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中村祐司「テレビ局の軍門に降った日本サッカー協会?―ドイツW杯における試合開始時間をめぐって―」
1.沢木耕太郎氏による「時の運」の指摘
作家の沢木耕太郎氏は、サッカーのドイツW杯大会1次リーグ(予選リーグ)における日本の対オーストラリア戦(6月12日)と対クロアチア戦(6月18日
)が酷暑の中での戦いとなったことを受けて、晴天の場合、15時という時間は現地では「ほとんど真昼であり、最も温度が高くなる時刻」であると指摘している。
それにもかかわらず日本の試合が3試合中2試合も15時開始となったのは、日本との時差の関係(15時が日本時間の22時に相当)から、「テレビ局の意を受けた日本サッカー協会が『依頼』した結果なのかもしれ」ず、これにFIFAが「配慮」したのかもしれず、あるいは単なる「偶然」だったのかもしれないとしている。
同氏によれば32チームの中で15時開始の試合を行ったのは17チームであるが、この時間帯に2試合ということになると、トーゴ、セルビア・モンテネグロ、そして日本の僅か3チームに限られるとして、結論として国民は「楽しみ」を引き換えに「時の運」から見放され、「俊敏性」を売りものとする日本チームにとって「大事なものを損なってしまった」可能性があると書いている[1]。
また、新聞報道によれば小さな取り扱い記事ではあるものの、この2試合については「昨年12月の抽選後に、日本でのテレビ放映時間を考慮して開始時間が変更された」という断定的な記載がある。あくまでも結果論といえばそれまでだが、ジーコ監督もこの点を批判し、「不運にもこれはビジネスだ」「選手が燃え尽きない日程を考えてほしい」を述べている[2]。
2.開始をめぐる時間差の影響力
確かにそう言われてみると、1次リーグの日程において日本対クロアチア戦が行われた6月18日の翌19日は15時にトーゴ対スイス戦が組まれているものの、以後どういうわけか6月20日から23日までの最初の時間帯の4試合(エクアドル対ドイツ、ポルトガル対メキシコ、チェコ対イタリア、サウジアラビア対スペイン)はいずれも開始時間が16時と1時間遅くなっている。
ちなみに6月24日から7月9日にかけて行われる決勝トーナメント計15試合のうち、17時開始が6試合、21時開始が8試合、20時開始が1試合(決勝戦)となっている。さらに細かく見た場合、準々決勝、準決勝、決勝の計7試合において、17時開始は僅か2試合である。
1次リーグに関していえば、晴天の場合、開始時間が15時であろうと16時であろうと大差はないという見方はできよう。しかし、この「1時間」の時間差は日本でのテレビ視聴の入りやすさという点では非常に大きな差があるように思われる。たとえば、小学生などの子ども世代にとってみれば、確かに学年によるであろうが、翌日の通学を考慮すれば、22時からというのがぎりぎりの線ではないだろうか。さらにサラリーマンといった大人世代にとっても早朝の通勤を考えると、23時よりも22時開始の方がずっとありがたいはずだ。
一方で決勝トーナメントに組まれた最多開始時間が21時であることから、各代表チームが最高のパフォーマンスを発揮しやすいと時間帯として、15時開始は少なくともFIFAの念頭にはないと考えるべきであろう。
3.誰が「依頼」し、誰が「配慮」したのか
ここで沢木氏が提示した「偶然」を除く他の2つのキーワードである「依頼」および「配慮」に関係のアクターを絡めた形で注目したい。世論調査によれば、日本国内のW杯への関心は69%に達し、02年日韓共催大会の53%よりも16%も上昇している[3]。視聴率に最も敏感であり、かつコンソーシアム(consortium)方式を通じてFIFAに対して巨額な放映権料[4]を支払ったテレビ局側とすれば、Yahoo等のインターネット・ダイジェスト版配信などとの競合関係も相俟って、日本戦において国民をテレビに釘付けにすることは至上命令に近いものがあるはずである。
テレビ(生中継に限れば多くはBS1。次にNHK、日本テレビ系、TBS系、フジテレビ系、テレビ朝日系、テレビ東京系など)側の論理としては、試合開始時間の繰り上げをサッカー協会の承認を得た後にFIFAに「依頼」したとしても何ら不思議ではない。
対戦相手(組合せ)の決定までは抽選でなされるものの、「会場の割り振りは、大会組織委員会の裁量に委ねられる」[5]という記述からも、同組における代表チーム間の対戦をどの時間帯に設定するかは、FIFAの有する裁量の範囲で決められるのではないだろうか。FIFAは巨額な資金を提供してスポンサーとなった企業を徹底的に保護し、例えば試合直前のセレモニーにおいて、選手と手をつないでフィールドに入る子どもたちの履くシューズメーカーが契約スポンサーではない場合は、そのロゴ(デザインマーク)が見えなくなるよう塗りつぶす措置を取ると以前聞いたことがある。
FIFAにとってテレビ放映権料は、重要な収入源であり財政基盤を支える一要素である。各国のサッカー協会の意向がここにどの程度絡んでくるかは分からないものの、「テレビ局連合」の意向を無視することはできないはずである。6月13日の韓国対トーゴ戦が15時に組まれた事実からも、テレビ視聴者を意識して試合開始時間がとくにアジア・オセアニア地域における3チーム(日本、韓国、オーストラリア)に適用された可能性は高い。
しかもオーストラリアの監督は02年大会では韓国をベスト4に導いた監督と同一人物である。韓国国民のオーストラリア代表に対する関心は極めて高いといわれている[6]。さらにこの3カ国の視聴者のみならず、中国などのファンを惹き付けることも視野に入れていたはずである[7]。
4.日本サッカー協会は欧州の夏の気候を軽視?
こうした見方は分析というよりは色眼鏡に近いといった方がいいかもしれない。しかし、把握の仕方において相当のずれを覚悟で敢えてその先を深読みすれば、日本サッカー協会は日本戦最初の2試合の気温・天候状況の予測を読み違えたというか、高をくくっていたのではないだろうか。先の沢木氏の指摘によれば、「この時期のドイツは天候が変わりやすいらしく、晴天が長続きしない」にもかかわらず、「日本戦の日は、その日だけ太陽にピンポイントで狙われたかのように酷暑になってしまった」とある[8]。
サッカーは国連加盟国191カ国を上回る207の国と地域がFIFAに加盟するという意味で、まさに地球規模のスポーツである。しかし、無人の野でボールが蹴られるのであればW杯はW杯足り得ない。選手と観戦者という主客の存在を大前提にした観客や無数の視聴者の存在が不可欠なのであり、だからこそ豪華なスタジアムにおいて数万人の観戦客の熱狂に囲まれた試合が成立し、受け手がいるからこそ鮮明な映像を通じてそれが世界に発信される。
相手チームも同じ条件でありそんなものは関係ないという見方や、酷暑を言い訳にすることを嫌う「サムライ」精神論を受け入れやすい土壌と映像メディアのご都合主義、さらには(まさに執筆者がそうであったように)それを無定見に受け入れる視聴者が相俟って、今回の日本戦では主客転倒が生じたのではないだろうか。その意味では「擦り切れるまで使われる」のは何も欧州で活躍する選手のみではなかったことになる。すべて結果論ではあるものの、このように認識すれば、第二戦における実況・解説のはしゃぎぶりと第三戦のブラジル戦に至るまでの意図的な盛り上げにも納得がいく。
[1] 沢木耕太郎「ワールドカップ街道 日本『午後3時の悪夢』」(2006年6月21日付朝日新聞朝刊)。
[2] 2006年6月20日付下野新聞(共同通信記事「ジーコ日程を批判」)。
[3] 2006年6月15日付朝日新聞朝刊社説「サッカーW杯 熱狂の1カ月が始まる」。
[4] 「中東地域では、サウジアラビアの衛星テレビ「ART」がW杯の独占放送権を獲得。このためイラクで250j(約2万9000円)、ヨルダンで450jなど高額の加入料を払わなければテレビ観戦できないことになっている」とある(2006年6月16日付下野新聞(共同通信記事「サッカーW杯、アラブ諸国も熱く」)。
[5] 2006年6月23日付朝日新聞朝刊。
[6] 日本対オーストラリア戦の韓国での視聴率は50数パーセントで、日本の視聴率を凌いだ。
[7] 「中国四川省四川大学で12日未明、W杯のテレビ中継を見られないと腹を立てた学生約9千人が、ビール瓶を投げ、バイクやパソコンを焼くなどして暴れた」とある(2006年6月21日付朝日新聞朝刊「『中継見せろ』学生暴動」。
[8] 前掲沢木「ワールドカップ街道 日本『午後3時の悪夢』」。