字一文字で表わして下さい」という質問に対してもっとも多かった回答は『忙』であり、その他上位には『速』『動』『流』『早』『過』といった、いずれもスピードや動きを表す漢字が挙がっている。それに対し、21世紀の時・時間のイメージを表す漢字で1位だったのが『楽』であり、その他に『悠』『裕』といった、ゆとりや余裕を感じさせる漢字や、『穏』『静』など心落ち着く平穏な時間をイメージさせる漢字が多くあげられており、日々時間に追われて忙しく過ごしている現実と、ゆっくり穏やかに暮らしたいという希望が表れているように思える[1]。また、2001年に行われたアンケートの「現在の時間の流れはどんな乗り物?」という質問に対しては、新幹線や特急などの「速い電車」と回答した人が43.2%であり、時間が過ぎるのが速いと感じている人が多いことがわかる。さらに興味深いのは、次に多かった回答が、鈍行や各駅停車などの「遅い電車」の15.8%で、全体で60%近くが「電車」と回答していることである[2]。速さだけみれば新幹線と各駅停車は違っているが、決められたレールの上を走るという点では共通しており、どちらにも時間によって同じ場所に運ばれていくというイメージがある。これらのことから考えても、現代の人々の多くが決められた時間に追われて仕事をしているという感覚を抱いていることがわかる。
このように、私たちの生活は、時間を気にせずにはいられないものとなっている。そして、日々溜まった疲れやストレスを発散させるには、時間を気にせず好きな時に好きな事をすることが必要であり、それができるのが余暇である。しかし、ここで言う“余暇”とは、ある程度まとまっていて、時計を気にせずに自由に使える時間のことである。前述したように、広い意味では余暇とは余った時間なので、仕事と仕事の間の1時間程の空き時間も余暇と言えるかもしれないが、1時間程度では次の仕事の時間を気にして行動しなければならず、結局、時間に追われてしまうことになり、十分にストレスを発散することはできないのではないかと思う。また、例えばディスニーランドに行って、楽しかったにもかかわらず、体力的な面だけでなく精神的にも疲れてしまう場合があるのは、ファストパスやショー、閉園の時間などを気にしながら、時間に追われて行動しなければならないのが一つの原因と言えるのではないだろうか。したがって、私の場合、最低でも丸一日以上、時計を気にせずに行動できる時間でなければ余暇とは言えない。
そして、このように時間に追われず自由に過ごしたいという考えは、余暇の過ごし方の一つといえる旅行のあり方にも、近年、影響を及ぼしてきている。日本人は、集団行動が多いイメージをもたれており、私たち自身も、そういわれることに大体納得していると思う。確かに、○○ツアーと書かれた旗を持ったガイドの後を、ぞろぞろと旅行客が集団でついていくのを目にすることがあるからである。しかし、日本人の旅行形態として人気があるように思われていた団体旅行が近年減少傾向にあり、反対に個人旅行が増加傾向にあるという[3]。その原因の一つには、日本の世帯構成が単身世帯や子供のいない世帯などに変化してきたことが挙げられるのだが、それだけが旅行の個人化が進んでいる原因ではない。そこには、現代の人々の旅行に対する概念の変化が起きてきているからである。
近年、海外への出国者数は増加傾向にあり、旅行の需要はますます増えていくものと思われる。しかし、この順調に増加してきたように思われる旅行マーケットの成長も、過去にかげりを見せたときがあった。海外旅行者数が初めて1000万人を超えたのは1990年、その後、1997年までには1600万人を超えるほどに成長した。この成長は、旅行を大衆化することで安価にできるパッケージツアーによるものだったのだが、1997年になると大手金融機関の破綻やバブル経済崩壊で始まった日本の産業構造の転換などが影響して、ハワイやグアムなどは日本人旅行者数が減少し始めた。
しかし、そのように旅行者数が減少に転じる中、なおも伸びを示している地域があった。それは沖縄である。なぜ沖縄が一貫して伸びを示していたのかというと、2回目以上のリピーターの数が増えたからである。そして、そのきっかけとなったのがパッケージツアーが推進したレンタカーによる観光パターンの普及であった。レンタカーを使うことで旅行者の行動範囲が拡大し、時間を気にせず、個人の好きな所で自由に旅を楽しめるというのが旅行者の魅力となったようである[4]。ここには、余暇である旅行は、誰かに決められた時間に従って行動するのではなく、時間に追われずに自由に過ごすもの、という旅行者の概念の変化があるのではないだろうか。
このような、旅行に対する概念の変化は、旅行マーケットに様々な影響を及ぼしている。例えば、安くて手配も簡単なパッケージツアーは売れても、そのツアー向けのオプショナルツアーやミールクーポンは自由が制限されるため、あまり関心を持たれなくなってきている[5]。また、旅館では、一室当たりの宿泊人員が減るため売り上げが落ち込んだり、売り上げを維持するために客室稼働率を高めなくてはならないので手間がかかるといった問題も生じており、旅行の個人化は旅行マーケットの悩みとなっているようだ[6]。
しかし、旅行の個人化は悩みばかりを生んでいるわけではない。旅行が個人化するということは、それだけ多様な旅行の目的が生まれるということである。行きたい所や体験してみたいこと、食べたい物や会いたい人など、あらゆるものが旅の目的となる。そのため、集団旅行で行くようなメジャーな観光地ではなかった場所が、ある人にとってはとても魅力のある場所となる可能性があるのだ。そして、この旅の目的の多様化に合わせて、航空会社、ホテル、現地観光などの選択肢から、旅行者が好みで組み合わせられるような「個人旅行」という名のパッケージツアーを提供する旅行会社がでてきている[7]。また、「旅館は思い出提供業」というコンセプトのもと、お金をかけた施設を売りにして瞬間に何百名という宿泊客を取ってくる団体営業ではなく、宿泊客一人一人の要望を実現し、クチコミやリピーターなどで時間をかけて客を増やそうという個人営業の旅館もでてきている[8]。
機械化、情報化が進み、さらに速さが要求される日本社会では、今後ますます “時間に追われない余暇”を求めて旅行をする人が増えてくるだろう。そして、そのような旅行者の考え方に合わせ、旅行マーケットも様々な努力をし始めている。これからも、時代の流れや余暇の考え方の移り変わりとともに、旅行のあり方は変わっていくことだろう。
[1] SEIKO『時の記念日アンケート調査 平成12年度実施の“アンケートにみる「時間の過ごし方 20〜21世紀」”』
http://www.seiko.co.jp/nihongo/shinchaku_joho/kinenbi/kinenbi2000/index.html
[2] SEIKO『時の記念日アンケート調査 平成13年度実施の“アンケートにみる「時間のイメージ2001」”』
http://www.seiko.co.jp/nihongo/shinchaku_joho/kinenbi/kinenbi2001/index.html
[3] ツーリズム・マーケティング研究所 『個人化する“非日常”感覚とレジャー・サービス産業の可能性』
[4] ツーリズム・マーケティング研究所 『【連載】個人化する“非日常”感覚とレジャー・サービス産業の可能性 (2/3)』
[5] ツーリズム・マーケティング研究所 『パッケージ旅行における「フライ&ドライブ」の可能性』
[6] ツーリズム・マーケティング研究所 『「団体旅行」から「個人旅行」へ』
[7] ツーリズム・マーケティング研究所 『「個人旅行」という名のパッケージツアーを楽しむ』