070627nakamurat

 

中村 朋未 「日本人とドイツ人の余暇に対する考え方、過ごし方の違い」

 

余暇を私たちは、どこでどのように過ごしているのだろうか。私なら、友達あるいは家族と市の中心地へ出かけ、買い物をして過ごす。夏休みなど大型連休は、娯楽施設へ行き、遠出をする。普段の生活とは違った空間へ、より人がたくさん集まる所へ遊びに行く。余暇をどこにも出かけず、部屋でのんびり過ごすという人も多くいるはずであるが、日本人は余暇をより人が集まる所へ出かける傾向にある。近くのショッピングセンターや市の中心地は人、人、人でたいへんな賑わいをみせているのが証拠だ。また、このような場所では年に何度も催し物やイベントがあるが、大抵土、日に行われている。それは、普段よりも人が集まるからである。

 

一方ドイツでの余暇の過ごし方はどうだろう。日本的余暇の過ごし方と少し違う。これは私が実際にドイツに行ってみて感じた事であるが、まずドイツでは日曜日、外に人は数える程しかいない。店も全部閉まっている。初めてこの状況を知った時、とても戸惑った。観光地も全く人がいないのだ。日本人的感覚で表現すれば、「日曜日といえば消費者で混雑するはずなのに、稼ぎ時に店が閉まっているけど大丈夫?」といった感じであった。では人々はどこで何をしているのかという疑問が当然生まれるのだが、皆家族と家で、あるいは公園でそれぞれのんびり過ごしている。私がお世話になったホームステイ先では、家族全員一つの部屋でテレビを見たりご飯を食べたり、ソファに寝そべったりするなど、余暇をプライベートの空間で、リラックスして過ごしている。また、ある週末、別の家庭に招待されて共に日曜日を過ごしたわけだが、必ず独立した娘や息子が実家に帰ってくる。豪華なお昼を皆で囲んでゆっくり時間にとらわれることなく楽しむ。一週間で日曜日のお昼を一番豪華にするのだという。その後、家族全員でオセロのような卓上ゲームをし、そして近くの公園へ散歩に出かけるのだ。つまり、ドイツ人は余暇を、家族や家という最も人が安らぎを感じる場所で過ごす傾向があるのだ。ここで一つ、私のホームステイ先はごく一般の家庭であり、決してお金持ちではないという事を頭にいれてほしい。また、日本では環境都市として有名なフライブルクという町に日曜日訪れたのだが、何かの行進曲なのだろう、大人が笛を吹き太鼓を叩き、町を練り歩いていた。大聖堂の前ではサックス隊が楽しそうに演奏している。皆がそれぞれの余暇を楽しんでいるように見えた。

 

どうして日本とドイツでは、余暇の過ごし方が対照的なのだろうか。まず日本人にとっての余暇とはどのような意義を持っているのだろか。それは、余暇は精神的にも肉体的にもゆとりをもたらし、ストレスの多い社会にあって、個人が生涯にわたり心身の健康を保持していくうえで不可欠なものであり、これまでの職場中心に偏った生活行動から、個人、家庭や地域とのつながりを重視するバランスの取れた生活への転換を促す重要な役割を持つ。[i] という。一方、ドイツ人にとっての余暇の意義とは、落ち着いてゆっくり時を過ごすことで豊かさを感じるということ。[ii] であるという。

ここで私は、「ストレスの多い社会」「ゆっくり時を過ごす」という点から、二国間の労働、働くことに対しての感覚の差が、日本とドイツで余暇の過ごし方が対照的となる要因を引き起こしているのではないかと思った。

 

前述でドイツの店は日曜日に店が全部閉まると述べた。これは、閉店法という正式な法律があるからだ。1997年1月1日から施行され、全国一律に開店時間は、月曜から土曜は6時から20時、クリスマス前4週間の土曜日は6時から18時までとされ、日曜は開店禁止とされている。[iii] 日曜日に開店禁止とされているのは、「安息日」という宗教的な習わしに由来している。聖書には、神が六日間で天地を創造し、七日目に休まれたとあり、ユダヤ教では土曜日を、キリスト教では日曜日を安息日としている。(ドイツはキリスト教)礼拝に参加し、仕事を休む日である。[iv] また、ドイツの店は閉店10分前になると、客が店内にいようとお構いなく閉店の作業をする。ある店で私が夕食を食べていると、店員が床をモップで拭き、椅子とテーブルを片付け、店を閉じ始めたのだ。時計を見るとまだ閉店時間ではない。きっとドイツ人にとって閉店とは、店員が店を出る時間なのだろう。また、スーパーに買い物に行くと、レジの女性達は皆やる気がない。彼女らにとって、お客様は神様ではなく売る側も買う側も同じ視点だから、日本のスーパーのように、無理矢理な作り笑顔をし、客をもてなす必要はないのだ。以上から、ドイツ人には元来「休む」という事の重要性、必要性が意識の中にあり、生活のサイクルが余暇を中心として動いているのだと分かる。働く事は彼らにとって苦役であり、働きすぎはいけないという気持ちがあるのだろう。

 

一方日本人は仕事に対してどのような意識があるのか。日本の総労働時間は欧米に比べて多いが、休暇日数は少ないのが現状だ。また、「過労死」「過労自殺」「ストレス」という言葉は日本社会で飛び交っている。そもそも日本人の労働観の根底には、「働くとは傍(はた)を楽(らく)にすること」というものがある。たとえ言葉にしなくても、そんな雰囲気をどこかに持っている。「世のため、人のため」、「死ぬまで世の中のお役に立ちたい」という意識がどこかにある。また、日本人には四つの報酬観があるという。第1に「働きがいのある仕事」。これは「仕事の報酬は仕事」という考え方に通じる。第2に「職業人としての能力」というもの。腕を磨くことそのものに喜びを感じる。第3が「人間としての成長」。腕を磨くということは、イコール、己を磨くことにつながる。「人間成長」が報酬だと思っており、だから定年退職の時に、「おかげさまでこの会社で成長させてもらった」なんてつぶやくのだ。そして第4が、「良き仲間との出会い」。「縁」という思想。 [v] だという。日本人の労働観こそあまり私にはピンとこないが、四つの報酬観は確かにある。きっと親の働き方を見て育ち、日本という国に生まれて築いた考え方なのだろう。もしアルバイトをするようになって得たものは何かと言われれば、仕事を終えた事における達成感、成長、バイト先の先輩や後輩との出会いであるからだ。以上から、日本人には元々働くことこそ人生の生きがいなのだという意識がある。仕事を軸に生活の基盤があるのだ。しかし、先に述べた三つのキーワードが現代社会を飛び交っているように、現実には生きがいであるはずの仕事がストレスとなっているのだ。人々は成果主義にうんざりしながらも、結果を求める社会に答えようと、必死で働く。余暇に注ぐ時間も経済的余裕もなくなってしまうのだ。だから日本人は、普段の生活とは違った空間へ、経済発展と共に造られた、人工的な遊び場へと足を運びたがるのだ。そこは、安心感こそあまり感じ取る事は出来ないものの、仕事と切り離された世界で過ごすことで、仕事と余暇それぞれによる、精神的、肉体的な感覚のバランスをとる事ができるのだろう。日本人にとって余暇は、仕事を忘れるための部屋であるにすぎないのかもしれない。

 

この資料を見てほしい。[vi] 資料自体は古いが、私が感じたドイツ人の余暇に対する考えと、統計が一致しているので、今もこの傾向があるはずである。読み取るとドイツ人は余暇に生きがいを求め、仕事よりも余暇を大切にしている。一方日本人は、余暇よりも仕事に力を注ぎ、仕事に生きがいを求めている。つまり、先に述べたことが証拠として示されているのだ。

 

余暇は仕事と密接な関係がある。労働観に関するドイツ人と日本人の感覚の差、余暇に関する感覚の差が、対照的な余暇の過ごし方を生み出すのだろう。また、仕事を軸に生活の基盤があり、余暇に時間を注ぐ事が出来ず、ストレスと戦いながら生きる日本人にとって、娯楽施設やショッピングモールなど、既に造られた受動的な余暇を過ごす結果となる。一方、余暇を軸に生活の基盤があり、沢山の時間を注ぐ事の出来るドイツ人にとって、積極的に余暇を創造し、自らの手で余暇の過ごし方を切り開くのは、きっと容易なのだろう。このような点から日本人とドイツ人では、余暇に対する考え方、過ごし方に違いが生まれるのだと考察できる。

 



[i] http://wp.cao.go.jp/zenbun/kokuseishin/spc12/spc12-houkoku_b.html (国民生活審議会)

[ii] http://www.sc-net.or.jp/new/2003/new0303-3.html          (国士舘大学・医学博士 須藤明治氏)

[iii] http://www.jil.go.jp/jil/kaigaitopic/2000_01/doitsuP03.htm      (JIL 海外労働トピックス)

[iv] http://www.worldtimes.co.jp/matikado/sm030517.html        (世界の街角便り・若山計雄氏)

[v] http://news.goo.ne.jp/article/nbonline/business/nbonline-116261-01.htmlgooニュース・田坂広志氏)

[vi] http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~tate/iryo-siryo1.htm        (原ひろ子、大沢真理『変容する男性社会−労働、ジェンダーの日独比較』新曜社)