070627mayamas

 

間山理美「男の料理―料理教室から始まる家庭の変化に着目して―」

 

 料理人と言えば男性、家庭の味と言ったら女性、そんなイメージを持つ人が多いだろう。周知の事実として、寿司職人、シェフ、ラーメン屋の天主、パティシエなど、プロとして食を提供する職業においては圧倒的に男性が多い。ところがその一方で、料理研究家、料理教室の講師など、食のアドバイザーとも言える職業は女性が務めている印象が強い。また、朝の情報番組でも、女性、特に主婦をターゲットとした料理や家事の内容を伝えるコーナーが多く、家庭料理と女性、主婦との関係は強く結ばれていることがうかがえる。さらには「お袋の味」と言う言葉が存在するように、家庭料理の味つけは、長い間母親、女性の舌に委ねられてきた。私たち学生の中にも、1人暮らしをして母親の味が恋しくなったり、母親の味に近づきたいがなかなかうまくいかないと頭を悩ませたりする人も大勢いるだろう。ここで、女性の料理人が少ない理由としてはいくつか挙げられるが、その一つに以下のようなものがある。女性には避けられない月に1度の月経が、味覚を僅かに変化させる。そう、味に対価をつけて提供する料理に味の変化はあまり望まれない。しかし、家庭の味となればそれは違う。家庭の味となると、夕食だけを考えても年に300日は口にするものである。3品作るとすると、年間1000品近くを作っているということになる。家族だんらんで食事をしていると、楽しみは味だけでなく、会話など他のことにも及ぶため、微妙な塩気の違いなどはそれほど感じないだろう。しかし、その日々の味の変化も家族を飽きさせないためにはよい働きである。こういった体の働きだけでなく、エプロンや最新のキッチン道具も、毎日の料理を楽しく簡単に行えるような、機能性とデザインの両面で優れたグッズが多く出回るようになってきた。料理を簡単に済ませることのできる調味食品も数多く出回り、競争の激しさから味のレベルも年々上がっている。このように世の中の食事に対する動きも後押しをし、家族のための料理は、やらなければいけないことではなく、やりたいこと、と捉える女性は増えてきたのではないだろうか。

 

 このように、女性と家庭料理は昔から深い関わりがあり、男性がエプロンをつけ台所に立つ姿はまだまだ日本人に馴染みの光景ではない。女性の社会進出は昔に比べたらずっと寛容になり、女性の医者や校長、企業家も目立つようになってきた。これに関するこれからの課題はまだたくさん残っているが、今回の趣旨から外れるためこの程度にしておく。女性が社会に出ると言うことはつまり、男性の家事への理解と協力が求められていることをも示している。特に、家庭を持ち、子どもを育てながらの共働き夫婦となればより一層の協力が必要だ。掃除、洗濯、食事、毎日やらなければならない家の仕事は挙げればきりがない。その中で今回注目したのが食事である。レシピ本の著者や料理教室、家庭料理をコンセプトにしたセミナーなどの講師は、女性が目立つ。テレビ業界でも、趣味が高じてレシピ本の出版に到った女性タレントや女優は少なくない。加えて、大抵の女性誌では毎号なんらかのレシピを載せ、それは多いと10ページに及ぶこともある。時代が変化しようども、料理にひきつけられる女性は少なくなることはないだろう。ところがこういった家庭料理とそれを作る人の関係はこのところ変化が見られるようになってきた。「男の料理教室」「60歳から始める男の料理」「男の料理道」など、完全に男性をターゲットとしたビジネスが広がってきたのだ。女性の社会進出と共に、団塊の世代の退職もそれに拍車をかけた。包丁を握り、にんじんやじゃがいもと顔を見合わせ、料理の基本「さしすせそ」を頭の中に巡らせて四苦八苦、ふう〜っと安堵のため息をついたところで「ご飯できたぞ」と家族を呼ぶ男性の姿が増えてきた。退職した後の趣味として。高齢社会となり、退職したものの自分の親の世話をしなくてはならないため。人生も終盤にさしかかり、1人になっても生活していられるように。さまざまな理由の下で、男性の料理への関心は強くなってきた。

 

 では、実際に、男性の料理教室にはどのようなものが見られるのだろう。仕事に追われる仕事現役世代の男性には時間の余裕を見つけるのが難しく、なかなか参加できないようだ。そういった世代でもレシピ本を手にとり、台所に立つ姿は見られるだろう。では、どの世代の男性が多く参加しているのかと言うと、長きに渡って追いかけてきた仕事を終えた60代の人たちである。会社という小さな社会から離れ、付き合いや接待でいつの間にか失われていた自分の時間が見えてきた。その時間をどう過ごすか。趣味に没頭する、新しいことに挑戦してみる、のんびり旅行に出かける。様々あるが、そのなかでも料理に挑戦する男性は非常に多い。東京ガスなどが主催の教室では、1回2000円程度の受講料で体験できるため、初めての料理教室としてはかなりとっつきやすくなっている。また、各料理学院などが主催のものは、月に1回の受講で3ヶ月3万円から、年間56万のものまで扱う幅は広い。もちろん、初心者向け、上級者向けといったレベル設定もしっかりしているため、初めての人でも不安なく参加できる。教室には来たものの、エプロンの付け方から包丁の持ち方、調理器具の名前、食材の名前まで、全くわからない状態で始める人もいる。それでも、一緒に受講している人や講師たちと一緒にひとつひとつを学んでいく。そこでのコミュニケーションもまた料理教室のもつ魅力である。包丁裁きや下ごしらえ、味付けがわかってきた頃には彼らとの関係も深まり、「料理上達」目的で参加した料理教室に、大きな付加価値がついているのだ。作ってもらった料理にはそれほどの思い入れもなく、材料の産地や栄養素、塩分量や脂肪分の量など、栄養面を気にすることはなかっただろう。ところが、まず買物から自分でやるとなるとそうはいかなくなる。野菜は国産がいい、牛肉は○○産、この料理にはどの部位を使い、ここで味付けをしなければ塩気を感じなくなる・・・。と言ったように、各々の「こだわり」が出てくるはずだ。こだわりは持ち出したら、きりがなく広がってゆく。知識が増えれば増える程、そのこだわりも細部にわたって強くなり、いつの間にか妻のアドバイスさえも聞こえなくなるだろう。料理教室が果たす役割は、私たちが思っている以上である。

 

 これまで扱ってきた「男の料理、料理教室」、男性にとって余暇活動の一つに挙げられるのか疑問ではあるが、いつも台所に立つ女性にとって、夫がとっておきの一品、二品、三品でテーブルを飾り、お腹を満たしてくれることは、この上ない余暇活動だろう。リビングで夫の料理する姿をチラッと見ては、「そこはこうするのよ」、「あ〜、そんなことしたら焦げちゃうじゃない」といった言葉を心に浮かべ、それでも決して口には出さず、出来上がった料理を一緒に楽しむ。夫の作った料理に彩られた食卓を囲んでの会話は、さらに彩を増す。今までは野菜の産地など気にしなかった夫が、野菜の産地を聞いてくる。魚の時期を教えてくる。いつのまにか妻の趣味のガーデニングの隣には、小さな家庭菜園ができている。よく晴れた空の下、妻は花の手入れを、夫は菜園の手入れをする。これまでは、ゴルフやぐうたら寝て過ごしていた日曜日、「一緒に釣りにでも行かないか」そんな言葉が聞こえてくる。それまではスーパーに置いてある、内臓や頭をとられた魚を調理していたのに、それ以来生きた魚に挑戦するようになる。一方の趣味であった土いじり、釣りなどが夫婦共通の趣味となり、これまでの人生とはまた違った生活を始めるようになる。ここまでスムーズに夫婦関係が変わることはないだろうが、これに似たような変化が起こる可能性はある。余暇の楽しみ方、何気なく過ごしていた休日に、小さな変化が起こる、それは次第に大きくなり、「私たちの余暇活動はこれよね」なんて会話が聞こえるかもしれない。料理教室から見る家庭の一面、人生60年で高めてきたコミュニケーション能力を発揮する相手は、長年連れ添った妻になるのかもしれない。

 

 

 

<参照サイト>

男の料理教室 http://www.wac.or.jp/cooking/pages/cooking.html

日経BP http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/tanoshimu/cooking_051109.html

東京ガス http://home.tokyo-gas.co.jp/shoku110/shikaku/100.html