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中村祐司「北京五輪大会をめぐるポジティブ報道から何が読み取れるか」
1.スポーツの枠には納まらない五輪大会
本レポートでは、2007年4月22日から同年6月19日までの日本における北京五輪大会にかかわる新聞記事を対象に、とくにポジティブ(肯定的・積極的)報道に注目し、一連の記事の要点を抽出・整理した上で、そこから読み取れる特徴を指摘したい。
08年8月に開催される北京五輪大会は、4年に一度の国際的な大規模スポーツ大会である。世界各国から卓越したスポーツ技能を有する代表選手が一同に会し、競技種目ごとに同一ルールのもとで勝敗(メダル獲得)を争うスポーツ世界における最高峰の大会の一つである。
しかし、同時に五輪大会はスポーツという領域枠では納まらない性格を有している。それは市場活動であったり、国際関係であったり、国内問題への対応であったりする。要するにスポーツを媒介ないしは手段として、他の政策領域に絡んだ様々な対応や発展戦略が企図され実施されているのである。
そこで以下、北京五輪関連の新聞記事をいくつかまとめつつ、抽出・紹介する形で進めていきたい。
2.大会開催に向けた環境の整備と制御
北京五輪組織委員会は既に「街のボランティア」約40万人の募集を始めている。組織委は五輪会場内ボランティア10万人も募集中である。北京市内の観光名所や繁華街などに設置する500カ所の「ボランティアステーション」で各種案内や緊急事態への対応、通訳などにあたることになっている[1]。
北京五輪期間中の交通量の削減や公共交通の利用促進により、1日1,000台のペースで自動車が増加している北京市の交通量を2〜3割削減する方針が打ち出されている[2]。警備対応についても、例えば国際会議(07年4月25日〜同27日まで)が開催され、近年五輪を開催した国や、選手団の規模の大きい国など18カ国の警備担当者や、国連関係者らが参加した[3]。
「飲める水道」への取り組みもある。五輪公園地区には水道水が直接飲めるようになる設備を設置し、また、水不足に対応するため、北京から約300`離れた河北省の四つのダムから水を引く計画も示されている[4]。
北京五輪組織委員会は大気汚染対策としての工場の稼働制限を計画している。具体的には、汚染源の工場の生産停止・制限などを含め北京市と天津市、河北省、山西省、内モンゴル自治区といった地方政府が共同で対策を取ることを明らかにしている。「既にタクシー5万台、バス3000台を廃車処分にしたほか、今年中に天然ガスを燃料とするバス4000台を導入する」という[5]。
極めつけは「人工消雨」の計画である。これは北京市気象局が「年間降水量の75%が夏に集中し、8月には3日に1度雨が降るといわれる北京で、人工降雨技術を用いて雨雲に細工を施し、式典や競技に対する雨の影響を防ごう」というものである。計画では「雨雲が近づいてきた場合、北京から約90`離れた地点で人工的に雨を降らせ北京での降水量を減らす。国家体育場(愛称・鳥の巣)上空に雨雲がかかっている場合は、閉会式前に雨を降らせてしまう手も想定している」という。「競技場を中心に防御戦を巡らす」(市気象局)が政策として真剣に検討されているのである[6]。
3.マナー・イメージ向上など大会開催に向けたソフト面での試み
北京の公安局では、「ようこそ北京へ」と言って女性警官が笑顔で応対し、申請者はきちんと列をつくり、手続もいたってスムーズだといわれている。警官には「警察五輪知識テスト」(外国人記者のビザ申請手続きや窓口対応の言葉遣いに関する多岐にわたる設問)を課せられている。地下鉄では整列乗車が浸透し、車の運転マナーもだいぶよくなったことが伝えられている[7]。
「列に並ぼうデー」というのもある。北京市が毎月11日に設けており、バス停や地下鉄駅など公共施設のみならず、デパートやスーパーなど商業施設での整列が呼びかけられている。例えば「エスカレーターでは、右側に一列に乗って、急ぐ人のために左側を空けるよう指導員が目を光らせた」とある[8]。
その他にも開会式当日の見栄えをめぐり、「選手の後すぐに太ったおじさんが出てきては、テレビ映えがしない」という改善を求めるテレビ局の要望を受けて、国際オリンピック委員会(IOC)理事会はルール作りに乗り出した[9]。五輪ソングに関しては第3次募集までに計1528件の応募があり、既に30数曲が選ばれ、最終となる第4次の募集中である[10]。
イメージ向上戦略は料理の世界にも及んでいる。「門釘肉餅」という北京料理が「歴史的ないわれがあるうえ、外国人が苦手な内臓などを使わないので、きっと口に合う」という声が挙がり、北京五輪組織委員会は選手に「中国料理の文化も味わってもらいたい」と前向きに調整中である[11]。
4.航空会社の参入
全日空(ANA)と日本航空(JAL)は日本―中国便に新たな市場価値を見出している。「中国シフト」と称し、「路線を増やして日本のビジネス需要を囲い込むだけでなく、中国から日本への観光客の引き込みを狙う」動きがある。「飛翔!熊猫(FLY!パンダ)」がそれである。ANAはこの夏に「パンダのように白黒で塗り分けた特別機を日中間の路線に導入」し、JALは「上海が拠点の上海浦東発展銀行と提携、人民元でも決済が可能でマイレージもたまるクレジットカードの発行」を開始した。
05年夏に中国全土で訪日観光ビザが開放された関係で、06年には観光やビジネスなどで日本を訪問する中国人は前年比24%増の81万人に増えたという。とくに観光旅行者(29万人)は47%も増え、5年間で4倍になっている[12]。五輪大会は航空会社にも絶好の参入市場を提供しているのである。
5.北京五輪大会をめぐるポジティブなベクトルはどこに向かうのか
以上のように一連の新聞報道から、北京五輪大会開催準備に取り組む北京市政府や組織委員会の活動を、とくにポジティブな側面に注目して抽出してみた。そこから読み取れる特徴として、第1に、世界中から注目を集める大規模国際スポーツ大会ゆえに、多くの関連政策が「対外PR政策」ともいうべき性格を有していることが分かる。「緑の五輪」を掲げる環境政策などその最たるものであり、「環境に優しい」オリンピックの達成は、招致合戦における中国の公約実現のみならず、イメージ向上に絡んだ国家としての世界的認知、さらにはそれ以上の威信向上や急速な発展国家としての印象を世界中の人々に植え付ける絶好の機会となっている。
第2に、大会開催をめぐるポジティブな諸政策はイメージや印象のレベルに止まらず、関連市場の開拓や創出や活性化がもたらす企業セクターの実利獲得のための絶好の機会となっている。例えば建設の領域だけでも五輪会場、空港、地下鉄、道路、宿泊施設、商業施設など、北京五輪がもたらす、ないしは北京五輪を当て込んだ国内外の企業セクターは、建設ラッシュと同時に、時間的にも空間的にもかつてないほど凝集された「企業ラッシュ」「市場活況ラッシュ」を生み出している。その意味では北京五輪開催の主役は関連産業にかかわる企業セクター群である。
第3に、こうした「五輪市場」の活況は北京市政府や他の地方政府、そして首都(=国家の顔)開催も相俟って国家そのものに巨大な実利・果実をもたらすことになる。国家利益はソフト面・ハード面において既に広く深く浸透しつつあるのではないだろうか。「人工消雨」に成功すれば、それは単に開会式当日の運営をスムーズにするだけではない。中国政府の天候を制御する卓越した技術が世界中に誇示されることになる。北京五輪は政府セクターにとって、都市や国家の発展モデルの達成・実現する千載一遇の舞台である。
第4に、地方政府や国家の構成が人々によって成り立っていることを想起するならば、東京五輪やソウル五輪と同様に、しかし13億人という巨大な人口や市場規模ゆえにより大規模かつダイナミックな国民的統合機能が、来年8月は頂点に達するのではないだろうか。果たして国民の国家への求心力が競技会場の集中する北京市政府や開催地会場を置く地方政府のレベルに止まるのか、あるいは国内代表選手の活躍が国家―国民の連結・一体感醸成の強力な触媒機能を果たし、会場地以外の地方政府レベルの人々をも国家統合機能のプラスのベクトルとして巻き込むことになるのか。五輪開催をめぐる国民統合作用として極めて興味深いところである。
[1] 2007年6月19日付朝日新聞。
[2] 2007年4月22日付朝日新聞「北京 五輪期間中の交通量を削減へ」。
[3] 2007年4月26日付朝日新聞「北京五輪 警備は10万人規模に」。
[4] 2007年5月11日付朝日新聞「北京の目標『飲める水道』 五輪会場など整備進む」。
[5] 2007年6月13日付下野新聞「『緑の五輪』へ対策強化 工場の稼働制限」。
[6] 2007年5月8日付産経新聞「天にも号令 人口消雨 『開会式晴れ』へ威信かけた挑戦」。
[7] 2007年6月7日付朝日新聞「特派員メモ 北京」。
[8] 2007年6月12日付朝日新聞「『左側空け』北京も推進」。
[9] 2007年4月27日付朝日新聞「入場行進『選手が先、役員は後』」。
[10] 2007年5月16日付朝日新聞「詩人の中国前外相、五輪歌に落選」。
[11] 2007年5月22日付朝日新聞「五輪出場?北京伝統の味」。
[12] 2007年5月12日付朝日新聞「航空会社は中国めざす
『日本へ観光』も急増 北京五輪控え」。